日露戦争ー01 日本海海戦
少し史実とは違います。しかし調べて書いているのでゆっくりやってゆきます。
1905年5月27日 対馬沖
ロシアの艦隊がやってきた。日本人がバルチック艦隊と呼ぶ艦隊である。正しくは改名されて第2・第3太平洋艦隊といわれていた艦隊である。
言われていた艦隊というのはさらに第4太平洋艦隊が編成されていたためである。原因はロシアの黒海艦隊が合流。艦隊自体が再編されて第4艦隊を編成していたためである。
ロシア黒海艦隊はロンドン条約及びパリ条約(1856年) でボスボラス海峡の通航権について制限かかけられており黒海から出ることができなかったのである。さらにはボスボラス海峡の先地中海の出入り口のスエズ運河とジブラルタル海峡も日本の同盟国イギリスに抑えられてしまっている。
そのため、ロシア黒海艦隊の出撃はあきらめざるを得ないかと思われた。
しかし、ロシアの外交部は黙っていなかった。ロシアの脅威を受けている国々や同盟国を動かした。特に脅威を受けている国についてはロシアの戦力がヨーロッパからアジアに回されることを賛同。ロシアの黒海艦隊は黒海への帰投を禁じられた片道切符での極東出兵となってしまったのだ。
黒海艦隊から抽出された主力艦艇は
・インペラトール・エカチェリーナ2世級 4隻
インペトリッツァ・エカチェリーナ2世、チェスマ、シノフ、ゲオルギー・ポピエドノセッツ
・ドウィエナザット・アポストロフ
・ドリー・スヴャチーチェリャー
・ロスティスラブ
以上戦艦
巡洋艦1、大型駆逐艦3、水雷艇(日本側でいう駆逐艦)12 等だった。
再編されたロシア艦隊の編成は
第2太平洋艦隊「艦隊中央 ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将」
第一艦隊
ボロディノ級
艦隊旗艦及び艦隊総旗艦 クニャージ・スヴォーロフ、インペラトール・アレクサンドル3世、ボロディノ、
オリョール
第1・第2巡洋艦隊
それぞれ装甲巡洋艦1、巡洋艦3
第1・第4駆逐艦隊
第一 大型駆逐艦1 水雷艇5 、 第4 水雷艇6
第3太平洋艦隊「艦隊左翼 ドミトリー・フェルケルザム少将(次席指揮官・開戦前に病死)」
第2戦艦隊
艦隊旗艦 オスラービヤ、シソイ・ヴェリキー、ナヴァリン、ロスティスラブ
第4戦艦隊
インペトリッツァ・エカチェリーナ2世、チェスマ、シノフ、ゲオルギー・ポピエドノセッツ
第2駆逐艦隊
大型駆逐艦1 水雷艇5
第4太平洋艦隊「艦隊右翼 ニコライ・ネボガトフ少将」
第3戦艦隊
艦隊旗艦 インペラトール・ニコライ1世、アドミラル・アプラクション、アドミラル・セニャーヴィン、
アドミラル・ウシャーコフ
第五戦艦隊
ドリー・スヴャチーチェリャー、ドウィエナザット・アポストロフ、他装甲巡洋艦1 巡洋艦1
第3駆逐艦隊
大型駆逐艦1 水雷艇5
他10隻
日本側も少し編成が違った。主力艦が実史よりも4隻多いのだ。
4隻中2隻はイギリス製。チリ海軍に納入されるはずだったリベルタート級戦艦。実史ではイギリス海軍が購入してスイフトシュア級戦艦として運用した艦である。今回、この戦艦はイギリスに購入されたのち開戦前にイギリスからローン契約で転売されたものである。
日本名金閣(スイフトシュア チリ海軍予定名リベルタート)、銀閣(トライアンフ、チリ海軍予定名コンスティトゥシオン) と命名されて日本海軍に編入されている。
もう二隻はイタリア製。日本で既に導入している春日級装甲巡洋艦と同型である。つまり春日級を2隻余分に編入していることになる。
