ハシュはふたたび皇宮へと向かいます
ハシュは「決断の長」である十月騎士団団長、海軍騎士の七月騎士団団長、その両名より一筆したためていただいた手紙と、昨日、少年兵を育成する十二月騎士団団長、その教育現場の長である学長、この両名にもしたためていただいた手紙を胸に抱き、思う。
――ああ、ついに動き出すんだ……。
いま、緊張に高鳴る鼓動は何の種類に似ているだろう?
一連に関する不安や高揚。
それもあるだろうけど、もっとも似ているのは、新人文官の伝書鳩として研修を終えてはじめてひとりで上官から書類を預かり、それを国府の五月騎士団に届けに行ったときの……はじめてひとりで仕事をするんだ、その純粋な緊張感に近いかもしれない。
はじめての任務は緊張しすぎて、騎馬を全力疾走させて移動するなんて無茶もしなかったし、訪ねる庁舎に足を一歩踏み入れるにしても全身でドキドキしていた。
たった三ヵ月前の自分を思い出すだけで、ハシュは当時の自分が可愛らしくて仕方ない。
――それからすぐに、仕事や上官に不満を覚えるほど慣れたけど……。
こういうのを擦れてきたとでも言うのだろうけど、誰かに何かを渡す、この感覚を忘れてはいけない。
ハシュはそうやって仕事慣れしてきた感覚に、すこしだけ姿勢を正す。
「――でも、思えばちょうど昨日のこの時間だよね。いきなり皇宮に行って、書類をもらってこいなんて言われたのは」
本来であれば、昨日のハシュは五月騎士団の内務府に向かうだけの用で済んだというのに、出かける「ついで」に皇宮の四月騎士団まで足を延ばしてこいと上官のひとりに言われてしまい――。
尋ねるにしても作法もしきたりも知らないし、ひょっとすると新人文官では経験が浅すぎると言われたり、皇宮の御用門の衛兵たちに冷たくされたらどうしようとか、だいたい四月騎士団の庁舎など場所もわからないというのに……そんなドキドキをいっぱいに抱えて、ハシュは皇宮に向かう道を歩いていた。
そして――。
ハシュはとんでもない七三黒縁眼鏡鬼畜から、とんでもない依頼……もとい、命令を受けて、二度と関わりたくないと何度も叫んだのに、今日、ふたたび皇宮を訪ねようとしている。
「まさか、昨日の今日で皇宮を訪ねるなんて思わなかったよ」
昨日……。
悲愴に溢れるハシュが五月騎士団に向かわなければ、その道中でこの件に光の導きとなる親友のバティアに会うことはなかったし、ハシュにできる策を学長と一緒になって考えてくれた。
きっとバティアがいなければ、ハシュはいまも途方に暮れながら、
――あのッ、クレイドルさんはいませんかッ?
――知っている方はいませんかッ?
と、ハシュは今日という限られた時間のなかで必死になって各騎士団を回っていたにちがいない。
その漠然とした不安から解放してくれたバティアには、感謝してもしきれない。
「バティア、俺……」
――がんばるから。
ほんとうに、あれからまだきっちり一日しか経っていないなんて!
ハシュはすでに下馬して、それまで騎乗してきた競走馬の黒馬の手綱を握りながら、皇宮の御用門を目指して歩く。
黒馬は一瞬、昨日の居づらい待機時間を思い出したのか。わずかに脚を止めかけて、嫌そうな顔をするが、ハシュはそれに「あはは」と笑い、顔を優しく撫でてやる。
「大丈夫だって、今日は昨日みたいになんかならないから」
いや、懸念はそうではなくて……。
黒馬はそう思ったが、黙ってハシュという騎手に従う。
すると、昨日とおなじ武官が本日も御用門の衛兵として務めているのか、見覚えのある顔がこちらを見ているのがうかがえた。
手には装飾槍を持っていたが、それを互いに交差することなく、ハシュに対して表情を和らげてくれる。
――そうだ、昨日……。
この皇宮の最初の砦である衛兵たちにきちんと挨拶することを忘れていたな、と思い出し、ハシュは正しく一礼する。
「お勤めご苦労さまです。――十月騎士団伝達係、本日、四月騎士団団長に直截目通りするよう十月騎士団団長から仰せつかり、参上しました」
通行の許可をお願いしたいのですが……。
ハシュはつづけたが、名乗らずとも各騎士団のほとんどの場所への通行許可の特免を賜っている十月騎士団伝達係――伝書鳩の証である肩章を付けているハシュの足を止める者はいない。
白地の軍装は、一月騎士団だけが所有する基調。
とくに上着の裾は燕尾の用に長く、歩いて揺れれば外套か何かを彷彿させる優美さがある。
襟首や袖、裾などには金糸で刺繍された華麗なアクセントもあって、装飾を兼ねた肩章をきちんと着用する衛兵たちを今日も間近で見ることのできる眼福にハシュはうっとりとしてしまう。
「こんにちは、伝書鳩くん」
「確か、ハシュくん……だったよね。体調のほうは大丈夫かい?」
などと、昨日極度の圧力に精神が追いつけず、貧血を起こして意識を失った事実を持つハシュを気にかけてくれる。
――そう言えば、俺、倒れたんだっけ?
