2章2-1戦間期 陸軍の戦い 傷跡
今月はストックの関係で改史大戦を2回上げます。(もう一つは今月は中止します。)
戦間期陸軍篇の第1回です。どんどん感想お待ちしてます。
1905年9月2日 四軒街 日本軍司令部。
ポーツマス講和会議において日露両軍の休戦が決定し、将軍たちは集まり、会議を開く。その会議自体は短い時間で終わり、部下に対して休戦のことを秘匿、先制攻撃の禁止を改めて命じることに決定した。
「秋山君。」
会議の終わった後秋山好古は乃木希典に呼び止められる。
「乃木閣下。」
「戦争は終わるのじゃな。また年寄りが生き残ってしまった。」
「ご子息のことは残念でした。」
「ああ。」
乃木希典には元気がない。多数の戦死者を生んだ自責の念が自身を支配している。さらに遼東半島での戦闘で息子2人を戦死させてしまったのだ。
「閣下。どのようにすれば死人は出なかったのだろうか。共に考えていただけないでしょうか。それが次の人死を減らす。此度の死者の無念を晴らすのは勝利と次の死者を出さぬこと。ご協力を頼みます。」
秋山は乃木に頭を下げる。しかし乃木はそれを無視して去る。
「秋山閣下。児玉閣下がお呼びです。」
部下の兵士が呼びに来る。秋山はすぐに司令部に向かう。
現在、日本陸軍、満州方面軍の騎兵のことごとくを彼が指揮している。現在、騎兵や歩兵による小競り合いが少々あるが、戦線は膠着状態にある。
「よく来た秋山!!騎兵の様子はどうじゃ!!」
「ロシア騎兵の多くを先の戦いで殲滅できましたので小競り合いの戦況は良好です。特に挺身隊は哈爾浜方面まで進出。敵の補給線を圧迫しております。しかし、部隊の再編で部隊としての行動はできていますが大規模な損害の前に戦後の再編が思いやられます。」
「そうか…。」
児玉は椅子に座る。隣の椅子には大山巌が座っている。
「戦後どげんなって思う?」
大山が秋山に聞く。
「少なくとも騎兵については縮小されるべきであると考えます。戦前の規模までに再編するのに大きな苦労が必要になります。同様に費用も。そのような出費ができるとは思えません。」
秋山はそう断言する。
「さらには我々の戦い方は騎兵ではなく、騎馬した歩兵ともいえる戦い方をした。この戦法に騎兵は敗退した。今後本来の騎兵は失われていく。騎兵として残るのは後方かく乱、連絡用とした支援作戦にしか使えない割に金のかかる使い勝手の悪い兵科になるでしょう。」
「きみは騎兵ん将校じゃらせんか。普通は騎兵をひいきすっもんじゃらせんか」
「正直に言わなければ国家の損害になる。それにまだ未来はある。」
「そん根拠は?」
「馬以外の輸送手段の確立。鉄道の歴史と同じです。鉄道馬車は蒸気機関の発明で大きく歴史は動いた。」
「騎兵でも同じこっが起こっと?」
秋山は首を縦に振る。
「欧州に行ってみたいものです。その手掛かりを探すために。」
「乃木と寺内に知らせちょく。君を優先的にヨーロッパに行けるようにな。」
「ほかにあっか?騎兵以外に」
「今のところありません。ですが、この戦争の前線で戦った将校に話を聞きたい。何をすべきかを考えるために。」
「要望はあっか」
「乃木将軍に戦場の説明をお願いしたい。今後の戦争のために」
この後、凱旋前に将官は戦場を回ることになる。
旅順までの鉄道、車両内。
「南山は急造の陣地でした。」
旅順に向か列車の中では南山や旅順要塞を経験した将官による概要説明が行われている。
「南山の戦いでは機関銃に大いに苦しめられました。その結果、第2軍は海戦初旬で損耗率が1割を超えてしまいます。ロシア軍にも同程度の死傷者が出ましたが、それはいずれも陣地放棄後の追撃による死傷者と思われます。よって急造陣地でも歩兵にとって大きな脅威になります。」
