2章3-2戦間期 政治の戦い 軍縮
内容が少ないので2話分投稿。
1話目は政府の最終決定と諸外国の若干の動きです。
1906年4月12日 閣議
「陸軍からの提案についてどう思うか?」
閣議では児玉の提案が議論に上がっている。
「朝鮮と満州の開発のためには労働力が必要か。特に朝鮮では重要だな。」
陸軍大臣の寺内正毅は議論に対する意見を述べる。
後半の言動には朝鮮人差別ともいえる言動が出ている。ただしこれは、日清戦争時の経験に基づいた言動である。当時、大本営運輸通信長官(兵站のトップ) をしていた彼は補給を支援するために雇った朝鮮人の質の悪さ(簡単に逃げ出してしまう。) に頭を抱えた時期が存在したためである。あれが労働力となると思っただけでぞっとしたのだ。
「国内の整備にも使えます。」
内務大臣は意見を述べる。
「あまりにも移動しにくい場合、地元での就労もできるということか。」
「その間の賃金は安くできます。担当官による定期的な監視などを行えばいいということか。」
「はい。それに労役ならばいつでもできる。さらに全成人男子に課すことができこともよい。兵役をする余裕ができれば選抜基準の見直しで兵役を増やすこともできる。」
肯定論が出る。
「税としての労役はどうだ。過去に存在していたか調べてみたのですか?」
その一言に場が静まり返る。大蔵大臣の発言だ。
「調査の必要があるな。具体的な方策を含めて。」
という結果になった。
アメリカワシントン
「満州の鉄道利権への参入にハリマンは失敗したか。」
アメリカ合衆国大統領セオドアローズベルトは報告を受ける。
「何のために日本の味方をしたと思っているんだ。中国利権の参入のためだ。」
アメリカは建国以来、膨張を続けている。西部開拓を推し進め、太平洋にまで到達した。それでも拡大は収まらない。フロンティアスピリッツの名のもとに行き場のない力は海を越え南に西に手を広げた。
セオドアローズベルトはそのなかで大きな力を行使した。砲艦外交で勢力の拡大を進めている。
「カリブ海方面には影響力はありますが、やはり太平洋側には力不足です。やはりパナマ運河の開通を急ぐべきでしょう。」
海軍長官チャールズ・ジョゼフ・ボナパルトはパナマ運河に関して言及する。パナマ運河の建設工事は現在フランスのレセップス主導からアメリカ主導に変わり、工事が進んでいる。
パナマ運河はアメリカの太平洋進出の戦略の要石の一つである。これがあればアメリカ海軍艦艇は従来の半分の日程で東海岸から西海岸までの回航が可能になるのだ。
「いいやそれでは不足だな。艦隊の整備拠点はシアトルの海軍工廠とサンフランシスコの民間造船所の2つが有力。他は力不足。パールハーバーの海軍基地、スービック(フィリピン)海軍基地も停泊地としての能力は高いが大型艦艇の整備能力は乏しい。艦隊も絶対数が不足している。戦艦の建造も早めなければならない。予算案にこれらの増強予算を加えるほかあるまい。財務省に伝えてくれ。」
「了解いたしました。」
清国
袁世凱は清国の改革派の重鎮である。
その一方、保身に関してきわめて精力的な人物でもある。
彼は日露戦争で得た賠償金をうまく使った。
史実において改革は外国らの借金頼りだったが、賠償金が改革に充てられたためにいくばくか財政的余裕が生じた。
これがのちのどのような影響になって決するか誰も知らない。
1906年6月12日 閣議
「問題はなさそうだ。」
日本の税としての労働は奈良時代の大化の改新までさかのぼることができた。その後、コメのでの納税や金納で労働による税は滅んだ形となっている。
国外では中国唐代に完成を見た。日本はこの制度を見て独自改良をく加えたものを採用していた。こちらは均田制の崩壊[農地に農民を縛っていた制度。これが税制度の前提となっていたが、農民の逃亡が相次いだため税制度が維持できなくなった]まで続いた。
ただこれは制度として完成されたものであり、制度として完成されていない労役はそれ依存にも存在し、秦の始皇帝時代も労働力を徴発し、宮殿や墓の建設を行っている。なおこの時、人員を都まで引率する役目についていたのが秦の次の統一王朝漢の初代皇帝劉邦である。
「制度さえしっかりすれば労働力の雇用の問題も大きく改善する。国内の水道等の整備も可能になる。」
閣議は天皇陛下への法案の奏上を決定した。
その結果、
兵役期間の短縮3年→2年
兵役総数の減少
・師団削減
・師団の平時要員削減
・兵役の代わりに労役を行う。この時の選別は試験(射撃・体力・学力等)によって決定する
各地に射撃練習場を建設。
学校教育に兵科教練を交える。同時に軍人を各校に配属する。
この結果、国内のインフラ整備と旅順とウラジオストックの軍港化、大連とナホトカの商港としての開発、朝鮮、満州開発のための人的資源の安価の供給を実現できた。この労働力は日本政府に正当な対価の支払いと法の順守ができていれば民間においても利用できた。
さらに多産多死から多産少死に移行していたことが原因で人口爆発が生じていた日本は移民先としての朝鮮、満州を開発してゆくことになる。現地では北海道での入植政策と同様に屯田兵(自警団)のような組織が形成されて治安維持や有事の際の協力などが行われることになる。
次は海軍編。海→陸→政→陸→海→政→海の順で書いています。
私は海軍好きなので海軍が集中しているところは元気です。