1906年末時点の大日本帝国海軍主力艦
改史1906年末時点の日本海軍所属艦の情報です。なお、ルビは鹵獲前もしくは売却前の艦名です。
次話投稿は政治編と海軍編の2話3月15日23時を予定します。どうぞ楽しんでください
日本海軍の現在
日本は日露戦争での大幅な出費増大のため大規模軍縮を始めている。さらに海軍ではドレッドノートの就役により多くの軍艦が旧式化した。その結果新造を必要とすることになる。予算の縮小に相反する新型艦建造に対し、多くの批判が出ることが予想された。海軍では先手を打ち多くの艦艇が退役または予備役に指定される。これは予算削減と同時に新造艦への乗員の配置転換を促進するためであった。そして予備役指定されなかった艦も少数(新型艦)を除き、練習艦さながらに訓練で酷使されることになる。
この時、一つの戦艦に2チーム以上の兵員を用意し、1隻の戦艦を共有させた。成績優秀なチームに新型戦艦の運用を任せることを公表し、一層の訓練を促していた。そのためこの時期の戦艦は猛訓練により酷使されていたが、これは戦艦の寿命を短くする行為であった。しかし、旧式化のためそもそも屑鉄同然の船を酷使してももったいなくないという大胆な発想からその行動は出ていた。
このドレッドノートの就役は日露戦争で鹵獲された戦艦をも旧式化させる結果になり、多くの感が戦力としての価値を喪失する。旧式のものは武装を撤去の上、別用途へ転用やロシアへの返還の検討、弾薬の規格を合わせるために日本が保有する残余資材を利用した改造が検討されている。
一等戦艦
富士型戦艦 富士、八島
日本初の近代戦艦。日露戦争までの概要は史実と変わりはない。日露戦争時に主力として投入された戦艦であるが本来は清国海軍の戦艦 定遠級に対抗するために計画されたものである。しかし予算の関係で発注は遅れに遅れた。政府が詔勅(天皇命令に相当) を利用し予算を成立させたが、日清戦争には間に合わなかった。日露戦争では2番艦八島が旅順港攻略作戦中、機雷が原因で戦没している。
原型は英国戦艦ロイヤルサブリン級。しかし、主砲は最新鋭の12インチ砲が使用されている。ロイヤルサブリン級では34.3㎝連装砲を搭載たため、重心の関係上主砲塔に装甲を施せなかったが、12インチ砲を搭載する富士型は主砲塔に装甲を有する。英国は最新技術を自国の戦艦で試すよりも先に輸出戦艦に採用する方針を取っていたために日露戦争より7~8年前(この当時の軍艦は10年で陳腐化するので数年はかなり大きい。この時期の7~8年は現在の十数年の軍艦発展に匹敵する。) に設計された戦艦としては有力な戦艦になっている。
この主砲は強力であり、こののちの日本戦艦や英国戦艦のほとんどはこの砲のもしくはその発展型を採用している。ただし、再装填時に砲塔を一定位置におかなければ給弾出来ず、主砲塔内に弾薬をストックしなければならないという弱点も存在した。
日露戦争後、ドレッドノートの就役でついに使い物にならないほど陳腐化した富士型は日本初の主力戦艦であるために爆発事故で沈没、浮揚修理された戦艦三笠とともに退役。その後の処遇は1908年12月時点では未定。
敷島型戦艦 敷島、朝日、初瀬、三笠
富士型の改良型の主力戦艦。日露戦争のために建造が行われており、4番艦三笠は連合艦隊の旗艦を務めた。改良箇所は主砲塔と装甲版である。日露戦争では初瀬が機雷により沈没している。
こちらも日露戦争までの概要は史実と変わりない。
日露戦争終結直後、三笠が火薬庫爆発事故で沈没。直後ドレッドノートの就役で戦略価値が大きく低下した敷島級も海軍予算縮小の対象となり、ちょうど破損した三笠は退役することになる。
残りの敷島、朝日は練習艦として酷使されることになる。
金閣型戦艦 金閣、銀閣
日本が日露戦争に向けて購入した戦艦である。
元はチリ海軍がイギリスに発注していたリベルダート級戦艦である。史実ではロシア海軍に購入することを防ぐためにイギリスが購入しスイフトシュア級戦艦として運用されたもので、この戦争に合わせてイギリスからローン購入したものである。
