第四話「魔法訓練」
ラクアの魔法訓練が本格的に始まった。
魔法を実践的に使う前に、メリダはラクアにいくつかの基礎知識を追加で教えた。
1. 魔法は「魔源子」という物質を消費して発動する
魔源子とは、人の体内を流れている生命エネルギーのようなもので、目には見えない。
多くの人はほぼ同じ量の魔源子を生まれながらに持っており、魔法使いの優劣は“どれほど効率よく魔源子を扱えるか”という点にある。
しかし、ごく稀に魔源子を異常に多く持つ者や、逆に少なく持つ者も生まれてくる。
魔源子は魔法の燃料である前に“生命エネルギー”でもあるため、使えば使うほど体力が奪われていく。
完全に枯渇してしまえば死に至る。
2.「魔法」と「魔術」は似ているが、まったく別物
魔術とは、魔法を“応用”して形を変えた技のことを指す。
たとえば、魔法で生み出した風を刃のように圧縮して斬撃に変える、炎を固めて壁にする。
そういった技が魔術である。
こうした応用技を主軸として戦う者は「魔術師」と呼ばれる。
ラクアは、魔法使い=基本を扱う一般人、魔術師=魔法を応用できる専門家、といったイメージで覚えた。
しかし、人々のあいだでは、この区別がしばしば誤って理解されている。
その原因となっているのが、基礎魔法であるにも関わらず“魔術”の名を冠している「六大魔術」の存在である。
3. 六大魔術は“魔術”ではなく、放出系魔法の基礎である
名前に“魔術”とついているが、六大魔術は本来、魔法の応用ではない。
放出系魔法の基盤を成す六つの基本術式であり、これをすべて習得すれば、一般的な放出系魔法は一通り扱えるようになる。
六大魔術は、その名の通り以下の六つで構成される。
•炎魔術
•水魔術
•雷魔術
•風魔術
•草魔術
•岩魔術
この六つは「放出系の基礎魔法」であり、「応用である魔術」とは別の存在である。
名前の紛らわしさから、多くの人が“魔法=魔術”のように誤解してしまうのだ。
メリダによる補足説明が終わり、ラクアはいよいよ魔法を使う工程に移った。
「魔源子を扱うには、はっきりとしたイメージを持つことが大事なの。心臓を中心に、腕、手先へと順番に意識を集中させてみて」
言われたとおりにラクアは手を伸ばし、自分の神経を手の先へ向けて集中させた。
すると、前世では感じたことのない不思議な感覚が身体を巡った。
意識を移動させるたびに、その感覚も腕から手先へと沿うように流れていく。
「まずは作用系。浮遊魔法を試してみましょう。呪文は“リフラクト”。この石に狙いを定めて、詠唱してみて」
そう言うとメリダは手のひらの石をぽとりと落とし、ラクアと少し距離を取った。
ジークはさらに離れた位置から、にこにこと二人を見守っている。
ーー出来る気がする。この体は、生前の何倍も優秀だ。
期待を胸に、ラクアは石に手を向け、声を張った。
「『浮遊』!」
石がわずかに震えた。
ーーいける!
ラクアはさらに魔源子を手先に集中させた。
しかし、石は浮かび上がることなく、そこでぴたりと動きを止めた。
ラクアはその瞬間、理解した。
失敗したのだ。
ラクアは一度で成功できると信じていた。それだけに、胸に落ちてきた落胆は大きかった。
唖然としていると、いつのまにかメリダとジークが側に来ていた。
ラクアが言葉を探すより早く、ジークが優しく声をかける。
「魔法にも向き不向きはあるさ。作用系は、これからゆっくり練習していけばいい。」
「じゃあ次は放出系ね。風魔術を使ってみましょう。
さっきと同じように魔源子を集中させて。呪文は“ウィンディアード”よ」
ラクアはもう一度気持ちを整え、手を前に向ける。
今度は焦らず、魔源子をじっくりと手先に集めていく。
先ほどよりも強く、はっきりと詠唱する。
「『強風』!!」
唱えた瞬間、さきほどとは明確に違う感覚が体を走った。
手の中から力が吸い取られていくような、不思議で不安定な感覚。
ラクアは驚きながらも、その流れに身をまかせた。
次の瞬間、ラクアの手のひらからそよ風が吹いた。
ほんのわずかな風、それだけだった。
だがラクアの胸は一気に高鳴った。
地球から転生した男は今、確かに魔法を使うことに成功したのだ。
突然、ラクアの体が持ち上げられた。
