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改史 大戦  作者: BT/H
2/83

日露戦争ー02 四平市決戦

陸軍が動きます!!

5月30日 北京

「お久しぶりです。袁世凱殿。」

「青木殿!!日本海海戦の勝利に!!」

 早速袁世凱は酒を手にする。

「いただきましょう。」

 青木宣純大佐もそれに倣う。

 青木宣純大佐は日本軍として最初期の中国通軍人の一人で通算13年間も中国大陸にいた人物であり、袁世凱に信用された人物である。日露戦争当時、袁世凱の日本への水面下の協力体制を確立できたのは彼の成果である。

「で、要件は日露戦争への参加だろうな。」

「半分正解で半分不正解です。」

 青木は素直に答え、さらに続ける。

「私はあなたの新建陸軍の軍事顧問をやっていました。私の後任も十分役割を果たしているでしょう。ですが、彼らに圧倒的に不足しているものがあります。」

「…なんだね。」

「実戦経験です。袁世凱殿。新建陸軍を強くするには実戦経験が必要なのです。」

「…日清戦争に参加した将兵がいる。彼らで十分なのではないか?」

「実戦経験ゼロよりはましですが不足です。彼らは近代兵器にやられた経験はあっても近代兵器で敵を打ち破る経験をした者はおりません。さらにそれなりの戦後賠償も得られるはずです。近代化予算は十分ですか?」

 さらに続ける。

「いい話をいたしましょう。日本海海戦の勝因の一つに将官クラスの実戦経験というものがあります。日本側は幕末から日清戦争まで多くの戦歴を重ね、多くの実戦経験を積んだ歴戦の指揮官が率いていました。一方、ロシア側はロシア・トルコ戦争時の将校はいたものの少数。代表格のマカロフ提督も戦死してしまいました。ロシア海軍将校は明らかに経験不足でした。」

「将校の経験不足も日本海海戦の敗戦原因というのか。」

「はい。そう思います。」

「…少し考えさせてもらおうか。」

「では酒を。友の栄光を。」

「…友の祖国に勝利に」


1905年5月26日 東京。 とある貿易商社

「所長!!届きましたよー!!所長!!」

「届いたかーよーやくか。ありがとー伝えといてくれ。」

「ほーい。」

 男たちは届いた荷物を運ぶ。

「よし荷を開けろ。」

 一番最年長の男が言うと若い男によってカーテンが閉められ、白熱電球がつけられる。とある男はバールを取りに行く。

 バキャバキャと音を立てながら木箱の上面がはがされてゆく。

「これがお前の見つけた品か。」

「ええ。こんな代物があるなんてびっくりしましたよ。現地で使ってみたらすごいものでしたよ。ないのと比べると音がしないんですよ。」

 男はそれを手に取る。それは黒い鉄の円柱形の代物だった。

「口止め料をプラスして特注品を作ってもらいました。モ式とナ式で使える代物です。」

 さらに2本取り出す。

「ならもモ式とナ式の改造を急がせろ。依頼を済ませなきゃならん。」

「了解。」


 1905年6月2日 四平市

「何を考えちょるんだ!!本国は!!」

 児玉は怒っている。本国から戦力の抽出を求められたからだ。

「目の前に2~3倍のロシア軍がおるそに(約45万)。当方は奉天戦の残存15万なんぼ守備に徹したとしても戦えば負けかねん。」

 日本陸軍最大の会戦では合計60万の兵力がぶつかった。日ロ双方大規模な損害を受け、戦術ミスでロシア軍の敗北が決まった。それでも日本側の損害は甚だしかった。

「前線指揮をする下士官兵の損害は特にひどい。爺か若造しかおらん」

 被害は特に勇敢に前線を指揮した下士官に集中した。この損害は軍の未来に多大な損害を与えるほどだった。その代わり送られたのは経験で劣る士官学校生同等の若造や、体力に不安のある老人だった。