日本名金閣の史実艦名はスイフトシュア チリ海軍予定名リベルタート、銀閣トライアンフ、チリ海軍予定名コンスティトゥシオンである。
この戦艦は史実においてイギリス海軍で員数外の戦艦として運用された。主砲が10インチ連装砲で、この時期のイギリス海軍戦艦との砲弾(12インチ砲)の共通性が皆無だったためである。日本海軍ではその点に関して問題になるのは戦艦不足が解消される1906年頃で、戦力不足にあえいでいた日露戦争およびその後、新型戦艦の就役までは必要とせざるを得なかった。
その結果、日本でドレッドノートクラスの戦艦が就役するに従い、予備艦として運用されるようになる。練習艦として運用されなかったのはあまりに日本海軍と装備が違いすぎて練習艦としての運用が不適切と判断されたためらしい。
設計思想的には当時貧乏なチリ(この戦艦を売却したチリはアルゼンチンとの対立が収まったことと購入代金を払うのが予算不足の関係で難しくなったため売却した。当然発注時からコストダウンが求められていると推察できる。) 海軍の実情に合わせ、当時の戦艦を縮小するという設計思想で設計されている。
10インチ砲とそれに耐えられる装甲、その軽量化及び小型化で生じた機動力と速力が特徴だった。その点では相手の戦艦よりも機動力のある戦艦を運用する日本海軍の基本的運用思想に反することなく、活躍できたともいえた。
相模 (ペレスヴェート) 型戦艦 相模 (ペレスヴェート)、周防 (ポベーダ)
ロシア海軍の旅順艦隊所属艦。旅順湾内で自沈したものを浮揚、鹵獲している。
主砲がこの時代の戦艦としては小さく、25.4㎝連装砲2基4門である。この戦艦が、火力と装甲よりも機動力…特に航続距離性能を重視して設計されていたためである。これは設計に仮装巡洋艦のような通商破壊任務が設計要求に含まれていたためである。
改史日本では砲弾の補給が大きな問題となり大きな活動はない。鹵獲した戦艦との砲弾の共通性もなかった(改史において戦後使用されたその他の戦艦はすべて砲弾の共通性があった) ためである。そのため予備艦にされてしまっている。砲弾の共通性確保のため、金閣型戦艦と(改史では)同一砲を採用している薩摩級の撤去した副砲に換装する計画もあるが、この時点では改装はされず予備艦として保存されている。
しかし、日本海軍も戦時には利用することを考慮に入れており、その際は性能が似ている金閣型と共同作戦が考えられていた。そのため予備艦保管は同じ瀬戸内海で4隻ならんで保管されていた。
肥前 (レトヴィザン)
ロシア海軍の旅順艦隊所属艦。日露戦争参戦戦艦で唯一アメリカ製の戦艦である。そのため鹵獲後の評価が最もよかったうえに電装関連が優れており、のちの日本海軍に役立つことになる。ドレッドノート就役の関係で旧式化するも、そのまま日本海軍籍のまま使用されることになる。
ただし、性能的に同程度の艦艇が少なく、結果的に運用に問題が生じている。それでも使いたいと思ったらしい。その一方、予備役指定され、瀬戸内海で保管されることになる。
将来的に退役した戦艦三笠の主砲塔との換装により主砲弾の共通化を図る方針でロシアへの返還対象艦からは外れている。
丹後 (ポルタヴァ)
旅順港で鹵獲した戦艦の1隻。修理するもドレッドノートの就役で旧式化し、戦力価値は無に等しくなる。そのためロシアへの軍艦輸出交渉のカードにされる。
石見 (オリョール)
ロシアの最新鋭戦艦ボロディノ級の3番艦。日本海海戦後鹵獲される。しかし日本海海戦の損害が大きいうえにボロディノ級が欠陥品だったために大規模な改造を必要とした。
改史ではこの時、取り換える砲は鹵獲するも退役させることが決まった戦艦から移設したものを採用した。史実では主砲以外、自国が使用しているものに交換されている。これは建造途中でドレッドノートが就役したことと予算の削減で退役させられた旧式戦艦の砲の転用が推奨されたことが影響している。これはロシアへの軍艦輸出交渉のカードとしての価値を高めることになった。
香取型戦艦 香取、鹿島
