第3章 欧米派遣編第3話 動乱の兆し
す、すみません今回も少なめです。そして遅れたこと申し訳ありません。そして少ない分量なのにものかかわらず物語をさらりと飛ばします。一気に(飛ばした分はまだ描いておりませんが構想はねってあります。外伝という形で将来的に公表するつもりです。)
そしてお詫びのしるしとして頑張って来月2話投稿目指します。
ロシアを出国した使節団はドイツ-デンマーク-オランダ-ベルギー-スイス-オーストリア ハンガリー帝国-イタリア-フランス-イギリスを回った。熱烈な歓迎を受けたのはドイツ、フランス、イギリスの3カ国だった。
ドイツでは運よく新年の法事に参加したため熱烈な歓迎を受けた。
イギリスでは日英同盟の関係上熱烈な歓迎を受けアメリカへの渡航時に新型客船であるルシタニア号の処女航海でアメリカに渡ることができた。これはかなりの厚遇である。
ルシタニア号は二つの出来事で有名である
一つ目はそれまでドイツが独占してきた大西洋横断航路最速の証ブルーリボン賞を奪ったこと。
二つ目は後に起こる第1次世界大戦においてアメリカの参戦のきっかけとなったルシタニア号沈没事件においてドイツ海軍Uボート撃沈された民間船であることである。
改史においては史実より半年ほど早く完成しているため処女航海に乗船できた。
フランスでは嫌味を含めた熱烈な歓迎を受けた。
フランスの参謀本部を訪れたとき、
「この国によくこれたな」
フランスの若い軍人は耳元でつぶやいた。
日本の使節団が驚いたが、これには納得せざるを得ない理由があった。
日露戦争の講和会議であるポーツマス条約を有利に進めるために日本は新聞屋を大いに利用した。このときフランスに不利になるような報道のされ方もした。
曰くロシア政府は民主的な政府であり一般民衆を弾圧来ること甚だしい。事実戦争を反対する国民の暴動に対し圧倒した血の日曜日事件をはじめとする虐殺を宣伝。
曰くフランス政府は民衆を弾圧するロシア政府を支援しているフランス国民よ国民を弾圧する王政から真っ先に脱却した誇りある国民はこのような政府を支持していいものなのだろうかと。
フランスにいた外交官は記者会見の時、堂々と表明した。これに対し新聞はそのまま発表した新聞社もあれば歪曲した新聞社もいた。
これはフランス国民に対しひとつの大きな影響を与えた。フランスは革命の際、国王を排除したほどの国である。国家権力や王権力が国民の生命及び財産を脅かすことに敏感だ。その一部は当然フランス政府に対する批判に転嫁した。野党は格好の攻撃材料を見つけたといわんばかりに攻撃を行う。過激な連中は国交斬絶を問うものもいた。
これに対しフランス政府はロシアとの同盟関係を肯定するために1894年に結んだ露仏協商の参戦義務条項を公表しなければならなかった。
参戦義務条項は秘密条項であり公表されていなかったそれを公表しなければならない状況になってしまったのだ。これに対し特に軍部は政治家を恨んだ。それ以上に日本政府を恨んだ。日本が世論のきっかけを作ったのだから当然だ。さらに軍人の目線からして露仏双方の仮想敵国であるドイツを制するためには両国の協力関係は必須。これが崩れたとき、その犠牲を被り戦場で散るのはのは自分たち軍人なのだ。
ただし、ポーツマス条約の段階ではフランス政府の事情であり日本には全く関係のないことである。さらに実体的にはドイツはフランスとロシアの協力関係をすでに想定しており、その想定が確定になっただけのことであった。
「君は確かに祖国を思う軍人であることは疑いない。しかし君が知り得る情報だけが世界ではない世界はもっと広い。」
小村寿太郎は若い軍人に対して語りその場を離れた。それしか選択肢はなかった。
彼はその言葉の意味を数か月後、知ることになる。1907年6月10日に日仏協約、同月30日には日ロ協約を締結。事実上三国協商陣営に参加することになる。
アメリカに移動するだけの回です。アメリカまで戦争なしです。なお外伝に関して伏線はあまり張っていません。自由に外伝化したいので。
なお次話公開はおそらく中旬の金曜日となる予定です。