「まーま児玉さん。防衛戦ならばもう一戦ぐれなんとかできよう。本国とて無策に兵力をよこせとは言わんやろう。」

 大山は言う。確かにそうだ。戦争終結時点で交戦能力を喪失しているのは敗戦だ。一皮一枚の交戦能力を残さない限り、対等な状況での講和すら望めない。

「大山さん。じゃけど増援を求められといて兵力を抽出するさあおかしい。ただでさえ鹵獲した火力も全力で投入しちょるのに。」

「理由を聞いたがどうや」

大山はさらに落ち着くように言う。彼ののんびりした口調は周りを落ち着かせる効果がある。

「本国からは補充1万人、編成中の14・15師団合計4万を増援で送り込むとのこと。さらに清朝新建陸軍40000、が参戦するとのことです。」

「袁世凱が動く!?」


 清朝にはいくつもの軍事組織がある。一国の中に小さな陸軍が何個もあるようなものだ。しかも中央集権的な権力構造をしていないものもあり、一枚岩ではない。そのうち最強なのは新建陸軍。そのうちの一つ北洋新軍は事実上、袁世凱の私兵。この時期7万人の人員を有する。

 袁世凱はそのうち4万を派遣してきた。清朝は日露戦争初期、ロシアとの密約で対日参戦しようとしていたが日英同盟の英国参戦条項で参戦を中止、ロシアとの密約の存在を明かした。つまりもともと清朝はロシアの同盟国。その清朝が裏切ったのだ。

 同盟国といってもロシアの脅威(他の列強が戦争に大忙しだったために中国に兵力を回せなかったためにロシアを抑えてくれなかった) による超不平等同盟条約だったのだが。

 そんな状況だから積年の恨みを晴らそうという人間は多かったが、皮肉なことにその状況になるきっかけとなった日清戦争の戦勝国日本と手を組むことになったのだった。

「清国兵なんて役に立たん。あの戦争の敗残兵同然の連中だ。足手まといにかならん。それに日本兵だっていずれも爺か新兵だ。役に立たん。しかも歴戦の連中を引き抜くだと!?いい加減にしろ。」

「しかし本国からの命令です。」

「何のために」

「××攻略のためです。」


 1905年5月30日 四軒街 ロシア満州軍司令部

「ニコライ・リネウィッチ大将閣下。なぜ攻撃をしないのですか!!反撃をするのはいまです!!3倍の兵力をぶつけて一気に決めましょう」

「閣下から与えられた兵士を無駄にするおつもりですか!!」

「そろそろ日露講和交渉が始まる。その前に有利な状況に持ち込む必要があります。いくら強気に講和交渉に出ても勝利一つないのでは講和交渉で譲歩をさせられるのは明らかです。」

 血気盛んな若手将校たちが司令官に詰め寄っている。彼自身は勇猛な指揮官という定評があるが、ここ最近、その勇猛果敢な将軍が何も動かず、本国に兵力の要求をするだけである。

「本国から入電『宛 満州軍総司令部』内容は…『私の与えた兵士は案山子ではないぞ』だそうです。」

 通信員(攻勢派) によって若干のアレンジがくわえられた電文はその場を凍り付かせる。

「皇帝は決戦と勝利を望んでおられる」

 交戦派は歓喜した。その場の雰囲気も一気に変化する。

「わかった。攻勢はしよう。だが、私の立てた作戦には従ってもらう。」

ニコライ・リネウィッチ大将は冷静に命令を下した。


 1905年6月28日 AM5:00

「砲撃開始」

 ロシア側の砲撃で四軒街の会戦は開始される。このときの総兵力日本18万人 清国4万。日本はこれを4万5000人単位の4軍団を編成。そのうち3個軍団を前線。残りを予備部隊としている。日本には日清戦争が原因で清国兵を侮る人間も多く、戦力としてみていない。形式的には予備兵力、実質戦力外だった。

 日本側予備軍の第3軍は奉天会戦での損耗率がひどく、3万7000人規模。そのほかが秋山支隊指揮下の第一騎兵旅団、同隊所属歩兵、第2騎兵旅団合計7000 司令部守備の1000といった形である。

 一方ロシア軍の総兵力は50万。それを3軍団にそれぞれ12万の兵士を配置。司令部直属兵14万という配置だった。

 ロシア製砲弾は雨のように降ってくる。それと砲弾によって巻き上げられた土砂の雨が射程内の塹壕を襲う。兵士はそこにこもって耐える。日本側は砲弾の欠乏もあり反撃指示はない。

