表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
改史 大戦  作者: BT/H
5/83

2章1-1戦間期 海軍の戦い ドレッドノートショック

 日露戦争ーWW1の戦間期の海軍編1話目です。史実でもこの時期の海軍の発展はわかりやすくそして激動の時代です。調べてて楽しいです。


1905年12月21日 連合艦隊解散式 

二十閲月ノ征戰已ニ往事ト過ギ、我ガ聯合艦隊ハ今ヤ其ノ隊務ヲ結了シテ茲ニ解散スル事トナレリ。

然レドモ我等海軍々人ノ責務ハ決シテ之ガ爲ニ輕減セルモノニアラズ。

此ノ戰役ノ收果ヲ永遠ニ全ウシ、尚益々國運ノ隆昌ヲ扶持センニハ、時ノ平戰ヲ問ハズ、先ヅ外衞ニ立ツベキ海軍ガ常ニ其ノ武力ヲ海洋ニ保全シ、一朝緩急応ズルノ覺悟アルヲ要ス。

而シテ武力ナル物ハ艦船兵器等ノミニアラズシテ、之ヲ活用スル無形ノ實力ニアリ、百發百中ノ一砲能ク百發一中ノ敵砲百門ニ對抗シ得ルヲ覺ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ。

近ク我ガ海軍ノ勝利ヲ得タル所以モ、至尊ノ靈徳ニ頼ル所多シト雖モ、抑亦平素ノ錬磨其ノ因ヲ成シ、果ヲ戰役ニ結ビタルモノニシテ、若シ既往ヲ以ツテ將來ヲ推ストキハ、征戰息ムト雖モ安ンジテ休憩ス可カラザルモノアルヲ覺ユ。

惟フニ武人ノ一生ハ連綿不斷ノ戰爭ニシテ、時ノ平戰ニ由リ其ノ責務ニ輕重アルノ理ナシ。

事有レバ武力ヲ發揮シ、事無ケレバ之ヲ修養シ、終始一貫其ノ本分ヲ盡サンノミ。

過去ノ一年有半彼ノ風濤ト戰ヒ、寒暑ニ抗シ、屡々頑敵ト對シテ生死ノ間ニ出入セシコト固ヨリ容易ノ業ナラザリシモ、觀ズレバ是レ亦長期ノ一大演習ニシテ之ニ參加シ幾多啓發スルヲ得タル武人ノ幸福比スルニ物無シ。

豈之ヲ征戰ノ勞苦トスルニ足ランヤ。

苟モ武人ニシテ治平ニ偸安センカ、兵備ノ外觀毅然タルモ宛モ沙上ノ樓閣ノ如ク、暴風一過忽チ崩倒スルニ至ラン。

洵ニ戒ムベキナリ。

昔者、神功皇后三韓ヲ征服シ給ヒシ以來、韓國ハ四百餘年間、我ガ統理ノ下ニアリシモ、一タビ海軍ノ廢頻スルヤ忽チ之ヲ失ヒ、叉近世ニ入リ、徳川幕府治平ニ狃レテ、兵備ヲ懈レバ、舉國米艦數隻ノ應對ニ苦シミ、露艦亦千島樺太ヲ覬覦スルモ、之ト抗爭スルコト能ハザルニ至レリ。

飜ツテ之ヲ西史ニ見ルニ、十九世紀ノ初メニ當リ、ナイル及ビトラファルガー等ニ勝チタル英國海軍ハ、祖國ヲ泰山ノ安キニ置キタルノミナラズ爾來後進相襲ツテ能ク其ノ武力ヲ保有シ世運ノ進歩ニ後レザリシカハ、今ニ至ル迄永ク其ノ國利ヲ擁護シ國權ヲ伸張スルヲ得タリ。

蓋シ此ノ如キ古今東西ノ殷鑑ハ爲政ノ然シカラシムルモノアリト雖モ主トシテ武人ガ治ニ居テ亂ヲ忘レザルト否トニ基ケル自然ノ結果タラザルハ無シ。

我等戰後ノ軍人ハ、深ク此等ノ實例ニ鑑ミ、既有ノ錬磨ニ加フルニ戰役ノ實驗ヲ以ツテ、更ニ將來ノ進歩ヲ圖リテ時勢ノ發展ニ後レザルヲ期セザル可カラズ。

若シ夫レ常ニ、聖諭ヲ奉體シテ、孜々奮勵シ實力ノ滿ヲ持シテ放ツベキ時節ヲ待タバ、庶幾バ以テ永遠ニ護國ノ大任ヲ全ウスル事ヲ得ン。

神明ハ唯平素ノ鍛錬ニ力メ戰ハヅシテ既ニ勝テル者ニ勝利ノ榮冠ヲ授クルト同時ニ、一勝ニ滿足シ治平ニ安ンズル者ヨリ直ニ之ヲ褫フ。

古人曰ク勝ツテ兜ノ緒ヲ締メヨト。


 東郷平八郎は連合艦隊解散之辞を読み上げる。起草は参謀の秋山真之。名文とされ、時の大統領ルーズベルトは英訳、米国将兵に配布されたほどの代物である。秋山自身、かつて文学の道に進もうとした時期があるため、このような名文が生み出せたのだろう。

