第1楽章 Ⅲ
生徒会長の自室を出て、授業に向かうべくエレベーターで1階へ下りると、そのドアが開いたとたん、櫟梟夜が駆け込んできて、またドアが閉まるボタンを押してしまった。
「ちょっと、どうして閉めるのよ。」
なんだか、櫟に話しかけるパターンが、いつも同じな気が……。
息切れしている櫟は、桃花鳥の声なんか耳に入らない様子で3階のボタンを押した。
エレベーターの壁によしかかり、やっと息が整ったらしい頃に、それこそやっと、桃花鳥の存在に気づいた。
「なんだ、いたのか。」
「なんだ、じゃないわよ。
どうして下行ったのに戻ってきてるのよ。」
桃花鳥がそこまで言ったとき、エレベーターは3階へ着いた。
やっと櫟は降りる、と思いきや、彼はまたもや奇怪な行動をとった。
エレベーターの窓からエレベーターホールが見えるようになっているのだが、
3階のそこに2,3人の女生徒の姿が見えると、しきりにドアが閉まるボタンを押し続け、今度は7階のボタンを押したのだ。
あまりにも奇怪な行動を不審に思った桃花鳥の心は、関わるまいとする気持ちと、好奇心とがせめぎ合っていた。
とうとう好奇心の気持ちが上回ってしまった桃花鳥は、思い切って櫟に尋ねた。
「あの、櫟くん?
どうしたのか、聞いて良い?」
「おまえの寮の部屋、四季塔にある?」
黙って壁にもたれかかっていた櫟は、質問には答えず、代わりに違う質問を投げかけてきた。
「?あるけど、どうして。」
「話はあとだ。
何階だ?
秋冬寮か?それとも、冬夏寮か?」
櫟の頭の中からは、すっぱりと抜けていたらしい。
桃花鳥がはいったのは、同じ四季塔にある寮でも、秋冬とも、冬夏とも全然違う待遇の寮だった。
その名も春夏寮。
生徒会長が代々使っている部屋も、この春夏寮にあり、2階付き・リビング・キッチンプライベートルームが付いている、超特別待遇寮であった。
「春夏寮だけど??」
それはちょうど、エレベーターが7階へ着いたときだった。
「うわ、すっげーいいタイミング。」
櫟梟夜が思わずそうつぶやいたのを、桃花鳥は聞き逃さなかった。
Ⅲ
「ここ、四季塔の入り口見えるか?」
勝手知ったる他人の家並みに堂々と部屋に入ったかと思うと、窓のそばへ寄り、じっと下をのぞき込む。
なにしてるの、と聞けば、紅茶かコーヒー入れてと答える。
それに従い、二人分の紅茶を用意するものの、まだ窓の外を見ている櫟に、
人のことこき使って、何だと思ってるのよ、と聞くと。
今度こそ窓から離れ、淡いグリーンのカバーが掛かったソファに座った。
「やっぱ、春夏寮って、広いんだな。
俺の部屋とは格がちげえよ。」
なんてくだらないことを口にするし。
桃花鳥は疲れてしまった。
「あのさ、櫟くん。」
「ん?」
また無視されるかと思ったが、意外に彼は返事を返した。
「えぇっと、自分の部屋・とか、授業・とか、行かないの?」
「あ、わるい。
ちょっと、匿って。」
「は?
なんで」
「いや、だから、追われてるんだよ。」
「誰に?」
「だから。
ほら。
東条先輩が言ってた……」
「歌蓮先輩が言ってた?……………モウシコミノサットウ?」
「そう、それ。
おまえも餌食にされるぜ、今出ていくと。」
「でも授業があるじゃない。」
「律儀だな。
ここは全寮制だし、休んだり遅刻するときの連絡設備とかも整ってるんだぜ。」
「へぇ。
その設備って、どんなものなの?」
「説明会の時とかに、それに関する説明って無かったのか?」
「わかんない、あんまり聞いていなかったから。」
「で、話し戻すけど。その設備は、各部屋一台置いてあるものなんだ。」
「でも、どこにあるのかしら。」
「液晶テレビっぽくて、タッチパネル操作で、結構でかいやつ。」
「ん~、部屋にあったような…」
頭を抱えつつも、ふらふらと2階(8階にあたる)のいわゆる自室へ行くと、後ろから櫟もついてきていた。
「俺、入っても良い?」
ここまで図々しくやってきても、一応断りを入れたところだけは見直そう。
「あ、どうぞ。」
会ってすぐの人間をここまでストレートに通してしまってもよいものか、疑問に残るが、なんとなく、櫟梟夜ならいいような気がする。
「これこれ。
この青いボタンで、起動。
で、あとはほとんどタッチパネル。」
「ほんとだ、すごいわ。
ここで自分のクラスを選べるのね。
私たち、1年1組だっけ。」
「ああ。
でも、今の時間は選択教科だろ。」
「えっもう“1の1”のところ押しちゃったわ…」
「大丈夫みたいだぜ。
ここからまた各選択教室にアクセスできるみたいだ。」
「よかった…。」
「これで教室はいると、先生には誰が画面を見ているのか、分かるんだぜ?」
「そ・そうなの?」
「ああ。
教卓にも、同じようなタッチパネルのが搭載されているんだ。」
「へぇぇ、櫟くん、詳しいのね。」
「あ、俺、親がここ出身だし。」
「そうなの?
奇遇ね、私も母がここの出身。」
「意外に多いんだよな、そういう奴。
俺は、母親がここ出身で、父親はここの姉妹校である清水学園なんだ。
母の頃からずっと、このパートナー制度はあったらしくって、ヴァイオリンのすっげーうまかった人とペアになったんだって。」
「ふぅん。」
母親のことを話す櫟の瞳は、とてもきらきらとしていた。
桃花鳥は、櫟の意外な一面を見て、少しだけ、驚いていた。
「社会ってさぁ、つまんなくないの?」
まだ授業に参加しだして10分ほどしか経っていないというのに、櫟梟夜はつまらないことを言い出した。
「そんなこというのなら、私の部屋から出ていったらいいじゃないの。」
その言葉にちょっとカチンときた桃花鳥は、櫟に冷たい視線を投げる。
「だって、社会なんて小学校でだって勉強しただろ?」
「あら、それじゃあ、そういうあなたはさぞためになる教科を選択したんでしょうね?」
「別に。普通に、ソルフェージュしか選択してねぇよ。」
「! じゃあ、その教室行きましょうか。」
「いや誰もそうしろとは言ってねえけど。」
「………。
あ、紅茶、お代わり持ってくるわね。」