02 運命の人。
「あの、すみませんっ! 下ろしてください!」
宙に浮かせられながら運ばれるのは、落ち着かない。
自分の足で歩ける、と訴えようとした。
すると、プラチナブロン毛がため息をついて、私を一瞥する。
「煩い。このーー……チビデブ」
放たれた言葉にカチンときたけれども、言い返せなかった。
確かに私は身長百五十四センチしかないチビの上、最近肥満が目立つようになってきた。圧倒的に、運動不足のせいだ。
このプラチナブロン毛め。腹黒の上に毒舌キャラか。
「人間は黙って従っていればいい」
そう吐き捨てて、私を宙に浮かせたまま運び続けた。
私は空中で地団駄踏んだ。踏むものがないけれども。
運ばれた先にいたのは、メイド服を身に纏った女性三人が立っている扉の前だった。
「魔王様が拾った人間です。綺麗にしてください」
「かしこまりました」
三人のメイド服の女性は、ペコリと頭を下げる。
漸く私は床に下されて、着地した。けれども次はメイド服の女性に捕まる。
一人は、頭に二つの角があって黒い蝙蝠の翼を持つ女性。もう一人は、頭というか髪が緑の蛇の女性。そして最後の一人は、人間みたいに見える黒髪の美女だった。
翼を持つ女性と蛇髪の女性にしっかり腕を掴まれて、連れて来れられたのは入浴場。
これまた広々とした入浴場だった。石像のガーゴイルの口からお湯が出ていて、中は湯けむりで満ちている。四角形の大理石の中に、お湯が張ってあった。
今から洗われると思い出して私は、慌てて自分で出来ると言おうとしたのだけれども、その前に着ていたパーカーを引き裂かれる。どこにそんな力があるのか、と疑問を持つ余裕はなかった。
ひいっ!! 一気に丸裸にされた!!
「あ、あの、洗うくらい自分で、出来ますっ!」
「あら、洗うのではなくて、綺麗にするようにと言われました。大人しくしていてください」
黒髪の美女メイドさんは、そう柔和な表情で言った。
「ありゃま! ここにたぷっとした脂肪が!」
ひぃい!
蛇髪のメイドさんにお腹と二の腕、それに太ももまで触られた。見苦しい身体を隠すには、腕の数が足りない。
「ここにシミがあります!」
ひぃい!
翼を持つメイドさんに、隅々まで見られてしまう。見ないでほしい。本当。後生だから。
「それでは脂肪は食べてしまいましょう」
ひぃい!?
なんか黒髪美女が、さらりと恐ろしいことを言った。
「美白クリームを塗って、そうそう髪も伸ばしましょうか」
私がひたすら恐怖している姿を楽しんでいるように、ほくそ笑む黒髪美女のメイドさんはクリームとやらを取りに行ってしまう。
残った翼を持つメイドさんと蛇髪のメイドさんは、私を吟味するような目で見て舌舐めずりをした。
た、食べられる!?
「ひ!? やめてっ!」
「大人しくするです!」
翼を持つメイドさんに、後ろから押さえ付けられた。
「さて、どこから食べましょうかね……先ずはぷっくりとしたお腹!」
ひぃい! 恥ずかしいから言わないでほしい!!
なんて言う余裕もなかった。かぷり、と突き出たお腹に噛み付かれる。それも無数の蛇達にだ。
ちゅうーっと吸われる。
あ、なんだ、食べるってそういう……ってよくない!
「私もいただきますです」
「!?」
翼を持ったメイドさんの牙を見た。
かぷり、と二の腕に噛み付かれる。
そして、ちゅうーっと吸われた。
入浴場で、しかも真っ裸で、メイドさんに噛み付かれて吸われているこの状況はなんなんだっ!!
私は赤面して固まってしまった。噛み付かれたところは、地味に痛い。吸われるとムズムズしてくる。
脂肪吸引されている感覚なのだろうか。
「ぷは! 次は太ももを少々」
「うひゃあ!?」
蛇髪のメイドさんは次に太ももに、かぷりっといった。
大事なところに顔が近いものだから隠したいのに、翼を持つメイドさんに腕をしっかり押さえ付けられていて叶わない。そして翼を持つメイドさんも、左の二の腕から右の二の腕にかぷり。
またもや赤面して耐える私。
すると、黒髪美女メイドさんが戻ってきた。
「あら、もう食べ終えてしまったのですか? 私にも分けてください」
「はいです」
「!?」
二の腕の脂肪吸引を終えた翼を持つメイドさんと黒髪美女メイドさんが、私を挟んで口付けをしたものだから驚愕。
え、なに、そういう関係? とかではない?