そして私が重要だとあげるのはそのうちの一文「平素ノ錬磨」である。

  平時も戦場なのだ。

海軍にとっての戦いが再び始まる。

  1905年12月26日

 『筑波』が進水した。『筑波』は戦艦に準ずる火力を持った装甲巡洋艦である。その設計思想は時代を先取りしていた。そのため事実上前ド級巡洋戦艦ともいえる艦だった。

 この船は旅順港作戦で失われた戦艦『八島』と『初瀬』の穴埋めのために建造が決定された船の一つである。

 日本で初めて建造された排水量1万トン以上の大型艦船であり、このサイズの艦艇で起工(工事開始) から進水(水に浮く) まで11か月というのは世界の造船国でも難しい数字であった。

 造船所の能力が低い中でこの数字を出せたのは労働者の努力のたまものであろう。

 しかし、英国ではとんでもない船が建造されつつあった。


 計画自体はこのときにはすでにあった。しかし、私は疑問に思う。いくら戦争が近くともこのような計画は戦争に間に合うわけでなないのだから。


 1903年 10月 海軍 会議。

 このころからすでに日本は自国で戦艦を建造する計画を進めていた。この時期すでに日露の緊張は戦争に向かっていたはずである。しかし戦艦の建造は数年単位の大仕事である。間に合うわけがない。

「これが将来の戦艦の姿です。」

 近藤 基樹 造船大監(大佐相当) は図面と模型を見せる。

「12インチ砲を合計8門搭載する戦艦か。」

「はい。将来、艦砲の射程は極めて長くなると考えております。小型の軽砲では射程を伸ばすことはできません。しかし、主砲ならば射程の延伸も可能です。将来的に速射砲等の軽砲は水雷艇迎撃のような限定的な用途に使用されると考えております。よって主砲を最も効率的に搭載し、かつ副砲を削り取ったのがこの設計案です。」

 近藤はその概要をまとめて言う。

「わしはそうならんて思う。んごつ巨砲は命中率が低か。どしこ長距離におけっ砲撃がでけたとしてん命中せんな意味がなか。さらに速射砲を削ったぁ接近戦になった場合、大いなっ不利につながっ。用兵側としては承服できん。」

 東郷が真っ先に反対意見を出す。

 日本海軍は日清戦争まで巨砲優位という思想を持っていた。そのため清国の巨砲搭載艦『定遠』と『鎮遠』を極度に恐れ、これに対抗するために巨砲を一門だけ搭載した三景艦を建造、配備した。

「それは日清戦争時の話です。当時、軽砲が優れていたことは認めます。」

 しかし現実は違った。その巨砲は日清双方ともにほとんど命中しなかった。その代わり射撃速度の速い軽砲が大きな戦力となり、海上戦を勝利に導いたのだ。

「正しくは巨砲が劣っていたという表現が正しいと考えます。1時間に数発の発射速度では着弾観測などできません。しかし技術革新の結果、射撃速度は向上しております。この結果着弾修正が可能になり、命中率は格段に上昇することでしょう。手数が増えるのと命中率が向上することで巨砲の戦略価値は大いに高まります。それに舷側砲を省くことは全長に比して全幅が狭くなり、艦の高速化が可能になります。敵よりも高速艦を運用することはわが海軍始まって以来の運用思想なのではありませんか?技術屋として言わせてもらえば従来型の艦型をこれ以上高速化することは難しいです。」

「機関出力を増加させれば…。」

「武装すべて外せばできますがそれでよろしいでしょうか?」

 と皮肉を言う。

「さらに装甲貫徹力も大口径砲が勝ります。米西戦争での秋山少佐の報告とわが軍の新兵器を鑑みれば此度の戦は火災による上部構造物の破壊が重要になるでしょう。」

「それがどうした。」

「しかし、戦後、火災対策は取られるでしょう。その場合、装甲を正確に貫通させなくてはなりません。装甲貫徹力は圧倒的に大口径砲が有利です。」

 数々の優位性を主張し、軽砲主義者を黙らせてゆく近藤。

「そんなに大型艦砲が信用できないとおっしゃるのであれば新型砲弾の開発を行えばよろしいのではないでしょうか。」

 と言いつつ、資料を出す。

「この砲弾を製造するとするならばどれだけ手間がかかると思っているんだ!!」

「案を出したまでです。そもそもこのような統一巨砲艦艇の構想は今年のジェーン海軍年鑑に乗っております。他国もそれを見ていることでしょうから、我が国も早急に対応しなければなりません。」

