2章1-3戦間期 海軍の戦い 各国の動きと入札
今回は各国海軍の動きです。
次回投稿は29日金曜23時を予定
ロシアサンクトペテルブルク
「日本の造船技術は我が国以上であることは疑いありません。」
海軍長官は資料を出しながら言う。それには日本の建造計画の推移が記されていた。
「まず第一に、日本が現在建造中の戦艦は6隻。さらに我が国からの鹵獲戦艦の修理が行われております。しかし、ドレッドノートに関する情報が入ったと思われるタイミングで建造中戦艦4隻が工事中断、そのほかの戦艦への工員の集中が図られています。日本国は建造中の戦艦4隻をドレッドノートクラスの戦艦に改造するつもりのようです。」
海軍長官は工事の中断理由を推測する。
「設計段階ですでにドレッドノートを意識していた…正しくはドレッドノートクラスの戦艦の基本構想を固めていなければできない芸当です。むろんそれが設計者個人の裁量か中央の判断かはわかりませんが。」
実際のところ『設計者個人の裁量』だったのだが。
「その意見は推測だ。」
「ならば聞きに行けばよろしいでしょう。入札交渉ならば話をしてくれると思います。陛下。入札交渉を。」
「わかった。日米両国に情報を流せ。」
「了解。」
アメリカ ホワイトハウス 秘密会議 1906年8月
「ウラジオストックと旅順を軍港化するか。厄介な手を打ってきたな。」
アメリカ大統領セオドア・ローズベルトは顎に手を当てる。彼は日本を脅威に感じている。ロシア艦隊のほとんどを葬り去った世界有数の海軍力。伸び白も大きく拡大は確実視している。それがアメリカに向いたらどうだ。その恐怖は戦後、この2拠点の軍基地化を分析させた結果を知ってから日に日に増している。
『次のロシアはアメリカになるのではないか』と。
「旅順もウラジオストックも日本の海と化した日本海と東シナ海[清国海軍がいないため日本の海になっている]の最深部にあります。艦隊での攻撃は困難です。」
海軍長官チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトは海軍にとってのこの2拠点の海軍としての難攻不落さを語る。
「陸軍としては過去の事例から見て陥落は可能です。しかしながら日本もロシア以上の防備を固める以上総計で10万人以上の犠牲を必要とすると想定します。旅順防衛は艦隊からの支援砲撃も予想されますので旅順は難攻不落です。清国時代に『50隻の軍艦と10万の兵を投入しても半年持つ』といわれたのは伊達はありませんな。」
時の陸軍長官ウィリアム・ハワード・タフト[史実において次の大統領を務める。]は肩をすくめながら言う。
「ですがアメリカ陸軍を大挙向かわせることは困難です。何しろ外国領の上、補給路は長大。補給路破壊などのリスクも大きい。むしろ清国とロシアに攻めさせるのが上策かと。」
タフトの前任の陸軍長官であり、時の国務長官であるエリフ・ルートが対抗策について上申をする。
「現在日本との関係が良好な二か国です。どのように関係を割くべきでしょうか。」
「日本に敵対させる力も必要です。両国を事実上の敵国とする戦略は不可能になりました。関係を強化する戦略と日本から両国との関係を破壊させる戦略が必要不可欠です。」
「ロシアとの友好ならば戦艦の輸出交渉を利用しましょう。安くすれば恩義に感じてくれることでしょう。」
「戦艦については了承した。だが日本との仲を裂くことにはならない。」
大統領は海軍長官の意見に賛同しつつも否定する。
「仲を裂くためにシンプルな手段を使おう『SS』を使う。」
場が一気に冷える。
「作戦は後々の大統領まで継続されるものになるだろう。」
大統領は隣から出てきた黒服に万年筆を走らせた書類を手渡す。
「仕込みはしておくに限る。」
大統領はつぶやいた。
日本海軍省 1906年8月
「話は聞いている。日米の発注競争か。」