 しかし、しばらくすると砲撃がやむ。兵士が外を見ると煙のカーテンが見える。

「歩兵の前進に合わせて着弾地点を前進させている!?誤射の可能性覚悟の支援砲撃!!」

 歩兵はスポーツマンではない。基本的に訓練された一般人である。(例外も若干いるが大半がそう。) 走ればすぐばてる。ばてた状況ではまともに戦うことはできない。そのため、あまり走らせないようにこのような手段が行われる場合がある。

「あーあー砲弾がもったいねぇ」

 砲弾の補給能力に限界のある日本の士官にはそうつぶやく人間もいる。

「砲兵隊と司令部に現状を伝えろ。取りつかれるぞ。」


 後方 日本軍気球連隊

「気球を上げろ。急げ!!」

 日本軍後方、ロシア軍の砲撃の射程外に気球連隊がいる。このとき正面近くにいる砲兵隊からは爆炎の影響で敵が見えない。そこで気球から上空観測を行おうというのだ。気球は上がる。

「見えた。初弾打て。」

 有線電話に命じる。砲兵隊の1門が火を噴く。その後、煙が戦場に立ち上がる。

「弾着良好。効力射を要請する。」

「了解。効力射を行う。」

 電話先から声が聞こえしばらくして戦場の煙がさらに大きくなる。

「着弾良好。砲撃を続行せよ。」

 砲撃は継続される。

「敵前進停止。砲撃密度減少を要請。」

 砲弾といえども数には限界がある。コスト的にも兵士を倒すことは砲弾よりも銃弾でやったほうがいい。残弾数の関係もある。そのために砲撃密度をコントロールする必要がある。

「隊長あれを見てください!!」

部下の一人が東を指さす。隊長は望遠鏡を覗く

「右翼正面に大量の歩兵、右翼を迂回進撃しようとする騎兵を確認。至急司令部に連絡。数は騎兵30000以上二人乗りさせている歩兵とさせていない歩兵の後続を確認。歩兵戦力は騎兵と同数以上」


 日本軍司令部

 報告を聞いた司令部は騒然となる。

「予備隊をすべて出せ!! 迂回進撃をさせりんさんな!!」

 児玉は叫ぶ。

 このとき予備兵力には秋山好古の秋山支隊(第一騎兵旅団が所属) 、第2騎兵旅団合計7000、清国軍40000、旅順・奉天と激戦を続けたために消耗しきった乃木希典の第3軍37000がいた。

 正面戦力と比べて機動力のある騎兵や新規兵力の清国兵団、消耗したとはいえ一個軍団という大規模な予備隊をおいている。これは流動的な戦局に対応するための兵力であり、さらにはロシア重砲の射程からできるだけ多くの兵を外したかったという意図も含まれていた。

 ロシアの騎兵の総数は30000これに対し日本の騎兵は予備隊からかき集めたとしても6400戦力比は4~5倍。圧倒的に不利である。さらにこの後方には数万の歩兵がいるだろう。右翼正面にも大兵力が迫っている

「ここで遊撃的な動きをする騎兵をせん滅してくれそうでないと後方に回られて終わりだ。」

 このとき騎兵はすでに陸戦における主役ではなかった。銃砲の発達によってその主役の座からは追われ、陸戦においてはその巨大な馬と人はただの大きな的だった。正面からの突撃はすでに時代遅れだ。そのためそのほかの戦術を用いる時代になった。例を挙げると後方への挺身騎兵戦術での後方かく乱、補給路の遮断。これらの効果で、従来よりも戦略的な脅威は増しているといってもよかった。

 秋山支隊はこの戦争でロシアのコサック騎兵を破った。しかし、この勝利はコサック騎兵が時代遅れな騎兵主役の時代の戦術を使ってきたにすぎない。一方秋山は騎兵を騎兵として使わなかった。正確には練度不足で使えなかったのだが、馬を高速移動手段として使い、戦闘になれば馬を捨て歩兵として戦わせた。事実上の機械化歩兵を馬でやったに近い戦い方をしていた。これはこれで新しいものではない。かつてユーラシア大陸を制覇した大陸国家モンゴルはすべての兵士が騎兵だったが時に応じて馬を捨て歩兵として戦ったのだ。