「だがその統一巨砲主義とやらが正しいとは限らない。そもそも12インチ砲塔、砲身の不足という問題もある。作れないのだ。我々には12インチ砲や機関は輸入物。国産戦艦に搭載するものも輸入物だ。費用の関係上、砲関連部品の余分はない。」

「作れないものを議論しても意味がない。君の案は却下する。」


 会議の後

「近藤造船大監殿。」

 失意の中、呼び止められる。振り返ると秋山真之少佐だった。

「秋山少佐。どうされました?」

「人目が多い。静かなところで話がしたい。」

 秋山が誘う。そして歩き出す。

「いい船だ。用兵家としてこの案に賛成いたします。」

 模型を持ち上げながら彼は言う。

「戦術教官をしていらっしゃった秋山少佐に賛成していただけるのはうれしいことです。次に機会に賛成意見をお願いいたします。」

「残念ながら次はありません。用兵家たる小管を含め忙しくなるので新造戦艦に関する会議を行うことはできないかと思います。さらにほかの用兵家たちは早急な戦艦の戦力化を求めそれ以上の話し合いの機会を拒むでしょう。」

「ロシアとの戦争ですか?」

「それ以上は機密です。」

「そうですか。」

 しばらく歩くと人気のないところに出る。

「しかし、私もタダで呼び止めたわけではありません。策があります。お耳をお貸しください。」

「…本当ですか」

「はい。今だけがその好機です。これを逃せば2度とこのような機会はありませんし、統一巨砲主義が正しかった場合の損失を最小に抑えることができます。」

「…」


 1906年8月4日 イギリス ポーツマス海軍工廠

「な、なんということだ!!」

 英国留学中の平賀譲は眼前に浮かぶ建造中の戦艦を見て驚愕した。

「大型艦砲のことごとくが12インチ砲に統一されている…。」

 平賀の口からゆっくりと言葉が紡がれる。

(これは軍艦の歴史を大きく変える代物だ!!我が国で建造中の戦艦いずれもスクラップと同じだ!!)

 彼は走り出す。電報局に入るとすぐに暗号電を打たせた。

 本文は

『日本国はすべての戦艦の建造を中断すべき。英新戦艦は12インチ砲10門を有す。報告書後に送付す。』

だった

 それを打ち終えると彼はバインダーの紙に鉛筆を走らせた。


 日本 8月7日

「英国にいる平賀君からの報告は以上です。」

 若い将校が会議の冒頭で平賀譲が電報で何度かに分けて送った報告が読み上げられる。

 電子メールや航空機の存在しないこの時代、欧州から日本まで連絡を取るには電報が最も早かった。しかし電報では多くの情報は送れず、コストも高かった。そのためにその次に早いシベリア鉄道を利用した郵便が大情報を送る手段となっていた。

 それでも情報の重要さを鑑みて平賀は電報を打ってきた。

「平賀君の報告を総合してみてみれば、大体の艦影が見えてくる。図を使って考えてみます。」

 近藤が黒板のほうに向かう。

「私が重要と考えるのは砲塔配置です。それにかかわる情報を抜粋した文章がこちらの紙です。」

 会議に出席した人間に資料が配られる。

「主砲から考えます。連装砲5基10門を有する。そしてうち3基中心線に並んでおり、2,3番砲塔が舷側に配置されている。ここから導き出される構造は1,4.5番砲塔が中心軸線上にあり、2,3番砲塔は舷側配置。さらに4.5番の間に後部艦橋があるとのことから、おそらくこのような配置になると思われます。」

