リベンジはチョコレートマフィンで 〜無自覚な私と、確信犯の明治くん〜
「なあなあ、知ってる? バレンタインってもう終わったらしい」
前の席の明治くんが振り返り、私の机に肘を乗せた。
消した跡が残る黒板の日付は、とっくに二月十四日を終えていて、そろそろ三月になろうとしている。
「え? うん。知ってる知ってる。チョコ交換とかしてたの見てなかった? 女子みんなで交換しまくってたと思うけど」
「森永さんもやってたよね? 見た〜。今だから言えるけど、いいなって思ってた」
「ええ? それ今言う? その時言ってくれたらあげたのにー。何個か余ってたよ」
「男が! あの雰囲気の中! 口を挟めるわけない!! 挟める奴いたら、自分に異常な自信持ってるおかしい奴!!」
目を見開いた明治くんの形相があまりにひどくて笑った。
思い返してみれば確かにあの日、明治くんから話しかけられた記憶はない。
「そうなの? 声かけてくれたら一つくらい分けてあげられるかもよ。女子優先だから、余ってたらだけど」
「んー、というかバレンタインのあの日に声かけるってのがきつい。なんかこう、そういう雰囲気じゃなくね? だって今日なら全然言えるし。チョコ持ってない?」
「ふふ、ほんとだ。でも持ってない。ごめん」
明治くんはムンクの叫びを披露している。
春から席替えがなく、ずっと前後の席だったこともあり、少しおどけた様子で話しかけてくれる明治くんはクラスの中で話しやすい男子だった。
移動教室を忘れていた時も、先生の話を聞き逃した時も、消しゴムを落とした時だって、さっと助けてくれた。だからひとつも気負わずに声を掛けられる。
いつだって明治くんがそういう空気にしてくれた。
「実はさ、ここだけの話、俺ももらえたりすんのかなって思って期待してたんだよ」
「……へえ。そうなんだ、仲良い子いたらもらえるかもね」
「だよね。俺は仲良いと思ってたんだけどなあ。切ない」
そう言いながら、明治くんの表情はどこか楽しげだ。
私はなぜか引き攣りそうになる笑顔を誤魔化すように、ただ「えー切ないねえ」と繰り返した。
「で、だよ」
急に明治くんが膝を打った。真剣な表情に、私もつい明治くんの顔をじっと見る。
「ホワイトデーってあるじゃん」
「え? うん。あるね。三月十四日」
「その日にリベンジしようと思うんだけど、どう思う?」
ちょっと意味がわからない。
私の眉が形を歪めた。
「……いいんじゃないかな。何のことかさっぱりわからないけど、うん、いいと思うよ」
「テキトーすぎん? いや聞いてよ。バレンタイン悔しかったからさ、リベンジしたいなって思ったわけ」
やっぱりよくわからなくて、首を傾げた。
休み時間のざわつく教室で、楽しそうな明治くんの声だけを拾う。
「つまりさ、今度は俺がチョコを持ってくるわけよ。バレンタインの時に俺は欲しいって言えなかったけど、もし、さ。今度はその子に欲しいって言ってもらえたら、もう俺の勝ちじゃない? な、リベンジ成功じゃね?」
わかるような、わからないような。
小さく首を捻りながら、頷いた。
「え……うん……? その女の子? は言ってくれそうなの……?」
「いや、わからん。急にこんなことされたら戸惑うかもしれんし。だから相談してる、今」
「あ、これ、相談だったんだ。テキトーに返してた、ごめん」
いいっていいって、と明治くんが目尻に皺を作った。
明治くんの右肘は、相変わらず私の机にあって、私の手とは違う骨ばった指が気になって仕方ない。その指が私の机の傷を撫でた。
「ホワイトデー、応援してよ」
「え、それは、もちろん」
ずきりとした、意味のわからない胸の音ごと握りしめるように、目の前でぎゅっと二つ、こぶしを作った。
最後に爽やかな笑い顔を残して、明治くんは前を向く。
うん、彼の背中を押せたなら良かった。
そう思いながら、彼が触っていた傷を、そろりと撫でた。机はひんやりと冷たい。
◆
三月十四日、ホワイトデー。
前に座る明治くんは心なしかそわそわしていた。