 だがそのような戦い方ができたのは十分な防御陣地構築があったからだった。

 さらに進撃作戦では電撃戦の走りのような戦い方をすることになっている。そのため、騎兵とてまだ使える兵種である。事実第1次世界大戦後に発生したポーランド・ソビエト戦争では双方の騎兵が活躍している。

「引き受けました。」

「乃木の爺やってくれ。」


 その場にいた将官はすぐに外に出る。副官に部隊の集結と出撃準備を伝えるとすぐに作戦について話し合われる。

「騎兵を迎撃するには陣地で待ち受けるのが一番です。」

 秋山が一番初めに口を開く。彼は騎兵戦術の専門家である以上無視できない。

「しかし、時間が足りない。早急な陣地構築の時間はない。」

 清国の将軍が言う。ほぼ同時に秋山は副官からの報告を聞きながら指示を出している。

「大丈夫です。手はあります。副官に命じて児玉閣下に鉄条網の大量使用の許可を取りました。あれならいけます。」

 秋山は作戦を伝える。

「…方陣では遊兵が多すぎる。その策で行いこうか。」


 騎兵集結地点

「この作戦は極めて生存率の低い作戦である。我々は当方の4~5倍兵力の足止め・時間稼ぎ・敵の誘引を行わねばならない。しかも撤退の合図は先ほど言ったとおりである。味方にやられる可能性も高い。」

 場は静まり返っている。

「だがこれをやらねば日本は負ける。秋山旅団長は海軍になぞらえておっしゃられた『皇国の興廃この一戦にあり』と!!」

 言い終えると同時に兵士の間に歓声が上がる。同時に志願の声が大きい。

「再び言うがこの作戦は生還率が極めて低い。よって志願者のみでの突撃となる。生きて帰れぬことを考えて志願を決めろ。」

 だが兵たちは志願を続ける。戦意旺盛。全員の志願だ。

「だけど秋山旅団長から各小隊一人突撃任務以外に使いたいとのこと。ここから一番若いやつを突撃から除く。小山お前だ。」

 呼ばれた若い兵は愕然とし、志願の声を大きくする。

「足手まといだ!!若造。」

 小隊長は怒鳴る。

「秋山旅団長のもとに行け」

 小隊長は若い兵の馬を鞭でたたく。馬が驚いた隙に小隊は駆け出した。


 騎兵隊

「一気に突入して接近戦に持ち込め!!動きを止めるな。一気に囲まれてやられるぞ!!」

 秋山支隊長が先頭に立ち、ロシア騎兵に突撃してゆく

「伝令部隊は予定通り分離。敷設部隊に基準を与えろ。」

 秋山は大声で叫ぶと左右にいた兵士がメモを書いてから散る。

「事前に伝えた合図と同時に撤退。このとき前線に向かって逃げるな!!先頭以外で逃げるな!!仲間がやられても振り返るな!!我々の戦いが祖国の未来を決めるぞ!!」

 その場にいる士官が口々に叫ぶ。兵の目は厳しい。この中で何人が生きて帰られるだろうかという戦いなのだ。

「万歳!!」

 騎兵は死地に飛び込んでいった。


 第三軍 工兵隊

 工兵は馬車を引き平原を疾走している。後ろからものすごい勢いで針のついた針金や電話線、時々馬車を止めて電話機を落としてゆく。

 彼ら敷く有刺鉄線と呼ばれる針金は防衛戦にもってこいの兵器である。もともとは農家がいばら等をモデルそして家畜を囲う柵に使うために作られた。それが兵器に転用されたのだ。