 近藤は黒板に略図を書く。それはドレッドノートの特徴を抑えていた。

「所見では無駄な構造が多いと考えますが、現在日本に存在するいかなる戦艦よりも強力です。」

 と近藤は断言する。

「電報だけの報告では不十分だ。報告書を待つべきだろう。」

「その1隻だけの試作艦かも知れぬ。そのほかの建造計画について報告が来るまで信用ができない。」

 多くの否定論が出る。否定論の先頭は東郷平八郎だ

「中心線に砲を集中すったぁいただけん。砲撃戦は舷側でやっもんや。乗員ん疲労を考慮すりゃ兵器ん質だけを考慮に入るっべきじゃなか。」

 と主張し、一気に攻勢をかけるかの如く反対派を押しやる。そもそも日本海海戦で生ける軍神となられた東郷に逆らえる人間は少ない。

 しかし、近藤はそれを冷静に切り返す。そうすると会議は罵声の掛け合いなど、収拾のつかないものになってゆく。

「話し合う前に現状の確認が先じゃ。今建造中の戦艦がどがいな状態なのかを。」

 秋山が言うとその場が鎮まる。

「現在建造中、建造予定のある戦艦は8隻。労働者の頑張りのため6隻はすでに手遅れでしょう。建造に入っています。2隻設計段階なので対応が可能です。」

「6隻はスクラップ同然か…」

「いいえ2隻です。スクラップ同然な艦は。これ以上の工事が進まなければという条件付きですが。間に合わす手があります。4隻の建造中断を求めます。」

「その手とはなんだ。」

「建造中の設計変更です。」

「そんなことができるのか砲塔を増備するほどの大規模な設計変更だぞ。」

「できます。すぐさま作業に入りたいと思います。その間、手遅れの2隻に工員を集中してください。」


 結果的に、建造及び計画中の8隻の戦艦のうち4隻の建造作業中断、2隻の工期短縮。さらに日露戦争での鹵獲艦の工期短縮が決定された。


 英国

「あの船の構造は未成熟なれど、革新的だ。」

 平賀はドレッドノートを認めつつも未成熟な点を指摘する。同時に新しい時代の戦艦を思う。平賀は報告書を書きながら時々、電報で重要な部分を暗号化し打電する毎日だ。

 だが彼はその忙しい生活を苦にしていない。彼は国運を背負っているという意識があったからだった


 日本8月9日

「できた…」

 近藤は一つの図面を見ていた

「秋山さんのおかげだ。予備図面がこんなところで役に立つとは思ってもみなかった。」

 近藤はそうつぶやくとすぐに電話を掛けた。


 8月11日

「近藤さんはようござんした」

 東郷平八郎が会議の冒頭でいう。

「たまたま運がよかったんです。」

 近藤は一息ついて

「今後の計画としては現在建造が中断している4隻の国産戦艦(のちの薩摩、鞍馬型) は新型戦艦として完成させます。手遅れと判断した2隻(筑波型)も大規模な改造で新型戦艦と同等の性能を有する艦にすることは可能です。その一例、最も大規模な改造を必要とする戦艦薩摩の図面です。」

 近藤は図面を配りながら言う。

「こんな船に改造ができるのか。」

「…私の独断でこのような改造ができるように船体にあらかじめ細工をしておきました。その構造を利用すれば可能です。」

「きみはなんてことをしてくれたんだ。」

「日本のために行ったことです。現に今これに救われております。」

 近藤の発言がその場を沈める。

「改造パターンは2つ。1つは速力の向上も見込ますが、当然、工期・費用ともに莫大。新造したほうが早いともいえます。2つ目は砲力のみを強化するもので速力は低下。コストは安いですが見た目は不細工になります。」

 2つの模型を見せながら言う。

「私としては後者を選択したいです。新造艦のコストを減らしたくはありませんので。さらに資材の確保の観点からも後者を選ばざるを得ないと考えております。薩摩型から取り外した25.4㎝連装砲は浦塩(ウラジオストックのこと) 防衛砲台に転用しましょう。しかし、鞍馬型の8インチ連装砲合計8基は装甲巡洋艦の砲を統一するために転用しましょう。」

「砲を統一するとはどういうことだ?」

「正確には砲弾を統一するということです。できれば陸海を通じて同じ砲弾を使えるようにするもしくは同じ形の砲弾を使えるようにしたいのです。」

「砲弾の補給か!!」

「砲弾の補給の関係上多種多様な砲弾を作ることは適しておりません。さらに部署を越えた砲弾や銃弾の融通可能になるはずです。陸軍は此度の戦で砲弾不足に悩みましたので受け入れられる可能性は大きいです。部品単位でもいいから共通化すべきかと。」

「確かに正論だがそんたここで話し合うことじゃなかで後日話すこととしよう。」

 会議に参加していた山本権兵衛が口を開く。

「予算確保に動っ。砲弾共通化を含め行動をせんなならんじゃろう。陸軍とも話をつけんなならん。」

 山本はそう発言する。東郷は山本に頭が上がらない。その決断を聞き、黙るほかなかった。

 結果的に工費と工期を考慮に入れ、筑波級2隻の改造は取りやめられたがその他の4隻は建造中の設計変更が認められ、もう2隻は新設計艦艇としての建造が認められたのだった


 参考文献の一部 は 戦間期編終了時に公表します。

 次は陸軍篇の1話目です。

 なお私、現在、学生の身でありまして調べるといいつつ、不十分なところもあると思います。ミスが見つかりましたらどんどん言ってください。読んでみてって本があれば紹介してみてください。一緒に小説を作っていきましょう

 

 連合艦隊解散の字本文はすでに著作権の保存期間が切れていますのでまるっとのけています。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