山本権兵衛はロシアの造船技術者ウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコの訪問を受けている。日本海海戦時に日本の捕虜となった経験がある人物である。
造船技術者としては優秀な人間で、タイタニックの問題点を指定したことでも有名である。
シベリア鉄道で日本領ウラジオストックから日本に船舶で移動し、事前におく電文どおり海軍省に出頭したのだ。
「ロシア帝国は日本海海戦に敗れ、日本と対立する能力も意思も失いました。ロシア帝国は日本国からの軍艦の輸入を考えております。敗者は勝者から学ばねばなりません。学ばせていただきたい。」
「なるほど。日本国としてはそれに大きな問題はない。造船所は拡張中でロシア艦の建造を行うことはできるようになるだろうから問題はない。近藤基樹造船大鑑と秋山真之に会うといい。近藤は日本の造船を一手に握っている。秋山は日本海海戦の作戦参謀で、いまは海軍大学の教員だ。話が聞けるだろう。」
「ありがとうございます。」
アメリカ海軍省
「ロシアの限界造船力はバルト海艦隊で主力艦(戦艦及び装甲巡洋艦)同時建造3隻、黒海艦隊で同時建造4隻だ。現在、ロシアは日本海軍に惨敗し、建造を中止している。フランス設計の欠陥対応のためだ。日本とアメリカの2か国で受注競争になる。現在、バルト海では3隻の装甲巡洋艦が建造中であるため、そのドックが空いたら3隻下建造ができる。3隻だ。」
史実ではこの時のロシア海軍は通常3つの艦隊を必要としていた。本国のバルト海艦隊、黒海からトルコににらみを利かせる黒海艦隊。最後に極東に対する影響力を持つ極東艦隊である。
改史ではこのうち、極東艦隊の再建が根拠地不在のため困難と判断され、極東以外の2個艦隊の整備が重要視されることになる。
なお、史実の1933年代後半には本国艦隊は追加で北方艦隊の整備も開始されるようになる。砕氷技術の向上と潜水艦の配備により北極海方面の艦隊整備も必要になったためである。なおこの基地には2019年時点で多くの原潜や主力艦が配属されている。このうちロシア唯一の空母アドミラル・クズネツォフは配属されているが大規模整備に入っている。
「設計期間短縮のため既存艦のモノを流用する。建造予定のデラウエア級の砕氷能力付加型にまとめる。」
改史において、なぜかアメリカ海軍戦艦の建造ペースは1年ほど早まっている。本来4か月ほどのちに起工されるアメリカ初のド級戦艦であるサウスカロライナ級は起工から進水まで18か月かかるが、すでにその半分の期間が経過している。サウスカロライナ級の次の戦艦の設計もすでにまとまり、建造が開始されるのを待っている状態だ。
「砕氷艦の構造は戦艦『レトヴィザン』の経験もあるだろう。それに従い、設計してくれ。」
海軍設計局 日本
「うーん砕氷能力か。」
近藤はウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコの訪問を受けている。本国の海軍長官の予想が的中していることを確認すると、ロシアバルト海艦隊所属艦の特徴である砕氷能力についての話題になった。
「私は砕氷艦の設計をしたことがなくてね。その点に関しては厳しいかな。」
ロシアバルト海艦隊の艦艇にはある程度の砕氷能力が必要とされている。バルト海艦隊の戦艦は冬季凍った海面を進まなければならないためである。
「そうですか…。」
ウラジミールは愕然とする。無理もない。仮に日本の設計が採用されたとしても使えるのは黒海艦隊(砕氷能力がいらない。)のみとなる。この場合、ボスボラス海峡を封鎖する条約の関係上日本からの輸入ができないのだ。
「問題はないよ。君がここで設計に参加してくれるなら。」
近藤はウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコのほうを向き言い放った。
「えっ私がですか!!」
