第5章 第1次世界戦争編 E-0013 戦の下準備(西)
日本本国 陸軍参謀本部
「船舶が足りない。朝鮮半島との鉄道網の調整を急げ。青島派遣軍を満鉄経由で釜山から旅順まで鉄道輸送すれば時間はかかるが船舶を多少減らせる。」
陸軍参謀本部は大日本帝国陸軍創設以降初めての師団単位での欧州派遣に補給面での問題に直面していた。
『船が足りない』
それを一言で語るならばそれだ。船舶輸送は大量の物資を輸送するのに最も効率的な手段だ。輸送重量に対して必要なエネルギーは最も低い。さらにこの時代、海を行く船は少ない。すなわち船による渋滞はない。さらに日本のような島国の場合、陸上に鉄道を敷くよりも手軽に輸送力を稼ぐことができる。
「船が足りない」
だがそれは船が十分にあればこその話だ。船が不足している中ではおそらく鉄道に分がある。さらに通商破壊に関するリスクと内陸部への利便性を考慮に入れれば双方を整備する選択肢は当然だろう。
史実では当時の日本はようやく造船業が活気を帯びてきた時期。造船能力は軍用に偏っているうえに民間船の建造は量産型の大型貨物船の研究が始まったばかり。それまでの商船の多くが国外からの輸入品だった。史実では第1次世界大戦の戦時需要に際し、諸外国は自国向け商船の建造で手一杯となり、それでも不足したために膨大な需要を生じさせた。これにより日本の造船業界は急拡大したと推測できる。
改史では史実よりも早く、大型貨物船の量産計画が進んでおり、そのうち数隻が就役している。
「おいおい君たちの騒ぎは海軍省まで響いておるぞ」
参謀たちが騒ぐ部屋の扉が開かれた。開いたのは白い軍服を着た男。
「し、島村海軍中将閣下!!」
「助けに来たぞ。来たことは秘密で頼む。練習艦隊が解散されてしまったから今暇なんだ。」
島村は言う。島村速雄は海軍の初期に活躍した軍人の一人である。独学で砲術・戦術を学び、日清戦争当時の連合艦隊参謀の一人である。その以後も首脳陣や部下に対しての気遣いを絶やさないまさに生きた接着剤のような人物である。
これには「非常な秀才で智謀は底が知れない、軍人には珍しいほど功名主義的な所が無い、生涯はつねに他者に功を譲ることを貫いた、天性のひろやかな度量のある人物」と称されるほどの無欲さと他者を思いやる精神に満ちている。
さまざまな功績があることが推測できるがあまり記述はない。
この時期、日本海海戦への従軍を最後に軍務の第1線を退き、後進の育成に励んでいる。
「何をおっしゃるのです。軍令部長の重責にある方なのに…」
配属は練習艦隊司令。しかし戦時体制に移行するのと同時に練習艦隊は解体。軍令部長へ転身した。
「船が足りないのだろ。船のことは海軍に聞け。まあ、僕がここでつぶやいたことを聞いたら安心するだろうから。」
彼がのちに述べることを聞いて実際にその場は静まり返ると同時に安堵のため息が聞こえた。
イタリア 徳川好敏空軍大佐
「出身母体とはいえこのような任務に就くとは…」
徳川は電文を見る。
徳川家の分家出身の徳川好敏空軍大佐は諸外国では貴族という立場を利用して活動をしている。貴族主義の残存するオーストリア=ハンガリー帝国やイタリア王国、ドイツ帝国を行活動の場としており、民主国家であるアメリカやフランス・比較的民主的なイギリスを主な活動領域としている二宮忠八大佐と共同で航空関連の情報収集を行っている。
しかし徳川はもともとから空軍将校だったわけではない。(二宮は空軍成立直後に任官。それ以前は仮任官) もとは陸軍の工兵部門に所属していた。
「畑も違うし。いくら現地の駐在武官が調べているといってもな…。」
しかし任務は砲兵や補給の仕事。イタリア兵器の購入だ。
欧州派遣では強大な距離がある。この間を巨砲まで多数輸送するのは困難だ。そこで一部兵器を現地調達することになった。
この時点での現地調達兵器は
カルカノM1891小銃 38式実包型(のちにイ式小銃と呼称)
