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フォーネウス・ローグ ―その復讐は、贖罪たり得るか―  作者: 愛沢 諒
第零章 心火篇

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第十四話「夢喰」

 商店街の手前でリーファと別れたラクアは、夕暮れの中を早足で進んでいた。


――思ったより遅くなってしまったな……

早くどこかでメリダに贈る花を買わないと


 周囲を見渡しながら歩いていると、ポツポツと雨が降り出した。

ラクアはメリダから渡された傘を差し、商店街を進んでいると、一軒の店が目に留まった。


 そこは小さな花屋だった。

アンティークな雰囲気の店構えで、ショーウィンドウの奥には見事な花束がいくつも並んでいる。


 ラクアは無意識に足を止めた。

扉の取っ手へ手を伸ばし、扉を押して中へ入った。


 店内はやや薄暗く、並べられた無数の植木鉢にそれぞれ異なる花が咲いており、その色だけがかろうじて空間に彩りを与えていた。


 視線を店内のあちこちへ巡らせていると、ラクアは不意に誰かの視線を感じた。

振り返ると、カウンターの向こうに一人の人影が立っていた。


 長い群青色のローブをまとったその人物は、フードを深く被っており、目元は見えなかった。

だが、フードからこぼれる白髪と、深い皺の刻まれた口元、鷲鼻に青白い肌が、その人物がかなりの高齢であることを物語っている。


「こんな時間に客とは、珍しいな」


 しゃがれた声が店内に響いた。


 ローブを着た店主はフードをわずかに持ち上げ、片目だけを覗かせる。


 その瞬間、ラクアの背筋に寒気が走った。


 ラクアを見つめるその瞳孔は大きく開いている。

まるで、頭の内側まで見透かされているような感覚だった。


 沈黙に耐えきれなくなり、ラクアが先に口を開いた。


「こんにちは。ラクア・シャーデットと申します。

母への贈り物に花を買いに来たのですが……」


 店主は口を閉ざし、ラクアの言葉が聞こえていないかのように、ただ黙って見つめ続けている。


「そうか……お前が……」


 店主が、呟くように言葉を落とした。


 ラクアはその言葉に少し驚いた。


――どうやらカルケルの英雄って肩書きは、伊達じゃないらしいな。

こんな隣町にも、俺の事を知っている人がいるとは…


 店主はラクアを真っ直ぐ見据え、食い入る様に見つめ続ける。


「まさか今日という日に出会うとは……

こんな日には、特別な代物が相応しい」


 店主は踵を返すと、背後に置かれていた木箱を開け、何かを探り始める。


 その間、店内には静かな時間が流れ、窓を叩く雨音だけがラクアの耳に入っていた。


 やがて店主は何かを取り出し、振り返ってカウンターにそれを置いた。


 青い花の花束だった。


 厚みのある花びらが柔らかく広がり、どこか冷たい美しさを湛えている。


「カーネーションだ。お前もよく知っているだろう。母親への贈り物にはうってつけだ」


 ラクアはその花が放つ異彩な美しさに魅せられ、気づけば、手はその花束を受け取っていた。


 支払いを済ませ、ラクアは扉へと向かう。

扉の取っ手を握ろうとしたその時、ラクアの耳にしゃがれた声が届いた。


「また会える日を楽しみにしているぞ。黒い子犬よ」


 ラクアはその言葉におもわず振り返り、首を傾げながらも、扉を引いて店を後にした。

背後では、老人の視線だけが静かにラクアの背を追っていた。



---



 カルケルへ戻ったラクアは、雨に打たれながら自宅へと歩みを進めていた。

傘を差し、空いた手にはカーネーションの入った袋を握っている。


――帰ったら、俺の部屋でロインとルージュに折り紙を教えてやろう。悪戯好きの二人がいると、パーティの準備が終わらなさそうだ。


 ラクアは一人、くすりと笑った。

 ふと袋の中を覗き込む。


 カーネーションの花弁には、袋の隙間から入り込んだ雨粒が滴り、かすかな光を受けてきらめいていた。


――喜んでくれるといいな……


 雨で霞む視界の中でも、ラクアは足を止めずに歩き続けた。

 やがて、自宅の前に辿り着いた。


 ラクアはいつものように扉を叩く。

しかし、返事はなかった。

しばらく待っても、家の中から足音は聞こえてこない。


 その時、ラクアは扉にはめ込まれたすりガラスが、暗く沈んだ色をしていることに気がついた。


――電気がついてないのか? どうして……


 いつもなら外まで聞こえるほど賑やかな家の中が、不気味なほど、静まり返っている。

 

 その異様さに、ラクアは小さな違和感を覚えた。


――なにかおかしい……


 反射的に、ラクアは扉を強く引いた。

 扉はほとんど抵抗もなく開いた。鍵が掛かっていなかったのだ。


 玄関の先には、薄暗い廊下がまっすぐ続いている。


「誰もいないのか?」


 ラクアの声は静かな空気に吸い込まれ、返事は返ってこなかった。


 冷たい床を踏みしめながら廊下を進み、ラクアは居間の扉に手を掛ける。


 そして、そのまま躊躇なく開いた。 

 

 扉から数歩先の床に、ジークがうつ伏せに倒れていた。

首から血を流し、右手を固く握りしめたまま、左手を部屋の中央へと伸ばしている。


――え?