余分に編入された2隻は一度アルゼンチン海軍で運用されていたもの(もう2隻はアルゼンチン海軍に編入される前にアルゼンチンから購入している。) でアルゼンチン海軍時代の艦名はサン・マルティンとプエイレドンといって前者を六甲、後者を三宝を命名し編入している。
この4隻共に(春日級の2隻をふくめ6隻) チリとアルゼンチンの対立のため両国海軍で採用されるはずだったのだが、この2国の対立が収まったことでできた余剰戦力が日本で活躍することになった。
このような違いのため、編成も違ってきている
第一艦隊
第一戦隊
艦隊総旗艦三笠、
朝日、敷島、富士
通報艦 龍田
第三戦隊
春日、六甲、三宝、日進
第五戦隊
笠置、千歳、音羽、新高
第一駆逐隊
春雨、吹雪、有明、暁
第二駆逐隊
朧、電、雷、曙
第3駆逐隊
東雲、薄雲、霞、漣
第14艇隊
千鳥、隼、真鶴、鵲
第二艦隊
第二戦隊
艦隊旗艦出雲、
磐手、浅間、常磐
通報艦 千早
第四戦隊
八雲、吾妻、金閣、銀閣
第六戦隊 波速、
高千穂、明石、津島
第四駆逐隊
朝霧、村雨、白雲、朝潮
第五駆逐隊 不知火
叢雲、夕霧、陽炎
第九艇隊
蒼鷹、雁も、燕、鴿
第十艇隊
鴎、鴻、雉
第三艦隊
第7戦隊
艦隊旗艦 厳島、
松島、橋立、鎮遠
通報艦 八重山
第八戦隊 須磨、
和泉、千代田、秋津洲
第九戦隊
扶桑(2等戦艦)、高雄(海防艦)
以下砲艦
筑紫、鳥海、摩耶、宇治
第1艇隊
69,67,68,70
第5艇隊(呉所属)
福龍25,26,27
第10艇隊
43,39,40,41
第10艇隊
43,39,40,41
第11艇隊
73,72,74,75
第15艇隊
雲雀、
第20艇隊
65,62,63,64
第16~18艇隊
(竹敷所属)
白鷹
34,31,32,33
36,35,60,61
特務艦隊
偵察巡洋艦6
水雷母艦2
その他多数。
第一艦隊は主力戦艦群 第二艦隊は機動性の高い装甲巡洋艦群 第三艦隊は旧式艦を集めた偵察艦隊である
ただ上記の編成には少し誤りがある。日露戦争前半で起きた戦艦八島、初瀬の損失の影響で編成が改変され、第一艦隊に4隻の装甲巡洋艦が第二艦隊に比較的足の速い2隻の戦艦が配属されている。その影響で史実と編成が大きく異なっている。
だが、戦闘の流れについて大きな変化はないようだ。
ロシアの艦隊は第三艦隊の第7,8戦隊の偵察行動で混乱していた。この2つの部隊は名前が史実第5、第6船体と呼ばれており、改史でも同じ編成である。名前が違うだけだ。
この2つの部隊の動きでロシア艦隊の陣形に乱れが生じたどうやら機雷を散布したと勘違いしたようだ。この戦争で、機雷は大きな戦果を挙げている。ロシアは機雷を活用した戦術で名将マカロフを失っている。
機雷は嫌いだというべきだろうか(すまん親父ギャグつまらないだろう。)
どーでもいいが陣形が大きく乱れる。
そのため多くの水兵が「敵は団子になってやってきた」というイメージを持った。
近代の艦船は基本的に横方向の火力が最大になるように設計されている。そのために単縦陣という形で戦う。
ちなみに現代の艦船は対潜、対空警戒用の輪形陣。艦隊同士の接近戦では単横陣で戦う。
このような陣形無視の状態では普通戦闘はできない。
そのようになった原因がこの時代の情報技術の低さだった。無線が開発されて間もないこの時代の単縦陣という陣形は艦数が増えれば増えるほど運用が難しくなるような特性があった。単縦陣の先頭艦には司令官が乗っている。この船を旗艦という。当時の命令伝達は主に旗を使用していた。その後、一時期主流となる灯火信号はいまた太陽の反射を利用した不確実なものでしかなく、無線機も導入されたばかりだったためである。