 効果的に展開すると騎兵はこれを乗り越えられない。この時点では例外的戦法を除いてだが現時点で有刺鉄線の鉄条網を突破するのは難しい。

 工兵隊はそれを敷くために馬車に大量の有刺鉄線の束を乗せて疾走しているのだ。周りには先ほど離脱した伝令兵の姿もある。先ほど隊から外された若造もいる。彼らが突撃から外された理由に陣地構成の護衛、交戦開始の伝令、陣地構築地帯の確定という任務のために彼らは必要だった。むしろ突撃する主力よりも責任重大だった。鉄条網の敷設に失敗すれば作戦は失敗。日本軍は開戦利来初の敗北ということになるのだから。これは現在始まっている講和交渉に大きく響く。

 この鉄条網は上から見るとジグザグになっている。敷設についてこちらのほうが手間は多い。しかし、こちらのほうが敵を十字砲火(たくさんの銃弾や砲弾が集中するところ。たくさん兵が死ぬ) に誘い込むことができるのだ。それを利用すれば少ない兵士でも大軍を破ることができるのだ。

 さらに高度を上げてみるとその鉄条網はコの字型になっている。


陣形図は 後で挿入します


しかし、一部そのようなことがされていない場所もある。右翼の真後ろに当たる部分で清国兵が防衛を受け持つ右翼後背は直線になるように鉄条網は張られていた。早急な敷設が必要だったためである。

 ここは清国兵の担当になった。司令部も了承済みである。

 理由は多い。

 第一に日本が清国兵に対し差別的な意識を持っていたこと。すぐに逃げる、練度が低い等々。

 そのうちの練度については日本の教育を受けさせているためにそれなりの能力はあり、完全に偏見である。

そのほかは偏見かどうかこの時点ではわからなかったために対策としてここに配置されたのだ。

 すぐ逃げるというものには彼らにとって真後ろには日本軍の前線があり逃げても戦争だった。このことを説明して逃げる道はなく、眼前の敵を打ち破る手しかないと思い込ませたのだ。

 まさに背水の陣である。

 さらにほかの軍団と比較して数こそは少ない(ほかの軍団が消耗して同規模になってしまっただけ) がほぼ実戦を経験していない。つまりは完全な状態の軍団だったためだ。これは十分な銃弾や砲弾を有するということだ。これ以上に日本軍との違いはなかった。

 鉄条網部隊は次々と有刺鉄線をばらまいてゆく。馬車には有刺鉄線の入った大量の袋が置いてあったが次々と破られ、野に捨てられる。

「1番鉄条網が切れます。2番に任務を引き継ぎます。2人乗り騎兵の一部を解体してください。」

 当然長い距離を引くとなると一台の馬車では足りない。複数の馬車にあらかじめ有刺鉄線の搭載と準備を行わねばならない。

「1番は外に出ろ!!急いで兵士は乗れ!!」

 鉄条網を使い切った馬車は兵士を乗り込ませ外側に移動させる。馬車の荷台に兵士を乗せ再び走り始める。当然、彼らは敵が現れた時に小銃で敵を迎撃する担当になる。

 彼らは有刺鉄線をばらまく方向へ進めば進むほど敵に近づく。交戦の危険も大きくなる。そのために有刺鉄線の消費を利用した戦力の増強策は必要だった。


 騎兵隊

 騎兵隊は幸運だった。ロシアのコサック騎兵は2人乗りのままだったのだ。どうやら後ろに乗っている兵士を下すタイミングを間違えたようだ。

 この判断について迷うのは当然だ。電撃作戦をするのならば、進軍スピードは速いほうがいい。そのための2人乗りである。当然、2人目を下すのならば敵と接敵する直前がいい。

 早く下すと騎兵は歩兵の進撃スピードに合わせて速度を落とすか、スピードを維持するために歩兵を無理やり走らせるかになる。前者は電撃作戦の根底をつぶし、後者は歩兵の戦闘能力をつぶす(先ほどのも書いたように歩兵は長時間走ると疲れてロクに戦えなくなる。)

しかし、2人乗り状態では機動力を低下させる。

 迷っているうちに日本騎兵と交戦になったのだろう。

 一部間に合うところでは2人目は下りて歩兵となっているが、指揮系統はぐちゃぐちゃなので自身の身を守るために戦い、フレンドリーファイア(味方を攻撃すること) を多発させている。

