人魔と魔獣
集会場での授業を終え、家に戻った蓮は麻服を脱いで綿服に着替えた。
通気性の良い麻は日中動き回るには適している。
この世界にも四季は存在するようで、数ヶ月前は麻服でも閉口するほどの暑さだったが、最近の夜の冷えこみは綿がしっかりとしている服でないと辛いものがある。
「――人魔って、何ですか?」
ウィルとともに食事を終えた蓮が、夕刻から気にかかっていた疑問を口にした。クライスにも訊いたのだが上手く説明できないらしく、詳しいことはウィルに尋ねたほうが良いと言ったのだ。
「……会ったのかの?」
「クライスがある女の子のことを《人魔》って言ったんです。そのせいで皆から疎まれるているみたいなので、少し気になって……」
逡巡するように虚空を見つめ、ウィルが語る。
「蓮は魔獣がどのように発生するかは知っているかの?」
この半年の間に様々な知識を得ることとなっているが、それでもこの世界について蓮が理解している事柄はそう多くない。そもそも日本における小学生の知識量は豊富とはいえない。
人よりも本を読む機会があったからこそ、幾分知識があるだけといえる。
「いえ、知らないです」
「ふむ……蓮は魔法の扱いも上達してきとるそうじゃな。子供ながらに大層有望だの。ずっとチシャ村にいてほしいぐらいじゃ。さて……その魔法じゃが、どのように発現させておる?」
魔法を発現させる――魔法書に記載されている内容はごく基本的なことだった。自分の身の内にある魔力……これを自然と融合させて力に方向性を与えてやるというものだ。
例えば火球を繰り出そうとした場合、自然の中に存在するとされる火精に魔力を分け与え、それを空気と混ぜ合わせることで分子運動を極限まで高めて高温を発する。蓮は原理を完全に理解することはできなかったが、これを感覚的に習得することには成功している。ただし、火精に与える魔力配分と制御が難しく、実戦に使うにはまだ早い。
「才能かのぉ……ワシには結局魔法を使うことはできなんだ。憧れておったんじゃがの」
どこか寂しそうな顔でウィルは話を続ける。
「属精霊は自然中に存在するが、その中には雑精なども含まれる……ともに魔力を活力源とするので魔力に集まってくるとされておるの」
「えーと……?」
ウィルはこのように、質問した内容を他の事柄と結びつけて説明していくことが多い。人魔や魔獣に魔力が関係するのだろうか。
「高い魔力を持った動物が生まれたとき、その魔力に引き寄せられるように雑精が集まって身体の中へと入り込む。稀にしか起こり得ない現象らしいがの。そして雑精と混じり合った身体は生来から歪んだ姿へと変貌するといわれておる」
「それが、魔獣ですか?」
この世界では魔物と魔獣は区別されている。迷宮の探索がされることで魔物は地上から姿を消していくが、魔獣はそれとは関係がない。
もともと魔獣というのが通常の動物から発生するのであれば、それも当然かもしれない。
「魔獣は高い魔力を持ち、肉体も屈強なものが多い。凶暴性が増すから人には決して馴れず、人を襲うとされとるの」
「もしかして、人間でも同じことが?」
ウィルは出来の良い生徒に微笑みながら頷いた。
「そうじゃ。人の赤子に雑精が混じった結果……《人魔》となるんじゃよ。母親の腹から生まれ、自らの魔力で自分を守ることが可能となるまでのごくごく短い間に起こる悲惨な出来事じゃ」
「でも、……だからってそれを差別するのは」
「無論、良くはない」
穏やかな口調の中に厳しさを織り交ぜた言葉が紡がれる。
「ワシは迷信だと思うとるが、人魔は凶事の前触れと昔から言われておる。そのために皆から疎まれる存在となってしまっているんじゃ。あの娘とその母親は数年前にこの村を訪れたんじゃが、前に住んでいた町を追い出されたらしい。田舎であれば差別や侮蔑はまだ少ないだろうからと請われて、村外れに住むことを許可した」
「それでも、村の子供達は差別してましたよ」
事実、あの光景は見ていて気分の良いものではなかった。
ウィルの溜息が室内に響く。
「村の者が全員納得しているわけではない。迷信というのは親から子供に伝わり、妄想を生むものじゃ。例え本人が何も悪いことをしなくともな。なんとか同世代の友達でもできればいいんじゃが」
イジメや差別というものは日本にも当然存在していた。蓮がいた施設の中では虐待を受ける子供さえいたのだ。養子となった後は孤児であることを差別するような発言をする者も大勢いたので、蓮はそれらを身に染みて理解している。
だからこそ、本人の責とは関係なく疎外されるあの女の子に会ってみようという気持ちが生まれたのは、ごく自然なことだった。
――翌日、蓮は教えてもらった村外れに足を運んだ。
村全体はまばらに家屋が建っているが、その外周はおよそ円状となっている。
チシャ村の東側には幅五メートルほどもある川が流れており、農業用水として利用している。そのため川下の周辺には広大な耕作地が存在していた。
そして川上には木々が生い茂る豊かな森がある。数多くの動植物が暮らす森は村の猟師にとって大切な狩り場となっているのだ。
森の近辺には民家はないのだが、一軒だけポツリと建っている小屋を見つけた。
「ここかな?」
辺りに人気はなく、小屋の扉を叩くが返事はない。
「いないのかな」