38式実包
(旧式)280mm 榴弾砲 同砲弾多数
以下野砲(車輪付きの大砲)
(旧式)149mm 23口径 反動吸収装置なし
(旧式)149mm 35口径 反動吸収装置なし
65mm 山砲
(旧式)70mm山砲 反動吸収装置なし
75mm野砲(設計はフランス)
いずれもイタリア国内で製造がされている兵器もしくはイタリア国内で製造されている兵器で代替可能な旧式兵器である。これらを費用はフランス持ちで導入する。
これらの兵器について解説すると、
カルカノM1891小銃は史実でも日本は38式実包型を導入し、イ式小銃として運用した。しかしそれは1938年日独伊防共協定に伴い友好関係を築く意図があり導入されたものである。史実におけるイ式小銃は銃床(木製部分)以外の部品をイタリアで製造、日本国内で組み立てが行われている。
もともとカルカノM1891小銃自体の小銃弾と38式実包とサイズが似ており、設計の変更及び製造設備を流用して製造することができると想定できたのだ。銃弾の製造工場も製造設備の流用が可能だろう。よってその銃弾すらも発注する。
280mm 榴弾砲は日本の28㎝榴弾砲の原型となった砲であるが、この砲自体がドイツの28㎝榴弾砲のコピー品に当たる。よってドイツ製を親とするならばイタリア製は子、日本製は孫コピーに当たる。
親と孫の関係で面白い話がある。ドイツ製砲を採用していたロシアは孫を使用している日本と戦争することになる。これが日露戦争である。そして砲弾のサイズが同一だった。日本が旅順で放った不発弾をロシアは撃ち返してきたのだ。そして見事爆発している。
これは同一サイズの砲弾を使用しているイタリア製も同様に使えるだろう。逆もしかり。
第1陣で輸送してきた28㎝榴弾砲向けの砲弾もここから調達する。それだけでは怪しまれるのでイタリア製の砲も同時導入し、混合運用する。
23口径149mm攻城砲は1882年に採用された旧式砲。反動を吸収する機構がないので撃った反動でずれ動く。これを修正する時間がかかるために射撃速度は遅い。しかし、後継砲の製造は予算と軍の重砲軽視から遅々として進んでいない。そのために導入された重砲の主力である。
35口径149mmカノン砲も1900年採用の比較的古い砲であり、反動を吸収する機構がない。23口径149mm攻城砲の後継として製造されていたが、製造はイタリア軍の重砲軽視から遅れている。しかし、安価且つ製造性がよいので未だ生産は継続中である。
改史日本は旧式砲の導入を行っていたが、旧式砲の在庫が尽きたときに導入することがほぼ決まっているが練兵目的の先行導入品の発注がなされる。
65mm 山砲は1913年採用の最新鋭砲だ。軽装で山岳部での運用でも有効。日本はこれを遊撃目的で運用する予定だ。導入予定の砲で唯一射撃反動吸収装置が搭載されており、砲弾が小さいことをも含め速射性が高いことが想定できる。
70mm山砲は1903年採用。反動を吸収する機構がない時代遅れな代物であるためにイタリアでは前述の65mmに更新するために退役が進みつつある。導入するのはこの退役品である。
65mmと70mmは他の重砲と違い、機動力があるので機動性を生かした運用がなされる。すなわち固定砲である重砲と機動的に動かし、戦局に対抗する軽砲。その組み合わせだ。
他にも導入に値する兵器はあるが、極秘品であることや同盟国陣営の砲をライセンス生産したものであり、中立政策をとり、双方に武器を輸出するイタリアにとっては提供できない代物である。
そもそも中立状態での兵器輸出自体が中立侵犯の可能性が高い。これができるのも協商・同盟陣営ともに戦力が拮抗しており、イタリアを敵にすることを避けたかったためであろう。
そして導入する砲は意外と重砲が多い。この時期の日本が日露戦争での戦訓で金欠の中重砲主義的思想が強かったこと、それに比してイタリアが重砲軽視及びその製造能力過剰だったこと。重砲が多い編成にわざとすることで機動性を低下させ、結果的に前線への配属・消耗品としての運用を防ぐといった複数の理由が見られた。