日本海軍の戦艦。日露戦争のために計画されたが間に合わず、戦後就役した。主砲と装甲版に関しては戦艦三笠が当時の戦艦の一つの完成点であり、この戦艦は副砲火力を増強した戦艦である。副砲火力は10インチ砲にまで拡大され、戦力的には三笠と金閣を合わせたような船である。
この副砲は史実と違い、金閣型の主砲と同型の砲の単装砲を採用している。これにより砲弾の共通化が実現されている。
就役時には既にドレッドノートが就役しており、陳腐化している。
それでも、日露戦争とその後の軍縮と事故で日露戦争に参戦した8隻(鹵獲艦は修理中につき数に入らない)の戦艦のうち半数の4隻が失われるか早期退役することになった結果、日本海軍の非戦時の戦力維持においてきわめて重要な戦艦となっている。
薩摩型戦艦 薩摩、安芸
日本で初めて建造された戦艦。ただし、多くの重要部品を輸入ものに頼っている。
史実において日本海軍は初めて建造する戦艦を12インチ連装砲4基8門とする設計案が存在していた。しかしそれは中止されている。未確認情報では主砲が輸入物のため不足していたことが建造できなかった理由とされている。(ちなみに物語中、建造できない理由に採用している。)
改史においては設計者の独断でド級戦艦に改造できるように設計されていた。そのため史実とは煙突等の配置が大きく異なっている。
建造中に行われた設計変更にて12インチ連装砲2基4門、10インチ連装砲6基12門搭載されていた火力は12インチ連装砲4基8門となった。しかも、この時の副次的な要素で背負い式という構造が採用された。
これは史実の設計案よりも優れたものになっている。史実の設計案は背負い式を採用していなかったために2,3番主砲塔の正面への射角が制限される要因となっていた。
完成時こそ爆風による問題が起き、十分な性能を有しなかったが後の改修でその問題も解決することになった。そのため改史では世界的にそれなりに優秀な戦艦に仕上がっている。なお独断で設計を変更した設計者、それを指示した人物は功績と処罰(無断でやったから) を相殺され立場は維持された。
この改装の代償として副砲火力は低下している。これは予算の不足から副砲を旧式艦から移設した速射砲を当面の間搭載する予定であるためである。
撤去された10インチ連装砲2隻合計12基は一部を除きウラジオストック防衛要塞に転用予定である。
この砲は史実とは違い、金閣型と同じものを採用しているために砲弾の共通性が存在した。その一方でロシアから鹵獲した相模型の主砲塔に転用するために4基が保存されている。
なお動力に関して史実では薩摩が蒸気レシプロ機関、安芸が蒸気タービン機関を採用していたが、改史では蒸気レシプロ機関で統一されている。
河内型戦艦
非公開 (設計中)
2等戦艦
扶桑
明治維新後の政府が初めて購入した装甲艦。(それ以外の船には装甲が施されていなかった。) 戦艦として分類するには小型である。
日清戦争時には速力の面で他艦と比較し劣る。そのため日清戦争時の黄海海戦で窮地に陥ることになる。
日露戦争では旧式なりに活躍する。史実での退役は1910年
改史においては前ド級戦艦と比しても旧式であるという理由から日露戦争後の軍縮で退役する。
鎮遠
日清戦争で鹵獲された清国海軍の定遠級戦艦の2番艦。建造当時、東洋1の堅艦と呼ばれたが、設計思想は時代遅れの代物だった。
清国海軍の戦術は単横陣という陣形を組むことを前提に設計されていた。これはすべての軍艦が横並びに並んで正面の敵を攻撃する戦法である。そのため正面火力が重視され、定遠級は12インチ連装砲2基4門すべてが正面と後ろに向けられるように配置されている。その一方、横方向の火力は1基2門しか向けることができなくなり、単縦陣という戦術では全力を発揮することができなくなっている上に船体の幅が広がり、速力の低下を招いている。
その結果、日本海軍の単縦陣に敗れ、鹵獲されることになる。
日露戦争では旧式艦に数えられていたが旧式艦最強の船であり、戦艦に準ずる火力のある船とみなされており、損失は回避されている。