 ラクアは言葉を失った。


 手から袋が滑り落ちる。

中の植木鉢が床に落ち、乾いた音を立てて砕けた。

だがラクアはその音にさえ反応できず、目の前の光景にただ目を見開いた。


 ラクアは、ジークの手の先に視線を向けた。


 そこには、部屋の奥の壁にもたれるようにして、メリダが倒れていた。

腹部から流れた血が床を赤く染めている。

虚ろな青い瞳は、もうどこも見ていなかった。


 ラクアは震える足でメリダに駆け寄り、首筋に触れた。

氷のように冷たい。


 ラクアは膝から崩れ落ちた。


 まるで、この世から音が消えてしまったかのようだった。


 その沈黙はほんの一瞬だったはずなのに、ラクアには永遠のように感じられた。


「………………なんで?」


 やっとのことでラクアの口から絞り出された言葉は、怒りでも悲しみでもなく、ただ困惑だった。


 残りの家族のことさえ頭に浮かばず、ラクアは目の前の現実を理解できないまま、その場から動けずにいた。


 やがて、遅れて理解が追いつく。


 自分はまた、守るべきものを失ってしまったのだと。


「あ゛あ ぁ っ……」


 ラクアの喉の奥から、嗚咽とも苦痛ともつかない声が押し出された。


 一筋の涙が頬を伝う。

そこからもう一筋、また一筋とこぼれ落ち、やがて堰を切ったように溢れ出した。


「何が……っ、一生守るだよ!!

なんにも……守れてねぇじゃねえかよ!!」

 

 ラクアは叫ぶように、唸るように泣いた。


 この世界に来てから、これほど大きな声を出したことは一度もなかった。


 ラクアは涙を流しながら、頭の中で自分自身を責め続けた。


――俺は守れなかった……俺のせいで死んだんだ………


 どれほどの時間が経ったのか、ラクアには分からなかった。


 涙が枯れ果てる頃には、ラクアは冷たい床に横たわり、涙の跡を残した無表情のまま動かなくなっていた。


 ラクアは不意に、視界の中にいたジークの手に、何か小さなものが握られていることに気がついた。


 何も考えずに近づき、ラクアはその手を開こうとする。

しかし、死後硬直が始まっていたジークの手は、簡単には開かなかった。


 それでも無理やりこじ開け、ラクアは中のものを引き抜いた。


 それは青い宝石のような、丸く、薄い物体だった。


――これ……何処かで…………


 その後、ラクアの通報によって、防衛員が駆けつけ、ラクアはそのまま防衛省に保護された。


 リーア、ロイン、ルージュと思われる遺体が、それぞれ別の場所で発見されたという知らせがラクアのもとに届いたのは、それから半日後のことだった。  



---



 ラクアが家族を失ってから一週間後、カルケルの教会で、亡くなった五人を弔う葬式が行われた。


 ラクアは式の間、一貫して無表情で俯いていた。

メリダとよく出かけていた近所の婦人や、商店街で声をかけてくれた店主たち、リーアの友人たちなど、顔見知りの人々が悔やみの言葉をかけても、ラクアは深々と頭を下げるだけで受け流した。


