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第5話 戦略的決別(タクティカル・リジェクト)


窓枠に突き刺さった「牛蒡ごぼう」の矢文を見つめ、私は深呼吸した。

戦略的陰キャの心得・第一条。『パニックはリソースの無駄遣いである』。


「献血の続き……。あの時、私から血を抜いたのは看護師さんだけ。

だとしたら、あれは比喩か、それとも――」


私はキタアカリ嬢の助言通り、扉にパラパラと塩を撒いた。

盛り塩ではない。浸透圧で敵の戦意を削ぐためだ(気分的に)。


そして護身用の「割り箸」を二刀流で構え、月明かりが差し込むバルコニーへと足を踏み出した。

「……随分と物騒な獲物だね。割り箸で僕を美味しくいただくつもりかい?」


手すりに腰掛けていたのは、やはりキャロット子爵だった。

昼間の社交界よりもさらに彩度を増したような、鮮やかなオレンジ色の瞳が闇に光っている。


「子爵様。夜這いにしては、矢文のチョイスが食物繊維に寄りすぎていますわ」

「ははは! 確かに。でも、君にはこれが一番効くと思ってね」


彼は音もなく床に降り立ち、私との距離を詰める。


「山田ゆり。……いや、今はマロン姫だったかな」


心臓が跳ねた。


名前。 この世界で誰も知らないはずの、私の本名。

「……なぜ、それを」


「君がバスに飛び込んだあの夏の日。

僕もすぐ隣のベッドにいたんだよ。もっとも、

僕は抜く側じゃなくて、君たちの『善意』を管理する側にいたけれど」


キャロット子爵の姿が、一瞬、あの夏コミの会場にいた「バンダナの男」と重なった。


「あの宗教勧誘は、ただのサンプリングだったわけですか」


「失礼な。僕たちは純粋に世界を救いたいだけさ。

この『煮え切らない世界』に、本物のスパイスを加えるためにね」


彼は懐から、銀色に光る小さなアンプルを取り出した。

中には、ドロリとした黄金色の液体が揺れている。


「この世界――『芋の煮っ転がし』は、閉じた鍋だ。

同じ出汁の中で、同じような芋たちが延々と煮込まれ、溶けて消えていく。

だが、君のような『外からの不純物(異分子)』が

混ざることで、味は劇的に進化する。そしてこの世界を救えるのさ。」


彼はアンプルを差し出し、妖しく微笑んだ。


「君の血には、前世で積み上げた『オタク的執着』と『献血の徳』が凝縮されている。

それをこのアンプルに少し分けてくれないか?

お礼に、君をこの泥臭い男爵家から連れ出してあげよう。

人参のグラッセが輝く、もっと華やかなメインディッシュの世界へ」


それは典型的で甘美なる悪魔の契約だった。


戦略的陰キャのセンサーが、最大音量でアラートを鳴らしている。

「お断りします」


「……おや、即答だね。この生活に満足しているのかい?」


「満足はしていません。ですが、私は『戦略的陰キャ』です。

他人の用意したメインディッシュに乗るなんて、

リスク管理ができていない素人のすること。それに――」

私は二刀流の割り箸を、ぴしりと子爵に向けた。


「人参は、単体だと子供の嫌いな食べ物ランキングの常連です。

芋の包容力があってこそ、煮っ転がしは成立する。

私はこの泥臭い鍋の中で、最強の『隠し味』として居座ることに決めました」


子爵の目が、驚きに細められる。

その直後、背後の暗闇からパチパチと乾いた拍手が聞こえた。


「合格よ。……少し、出汁が効きすぎているくらいだわ」


現れたのは、キタアカリ嬢だった。 彼女の手には、なぜか巨大な「お玉」が握られている。


そして、その足元には――

「ふぇぇ……」「えいえいおー!」「ぴゃっ……」 そんな声と共に、

ちいかわのような丸い瞳と短い手足を持つ、愛らしい姿のミニチュア戦士たちが現れた。


赤いトマトのヘルメットを被った『隊長トマト』。

緑のブロッコリーを武器にする『戦士ブロッコリー』。

紫のナス型アーマーを纏った『騎士ナス』。

黄色いパプリカの盾を持つ『盾パプリカ』。

そして、小さな白いカブの剣を携えた『剣士カブ』。


彼ら『野菜戦士5ごさい』は、

キタアカリ嬢を取り囲むように整列すると、子爵に向かって小さな拳を突き出した。


「マロン姫は、僕たちがお守りします!」

可愛さからは想像もできない、凛々しい声。


キャロット子爵は、面白そうに目を細めた。


「ほう。キタアカリがそんな可愛いおもちゃまで持ち歩いていたとはね。

だが、その程度の甘い守りでは、僕の『真のレシピ』は変えられないよ」


夜のバルコニーは、一瞬にして甘さと辛さが混じり合う、危険な戦場へと変貌した。


「……やっぱり、君は最高の素材だ」

子爵のその声には、もう笑みはなかった。

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