ラクアは驚いて振り向くと、メリダが興奮した様子でラクアを抱き上げていた。
「すごいわラクア!今のは一段階威力の低い“ウィンディア”だったけど、それでもこの年齢で魔法を放つなんて!本当に信じられない!!」
「放出系の才能があるのかもしれないな。繰り返し練習すれば、威力も上がっていくだろう。ここからはお前次第だ」
ジークは期待を滲ませた眼差しでラクアを諭すように言った。
ラクア自身も胸を高鳴らせていた。これから技を磨き、どんどん成長していける――そう確信していた。
だが、その思いは練習を重ねるごとに無情にも砕かれていった。
ラクアは何十回と風魔術を試したが、一向に改善の兆しが見られなかった。
昼、三人で持ってきた弁当を広げて休憩したあと、メリダが手本として木々を大きく揺らすほどの強風を起こしてみせた。
ラクアはそのイメージを必死に頭へ焼き付け、再び練習に取りかかったが、どうしても手のひらから生まれるのはあの“心地よい微風”だけだった。
そして日が傾き、森の影が伸び始めるころには、微風すらも出なくなってしまった。
息が切れ、凄まじい疲労感がラクアを襲った。
ふらつくラクアに、メリダはそっと声をかける。
「魔源子不足ね。……よく頑張ったわ。本当にお疲れさま。今日はもう帰りましょう」
ちょうどそのとき、夕暮れの草原を、二頭の馬が引く馬車がゆっくりと近づいてきた。
手綱を握る緑のローブを着た男が片方の馬に跨り、もう片方の馬にはジークが並ぶように乗っている。
ラクアはこの世界について勉強していた頃、この国には地球でいうタクシーのように街道を走り、乗客を乗せる馬車の制度があると学んでいた。
そのことを、今になって思い出した。
「近くで馬車を捕まえたんだ。帰りはこれでゆっくり帰ろう」
ジークがそう説明しているあいだに、操縦士のローブ姿の男が馬車の後部扉を手慣れた様子で開錠した。
ラクアとメリダはその中へ乗り込む。
やがて馬車は揺れながら動き出し、一行はゆったりと草原を進んでいった。
馬車に揺られながら、ラクアは一言も話すことなく、ただ外を眺め続けた。
その様子を隣から見ていたメリダは、そっとラクアを抱き寄せ、優しく頭を撫でる。
「あなたは魔法を使い始めてまだ初日なのよ。思い通りにいかなくて当然だわ」
その言葉を聞いても、ラクアの気分が晴れることはなかった。
両親の期待を裏切ってしまったと、罪悪感と自己嫌悪が胸を重くする。
「来週もまた三人でここに来ましょう!」
その言葉に、ラクアはわずかに高揚した。
「本当に?」
「約束よ。きっと今日よりもうまくいくわ!」
メリダはそう言って、ラクアの額に軽く口づけた。
ラクアは照れ臭さと同時に、胸のわだかまりが少しほどけていくのを感じた。
それから一週間。
ラクアは家でじっとしていることができず、訓練初日の悔しさを燃料に、毎朝の走り込みや筋力トレーニングで基礎体力を鍛え上げていった。
それ以外の時間は、すべて魔法の座学に費やした。
ジークに頼み込み、魔法の指南書を何冊も買ってもらい、日が暮れるまで貪るように読み続けた。
そんな生活を続けて六日目の朝。
いつもと何ひとつ変わらないはずの時間に、異変は突然訪れた。
メリダが倒れた。
そのことに気づいたのは、ラクアが日課のランニングから帰宅したときだった。
玄関の不自然な静けさに胸騒ぎを覚えながら、ラクアは手を洗おうと洗面所へ向かう。
そして扉を開けた瞬間、言葉を失った。
メリダが苦悶の表情を浮かべ、床に横たわっていた。
「母さん!!」
ラクアは駆け寄り、首元に指を当てて脈を確かめる。
ーー大丈夫……まだ生きてる。
すぐにメリダを仰向けにし、片手で額を押さえ、もう一方の手で顎先を持ち上げた。
気道を確保し、呼吸を確認したあと、ラクアは震える手で空郵便を二通、走り書きした。
一通は病院へ。
もう一通は、ジークへ。
封筒が宙へ飛び立つのを見届けてから、ラクアは再びメリダの傍に戻った。
数分後、静まり返った家に、呼び鈴の音が鋭く鳴り響いた。
ラクアが扉を開けると、白衣を着た男が一人と、看護衣姿の女が四人。五人は皆、緊迫した面持ちで立っていた。
彼らが医師と看護師であることを確認すると、ラクアはすぐに家へ招き入れた。