「動きが鈍い。今のうちに騎手と馬をつぶせ!!」

 日本語で叫ぶ。日本語ならば近くにいる兵士は聞こえる。ロシア騎兵には日本語を理解できる人間は少ないだろう。逆に日本騎兵には命令が理解できる。

「ロシア騎兵は付け焼刃の戦術を使っているようだな。」

 秋山は敵を切りながらつぶやく。

 秋山は先ほど書いたように機械化歩兵の思想を騎兵で行った先駆的な戦術で中世期戦術に凝り固まったロシア騎兵を打ち破った。

 当然、敗者は勝者の真似…いいやそれ以上に戦術の改良(失敗もある) をしたりすることもある。

 しかし、どうせ運ぶなら1頭の馬に2人運ばせようという発想(もっと多く運ぼうと思っただろうが、それに馬車が必要になる。そんなに多くの馬車はなかったのでタンデムまでに抑えたと推測する。) 数で練度の不足を補おうとしたのだろうが失敗だったようだ。

 そのような運用をしたことがないのにいきなりぶっつけ本番でできるわけがない。

 まさに机上の空論のような作戦だった。 

 むろん、その中でもできる兵はいた。例としてカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム(当時中佐、のちのフィンランドの英雄) は自身の部隊配置が比較的後方だったのを利用して的確な応戦を行い、自身の部隊と周辺の部隊を救った。具体的には方陣戦術を利用し、騎兵の逃げ場を作ったのだ。救われた兵士の中にはセミョーン・ブルジョンヌイ(当時騎兵の一兵士。のちのソ連の英雄) らが含まれていた。


 陣地側敷設部隊

「敵騎兵確認!!」

 数台の馬車が搭載する鉄条網が切れた段階でついに敷設部隊は騎兵隊と交戦状態に入る。兵士が馬車の荷台から小銃を撃つ。が、揺れる馬車では命中は期待できない。

 騎兵銃から打ち出された銃弾が兵士に命中。兵士は荷台から落ちる。

 そして接近戦になったその時、兵士は小銃を馬車に置き、馬車内に固定されていた三脚に飛びつく

「薙ぎ払え!!」

 三脚は機関銃であった。銃弾の雨が騎兵隊を襲い、騎兵は落馬する。

「走れっ!!」

 怖いのは前から来られること。馬車の荷台に取り付けられた機関銃には死角が多い。その多くを一人乗りになった騎兵が守っている。騎兵は一気に蹴散らされ、敷設隊は進む。


 第3軍臨時司令部。

 乃木は東を見ている。そしてとある一報だけを待っている。

「陣地敷設成功!!各部隊、配置完了いたしました。」

「砲撃開始。」

 後ろで参謀たちが電話口に叫ぶ。


 砲兵隊・騎兵隊

「撃て!!」

 砲撃は信じられないことに今まさに日露両軍の騎兵が入り乱れて戦う戦場に打ち込まれる。

「よし合図だ!!よくやった。逃げるぞ!!何も考えるな!!生きて帰ることだけ考えろ!!」

 騎兵隊の将校は叫ぶ。その途端日本兵は南か西に向かってばらばらに逃走を開始した。

 砲撃は合図だった。なぜ合図として用いられたのか。それはそれしか方法がなかったためである。当時も信号弾というものはあった。これは花火のようなものでその色、数で命令を伝達するものである。

 しかし、これは将校クラスにしか配備されておらず、ロシア騎兵にも配備されていたのだ。乱戦の中、その信号弾の数、色を見分けることは困難である。

 その点砲撃ならば誰でもわかる。弱点といては一通りの命令しか伝えられないことと味方と敵の合図が重なる可能性だったがこの場合それでも十分だ。誰だって味方を打ちたくはない。だから砲撃を合図に使用することはまずないのだ。

 騎兵は走る。真後ろには彼らに死を運ぶロシア騎兵の隊列が迫る。馬は長期の乱戦に疲弊し、速度は落ちる。事実追いつかれてロシア騎兵に食われる日本騎兵も多い。

「見えた陣地だ!!」

 騎兵隊の前に鉄条網が見える。味方が敷設した鉄条網の陣地だ!!