私の脂肪を分け与えただけのもよう。
はっきり言っていやらしい!
「申し遅れました。私は蜘蛛女のラーニョです」
「私はサキュバスのデーナです」
「メデューサのへナータです」
蜘蛛女にサキュバスにメデューサ。
私の脂肪吸引を終えたのか、へナータさんはしゃがんでいた態勢から立ち上がる。満足したと自分のお腹を叩いた。
「わ、私は幸……コーです」
「コー様。これから肌を白くさせていただきます」
「!?」
「美白にして差し上げます」
微笑むラーニョさん達に強制的に、身体を隅から隅まで触られてクリームを塗られる。それから、その身体を洗われた。
魔王レイヴォンに吸われ、サキュバスにメデューサにも吸われて、身体はヘトヘト。いや精神的にも大ダメージだ。
ぐったりと湯に浸かりながら、短い髪になにやら草の臭いが強いクリームを塗られた。
その臭いを嗅ぎつつ、考察する。
私はいわゆる異世界転移をしてしまったようだ。
その時点でもうひゃっはーっと手放しで喜びたいけれども、落ち着くのよ私。念願叶って、異世界転移が実現した。
しかも、魔王の手によってだ。
異世界から人間一人を拾ってこれる力の持ち主、それが魔王。
問題はこれから、私はどうなるのかってことだ。
魔王は私のことを所有物に決めたようだから、すぐに文字通りに食すということはなさそう。また吸われるのかもしれないが。
そもそも魔王がこんなことしていいのだろうか。何故、私だったのだろう。
私なんて、デスクワークをしつつ小説やイラストを漁るただのオタクに過ぎない。漫画もアニメも大好き。
魔王レイヴォンに尋ねよう。
人間バーサス魔王というテンプレの世界なのかどうかも確認しておきたい。
「あの、ラーニョさん。ここはどこですか?」
「魔王様のお城です」
「それはわかってはいるのですが……星の名前を教えてください」
「ルアースです」
ルアースという世界か。
「魔王様が治める国なのですよね?」
「はい。魔王様が治める魔族の国オスリタです」
魔族の国オスリタというのか。
「人間の国から遠いのですか?」
「オスリタは広いですからね。答えは遠い、です。隣国ではありますがね。あ、動かないでください」
私は言われた通り、高い天井を見上げた態勢のまま。
「人間の国とはどういった関係ですか?」
「? ……もちろん、敵対関係にありますよ」
私の質問に少し首を傾げて見せたラーニョさんは、すぐに答えてくれた。
出たよ。テンプレだった。
勇者が現れて、魔王を討つパターンか。
ラーニョさんの反応からして、私が異世界から連れて来られたのは聞いていない様子。私も言わないでおこう。
「はい。髪が伸びましたわ。洗いますので、そのままじっとしていてくださいませ」
「あー、はい」
私はそう返事をしつつ、自分の腕を見た。健康的なやや焼けた肌が、色白くなっている。本当に美白クリームだった。魔法の美白クリームだ。すごい。あんなところやこんなところも塗られたから、そこも色白になったのだろうか。噛み跡も、昔の怪我の跡さえも消え去った。
そして今、ショートボブが伸ばされているところだろう。当たり前のように、魔法がある世界。
最高である。私の望んだ世界に連れて来られた。ひゃっほい。手放しで喜ぶな私。にやけるな私。見られているのだから。
髪というか頭を洗われるのは、気持ちいい。マッサージするように洗ってくれるのだから、うっとりうとうとしてしまう。
お湯をかけられて、シャンプーを洗い流された。それでも起き上がる許可は出ない。今度は、熱風に包まれる。驚いた。火が私の髪を包み込んだのだから。
でも水分を飛ばしただけらしく、長くなった髪はホクホクしていた。
「さぁ、上がってください。コー様」
言われた通り湯船から上がる。もう全部見られたから、今更隠そうとも思わなかった。ラーニョさんに髪を持ち上げられて、へナータさんに身体をタオルで拭かれる。そのあとは、デーナさんに下着を穿かされて、白いワンピースドレスを着させれられた。
顔には、化粧水やクリームを塗られて整えられる。
長く伸びた髪は、腰まで届く黒髪。けれど、毛先は染めていたから赤みかかっている茶色だ。艶々(つやつや)で自分のものなのに、ずっと触っていたくなる。
そんな手も、スベスベのしっとりで頬擦りがやめられない。
余分な脂肪もなくなって、軽い足取りでラーニョさんに案内された部屋まで行った。
そこはさっき私がいた魔王レイヴォンの部屋だ。
パタン、と閉められた。
しまった! 私、全然この先のこと考えてなかった!