適切に処置されたメリダの姿を見て、医師たちは一瞬驚いたようだったが、すぐに表情を引き締め、手慣れた様子で処置と搬送の準備に取りかかる。
作業は迅速で、ものの数分で支度は整った。
そうしてメリダは、そのまま病院へと搬送された。
ラクアも後を追おうとしたが、その足は一通の返書によって止められた。
ジークからの空郵便だった。
―――――――――――――――――――――――
ラクアへ
まずは、迅速な対処をありがとう。
お前がいてくれたおかげで、父さんもなんとか冷静でいられている。
父さんはこのまま病院へ向かうが、お前には家を任せたい。
ただ、お前も一人では心細いだろう。
だから、母さんの次に父さんが最も信頼している人に連絡を取った。
もうすぐそちらへ訪ねて来るはずだ。その人を頼るといい。
母さんのことは任せてくれ。
ジーク・シャーデット
―――――――――――――――――――――――
ジークの言葉どおり、メリダが搬送されてから数十分後、再び呼び鈴が鳴った。
ラクアはわずかに警戒しながらも、ジークを信じて扉を開ける。
そこに立っていたのは、ジークとそう変わらない年頃に見える男だった。
口元には無精髭が生え、茶色の長い髪を後ろで一つに束ねている。
無造作に分けられた前髪の隙間からのぞく眼光は鋭く、穏やかな印象のジークとは対照的に、どこか人を圧するような雰囲気を漂わせていた。
男はラクアを見るなり、低い声を響かせた。
「お前が、ジークのガキか」
親以外の大人に話しかけられることがほとんどないラクアは、緊張しながらも口を開く。
「初めまして。ラクア・シャーデットと申します。父とは、どういうご関係で――」
「ガキなんだから、敬語なんて使わなくていい」
言葉を遮るように、男は仏頂面のままぶっきらぼうに言った。
「俺の名はファウロ・グローバー。
お前の親父とは腐れ縁でな……まあ、仲良くしようや」
そう言うと、ファウロは腰に下げていた剣を椅子に立てかけ、そのままどっかと腰を下ろした。
「……剣士なんですか?」
「だから敬語はやめろっての」
ファウロは眉をひそめて言った
「剣はガキの頃からずっと振ってきた。中途半端にかじった程度のやつには負けねぇよ。本物の天才には、さすがに敵わねぇがな」
その後、ぎこちない空気が流れ続けること、一時間。
ようやく、ジークからの空郵便が届いた。
内容は、"今日中には、二人とも戻れる"というものだった。
ラクアは心底、安堵した。
メリダの容体が気がかりだったのはもちろんだが、それだけではない。
正直に言えば、ラクアはファウロと絶望的に馬が合わなかったのだ。
会話は弾まず、執拗に敬語を嫌うファウロの態度に、ラクアは終始気を遣い続けていた。
居心地の悪さは、時間が経つほどに募るばかりだった。
しかしそれ以上に、ファウロが人として優秀であることは明白だった。
メリダがやり残した家事を手際よく片付け、昼頃には氷室の食糧を断りもなく使い、ナポリタンまで作ってしまったのだ。
その味は、ラクアが前世で食べていた冷凍食品の何百倍も美味かった。
そんなファウロの背中を見て、ラクアはジークの人選に深く納得するのだった。
日が沈み、二人で静かに洗濯物を畳んでいた頃。
ようやく玄関の呼び鈴が鳴った。
扉を開けると、そこにはいつものように頼りなさげな笑みを浮かべるジークと、少し顔色は悪いものの、今朝倒れていたとは思えないほど元気そうなメリダが立っていた。
メリダはラクアの姿を認めると、すぐさま駆け寄り、強く抱きしめる。
「ごめんなさい、ラクア……心配かけたわよね」
「問題なかったよ。それより、大丈夫なの?」
「見ての通りよ。ただの低血圧だったけど、あなたがいなかったらどうなっていたことか……」
そう言って一息つくと、メリダはジークに目配せをし、ぱっと表情を明るくした。
「でもそんなことより、あなたに言いたいことがあるの」
嬉しそうに、そして少し誇らしげに告げる。
「あなたに、兄弟ができるわよ!」
一瞬、ラクアの思考が止まった。
次の瞬間、遅れて喜びが胸いっぱいに広がる。
「本当に!? 弟? 妹?」
「まだそこまではわからないが、最新の医療に頼めば、四ヶ月後には生まれるそうだ」
――嘘だろ? そんなに早いのかよ!!