旗は見える範囲が限定される。特に単縦陣を組んでいると先頭艦以外の艦船が邪魔で見えないことも多い。見える範囲も狭い。そのため大艦隊では何本か単縦陣を組んで命令を伝えやすくしなくてはならない。
日本は通報艦と呼ばれる旗を揚げる船を別に用意し、旗艦の信号旗を見た通報艦が同じ旗を揚げることで命令伝達の容易化を図ったほどの重要な問題だ。
ロシアの艦隊はその手段を用いずに艦が影にならないように単縦陣を3本編成し、日本に回航してきたのだ。
隊列中央は総指揮官ジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将の指揮する第2太平洋艦隊。右翼はニコライ・ネボガトフ少将の第4太平洋艦隊。左翼はドミトリー・フェルケルザム少将指揮の第3太平洋艦隊であった。
しかし、ドミトリー・フェルケルザム少将は日本海海戦前に病死してしまっていた。さらに士気を下げないためにジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将はニコライ・ネボガトフ少将が知らないほどの情報統制を行い、彼の病死を隠した。
日本側はその指揮官の病死を知らなかったであろう。しかし、日本艦隊は運悪く左翼艦隊から攻撃を始める位置にいたのだった。
28日
「巡洋艦5隻、駆逐艦8隻か。」
日本が日本海海戦で撮り逃した軍艦の数である。実はこの数字には目的地の○○に逃げ込む進路にない船も含まれている。しかし、その半数でも○○に逃げ込もうものならば○○艦隊は十分な戦力を保有することになる。そうなれば彼らは再び日本兵や弾薬、食料を搭載した輸送船を沈めに出撃してくるだろう。
実は戦争初期、これは十分脅威だった。○○艦隊のせいで多くの民間船が海の藻屑となり、多くの陸軍兵士の命も失われている。このとき、日本艦隊は旅順要塞攻略作戦中だったが、多くの艦船を抽出し、何とか活動を抑え込むことに成功した。
現在日本の艦隊の多くが修理もしくは凱旋式典のための支度に追われている。この状況では戦力の抽出など難しい。神出鬼没の艦隊が無抵抗な輸送船を襲う。しかもそれらは戦艦より優速(速い) 逃げられる恐怖がそこにはあった。
「××の攻略には戦略的に有利な点多数あり」
秋山真之はつぶやく。
「攻略だって!?××を!?」
「本気か!!」
その場が騒がしくなる。
「日露戦争は引き分けに近い日本の勝利じゃ。ほいでも満州の権益の多うは手に入る。今後も満州における日本の利権は増える。××に貿易港有するのは日本にとって大きな利益じゃ。それにあんな名前の町放置しとかれんし、ロシア海軍が再興した時に軍事拠点になられては困る。」
秋山はその騒ぎの中で再びつぶやく。その場は一気に静まり返る。
「日本海の完全な制海権確立する。そりゃ戦略的に大きな利点になるじゃろう。」
秋山真之は戦後を見ている。その場の全員がそう思った。彼らはとても考えつかなかった。目の前の敵ロシア艦隊を葬ることだけで精一杯。その先など考えるという発想がなかった。秋山自身もそうだった。
「だがな。××にはそれなりの戦力がある。陸軍はすでに手一杯。どう考えても無理だ。」
「それに××攻略となると市街地戦になる可能性が大きい。国際法順守の姿勢を各方面から称賛されている以上、そのようなことはできない。」
否定論が多く出る。
「陸さんの兵力不足は清の新健陸軍が利用できるはずじゃ。日和見決めとる彼らもそろそろ説得に応じることじゃろう。」
彼の発言は帰港後すぐに電文で参謀本部に送られることになった。
史実とは違う戦争。初めは日本海海戦の日ロ双方の主力艦の数の違いでした。次はどうなるだろうか。