ガーンとショックを受けつつも、私は恐る恐ると自分から魔王レイヴォンに近付いてみる。彼はベッドに寝伏せっていた。
寝ている……みたい。
起こしていいものだろうか。いやだめだろう。どう考えても魔王の睡眠を邪魔してはいけない。
私は大人しくベッドの隅っこに腰を下ろした。
髪まで下敷きにしていまったので、両手で振り払う。ファサッと長い髪を背中に流す。久しぶりの感覚だ。
さて、どうしようか。
一応、魔王レイヴォンが、私をどうするのかを確認しよう。
起きてから。
そう思っていたら、するりと腰に何かが滑り込んだ。またあの蛇のような尻尾だった。そのままグイッと引き寄せられる。
「変わったな」
魔王のお目覚め。頬杖をついて、長くて太い睫毛の下の琥珀の瞳で見下ろしてくる。
お、おかげさまで。
「俺様と同じ、黒の髪か……」
そう言いながら、私の長くなった髪を掬う。
私の髪は漆黒。でも彼の髪は、何色も受け付けないような純黒の髪だった。同じとは、少し違うと思う。いや美しさの分だけ違うか。
彼はまるで堕天使のようだ。世にも美しい堕天使。
「んっ!」
蛇のような尻尾が、私の身体を這う。声を出すことを堪えた。隅々まで確かめるように、滑り込んでくる。
その間、琥珀の瞳はじっと私を見ていた。私は目を合わせていられなくて、視線を泳がす。じわり、と頬が赤くなっていると思う。恥ずかしい。
くびれから太ももの間、背中を通って胸まで這っていく。細くなってよかったと心から思う。
ありがとうメイドさん達。
「あ、あの……」
「なんだ?」
その行為と沈黙に耐え切れずに、私は口を開いた。
「何故、どうやって、私をここに連れてきたのですか?」
「拾ったと言っただろう」
それは聞いたとも。
「そんな呆気なく異世界から人間一人を拾えるものなのですか?」
「全魔力を使ってやっと出来た」
「あ、そうなのですか……」
なんだ、ひょいひょい異世界から連れて来れるわけではないのか。
「では私を帰すこともそう易々と出来ないということですか?」
「何故おまえを帰さなければならない?」
あ、だめなのか。
家族と暮らしているから、心配かけていると思う。
「そもそもなんで私を拾ったのですか?」
やっと尻尾が退いた。
そう思いきや、むにゅっと顎を掴まれた。
「おまえが俺の運命の人だからだ」
「はい?」
「おまえを拾った理由だ」
運命の人だから。そんな理由は呆然としてしまうには十分なはずなのに、何故か私の中にストンと落ちる。
そうか。私がこの人の運命の相手なのか。
世にも美しい顔立ちをしていて、カラスのような黒い翼を持っていて蛇の尻尾を持つ魔王。
「……!?」
いや何納得してしまっているのだ。
そんなわけないじゃないか。私だぞ。美人だとお世辞で言われても、彼と釣り合うわけない。そんな運命の相手同士があるものか。
「な、何かの間違いではないでしょうか?」
「俺様が決めた」
「……はい?」
「おまえは俺様が拾った運命の人だ」
どうやら無作為に選んだだけのようだ。
運命の赤い糸というわけではない。
「それって運命の人とは言わな」
「俺様が決めた」
「……ああ、はい」
俺様魔王は、決定事項にしたと言う。
無作為に異世界から私を選んだ。
私は俺様魔王の運命の人です。はい。
そういうことでいい。
「でも、手紙だけでも送ってもらえないでしょうか?」
「……。魔力を回復するのに時間がかかる。数日したら異世界のおまえがいた場所に送ってやる」
頼めば、引き受けてもらえるものなのか。
ちょっと驚きだ。
「ありがとうございます。ではお願いしますね」
家族には駆け落ちということにしよう。
私は安心して、ベッドに横たわる。
フワッと黒い翼が上にかけられた。
うわお、もふもふだ。上質な羽根。なめらかに私の掌をくすぐる。純黒の翼。そーと指先で撫でていく。
それを目で追う魔王レイヴォン。手を止めれば、私の目を覗き込んだ。明るい琥珀色の瞳。
私は、この人に選ばれたのだ。
この目麗しい魔王にーー。
ーー伴侶として。
そのことを遅れて自覚した私の顔は、ボッと火がついたように熱くなった。
20171225