その中で乃木希典のみは深く目をつむり、考え込んでいる。南山の戦いでは彼の息子が戦死しているためだろう。
「南山、および旅順要塞での戦訓を受けて開発された防楯は実戦での大きな活躍はありませんでした。運用しやすい手持ちの盾では機関銃の弾を貫通させてしまい、耐えられるものは重く、運用に適さないという評価でした。」
機関銃の威力はすさまじい。乃木の息子は腹部に貫通弾を食らったがその時の傷は穴ができ、前から後ろが見えるくらいだった。小銃弾の貫通では貫通しても穴は出血で埋まり、後ろは見えない。機関銃はそれだけの威力があるのだ。
「旅順ではさらに永久築城した陣地が続きます。その実は外郭に急造の野戦築城、その内側に永久築城した旅順要塞がありました。予算の関係で永久築城が遅れていたという捕虜の情報もあります。乃木将軍の第3軍はここを攻略します。
第一次攻撃は歩兵による強襲。
第二次攻撃は塹壕をはじめとする坑道戦術を駆使して作戦を実施する。ロシア側の証言では重要な陣地の一部喪失との証言があり、坑道戦術の有効性がある程度確認されました。
第三次攻撃初戦も坑道戦術を多用することになります。白襷隊に関しては運繊維ついて驚嘆する証言が捕虜からあげられています。
その後、旅順攻略の趣向を203高地に変更。旅順艦隊を砲撃する。捕虜からの証言では海兵及び一部武装は陸戦に動員されており、この時点では艦隊は交戦能力がなかったという証言も存在します。この攻撃の効果については海軍から報告が上がることでしょう。
第四次攻撃では正面での行動戦術で陣地を爆破したのちに突撃。これで多くの陣地を陥落せしめ、この時点で降伏しました。砲撃で優秀な将官が戦死したのと予備兵力の不足、防衛線が突破されたことが降伏の原因とされています。
攻略作戦全体で日本兵6万人が死傷ロシアは46000名。攻略作戦全般において砲弾不足による犠牲者が相次ぐ。坑道戦術の有効性を認む。」
報告書を読む士官はここまで言い終わると、見回す。
「秋山少将何か?」
「空…気球からの観測はどうでしたか?四軒街会戦ののち、気球連隊の方に話を伺いました。旅順戦で投入されたと。」
「はい。投入されたという記述はありますが、気候の関係で運用が阻害されてしまったようです。さらに大きな的になるので接近しての運用は困難、高度を上げると海風で飛ばされそうになるとのことで旅順港を望む高さまで上げることはできませんでした。」
「鳥になれたらいいですね。空からなんでも見えるのに。旅順港にだって鳥はいるのですし。」
若い従卒が秋山に水を持ってきながらそう言う。その場は小さな笑が生まれ空気が緩む。若干2名を除いて。
旅順
「秋山殿。」
秋山は呼び止められる。呼び止めたのは大島義昌。第3師団師団長である。実は阿部首相の高祖父(阿部首相にとってのばあさんの爺さん) にあたる人物である。
「どうされました大島中将」
「先ほどの話で思うところがあってな。昔、似たようなことをいう人間がいた。元部下だった男だ。」
「今は何をしているのでしょうか。その者は」
「わからん。記録さえ調べればわかると思う。ともかく名前は覚えている。」
「その名は?」
「二宮忠八といったかな。確か日清のころ私の部隊の衛生卒をしていたはずだ。記録を探してみればわかる。日清戦争当時の歩兵第9旅団所属兵だから記録があるはず。手紙を出して調べてもらえばいいのではないか?」
「大島閣下の旅団…日清戦争当時の歩兵第9旅団…といいますと広島ですか?」
「そうだ。旧広島鎮台。現、第5師団だ。この師団は広島周辺の兵士のみで編成されているからわかりやすいはずだ。なんなら私が師団本部に行こう。」
