白井 純(しろい じゅん)の物語。
白井 純は正義の申し子だ。
刑事として国民を守る両親を尊敬し、テレビの中で悪と戦うヒーローに憧れた。
そこまでは普通だろう。
正義の味方に憧れる。それはどこにでもいる、一般的な、大多数のうちの一人だろう。
彼が特別だったのは、その思いが何年たっても風化しなかったことだ。
彼はこの26年。今までの人生で、悪から目をそらさず、悪事を見過ごさなかった。
子供のころから、相手が年上だろうと、大人であろうとも、物怖じすることなく正義をぶつけた。
もちろん、それで痛い目に合うことは何度もあった。時には病院のお世話にならなければならないほどの、酷い怪我もした。
それでも彼の心は折れない、砕けない。
「ありがとう」
その一言の為になら、彼はどこまでも強くあれた。
両親はそんな彼に助言こそすれ、決してもうやめろとは言わなかった。
もちろん心配しなかったわけではない。
彼らの心は、時に張り裂けんばかりに痛めつけられた。
しかし、我が子の誇り高き行いを、その生き様を、彼らは尊重した。
彼の友人達もまた、彼の行いを認め、尊敬した。時には共に悪と戦いすらした。
偽善とーー格好つけ、と彼を蔑む者達もいた。
しかし、そんな声を物ともせず、彼らは純とともにあり続け、固い絆で結ばれていた。
生まれ持った正義感。そして、彼の強い志と彼を包む環境。
いくつもの奇跡のような幸運。
こうして、恵まれた星のもとに、超常の正義は生まれた。
そんな彼が、この小説の世界のルールを知らされたならば、目の前にいる羽織の男に、現在警察官である彼が言うべきことは、この一言に決まっている。
「貴方を逮捕する」
白井純は、羽織の男ーー描を真っ直ぐに見て、そう言った。
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二人の男は、真夜中の人気の無い道路橋で対峙していた。
白井純の能力『七振りの正義』の一つ『瞬雷の投剣』
雷が意匠されたその棒手裏剣を、直打法で描に向けて打つ。
もちろん、警察官として逮捕が目的である純に、それを当てる気は無い。描に向けて真っ直ぐに打ちはしたが、その程度避けるのは織り込み済みだ。
『瞬雷の投剣』
その特性は、手元から離れたその投剣へ、まさに電光石火の速さで瞬間移動できるというもの。
描が投剣を避けた瞬間、十数メートルはあろう間合いを一瞬で詰め、組み伏せるーーはずだった。
しかし、描は手刀で投剣を弾き飛ばし、結果、純はあさっての方向へと瞬間移動させられた。
「悪くないとは思うよ、今の攻め。普通は避けるよね。刃物を素手で弾くなんて、そんな怖いこと普通はしない。普通は、ね」
余裕の笑みを浮かべる描のその様と、口ぶりで、純はある考えに思い至った。
自分の今の先手は、不意打ちに成りえていなかった。この男は自分の能力を知っている?
「なんだい?その不思議そうな表情は。進行役であり、君達の上に立つ存在である僕が、まさか君達や読者と同じに、登場人物の事はプロフィールに書かれている事しか知らないとでも?」
描はその金色の髪を左手でかきあげながら、得意げに続ける。
「知っているよ。君達の能力は全て、ね」
「だとしても!」
純は描の言葉に怯むことなく、二手目を放つ。彼をここで止める事が出来れば、悪趣味な殺し合いはきっと止められる。正義の名に懸けて、負けることはできない。
純の右手が眩い光を放ちーー瞬間、その手から投剣は消え失せ、かわりに150センチ程もの大きさの、岩肌を思わせる荒々しい装飾の柄をもつグレートソードが握られていた。
その『噴岩の大剣』を地面に突き立てると、描の四方八方からその身を囲うように、八本の石柱が次々に地面から突き出した。
「これは、まるで石牢だね。仕方ないーー」
余裕の笑みこそ崩さなかったものの、描のその目が鋭い光を宿す。
「神器ーー開放……」
描がぽつりと呟くように言った、その瞬間ーー投降を促そうとした純が口を開く間もなく、八本の石柱は一瞬で粉々に砕け散った。
「今の君では僕には勝てない。これは提案なんだけれど、そんなに逮捕がしたいなら、とりあえず僕は後回しにして、勝てそうな相手を狙ったらどうかな?」
「……。何のことだ?」
自分より相手が強いからといって引き下がる純ではない。今まで何度も、そんな戦いを繰り返してきたのだ。
会話を続けながら、描の隙を探り、次の攻撃手に思考を巡らせる。
「三浦叶」
「!」
その名を聞いた瞬間、純の思考は止まり、緊張に身体が強張った。
「知ってるでしょ?他の主要人物達のプロフィールは、今さっき僕と出会った時点で、まるで昔から知っていたことかのように、その記憶に刻まれたはずだよ」
描はその顔に嫌な笑みを作りながら続ける。
「正義のおまわりさんである君が、絶対に放置できない相手だ。僕や流君なんかより、ずっと優先して捕まえなければならない犯罪者。数十人もの人間を殺し、その手を未だ止めようとしない連続殺人鬼」
「彼女が次に狙う元犯罪者を、君に教えてあげよう」
頬を嫌な汗がつたう。
純は、生まれて初めて感じた。
自身の中にある強固な正義。
それがーーわずかにぐらつくのを。