「陣地構築のためのべトン(コンクリート)やエンビも必要だな…鉄道輸送の予約もしなくてはならん…」
戦闘は始まる前に勝敗が決まっている。今こそ戦場なのだ。
ほぼ1週間後 東京湾
1914年8月15日
東京湾に日本が保有する様々な大型船と軍用艦船が集結している。欧州派遣の第1陣近衛第1師団と重砲部隊の積載を開始している。フランスが各国に陸軍の派遣を可及的速やかに願っているためである。
集結した艦隊の編成
海軍所属輸送可能艦艇
陸上機艦載試験艦 大翔
上部甲板に空軍飛行隊の汎用練習機ダウぺを積載。離艦は可能だが着艦は不能。20機 2個中隊程度
・日昇丸(輸送艦)
臨時動員旧式艦艇
払い下げ・転属(兵役方式の変更の関係で) を含む
満州・淀・最上・千早・龍田・八重山・豊橋・韓嵜・駒橋・若宮・高橋・富士・松江・葛城・大和・武蔵
民間傭船
T型貨物船 8隻 徳島丸・鳥取丸・対馬丸・高田丸・豊岡丸・冨山丸・豊橋丸・徳山丸
等
T型貨物船は日本初の量産型の大型貨物船で当時最新鋭である。半官半民の日本郵船が欧州航路に12隻配備する計画で建造されていたが開戦により、太平洋で通商は海戦が活動を開始。新型船失うことを嫌い欧州航路の閉鎖されてしまった。
日本政府がこの船を護衛付きである旨と損害の補償を行うことを条件に傭船した。
「小栗 孝三郎 井出 謙治 両大佐の説得のおかげだ。」
日本郵船をはじめとする船会社に対して交渉を行ったのはこの2人の海軍大佐だ。この2人はこの時期で少ない潜水艦を専門としており小栗 孝三郎大佐は潜水艦の導入を求め己の進退を含めた粘り強い交渉で潜水艦の導入を進めた。
沈勇とうたわれた佐久間勉大尉の第6潜水艇沈没事故の際に遺書に記された名前にも入っている。
「第1陣派遣部隊の近衛第1師団と重砲兵・第3師団司令部の一部の積載・搭乗を開始しています。護衛の艦艇も逐次集結中。」
「重砲はすべて28榴か。旧式砲の一斉処分だな。」
その様子を見ている海軍士官がつぶやく。28榴と略された28㎝榴弾砲はドイツクルップ社製の28㎝榴弾砲の孫コピーになる。原型砲の開発は1890年。性能的にも日露戦争時代の戦艦に致命傷を与えることができないほど旧式化している。
だが陸軍の攻城砲や重砲としては未だに有効だろう。
さらにはクルップ製28㎝榴弾砲をはじめにコピーしたのは未だ大戦に参加していないイタリア。日本はこのイタリア砲をコピーしたに過ぎない。さらに日本製の28㎝榴弾砲とドイツ製の28㎝榴弾砲には砲弾の互換性が日露戦争で確認されている。当然、その間にあるイタリアも砲弾はほとんど共通だろう。旧式化しているから砲弾は安いし、備蓄砲弾も十分、あちらも廃棄物に準ずる価格で売ってくれるだろう。
「28榴は展開速度が遅い。国内から持ってゆく重砲があれしかないということは陸軍が装備で実質的に突撃戦をしないと公言しているようなものだな。まあ今のフランス軍の戦局を見れば当然だろうが」
と口にする士官もいる。
28㎝榴弾砲の展開時間は日露戦争時に最短9日、太平洋戦争時でも12時間を必要とする。とても戦術的に前進させることは困難。事前準備さえしていれば後退はできなくもないだろうが、とても攻めるのに適した大砲とは言えない。
フランス軍はこの時、ドイツ軍の奇襲攻撃を何とか押しとどめつつある。だがそれは急進してきたドイツ軍が敷設した塹壕に多大な犠牲を生む兵士の突撃戦を実施、多大な犠牲を経てようやく得ている戦果だ。日本が機動力に優れた部隊を送り込もうものなら自国兵の代わりに矢面に立たされるに決まっている。
「だが真っ先に最精鋭の近衛師団を送り出すとは…金はフランスとイギリスが出してくれるみたいだし…かなり本気のようだな徹底的に火力で叩き潰す気だな陸軍は…」