「大島中将…どうしてそこまで…」
「…彼から話を持ちかけられたのは日清戦争終戦直後のタイミングだった。私はその話が信じられなくてそっけない返事をしてしまった。鳥のように敵情を見、それに伴い作戦を立てる。その利点は大きい。気球は機動性皆無なうえに的になりやすい。この戦争でよくわかった。」
「でそのお話をなぜ私ごときに」
「あの場で笑っていなかったのが君だけだったからだ。師団長クラス以上以外でな。若者に託したくなったのさ。」
「そんな。大島閣下も十分お若い。まだ50代ではありませんか。」
「君のほうが良い指揮官になる。私がそう思うからだ。」
「そんな」
「君に託す。」
「国に連れて帰ってやる。」
乃木は一つの墓標の前に立ち、つぶやく。
「乃木さん。」
「大山閣下」
「あてはすべてん兵士に帰還を命じた。そんたこけおっ兵士たちも同様じゃ。兵士たちには帰還すっと同時に彼らも連れ帰っごつ命じちょります。火葬ばせんなならんやろうが、全員を連れて帰ってやりもんそ。」
「…そうですね。ありがとうございます。」
乃木は後ろの従卒のほうを向く。
「円匙 を貸してくれないか?」
従卒は驚いたような表情を見せるしかなかった。
1906年5月30日 東京
史実よりも1か月遅い凱旋式典が行われている。戦友を連れ帰るために時間がかかったのだ。同日、日本各地で凱旋式典が行われていることも史実と違うことである。さらに、兵士たちは武装と同時に白い布がかけられた箱を持って歩いている。
骨壺だ。
さらには足がなく、馬車にすし詰めになる兵士や腕がなく、ようやく武器が持てるだけの兵士。その彼らまで凱旋式典に出席している。
「…何人の兵士が死んだんだ?何人の兵士が腕や足を失ったんだこの戦争で。」
とある新聞記者はその様子を見てそうつぶやくしかなかった。
大阪 大日本製薬株式会社
「秋山少将閣下。」
秋山は大日本製薬という会社を訪れていた。各所に送った手紙を利用し、二宮忠八の居場所をつかんだのだ。彼は大金をだし、電報をだした。その結果、アポイントが取れ、応接室に通されたのだ。
「でどのようなご用件ですか?二宮という男は支店長なのですが、いま彼は忙しい時期でありまして、とても応接できる状態ではないのですが…。」
「彼に用があってまいったのです。」
(この男…軍への納入物資に関しての便宜を求めているな。)
「彼がいないのであれば、彼、個人に連絡を取らせていただきます。」
秋山は答えると同時に平時の敵は無能な見方や妨害する同胞であるのではないかと思う。
「わ、わかりました。ちょうど報告に来ている時期を呼び止めていましたのですぐお通します。」
(逃げたな。)
しばらくすると若い男が応接室に現れる。
「二宮忠八、元第5師団衛生卒です。」
二宮は兵士時代の堂々とした敬礼を見せる。
「陸軍少将秋山好古です。よろしく。」
秋山は民間人のように握手を求める。
「日露戦争時代のあなたの上官、大島義昌現中将から紹介され、君のことを探しました。」
「ありがとうございます。お手紙に書かれていた通りのお話をしたいと思います。飛行器に興味がおありなのですね。」
「はい。」
といった瞬間、二宮は目を輝かせた。
乃木将軍は無能でなかったという人は多いです。私もその口です。でもあのひげ面で当時の日露戦争に出兵した4つの軍司令官の中で最年少と知った時は驚きました。どう見ても最年長に見える白髪とひげ。相当苦労されたのでしょう。
次は政治関連です。もっとも調べるのが手間か苦労する分野です。(私は海軍好きなもので)
なので訂正箇所があればどしどしください。今回も感想お待ちしております。