気がついたら介抱されていたハシュは、この事実に実感がない。
けれども、抱き上げられて運ばれた部分は明確に憶えているので、
「昨日はお騒がせして、ほんとうに申し訳ありませんでした。身体はもう、大丈夫です」
ハシュはそれを見せようと、ぐっと両手で拳を握ってみせる。
この子どもっぽいしぐさに衛兵たちはわずかに目を丸め、そして呆れることなく優雅に微笑んでくる。
そうしている間に昨日と同様、ハシュの黒馬を預かろうとべつの衛兵が表れてその手綱を取り、
「ハシュ!」
昨日、ハシュが皇宮内を行き来するための案内役として同行してくれた優美な衛兵が早くの再会に喜び、両手を広げて歓迎してくれる。
両肩に柔らかく手をかけられて、微笑まれて。
ハシュはそれだけで「はうッ」と舞い上がって、意識が遠のきそうになる。
「ハシュ、昨日はきちんと休めたかな? 今日の顔色はよさそうだけど」
そう言ってハシュの左目もとにあるほくろを「ちょん」と突いてくるので、ハシュはそれだけで真っ赤に火照ってしまい、あわててその気遣いに感謝を向ける。
「ご配慮ありがとうございます! 今日は大丈夫です。お昼はおいしい食事を満腹までいただいたので、元気です」
ハシュとしては先ほどの昼食時を正しく表現したつもりではあったが、少々見当ちがいの答え方をしたようで、事情を知らぬ衛兵の「この子らしい、独特の表現だなぁ」と解釈されて、苦笑を誘ってしまう。
衛兵は白い手袋をはめた手で優美に口もとを押さえ、
「元気なご挨拶、ありがとう。さすがは決断の長がおられる十月騎士団。おいしい食事が提供されているんだね」
などと調子を合わせて言ってみると、
「ええ。今日は七月騎士団団長から昼食をいただいたので、とってもおいしかったです」
「……」
ハシュはあくまでも体験談を正確に伝えたのだが、衛兵にとっては事情が見えないだけにどうしても言動のすべてが突拍子もなくはじまる印象を強く感じてしまう。
ここで、どうして七月騎士団団長の名前が出てくるのだろう?
さすがの衛兵もこれには返答しようがなく、
「そう、よかったね」
と、差し障りなく答えるだけに止める。
昨日はじめてハシュと会ったとき、この伝書鳩の表情ははじめての皇宮に不安と緊張をいっぱいにして可愛らしく、帰るときは突然の事態にパニックになって「この子はこういう性格なのか」を全面に見せていた。
それはほんとうに好ましかったが、――さて。
――昨日の今日で、この子は何を得て現れたのだろう?
けっして辿り着くことのできない、とある人探しとなった「クレイドル」。
昨日の皇宮では、知り合いも所在も掴むことはできなかった。
だが……。
ハシュの顔つきからして、途方に暮れているようすはない。
「四月騎士団団長からのご用向きは、明日まで刻限をいただいているはず。今日のご用向きは別件かな? それとも――」
衛兵は今日のハシュが本来、非番であることは知らない。
いつものように伝書鳩として書類を受け渡しに来たのだろうか、と思い、訪ねると、ハシュは「よくぞ聞いてくださいました!」と言わんばかりににんまりとしながら、
「昨日は最初こそ落胆つづきだったんですけど、――俺! あの七三黒縁眼鏡鬼畜……じゃない、四月騎士団団長が面会を希望されているクレイドルさんに目星をつけることができてんです」
「へ、え――」
これは尋ねた本人がおどろいた。
普通であれば、幾日かけてもたどり着ける相手ではないというのに。
しかもこうして皇宮に来たということは、真実正しい「クレイドル」に辿り着いたのだろう。これはほとんど奇跡だ。
衛兵な優美な表情におどろきを浮かべていると、ハシュはさらに喜色にかがやいて、
「でも、そのクレイドルさんは俺には到底お会いできそうもない方だったので、それでロワ団長にお会いできるかどうかを尋ねにうかがう次第なんです」
「直截――ねぇ」
誰もが二度目以降の対面には全力で忌避を表すというのに、この伝書鳩は自ら何かを勇んで会おうとしている。
――ほんとうに不思議な子だな。
衛兵はその根性に素直に感心してしまう。
その一方で……。
――あッ!
ハシュは内心で叫んでしまう。
いつの間にか、畏れ多くも、もったいなくも、すでに顔馴染みのように接してくれる衛兵とのおしゃべりに夢中になってしまったハシュは、また御用門から四月騎士団の庁舎に向かうまでの道のりを覚える暇もなかったことに「しくじった……」と思い、額に手を当ててしまう。
せっかくだから覚えてやろうと、昨日はそう思っていたのに……。
□ □
そうしてハシュは、昨日とおなじように皇宮内にある四月騎士団の庁舎まで案内してもらい、そのホール先で待っていると言って足を止めた衛兵に深々と頭を下げて、いざ、あの鬼畜にぎゃふんと言わせるぞ、と再度意気込んだまではよかったのだが……。
ハシュは想定外の事態に出くわしてしまう――。