地球とは桁違いのスピードに、ラクアは内心で盛大に驚いていた。
「よお、バカ夫婦」
言葉を失っていると、背後から間の抜けた声が飛んでくる。
振り返ると、そこには先ほどまでよりもずっと柔和な表情をしたファウロが立っていた。
「助かったよ、ファウロ。急に呼び出してすまなかった」
「まったくだ。久しぶりに連絡を寄こしたかと思えば、ガキの子守りとはな」
その後もしばらく楽しげに会話を続けていた二人だったが、メリダの一声で全員が家の中へ入り、食卓についた。
テーブルの上には、ファウロが用意した豪勢な料理がずらりと並んでいる。
やがて、賑やかな夕食が始まった。
酒も入り、さらに饒舌になった成人男性二人の会話は、先ほどよりも数段盛り上がっていく。
話題は最初こそ、これからの予定や仕事の話といった無難なものだった。
しかし酔いが回るにつれ、メリダが美しすぎるだの、お前のガキは敬語が達者すぎて気味が悪いだのと、ラクアには聞いていて居心地の悪い内容へと変わっていった。
メリダは終始楽しそうにその様子を眺めていたが、
ファウロがラクアのことを「気味が悪い」と評した瞬間だけは違った。
頬をぷくりと膨らませ、思いきりファウロの耳を引っ張ったのだった。
そこでラクアは、ファウロという男が、両親のどちらとも腹を割って話せる存在なのだと知った。
テーブルに並んでいた皿がすべて綺麗になった頃、ファウロはすっかり酔いつぶれて眠ってしまっていた。
メリダはジークに覚醒魔法を使って酔いを醒まさせると、「私は先に休むわね」と言い残し、ひと足先に寝室へと姿を消した。
ラクアはジークと共に食卓を一通り片付け、その後、居間のソファに腰掛けて日課の指南書を読み始めた。
しばらくして、ファウロを客間へ運び終えたジークが、ラクアの隣に座る。
「一つ、お前に言っておかなければならないことがある」
その声に、ラクアは静かに指南書を閉じた。
「何?」
「母さんは元気になったとはいえ、お腹の子のためにも、生まれるまでは極力、体力を使いすぎさせないようにしたいと思っている」
そこまで聞いて、ラクアにも次に続く言葉が予想できた。
「悪いが、しばらくは魔法の訓練に付き合ってやることはできない。生まれるまではファウロが家のことを手伝ってくれるが、俺も仕事がある」
予想通りの言葉だった。
だが、メリダが子を身ごもったと聞いた時から、ラクアの中ではすでに覚悟ができていた。
「ただな」
ジークは一拍置いて、続ける。
「今回のお前の行動を見て、俺はもう、お前を“ただの三歳児”として扱う必要はないと判断した」
その言葉に、ラクアの胸がわずかに高鳴る。
「だから、一人で平原へ行き、訓練することを許可しようと思う」
それは、ラクアにとって願ってもない言葉だった。
ついに、自分一人で外を歩くことを許されたのだ。
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それからラクアは、毎日一人で平原へ向かい、指南書を頼りに魔法の練習に打ち込んだ。
道中、人々の冷たい視線に晒されるのは、正直なところ少し堪えた。
だが、それさえ目をつぶれば、充実した日々だったと言える。
しかし、それも長くは続かなかった。
何日が経っても、ラクアは自分の魔法に、成長を感じることができなかったのだ。
浮遊魔法は、石を地面の上で滑らせることこそできるようになったものの、何度挑んでも宙に浮かび上がることはなかった。
風魔術に至っては、まるで進歩が見られず、手のひらから生まれるのは、相変わらず頼りない微風だけだった。
そしてラクアは、その風を何度も憎々しげに見つめた。
それでも、ラクアが訓練をやめることはなかった。
何度も、何度も、同じ失敗を繰り返した。
ラクアは、自分に期待していたわけではない。
どれほど練習しても、胸の奥から湧き上がってくるのは自己嫌悪ばかりで、悔しいという感情は湧いてこなかった。
自分にはできない。
そう思い始めてさえいた。
それでも、練習をやめる日は一日たりともなかった。
メリダが腹の子の小さな動きを、嬉しそうに語ってきた時も。
ファウロの作る温かい食事を黙々と口に運んでいる時も。
ジークが「いつかは出来るさ」と、不器用に励ましてきた時も。
ラクアの頭の中にあるのは、いつも魔法のことだけだった。
雨が降り、体の芯まで冷える日でも。
冷たい風が吹きつけ、視界を奪われるような中でも。
ラクアは、ただひたすらに、訓練を続けた。
何度も。
何度も。
何度も――。