しかし、その実はポンコツとしか言いようがない。この戦艦の主砲は日露戦争時よりも10年以上古い技術で作られていた。その結果、主砲弾の装填にまで3分もかかる代物だった。日露戦争時に主力戦艦が装填にかかる時間が1分未満であることを考えれば戦術面を考慮した場合、作者の考えではこの戦艦の火力は当時の最新鋭戦艦に5隻定遠級が戦いを挑んでも勝てないと考える。はっきり言おう。いらない。損失を回避する理由がわからない。
史実において旅順港閉塞作戦の閉塞船にすべきという参謀もいたのだがそれを実施しなかったことに疑問を覚える。旅順港に装甲のない民間船を突入させるよりもはるかに効率が高く、生還も期待できる作戦ではないかという意見を私は持つ。
軍縮の影響で退役対象艦艇に指定され直ちに解体が開始された。
日露戦争鹵獲艦
壱岐 (インペラトール・ニコライ1世)
見島 (アドミラール・ウシャコーフ)型 (海防艦)
見島 (アドミラール・セニャーヴィン)
沖島 (ゲネラール=アドミラール・アプララークシン)
日本海海戦で鹵獲された旧式戦艦。壱岐(インペラトール・ニコライ1世)は鹵獲後2等戦艦として編入されたが、見島型の2隻は戦艦ではなく、旧式化した軍艦が分類される海防艦として編入されている。
この3隻は日本海海戦での被害が少なかったために日露戦争末期の戦いである樺太占領作戦に動員される。戦後、旧式であることから軍縮対象に指定される。しかしロシアの戦艦にはある程度の砕氷能力があり、一部武装撤去の上(褐色火薬を発射火薬として利用する旧式化した主砲塔は取り外す価値もないのでそのまま放置)、砕氷艦として運用される。
装甲巡洋艦(のちの巡洋戦艦を含む)
日露戦争以前の装甲巡洋艦は例外を除き、主力艦としてみなされていない。主力艦としてみなしているのは日本、イタリアなどを除くとギリシャ、スペインなどの弱小国である。
日本やイタリアの装甲巡洋艦は火力、防御力を強化する代わりに航続距離を大きく犠牲にしているという特徴がある。日本は防衛を主眼としており、イタリアは地中海以外での運用を考慮していないためである。しかしながらその結果、装甲巡洋艦が巡洋戦艦的な艦艇に至る道筋が存在していた。そのため前ド級巡洋戦艦ともいえる艦艇の建造に至ることになる。
浅間型装甲巡洋艦 浅間、常盤
日本初の装甲巡洋艦。浅間型装甲巡洋艦はその中で最も初めに建造された船である。
浅間型はもともと日本への輸出目的で建造された船ではない。アームストロング社が建造中だった購入先未定の輸出用軍艦を購入したものである。日本の装甲巡洋艦として最も早く完成した船だが、購入時期は比較的新しく、日露戦争のための66艦隊計画で最も新しいものである。練習艦として利用されることは史実と同じだが、日露戦争後は予算削減の関係で他艦が予備艦として保存されたために酷使されことになる。
八雲
日本の装甲巡洋艦。外交的な事情があり、ドイツで建造された。しかし、砲はイギリス製、機関はフランス製を搭載している。砲は日本がイギリス製およびその派生型を利用していたためである。これは軍艦の搭載砲を統一するという思想のもと行われたことであり、これは世界的に進んだ思想だった。
改史においては日露戦争後、予算削減のため予備艦に指定される。
吾妻
日本の装甲巡洋艦。外交的な事情があり、フランスで建造された。砲はイギリス製を搭載している。フランス製軍艦の特徴として幅が狭く、長いのが特徴として存在する。そのため吾妻はこの時期の装甲巡洋艦で一番長く、整備ができる設備に大きな制約が生じてしまった。
改史においては日露戦争後、予算削減のため予備艦に指定される。
出雲型装甲巡洋艦 出雲 磐手
浅間型の設計を改良した装甲巡洋艦 浅間型よりも小さく、ほぼ同等の性能を有する。設計において小さくて性能がいいものを作るほうが難しく、評価される。小さいものを作ったほうが維持管理や製造コストが安くなるからである。その点において言えば出雲型は浅間型に勝る軍艦である。
改史においては日露戦争後、予算削減のため予備艦に指定される。
春日型装甲巡洋艦 (伊国名ジュゼッペ・ガリバルディ型) (アルゼンチン名ガリバルディ型)