しばらく経ってから扉が少しだけ開き、昨日の少女が顔を出した。
「お母さん? ……ぇ、あの……?」
戸惑う表情を見せながらも、蓮の突然の来訪を忌避するような素振りはないようだ。母親と間違われたということは、今は家にこの少女だけなのだろうか。
「えーと、僕のことは知ってる?」
「蓮先生……」
どことなくたどたどしい口調で蓮は少女に話しかける。異性と話すことになど慣れてはいないのだ。
「お母さんは、いないの?」
「畑に行ってます。お母さんは働かせてもらえるので」
どうやらこの少女は働きたいが働かせてもらえず、家に残っているということらしい。子供だけでなく、大人達でさえ差別じみた行動をしていることに蓮は辟易した。いっそのこと、自分の授業に出席している何人かの大人達に難問を無理やり解かせてやろうかと考え、蓮は苦笑する。そんなことをしても何の解決にもならない。
「昨日、授業に来ようとしてた?」
「……迷惑なら、もう行かないようにします」
昨日言われたことがかなり堪えているらしい。泣いてはいないが、声から感情の沈みようがわかってしまうほどには辛いようだ。蓮にとってはこの少女が出席しても何も問題はないし、誰かが文句を言おうと黙らせる自信はある。
だが、少女自身が今の状態で集会場に来るのは難しいだろう。そう判断した蓮は、一つの提案を行う。
「う~ん、もし興味があるなら授業のリハーサルに付き合ってくれる?」
「ぇ……」
「君が《人魔》だってことは聞いた」
少女は身体を震わせてか細い声を上げた。その顔にはっきりと驚きの色が浮かんでいる。
「あ、そうじゃなく、ただ人魔だから嫌うっていうのが僕にはよくわからなくて。えーと君の名前は?」
「……ファラです」
「じゃあファラ、僕のことは呼び捨てでいいし、敬語もいらない。歳もそう変わらないだろ?」
実際ファラの年齢は十二歳とのことだった。少し年下だと思っていた蓮は自分で言っておいて微かに戸惑ってしまう。
「リハーサルって、何?」
「授業をする前にね、僕はその日の授業の練習をしてるんだよ」
幼い子供、同年代の子供、大人といった具合に、蓮が教える生徒の年齢層は幅広い。そのため、午前中の空いた時間をその日に行う授業の練習をしているのだが、そこに一人の生徒がいたとしても何も問題はない。
「どう?」
ファラは返事をする代わりに、コクリと首肯した。
次からは午前中にファラが村長宅を訪れるというかたちを取ることにして、今日のところはこっちで練習することにした。
家の中で教えるよりも天候も良いので外に行こうと蓮が提案し、川べりで教えることに決定。
晴れ渡る空の下、川のせせらぎを横にして行う授業も悪くないと思いつつ、蓮は尖った小石を拾い上げ、それを使って地面へ文字と数字を書き出していく。
ファラは目を輝かせるように熱心に耳を傾け、知識を取り込んでいった。今までこういった機会が全くなかったので、知識に飢えていたのだ。
途中、何度も何度も質問のために話が遮られたが、蓮は丁寧に質問に答えていった。
ファラの家を訪れたのは朝方を少し過ぎた頃だったが、一区切りついた頃には完全に昼過ぎとなってしまっていた。
「今日はこれぐらいにしとこうか? ちょっと腹も減ってきたし。一度家に帰って飯食ってから、クライスのとこに行かないと」
立ち上がって大きく伸びをする蓮のズボン裾をファラが掴む。
「お礼にご飯ぐらいは、食べてって」
「本当? 何かあるの?」
蓮の問いに答えるよりも早く、ファラは勢いよく駆けた。
家の方角ではなく、川に向かってだ。
水飛沫をあげて川へと潜ったファラを見て、蓮は一言を漏らす。
「今から……調達するんだ?」
不安な面持ちで待つことしばらく。ファラが水面に顔を出した。腕には立派な魚が二匹も捕獲されている。
「すげ~~」
自慢ではないがプールで泳いだ経験しか持たない蓮には到底真似することのできない芸当だった。
川から上がったファラの髪はしっとりと濡れており、癖っ毛が真っすぐに肩まで伸びている。やはり左右で異なる色の瞳は、鳶色と黄金色だ。
服が身体に貼り付いてしまっているため、蓮は気恥かしくなって目を逸らした。
「焼く」
「あ、ああ。森で枝を拾ってくる。ファラはちゃんと服を絞っておきなよ」
集めた枝を並べると、ファラが火種を取りに家へ戻ろうとしたので、それを引きとめて蓮が掌をかざす。
小枝から太い枝へと順番に燃やす必要もない。一気に枝が炎を纏う姿を見て、ファラがふたたび目を輝かせた。今のところ魔法の使い道はこの程度でしかない。
それでもファラの興味を引くのには十分だったようで、串に刺した魚が焼けるまでの間にまたもや質問攻めにあった。
「すごい。魔法まで使えるの? どうやるの?」
「まだこの程度しかできないけど……あれ? そういえば人魔って強い魔力を持っているからこそ――」
まだ少しばかり濡れている服を纏っているファラの姿を注視するのはあまり褒められたことではないが、蓮はファラの魔力量を探ってみる。
「なに?」
「やっぱり……」
ファラの身体を覆う赤光はこれまで見た誰のものよりも力強く、蓮と同等の魔力を有していることが感じとれたのだった。
拙い文章をお読みいただきありがとうございます。
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