第4章 第2次米墨戦争編-1 1907年恐慌
タイマーアップのつもりが忙しく、リアルタイムアップになりました。
1907年3月13日 ニューヨーク
日本国使節団は人員を減らしつつもニューヨークに到着した。
途中、小村寿太郎がイギリス大使に就任するためにイギリスに残留、二宮忠八はイギリスで別れフランスを拠点に航空機をはじめとする工業製品の継続調査を行うためにフランスに舞い戻った。
その代り、合流したのは青木周蔵という外交官だった。ドイツとのつながりが強い人物である。2番目の妻もドイツ人である。
この時期、アメリカにおいて排日活動が活発化しており、その対応に追われていた人物である。
「前とはずいぶんと雰囲気が違いますね」
秋山真之はニューヨークの様子を見て青木に聞く。秋山真之にはアメリカでの滞在経験がある。日露戦争前のことである。米西(アメリカ=スペイン)戦争の観戦武官となっていた。
当時のアメリカは戦争に向けた活気にあふれていた。新聞は戦争あおり、人々は戦争でも話題に事欠かなかった。
「顔色が悪い。みんな…。」
「恐慌です。」
「恐慌?」
どうやらここでも歴史は早く回っているらしい。史実1907年に生じた金融恐慌は10月だった。しかし現在は3月およそ7か月早い。
「はい。企業買収の失敗が原因の取り付け騒ぎです。これが全国に広まりつつあります。」
「恐慌とはよくわからないが、どういったことかね。」
「経済混乱です。周りの者が急きょ調べたところ、多くの失業者が生じ、経済的な不安定が生じます。イメージとしてはとしては江戸時代の米価の乱高下による混乱と似ているかと。」
「よくわからん。が大体どのような混乱かは分かった。だがそれがなぜここにつくまでわからなかったのだ。」
「起きて間もないからです」
「なるほど起きて間もないのか。だがそんな状態では」
「はい。政府系も相手をしている暇はないかと。」
「恐慌が落ち着くまで待つか、諦めるしかないか。」
アメリカ ホワイトハウス 数か月前
「大統領。排日運動を抑制してください。そうしなくては我が国は中国利権を将来的に失うことになります。それに陸軍としてはアジアで日本と戦争しても勝てません。勝てない戦争はしないほうがよろしいと存じます。」
陸軍大臣のウィリアム・ハワード・タフトは大統領セオドア・ローズベルトに食って掛かる。
「タフト君。日本が先に我が国を満州利権から締め出した。我が国が仲介しなければ負けていた戦争なのにだ。さらに彼らはフィリピンを脅かす。フィリピン人はイエローモンキー(黄色いサル)なんだ。日本人もそれだ。我々白人にいつ牙をむくかわからない。」
「あなたは牙をむかせようとしている。あなたは知っているはずだ彼らは侮れない。陸軍は恐れ知らず命知らずの突撃を行い、常に不利な戦況に勝利した。私は断言します。極東において動員できる兵力は長期はともかく短期においては兵力、質ともに劣る。」
「確かにそうだ。だがそれならばなぜ陸軍予算増強を強硬に主張しない。それに南米はどうだ我が国はすでに圧倒的な戦力差がある。」
「現状でそれができるとお思いで?」
ルーズベルトは黙るほかなかった。
アメリカ大統領府 1907年3月23日
「大統領。例の計画整いました。」
「すまんな。計画を早めさせてしまって。不景気から国民の目をそらさねばならないのだ。それにメキシコの国力は侮れない。メキシコが敵性勢力と同盟を結ぶ前。小さきうちに潰すに限る。」
(タフト以外に任せられないと思っていなかったが、一つ。重要な政策の意見が違いすぎる。やつに大統領を任せておけん。私が3選するためには圧倒的戦果が必要なのだ。)
(それはこの恐慌に対する批判をそらすためなんでしょ大統領。)
タフトはこの時の思いを大統領に対し否定的な思いをのちに漏らす。
1907年恐慌はあまり知る者がいない恐慌である。正しくは第2次世界大戦のきっかけになった大恐慌のイメージが強すぎるのだろう。しかし、この1907年恐慌も十分重要なものである。この恐慌をきっかけにアメリカの中央銀行制度(日本でいう日本銀行)である連邦準備制度が整備されこれは現在でも存続している制度である。