春日 (リヴァダヴィア)、
日進 (モノレ)、
六甲 (サン・マルティン)、
三宝 (プエイレドン)、
日本がチリ海軍から購入した装甲巡洋艦。イタリア製史実においては春日、日進の2隻のみが輸入され日露戦争に動員されたが、改史においてはさらに2隻が輸入されている。
同型艦はイタリア、スペイン、チリでも運用された。チリ海軍は合計6隻を運用する予定だった。これは同時期にチリ海軍との対立が激化しており、そのための軍艦が必要とされたためである。そののちにこの対立が融和に向かい、不要となった軍艦が売却されることになったのだ。そのうちに含まれていたのだ。
この軍艦はもともと他国の軍艦であったが、設計思想的には似ていた。イタリア海軍では地中海のみで運用することを念頭に設計されていたため航続距離性能を犠牲にそのほかの性能を優先している。
そのため日本の装甲巡洋艦と互角の戦力となりえたのだ。そのため、日本海軍では問題なく活躍することができた。
日露戦争後、一つだけ問題になったことがある。
砲弾の共通化という問題点が生じた。日本海軍は予算縮小のため製造する砲弾などの種類を減らす必要性が出てきたのだ。その点においてこの4隻のうち2隻は弱点を抱えていた。搭載砲が違ったのだ。
春日と六甲は他の日本の装甲巡洋艦と同一の8インチ連装砲2基4門だったのだが、三宝は砲弾の共通性に乏しい10インチ砲単装砲2基2門、日進に至っては10インチ砲単装砲と8インチ連装砲各1基の混合搭載だったのだ。その結果砲弾の生産に関しての問題が生じた。特にひどかったのは予算の縮小で砲弾の生産ラインが凍結される恐れが生じてきたことだ。そのため予備砲弾を節約するという名目で真っ先に予備役指定を受けてしまった。
なお、のちに記述する鞍馬型の副砲を利用した換装計画も存在する。
鹵獲装甲巡洋艦
阿蘇 (バヤーン)、幌登 (ロシア)、伊皿 (グロモボーイ)
日露戦争で鹵獲されたロシアの装甲巡洋艦。阿蘇は旅順港、そのほか2隻はウラジオストックで鹵獲されている。そのため2隻は史実では鹵獲されていない船である。この2隻は樺太内の山名を艦名として採用している。
阿蘇以外の艦艇に関してはスペックが検索してもなかなか出てこないため例外的に記述する。
阿蘇 (バヤーン) 7900トン8インチ単装砲2基2門、6インチ単装砲8基8門、最大速力22.5ノット
幌登 (ロシア) 12200トン8インチ単装砲6基6門、6インチ単装砲14基14門、最大速力19ノット
伊皿 (グロモボーイ) 12400トン8インチ単装砲6基6門、6インチ単装砲14基14門、最大速力20ノット
砲弾はロシア艦同士で共通であるために砲弾は生産された。ただし、生産ラインも限度があるため、予備役指定されることになる。
筑波型巡洋戦艦 筑波、生駒
日本で初めて建造された1万トン越えの大型艦。日露戦争で失われた2隻の戦艦の穴埋めのために建造が開始されたが日露戦争に当然のごとく間に合うことはなかった。
日露戦争での戦訓が大いに反映されている船で砲撃距離の長距離化に伴い、無用の長物となった衝角(艦首にある突起物で敵艦の水線下にダメージを与える。当然接近できなければ意味がない。) これは衝突事故の際に被害を増すのみであり、廃止された。
従来の装甲巡洋艦と比較し主砲、装甲ともに強化されており、高速戦艦に近い船に仕上がっている。
さらに建造は日本の造船工廠の全力を投じ行われたため1番艦筑波は工事開始(起工) から水に浮くまで(進水) まで11か月を記録した。
しかし、ドレッドノートの就役で完成時から旧式艦として扱われることになる。
改史においては改造を前提とした構造をしており、史実と少し艦影が異なっている。改造を可能な構造にしたが、改造後の性能が他艦よりも低く、予算も少なかったので改造は見送られた。改造した場合、12インチ連装砲3基6門(他艦は4基8門)を搭載するはずだった。
性能が低いため練習艦として酷使される予定である。
鞍馬型巡洋戦艦 鞍馬、伊吹