ウラジミールは驚く。
「そう。技術協力だ。双方のね。日本は砕氷能力について学べる。君たちは軍艦の設計について学べる。ただ輸入するよりもよっぽどいいと思うよ。」
「はあ…」
あきれる。軍機に近い設計室に他国の人間を入れるなんて…。
「むろん別の建屋でやるよ。そうだね。大阪か京都あたりにおくとベストかな。」
すみません。注意していたみたいです。
「これお土産にあげるからロシアでよろしく。」
渡されたのは1年ほど前に使った模型だった。
フランス
「ダントン級戦艦がすべて旧式化した!?」
建艦ペースの高速化はフランスでも起きている。
フランスの主力艦は生産の非効率が有名である。フランス海軍は自国の戦艦の能力不足を鑑み、1隻づつ設計、建造をするという非効率な手段での建造を行っていた。そのため戦艦の建造数そのものが少なく、世界第2位の地位をドイツ海軍に奪われるという失態を演じている。その失態を挽回するための戦艦がダントン級6隻とその前級であるリベルテ級4隻の合計10隻である。
その中でドレッドノートについての報告が届いたのだ。
フランスにとってマシだったのは史実よりも建艦ペースが速くなっていたことだった。
そもそも史実においてフランス海軍の戦艦建造ペースは信じられないほど遅い。それはドレッドノート級戦艦の建造を考えればわかる。ドレッドノートの完成は1906年末。そこから計画を急いで史実においてフランス海軍初のド級戦艦『クールベ』が完成するのは1913年の春のことである。ちなみにドイツは1909年末に同国初のド級戦艦『ナッサウ』を就役させている。ちなみに『ナッサウ』は部品の到着が遅れたことによる計画遅延が生じており、部品に問題がなければもっと早く完成していたことは疑いない。
史実においてのフランス海軍政策を批判するならばドレッドノート就役と同時にダントン級戦艦の建造を中止すべきだったのだ。特に2隻に関してはドレッドノート就役から1年以降に工事が開始された戦艦である。この予算を流用すれば『クールベ』とその同型艦の建造はもっと早くできていただろう。
改史においてはおよそ2年のタイムラグがある。正確にはダントン級とその前級であるリベルテ級の間にあった4年の空白が2年になっただけだが、その2年でも大きな違いになる。
「次世代戦艦の草案はまとまっているか!!」
報告を受けたガスン・トムソン海軍大臣が叫ぶ。
「いいえ。まだまとまっておりません。」
「ドレッドノートに勝る軍艦を急いで建造するように海軍に伝えろ。少なくとも図面を早くもってこい。」
「了解いたしました!!」
海軍大学校
「日本海海戦で注意したことか…正確には日露戦争で注意したことじゃな。」
ウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコは秋山を訪ねている。
「教えていいかわからんことじゃの。すまん。この手の情報は重要な戦の技術。渡すわけにゃいかんよ。」
秋山は頭を下げる。
彼にとって作戦は他人に教えるべきものではない。特に国外の人間には。これは米西戦争時に彼が観戦武官をし、得た経験である。
「まあ、それも取引に使えるとは聞く。その点を伝えてくれ。」
「ハぁ…」
「日本の歴史から意義を説明しようかの。日本軍は2つある。陸軍と海軍。陸軍は長州というところ軍隊が強かったからそのやり方が日本全国に広まった。海軍は薩摩というところが大元じゃの。」
「薩摩ですか。」
「だいぶ昔のことじゃが薩英戦争というものがあっての表向きは英国勝利。その実は痛み分けじゃったらしい。この講和の時にな薩摩は英国に賠償払うことになったが、英国から軍艦買うて兵員訓練してもろってそれが討幕の戦力になっんじゃ。薩摩は金で訓練を買ったんじゃ。」
「教えてほしかったら金払えってことですか?」
「半分そうじゃの。正確にいうと軍艦の競争買い付けの時の交渉材料にはなろう。」