「撤退支援攻撃を確認!!」

 後ろを向くと次々とロシア騎兵が落馬してゆく。

 機関銃が乱射され、ロシア騎兵は薙ぎ払われる。

 十字砲火点という死地に踏み込んだことを悟ったロシア騎兵は追跡をあきらめ、後退していった。

 出撃騎兵数6400最終的な生還者1600名。生還者の中には第一騎兵旅団長秋山好古少将が含まれており、戦死者の中には第二騎兵旅団長田村久井少将が含まれていた。

 戦死率75%事実上、日本の騎兵隊は壊滅した。


 ロシア騎兵

 後続の歩兵隊が到着した。無傷の80000名の兵士たちである。2人乗り歩兵の残存、20000と騎兵の残存25000名。合計125000の兵士がそこにいる。

「撤退すべきでしょう。すでに日本側の防衛は整ったと推測されます。」

 カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム中佐は発言している。この乱戦の中自分の部隊の兵士の損害がほとんどなかったばかりではなく、他の部隊の兵士たちの命を救ったことが彼の発言権を増強させたのだろう。

 追撃を行った部隊の敗戦の報は彼にそう判断させた。

 日本の時間稼ぎによって速攻は封じられたと認識した彼の判断は正しい。

「これだけの兵力をこの位置から撤退させることは難しい。前面からの攻勢を受けている右翼を突破。本体と合流すべきだろう。」

 指揮官はそう判断し、騎兵と歩兵による右翼後方への突撃が下命された。しかし、カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム中佐は退路・補給路の確保任務にあたることを進言。疎ましく思っていた指揮官は彼にその任を与え、前線から遠ざけた。

 秋山支隊

 生き残った秋山はすぐに部隊を再編した。部隊を第三軍団の端に集めたのだ。集められた部隊はかつて秋山支隊と呼ばれた砲兵隊、歩兵隊、工兵隊等からなる混成部隊ともともと鉄条網を敷設していた工兵隊、先ほど生き残った騎兵1600、先に分散した100名ほどの若手騎兵のうち、集結できた50名ばかりを再編した臨時騎兵旅団である。名称は秋山支隊の名をそのまま引き継いでいる。

 これは秋山自身が戦死した場合でも編成されることが作戦で決まっており、その場合、第二騎兵旅団長田村久井少将等が司令官職に就く予定だった。

「よく生き残った。だがまだ仕事が残っている。」

 秋山はそう言うと紙を配る。それには作戦が記してあった。

「頭に叩き込んだら焼け。作戦の変更は私が指示する。」

 兵士たちに歓声が上がった。


 清国軍団

 清国兵士は配備が終わったと同時にスコップを片手に塹壕を掘り始めている。塹壕といっても人2人がかろうじて入れる『蛸壺』と呼ばれる簡易塹壕のようなものだ。少数の兵士を除いてその『蛸壺』を作る作業を行っている。時間がないので多くの『蛸壺』が掘られているわけではない

「どっちで来るだろうか…」

 将校は双眼鏡で敵が来るだろう方向を見ながらつぶやく。

「ロシア騎兵発見!!一点突破を図る模様!!」

 ロシア騎兵が紡錘陣形を敷き、鉄条網に向かって突入してくる。兵士たちはスコップを捨て、小銃や機関銃を手に発砲を開始する。

「先手を取ってきたか!!予備兵力を騎兵突入地点に集中。隣接する部隊を除いて『蛸壺』と砲兵の配置を継続しろ!!騎兵を根絶やしにしろ!!秋山支隊に現状を報告!!」

 敵は速攻をかけてきた。この場合考えられる戦術は複数あるが、その中で最もスピードを重視する戦術をロシアはとってきた。

 ロシアもこの迂回進撃に砲兵を連れてきているが移動速度はただの騎兵と比べても遅い。未だこの時点では配置は終わってない。その点では清国軍団でも似たようなもので。未だ砲兵の配備が完全には終わってはいない。

