大器 楽人(おおき がくひと)の物語
「これは、あんまり楽しくないな~」
それが、大器楽人がこの小説の世界の全容を理解してからの、第一声だった。
英国を彷彿とさせる庭園の中央。
美しく装飾されたテーブルとイスに、輝くティーセット。優雅にお茶を楽しみながら、大器楽人は渋い顔でそう言った。
それを聞いて体面に座る、この場にふさわしくない派手な羽織を着た男(といっても、一方の楽人もスーツではあるものの、お茶会にはとてもじゃないが相応しくない、派手な紫のシャツを、しかもこれまた派手に着崩しているのだが)は問う。
「何が気に入らないのかな?大器楽人さん」
「う~ん……」楽人は不意に胸元から懐紙を取り出し(一応言っておくと、飲んでいるのはお抹茶ではなく紅茶である)おもむろに紙飛行機を折り始める。
その表情は、一見穏やかな笑みをつくっている。動揺しているようなーーいないようなーー。掴みきれない。とりあえず羽織の男、描は返答を促すことはせず、紅茶に口を付ける。
突然の紙飛行機作成という奇行を見守ること、約二分。
すいっーーと、紙飛行機が宙へ飛び立った。
「!……これはーー」
「支配者の道標。俺の持つ特殊能力。俺の作り出した見えない道の流れに乗って、紙飛行機は宙を舞い続ける」
楽人の言葉通り、紙飛行機は二人の頭上で八の字を描き、決して下降することなく延々飛び続ける。
「こんな能力が貰えたのは、非常に愉快なんだがな~。バトルロイヤルはありえん。憎い仇でもない奴らと殺し合いなんて、できるものか」楽人は笑みを崩さず、その声も穏やかではあったが、『心底気に入らない』。その意思は、ハッキリと伝わってきた。
「勝者になることができれば、どんな願い事もかなうというのに?それとも、その若さで大企業の社長まで上り詰めた貴方には、もう叶えたい願いなんて無いとでも?」描もまた、笑顔で問う。ただしその笑顔は楽人のものとは全く別物。挑発的な悪意が隠れている。
「それは無い。確かに、俺は子供のころから勉強ができるし、スポーツ万能だ。好きなことを仕事に出来ているし、大金持ちで女性にもモテる」
「……」描は読者の意思を汲取って、ちょっと一発殴ってやろうかとも思ったが。とりあえずはまだ聞きに徹することにした。
「だがそれでも欲は尽きない。無い物ねだり。どんなに幸福な人間でも、さらに上を求め続けるものだ。でないと生きがいもなにも、あったものじゃあない。--が。人殺しをしてまで、それを叶えたいとは思わないな」
「ふぅん。以外に平凡で退屈なことを言うんだね、貴方は。他の八人の主要人物の一人、流君が言いそうなことだけれど、生物が生きるためにはその他の多くの命を奪わなければならない。なのに貴方は、自信の幸福の為に人を殺すのは悪だというのかい?人間の命は他よりも特別だとでも?」
「特別だ」やや食い気味に楽人は答えた。
ピシャリと断言されたことに少しばかり描は驚いた。『人殺しはいけないことだ』というのなら、『命は平等である』という定番の謳い文句もまた、好むものとばかり思っていたからだ。少しからかってやろうと投げかけた問いは、思いのほかあっさりと打ち返された。
目を瞑り、紅茶を一すすりして、大器楽人は真面目な面持ちで口を開いた。
「食育。俺が小学生の時に、クラスの皆で一匹の豚を飼った。
「もちろん、食育というからには、その豚を食べるのが目的で育てさせられたわけだがーー俺はそんなことはしたくなかった。
「その豚は世話をするうちに、いつからか俺の顔を覚えてくれたようでな。
「俺が小屋に近づくと、トコトコと駆けてきて鼻を押し付けてくるんだ。
「名前も付けた。豚だからトンちゃん。くははっーー。今思うとなんとも安直だ。……。皆、トンちゃんが大好きだった……。
「当然だ。何年も共にいて、なついてもくれている。これで愛情が湧かない奴はそうはいまい。
「しかし、その日はやってきた。トンちゃんは業者に引き渡され、次に俺達が見たのは、スーパーに並んでいるのと同じ。いつも口にしている、ただの豚肉だった。
「俺も含め、何人かはトンちゃんを殺すのをとめようとした。しかし、俺達はまだバカで、大人が全て正しい人に見えてしまう、無個性な愚か者だった。
「担任の教師が言った。『なら、あなた達が普段食べているお肉は何ですか?生きるために食べることが残酷ですか?』その言葉に、何も言い返せなかった。
「普段豚肉を喜んで食べている自分が、トンちゃんを守ろうとするのは偽善。自分勝手な悪い考えだと、思い込んでしまった。
「俺はトンちゃんを守れなかった。
「だが、今の俺は言える。あの時トンちゃんを守るのは正しかったと。
「何故なら俺がそうしたかったのだから。
「下らんことは考えん。いくら正しく聞こえようとも、そんな理屈など知るか。感情に従うことが悪だと誰が決めた」
その時、突然強い風が吹いた。木々がざわめき、草花が葉を鳴らす。
そして、その突風に乗って、紙飛行機は支配者の道標を外れ、大空へと舞い上がる。
大器楽人はそれを満足げに見上げ、宣言する。「俺はこの小説のルールに乗ってやる気は無い」
「それは。難しいと思うよ」描は席を立ち、口元は笑みをつくったまま、鋭い目を向ける。
「だとしてもーーさ」楽人も席を立ち、同じように笑んで、その目をまっすぐ見返す。
お茶会はそこでお開きとなった。
描が去った庭園で、楽人は一人、呟くように言った。その顔にもう笑みは無い。その瞳には、力強い光が灯っている。
「今度こそ。助けてみせる」
楽人もまた、庭園を後にする。
そして、彼が去った庭園の芝生にーー静かに紙飛行機が落ちた。