これは銀行等の金融機関が資金不足の際に資金を貸出し、倒産リスクを抑えることで取り付け騒ぎの緩和の効果も期待できたが、史実において連邦準備銀行制度が整備されるまでにはあと数年の時間を必要とした。
現在の経済学ではこのような不景気時には政府は対策を取らねばならないと国民の多くは信じているし、これを支持する学者も多い。
しかし当時の経済学は違い、政府の関与をとことん嫌うものであった。現在のように政府が不景気に介入するようになるのは第二次世界大戦前のニューディール政策やナチスドイツの経済政策ののちのことである。(それ以前には国家の発展や国民の生活のために規制の強化、緩和などは行われている。「不景気に対して」行われているものではない。)
1907年恐慌前ルーズベルト大統領は大企業の独占化する市場に対し介入をし始めており、それが恐慌の原因となったと非難されていた。
国民の非難をメキシコとの戦争に向けその勝利を持って3選を果たす。それが彼の方針となっていた。
アメリカ大統領は2選までと現在では決められているが、この当時は不文律でしかなく、破ることはできた。むろん、それなりの成果が必要になるだろう。
それは戦争での勝利。
アメリカ大統領はアメリカにとって比較的大規模な戦争で勝利した場合、再選・もしくはその後継者が当選する
確率が高い。それは1906年までの主要な対外戦争でも同じだ。
1775年-1783 米独立戦争
戦争の英雄・指揮官 ジョージ・ワシントン
1801年-1805 第1次バーバリー戦争(勝利)
すでに2選されていたトーマス・ジェファーソンの時に開戦。選挙は3年後だったために熱は冷めきっていたと思われるが、同じ所属政党のジェームス・マディソンに権力が移行。
1812年-1815 米英戦争 (戦術的に膠着。長期戦略的に見れば勝利に近い。)
すでに2選されていたジェームス・マディソンの時に開戦。戦争はこう着状態になったもののこの戦争が第2の独立戦争とみなされていたため「守りきれれば勝ち」という状態で停戦に持ち込めた=勝利となり、同じ所属政党のジェームス・モンローに権力が移行した。
1846年-1848 米墨戦争 (勝利。)
ジェームス・ポーク大統領は2選を拒否。拒否の理由は「1期のみ」という公約を守ることと疲労。その4か月以内(103日後)に病死。後継者指名なし。
1856年-1859 アロー戦争
戦後の1860年の選挙では戦争よりも南北戦争につながる対立のほうが重要であり、英国に付随して(つまりは火事場泥棒)参戦したため注目されなかった。そのため後継者指名失敗。再選もされなかった。
1861年-1865年 南北戦争
南部州が独立していたため北部州にとって形式的には外国との戦争になっているためカウント。北部の大統領リンカーンは再選(後に暗殺)
1898年-同年終結 米西戦争
ウイリアムマッキンリー2選を果たす
1899年-1902 米比戦争
ウイリアムマッキンリー後継者セオドアルーズベルトに権力移行成功。
と例外なのは米墨戦争とアロー戦争の2つのみで前者は大統領が再選を拒んだこと、2つ目は戦争の勝利以上に重要な出来事があった時である。それ以外では後継者指名及び2選に成功している。
だがこの時点で3選に成功した大統領は誰もいなかった。
題名から明かしていますが、新たに作る戦争は第2次米墨戦争です。墨=メキシコのことで改史でいう第1次米墨戦争は1846年-8年まで行われて米国の勝利。その際に得た領土はカリフォルニア、ネバダ、ユタ、アリゾナ、ニューメキシコ、ワイオミング、コロラド、テキサス各州の一部になっています。この地域から金と石油が出ることを考えるとメキシコは大損したわけです。当時は不毛な大地だったけど。
なお米墨戦争がどのような経緯で移行したかはユーチューブに動画(私ではありません)が乗っているようなので見てみると面白いですよ。