 だが唯一、ファウロが現れた時だけは顔を上げた。

ファウロは普段の厳格な表情ではなく、涙で目を腫らし、やつれた顔でラクアに歩み寄る。


「お前たちと一緒に過ごした時間は、本当に幸せだった。あの瞬間だけは、自分の生きる意味が少し分かるような気がしたんだ……」


 ファウロはそう言うとラクアを抱き寄せ、啜り泣きながら続けた。


「ジークが言っていたんだ。もし自分に何かあったら、子供たちを頼むと。

お前さえ良ければ、俺と一緒に暮らさないか」


 ラクアはその言葉に、また涙が溢れそうになった。


 ファウロと共に暮らすというわずかな安心感と、もう元の生活には戻れないという喪失感が、ラクアの胸を締め付ける。


「ありがとう、ファウロ」


 そういうと少し離れ、深々と頭を下げた。


「よろしくお願いします」


 その姿を見て、ファウロは初めてラクアに笑みをむけた。



 葬式が終わると、ラクアは順番に家族の棺を運んだ。


 リーアの遺体は損壊が激しく、顔を確認することはできなかった。

そのため、五人すべてを閉じた棺で弔うことにした。


 それにより自分の家族の遺体を運んでいるという実感は薄く、棺の重さと冷たさだけがラクアの体にのしかかった。


 片付けを終えたラクアは、外の空気を吸うために葬式の場を後にした。


 外に出ると、近くのベンチに見慣れた赤髪が目に入った。


 ベンチに腰掛けていたリーファは、ラクアと目が合うなり目を細め、わずかに表情を曇らせた。


 ラクアはそのままリーファのもとへ歩み寄り、隣に腰を下ろす。


「……いらしていたんですか」


 ラクアは力の抜けた声で問いかけた。


「ああ」


「その割には見かけませんでしたが」


「人混みが苦手でな。端の方で参列させてもらっていた」


 リーファは一呼吸置き、静かに口を開いた。


「お前のことだ、家族を失ったことに強い責任を感じているのだろう。だが、人が人を救えるのは、他者の危機の前に立ち塞がることができる時だけだ。

お前が責任を負う必要はない」


 ラクアは俯いたまま口を開いた。


「そうですね……でも先生が、世間が俺を許そうと、俺は俺を許すことができないんですよ」


 その言葉を最後に、二人の間に沈黙が落ちた。

心地よい風が養生された芝生を揺らし、ざわりと音を立てる。


「一つ、先生にお願いがあるんです」


 沈黙を破り、ラクアはリーファの方へ向き直った。


「出会った頃を思い出すな……何だ、言ってみろ」


「俺への指導を、これまで以上に過酷なものに変更してもらえませんか?」


 リーファは一瞬目を見開いたが、すぐにいつもの無表情へと戻る。


「具体的には?」


「先生が持っている力の中で、俺でも再現可能なものをすべて教えていただきたいんです。

もちろん、剣術も例外ではありません」


 今度こそリーファは表情を崩し、驚きを露わにした。


「しかし、お前に剣術は――」


「もうそんなこと、言っていられないんですよ。

俺が壊れるなら、それでも構いません」


 リーファの言葉を遮り、ラクアは淡々と言った。

そんなラクアに、リーファは怪訝そうな視線を向ける。


「どういう心境の変化だ……ラクア」


「たとえ自分を壊してでも、やらなきゃいけないことができたんですよ……」


 ラクアの瞳は、吸い込まれるような威圧感を放っていた。



---



 防衛省の保護施設に戻ったラクアは、与えられた小さな部屋で、羊皮紙に事件についての考えを書きまとめていた。


 部屋にはベッドや机などが備え付けられており、一見すると普通の子供部屋のように見える。


 この事件が何者かによる殺人であることは、現場を目にしたラクアには明白だった。


 そしてラクアはもう一つ、防衛員と自分しか知り得ない情報を掴んでいた。


――今ならわかる。

あの青い物体は、王龍庁の人間が着るローブに付けられているボタンだ。もしジークが抵抗した際に奪ったのだとすれば……俺の家族を襲ったのは、王龍庁の人間で間違いない


 だが、その結論にはいくつかの疑念が残った。


――証拠は残したくないはずだ。

ボタンを取られたことに気づかないなんてあり得るのか?

それに、別の犯人が王龍庁に罪を着せるために残した可能性もあるんじゃないか?


 ラクアは思考を巡らせ、考えを整理する。


――いや、王龍庁の備品を部外者がそう簡単に手に入れられるとは思えない。それに、防衛省が証拠を押さえた今も犯人が見つかっていない以上、政府の息がかかっていると考えるのが自然だ


 そして、もう一つの疑問が浮かぶ。


――なぜ俺は生かされたんだ?王龍庁はこの大陸の統治者だ。戸籍で俺の存在を知らないはずがない……


 しばらく考え込んだ後、ラクアは深く息を吐いた。


――駄目だ、情報が少なすぎる


 ラクアは立ち上がり、窓を開け放つ。

外はすでに暗く、空にはただ一つの星が弱々しく輝いていた。


――だが、これから生涯をかけて一つずつ紐解いていけば、必ず答えに辿り着けるはずだ


 ラクアは空に手を伸ばし、星を掴むように手を握る。


――俺は家族を救えなかった。救う力はあった。

それでも、俺は俺に愛を向けてくれた人たちを守ることができなかった。

俺は……家族を殺したんだ


 ラクアは握った手を開き、その手のひらを見つめた。


――俺がこれからすることは、自分自身を許すための贖罪だ。

これから俺の人生は、苦悩に満ち、救いようのない、幸せとはかけ離れた物になるだろう。

それでも、家族を殺した奴を見つけ出し、仇を討つまで――僕は復讐の道を進み続ける


 ラクアの胸の中で、どす黒い炎が燃え上がった瞬間だった。

第零章 心火篇 ―終―

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