 さらにロシアは2人乗り騎兵を分離。先行させている。当然、敵への突入前に騎乗していた歩兵を下し、騎兵と歩兵別々での突撃を行っている。

 これは戦力の逐次投入のリスクもあるのでいただけない。さらに騎兵を騎乗させたまま陣地に突入させることもいただけない。騎兵は大きい、それだけ動く的のようなものだ。騎兵も降ろして合計50000(5000無傷の後続歩兵から補充した) の歩兵で突撃したほうマシだったのかもしれない。

 騎兵は銃弾によってけがを負い、落馬する。そうすると落馬した時生きていたとしても後ろから迫る別の馬にもみくちゃにされて死んでしまう。

 それでも物量で押してくる騎兵は鉄条網まで届く。鉄条網は騎兵が飛び越えられない幅に設定されているが、仲間の屍が鉄条網の上にかぶさり、道を作る。その道から騎兵は陣地に突入する。その時には予備隊が着剣状態で控えており、数発の応戦ののち白兵戦が開始される。

 そこへ歩兵が突入し、傷口をえぐる。

 しばらくして本隊が到着。砲兵の支援の下、戦線全域にわたって突撃を行う。その時には清国軍団も砲兵の配備が完了しており、砲撃で突撃してくるロシア兵を切り裂く。清国兵は何とか作り上げた『蛸壺』にこもりながら銃撃を行う。

 その時、ロシアの砲撃がやんだ。清国兵たちは蛸壺から飛び出して全力応戦を開始した。


 少し前。第3軍

「そろそろだな。陣地を捨てよ。突撃。」

 第3軍歩兵隊は騎兵を救った陣地を捨ててロシア軍に突撃を敢行する。ロシアの陣地はそれなりに離れているので部隊をまとめて近くまで歩いてゆく。

 ロシアの部隊に接近すると砲音が聞こえる。どうやらロシア砲兵隊の真後ろらしい。

「警戒している歩兵は少ない。鉄条網も少ない。どうやらついているらしいな。」

「突撃。」

 歓声と共に兵士たちは砲兵隊に向かって突撃を開始する。3万の兵士がロシアの砲兵陣地に向かって突撃を行う。清国陣地を落とすために兵力を傾けているロシア軍には後方に備えている部隊は少ない。砲兵は次々と日本兵に射殺されるが捕虜になる。そのため、ロシア兵は自国の将兵の支援砲撃が受けれなくなったばかりか、鹵獲されたロシアの大砲に後ろから撃たれる事態になった。


 秋山支隊

 秋山支隊は全速前進している。この部隊は他の部隊と比べて進軍スピードが速いのが特徴である。

「敵補給路の遮断、退路を遮断し、進撃してきたロシア軍を包囲殲滅する。」

 そのためには確実に退路を遮断する必要がある。そのための鉄条網敷設部隊であり、砲兵であり、機関銃部隊である。

 ロシア軍にとってこの進撃に使った騎兵3万、歩兵11万は日清両軍の総兵力の、半分以上に相当する。すでに正面では数万人の死傷者が出ているだろうから、回り込んだ軍隊をせん滅できればロシア軍の3分の1を葬り去ることができる。大量の砲弾と小銃、小銃弾は補給の少ない日本軍にとって重要な補給物資だ。敵から奪えば自分たちの戦力も増え、敵の戦力を大きく減らすことができる。

 退路を塞ぐのは最も重要なことなのだ。しかし、そこにはカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム中佐率いる部隊が待ち構えていた。

「射程に入りました。」

「残弾を気にせず打ちまくれ。ここは補給中継地点。補給物資の砲弾をくすねればいい。」

カール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム中佐は命じる。もともと砲弾に制限のある日本軍にとって無限の砲弾ほど恐ろしいものはない。彼の部隊には少数ながら各種野戦砲が配備され、大量の砲弾を秋山支隊の頭上に降らせることになる。

 秋山もそれは気が付き、砲撃の被害を最小に抑えたが、最終的に退路の遮断は不完全なものとなり、迂回進撃した部隊のうちカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム中佐の部隊を含め1万人ほどが撤退に成功することになった。この生存者の中にはセミョーン・ブルジョンヌイ(当時騎兵の一兵士。のちのソ連の英雄) が含まれていた。


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