休み時間になるたびに頬を叩き、席を立ち、また座って。
私の顔を一瞬見ては前を向いた。
まだ、渡せていないんだ。
学生服の背中を見つめていると、喉の奥がつかえたように息がくるしい。なんだか足先も冷たくなってきていた。
もしかしたら、明治くんの緊張がうつっているのかもしれない。
——放課後。
明治くんの机の上には、まだ、茶色の紙袋が居座っている。
「……渡すのってこれ? 何持ってきたの?」
居た堪れずに座席横から声をかけると、明治くんがにかっと歯を見せた。いつもの顔とは違って眉は思いっきり下がっているけど、気づかないふりをする。
「マフィンだよ、チョコの。作ってみたんだ、初めてにしてはよくできたと思うんだけど……」
立っている私は明治くんを見下ろしていた。慣れない目線の高さに心臓の音が早くなる。
落ち込んだ様子の明治くんに少しでも負担をかけないようにと、努めて明るい声を出した。
「え! そーなの!? すごい。初めてでマフィン!? 私もこの前チョコマフィン作って友達に配ったけど、けっこう歪な形になっちゃったなー」
「ああ、手作りって大変なんだなってよーくわかった! 女子ってすごいわ。……これ、せっかく作ったけど、もう放課後だしなぁ。リベンジは……失敗かもな。格好悪ぃ俺!」
教室を見渡すとクラスメイトはもう数人しか残っていない。陽が傾いた窓の外では、雲が紫色になっていた。
明治くんはがしがしと頭を掻いた。絶対に落ち込んでいるはずの彼の目はへらりと笑っている。
そんな明治くんの強がる姿を、私はどうしてか見ていられない。
「そんなことない。初めてマフィン作って、好きな子に渡そうとして、ほんとにすごいって!」
「ん、あんがと。でも意味ねぇよな。リベンジとかって大口叩いといて」
机のど真ん中にポツンと置かれた紙袋が、放課後の明治くんの背中のように寂しそうに見えて、思わず人差し指を指していた。
もったいないなと思ったのもあるし、明治くんの気持ちを無駄にしたくないと思ったのもある。
「…………もし良かったら、それ、もらってもいい? せっかく作ったのに、私じゃイヤかもだけど」
ただ明治くんの手作りマフィンを食べてみたくなった、というのも否定できないけど。
言った瞬間、明治くんはぱっと目を見開いた。
私が映り込むんじゃないかと思うほど大きな目をキラキラさせた。
「よしっ、じゃなくて。森永さん、もらってくれんの? これ」
「うん、私でよければ。……明日、食べた感想も言おうか? 今後の参考になるかもだし」
「感想まで!? 森永さんに食べてもらえるなんて、めちゃくちゃ嬉しい」
「そんな、大袈裟じゃない?」
こめかみを強く掻いていた明治くんと目が合った。
いつになく真剣な眼差しにどきっとして、浮かべた愛想笑いは引っ込んでしまった。
「——森永さんならそう言ってくれると思ってた。はは、俺の作戦勝ち、なんて」
そう言って、明治くんは私の目を離さないまま、親指を立てたのだ。
「え?」
バレンタインのリベンジだって言ってて。
バレンタインには欲しいって言えなかったから今度は欲しいって言わせたいって、言ってて。
道が一本、繋がったようで、頬が一気に熱を帯びる。
髪の隙間から見えた明治くんの耳は、私の頬とたぶん同じで、真っ赤だった。
「えっと、これ、どうもありがとう。その、今度……私もマフィン作ってくるね、リベンジ」
明治くんは破顔した。今度はどう見ても渾身の笑みにしか見えない。
「っしゃー!」
目の前で見せられたガッツポーズは大きくて、教室に残っていた数人がこちらを見る。
視線を感じて、慌てて自席に戻って突っ伏した。
こんな火照って真っ赤な顔、しばらく顔は上げられない。
そろりと動かした指先には、机の傷の感触がして。
指の熱が、増した気がした。
※まだ付き合ってません
お読みいただきありがとうございます!
可愛い確信犯になってたらいいなー!
まだしばらくお友達でいる二人です。笑




