第7話 隠し味のレジスタンス(第一章・完)
ボン!
次の瞬間、霧が立ち込め、
バルコニー一帯をすっぽりと包み込む。
キャロット子爵の姿も見えない。
(……え?)
鼻腔を突き抜けたのは、
甘く、濃厚で、それでいてどこか懐かしい香り。
その香りに触れた瞬間――
理解が追いつくよりも早く、
私の意識は、ぷつりと途切れた。
――――。
――――――――。
次に目を覚ました時、
背中に伝わってきたのは、冷たく湿った石の感触だった。
「……暗い。ここは……?」
かすれた声が喉から漏れる。
その時。
「気がついたかしら、マロン」
凛とした、聞き慣れた声。
顔を上げると、
鉄格子越しのランプの光に照らされて、キタアカリ嬢が立っていた。
その表情は、いつもの冷徹さを保ちながらも、
ほんの少しだけ、柔らいで見えた。
「キタアカリ嬢……?」
視線を巡らせる。
彼女の足元には、
互いに体を寄せ合うようにして眠る 野菜戦士 五彩たちの姿があった。
「……皆さん、無事だったんですね」
「ええ。絶体絶命の瞬間、彼・・・ビーツ博士が“回収”してくれたのよ」
彼女が顎で示した先――
鉄格子の外、地下牢の暗がりに、一人の老人が立っていた。
白衣を纏い、背筋を伸ばしてこちらを見下ろすその姿。
その瞳は、切り刻まれたビーツのように深い赤色をしており、
狂気ではなく、静かな理知の光を宿している。
「ようやくお目覚めかな。戦略的陰キャの勇者殿」
「……ビーツ博士」
私の問いに、老人は小さく口角を上げた。
「いかにも」
彼は手にした鍵束を、静かに鳴らしながら続ける。
「私は、キャロット子爵が目論む“悪魔のレシピ”――
この世界すべてを、劇薬で塗り替え、
支配しようとする野望を阻止するために動いている者だ」
そう言って、博士は白衣の胸元を指し示した。
そこに刻まれていたのは、一つの紋章。
それを見た瞬間、
私の心臓が、はっきりと音を立てて跳ねた。
「……え?」
見間違えるはずがない。
前世で、
私が心から愛し、
夏も冬もコミケで長蛇の列に並んだ――
「……まろん★きらきら同盟」
その名を呟いた瞬間、
夏コミの熱気と、戦利品を抱えたあの日の高揚感が、鮮明に蘇る。
「ほう。我らが地下組織の名を知っているのか」
博士は静かに頷いた。
「ここは、キャロット子爵の劇薬スパイスに抗い、
煮え切らない世界を“正しく煮直す”ためのレジスタンスだ」
そう言って、博士は私に手を差し伸べる。
「マロン。君の血には、悪魔のレシピを中和し、
この世界を“究極の逸品”へと導く力が秘められている」
「我らと共に、この地獄の鍋をひっくり返してはくれないか?」
戦略的陰キャの心得・第十一条。
『推しのサークル名と同じ組織からの勧誘は、
もはや回避不能な運命である』
私は、博士の手を、しっかりと握り返した。
「……いいでしょう。その戦略、乗らせていただきます」
鉄格子の向こう、
暗い地下通路の先に、微かな光が見えた。
男爵家という狭い鍋を飛び出し、
物語の火力は、一気に最大値へと跳ね上がる。
キタアカリ嬢の冷徹な知略。
野菜戦士五彩の、愛らしくも確かな勇気。
そして、前世から続く奇妙な縁。
芋の煮っ転がし――地下組織編。
今、世界の命運を懸けた、
新たな“調理”の幕が上がる。
(……ところで博士。入会特典に、新刊とかはありますか?)