副砲火力を強化した巡洋戦艦。ドレッドノートの就役で完成時には旧式だったが、改史では改造を前提とした構造をしたためにド級戦艦として完成した。
その代償として副砲火力は低下している。これは予算の不足から副砲を旧式艦から移設した速射砲を当面の間搭載しためである。
その際、撤去した副砲である8インチ連装砲2隻合計8基は装甲巡洋艦の砲弾共通化のため転用される計画が存在する。そのためウラジオストックへの転用はされていない。
防護巡洋艦
和泉 防護巡洋艦
元はチリ海軍の『エスメラルダ』世界初の防護巡洋艦である。日清戦争のために購入される。当然、世界初ということは世界最古ということでもあるため、最も老朽化しており改史における軍縮の退役リストに載る軍艦となる。なお、日露戦争時には建造から20年以上が経過している。史実においては28年間の利用で長寿の部類に入ることから改史においてはこの時期の軍艦としては平均的な退役時期となる。
浪速型 浪速、高千穂 防護巡洋艦
日本初の防護巡洋艦。設計はエスメラルダ(のちの和泉) の改良である。性能的には問題なく利用でき、日露戦争後予備役対象艦となる。
その中では最も旧式であるために予備艦指定されたうえで退役順位は上位に位置させられていた。
(つまり今は退役させないけど次退役させる船に指定されているということになる。)
千代田 防護巡洋艦
イギリス製の防護巡洋艦。防護巡洋艦の中では珍しく、装甲が多数装備されており、防御力が高い。日本初の装甲巡洋艦とみなされることも多い。
日露戦争後この艦も予備役艦に指定され、浪速型の次に退役順位が上位に位置させられていた。
松島型 松島、橋立、厳島 防護巡洋艦
定遠級に対抗するために建造された防護巡洋艦。その特徴である1門の32㎝砲は装填に5分かかり、日清戦争時においても役立たずであった。そのためにこの船より古い浪速型及び千代田よりも先に退役対象に名を連ねることになる。
秋津洲 防護巡洋艦
本来松島型と同型艦になるはずだったが、あまりにも主砲が役立たずであったために松島型4番艦が中止され、建造された。日本で初めて独自設計された防護巡洋艦である。
この船も日露戦争後この艦も予備役艦に指定され、浪速型の次に退役順位が上位に位置させられていた。
須磨型防護巡洋艦
秋津洲の小型改良型。日清戦争のために大急ぎで建造されたが、戦争には間に合わなかった。日露戦争では旧式艦主体の第3艦隊に所属する。
戦後、旧式艦として認定されるが戦艦や装甲巡洋艦といった主力艦が訓練艦さながらに運用される。状態では沿岸、領海警備用艦艇が不足。須磨型以降の防護巡洋艦は退役、予備役対象にすることができなかった。
日清戦争鹵獲防護巡洋艦(計2隻)
日露戦争前に事故のために1隻、日露戦争中に1隻が損失。そのため現時点での生き残りは存在しない
吉野型防護巡洋艦 吉野、高砂
2隻とも日露戦争で損失
完成時、世界最優秀巡洋艦と称される。吉野は日清戦争でその速力と速射砲の威力を持って活躍する。高砂は日清戦争後の軍拡計画で整備された艦で2隻の間には差異が存在する。
笠置型防護巡洋艦 笠置、千歳
外交の都合上アメリカに発注された防護巡洋艦。吉野型の改良型。
新高型防護巡洋艦 新高、対馬
日本で建造された防護巡洋艦。この船以降すべての巡洋艦は国産である。
偵察を主眼に建造されたために武装は少ないが堅実、堅牢な設計。
音羽 防護巡洋艦
新高型3番艦になるはずだったが予算の関係上小型化
利根 防護巡洋艦
吉野を参考に建造された。吉野の衝突事故から得た教訓で大きな損害を出す衝角を廃止。
次世代型防護巡洋艦 (史実の筑摩型)
日露戦争の鹵獲艦
宗谷 (ヴァリャーグ)、津軽 (パルラーダ)、ノヴィーク
宗谷はアメリカ製。宗谷、津軽はロシアへの軍艦輸出のカードにされる。その一方ノヴィークは損傷が大きいため修理中に解体が決定。そのまま解体される。
なおノヴィーク史実では編入され通報艦鈴谷として数年間使用される。
駆逐艦以下その他艦艇は省略。
退役多いですね。ただ、軍艦として退役、その用途としての退役であって一部の船は再登場します。