ドイツ
「イギリスが新型戦艦を就役させたか。」
ドイツのヴィルヘルム2世のもとにも英国のドレッドノートのニュースが舞い込む。
「陛下。これはチャンスです。英国は自ら墓穴を掘りました。英国は自ら自身が保有する戦艦のことごとくを旧式化させました。これは世界中の国が1隻の戦艦を持っていない状況といっても過言ではありません。直ちに艦隊法を改訂。艦隊の整備を行うべきであります。」
アルフレート・ペーター・フリードリヒ・フォン・ティルピッツ海軍大臣は冷静だった。イギリスの新型戦艦の就役は世界中の戦艦の旧式化を意味する。世界中の国が同じスタートラインに立ったといってもいい。
「承認する。イギリスに勝るとも劣らぬ海軍を求める。」
皇帝ヴィルヘルム2世は命じる。
「陛下の耳をお貸しください。」
ティルピッツはヴィルヘルムに頭を下げる。
「よかろう。その手の情報について至急集める。それを基に設計をしろ。」
「先手が打ちたいです。船体の設計に入り、それに武装を合わせる方針で作りたいのですが…」
「承認する。技術屋をうまく使え。」
「ハッ」
ロシア海軍省
「閣下の予想通り日本は初めから一部設計者の独断でド級戦艦に改造ができる戦艦を建造していた模様です。どうやら6隻ともできる設計だったそうですが、コストの関係で2隻の改造を見送ったそうです。」
ウラジーミル・ポリエクトヴィッチ・コスチェンコは報告をしている。
「同時に模型をいただきました。検討資料に使用してほしいとのことです。」
ウラジミールは部下に2台の台車を持ってこさせる。
「一部軍機が入っており、概要しか述べられませんが、日本がどのような思想で改造を行ったか述べさせていただきます。」
ウラジミールは模型をいじり始めた。
その数日後、ロシアは戦艦設計の入札を行うことを発表した。期限は1906年12月1日と定められていた。
日本 海軍省 1906年9月
「閣下。もうロシアから入札の要請が参りました。」
信じられない速さの入札日。ロシアの動きが速い。史実では2年後に戦艦の設計についてのコンペが行われ、その結果戦艦ガングロード級4隻の建造が決まっている。
ロシアは相当焦っているようだ。戦艦の大半が海の藻屑か日本に奪われているからだろう。
「もうか。」
当然海軍大臣の斉藤実はその速さに驚く。
「戦艦の不足がかなりひどいようですね。早く戦艦がほしいようです。」
「…なら日露戦争で鹵獲した戦艦の一部を交渉材料にはできないだろうか。日本にとってポンコツの金食い虫だとしても彼らはほしがるかもしれない。維持費も浮くから利益になる。」
斉藤実はその状況にようやく軍縮案の一つを思いつく。
「必要とするのは彼らですが…議題に上げるのは一案ですね。」
斉藤はしばらくぶりに顔を和らげた。
日本国 同月 閣議
「戦艦2隻の譲渡と兵員訓練と新造艦の売却・現地生産。以上が条件になります。」
斉藤実は書類を見せる。
「内容は交渉なのでだれか外交官と設計士、将校を連れて行かねばならん。独自判断をできる人間と現場で設計変更を加えられる人間で要職についていない人間。さらに同時に世界を見て回れる暇のある人間。」
「陸軍からも派遣したいものですな。別々でやるよりも安く済むはず。」
閣僚全員に費用のことが頭に入っている。いいことなのかわからないが、ともかく動き始める人々。それがどうなるか知る者はいない。
史実においてロシアの戦艦入札は1908年のことで、海軍再建の10か年計画でガングード級が建造されたことに始まりますが、第1次世界大戦とロシア革命でその流れは途切れています。
この間、ロシアでは再建構想で大きな対立があり、統一した方針を立てれなかったそうです。大型艦(従来艦)整備派と小型艦艇(水雷艇など)整備派が対立軸となっていたようです。
そのためドレッドノート就役という世界の海軍戦力がそろって旧式化するという好機をうまく利用できていませんでした。