ハシュの覚悟と、十月騎士団団長の「決断」
「――なるほど。ロワさんがそんなことを……」
自分たちの関係や思い出などをそれとなく交えて語ったあと、ハシュはこの身に何が起こったのかを微細にわたり通報した。
それを聞いた十月騎士団団長のユーボットは勿論、その場に居合わせる秘書官や七月騎士団団長も同様の顔をして、ハシュに深い同情を向けてくれる。
誰もがあの七三黒縁眼鏡鬼畜の「短所」ではすまない、「難所」を骨身に滲み込ませているので、重々しいため息しか出てこない。
「あの人の思いつきは偶然をどこから必然に選り合わせてくるのか、ほんとうに読み取るのが難しいからね」
ユーボットは言って、どうしたものかと自身の額に手を当て、
「ハシュ。お前の日常はほんとうにでたらめを通り越しているな」
「でたらめ……」
秘書官はこんなふうにおもしろがって、冷やかしてくる。
確かにこればかりはでたらめに満ち溢れているかもしれないけれど、でも、ハシュだってこんな事態ははじめてだ。
すくなくとも「日常」ではない!
たまたま、たまったま、この事態に遭遇したにすぎない!
――っていうか!
――みんなが口にするみんなの標準的「日常」って、何なのさ!
それを知らないハシュも、自分の日々が冒険物語さえ寄せつけないような「波乱」や「まさか」に満ちている自覚がない。
もうッ、とハシュは悔しげに頬を膨らませるが、美人秘書官は滑稽すぎる事態に笑いが止まらない。
「……だからこの手紙には、ロワさんよりも二月騎士団団長のクレイドルさんにこの件に関しての恩情を向けてほしいと一筆添えてほしい、そう記されているんだね」
十二月騎士団団長と、そこに所属する教免の長である学長と。
ハシュから受け取った手紙を読んで、ユーボットは一連の流れを正しく理解する。
すでにハシュには、今後を左右させる力はない。
できることならハシュが望む道が開くよう、協力してほしい――と。
ユーボットはわずかに苦慮の表情を浮かべ、ハシュに向き直る。
その顔はすでに十月騎士団団長としての顔。
先ほどまで小食でありながら満腹の限界に口を押さえていた一面などなく、だが、ハシュの幼馴染としての顔をすこし残しながら、
「確かに僕は決断の長だけど、それは局面に当たって必要な裁可を下すことができる権限を持つだけで、平素の皇宮……そのしきたりに口を出すことはできないよ」
「――はい、充分存じています」
だから、例えトゥブアン皇国の事実上のトップであろうと――立場から言えば唯一皇帝が頂点なのだが、彼は国事、国政、軍事の一切に関与せず、皇国の担いのすべてを十二ある騎士団に預けているため――、その決まりごとを無視して、四月騎士団団長の答えに辿り着いたハシュに、皇宮内の奥にいる二月騎士団団長に合わせてほしいと、そういった直截的なことは言えない。
これは権力集中を避けるために騎士団を十二に割いた根底であり、現行でも立場を用いた施行は僭越、越権行為として許されていない。
しかもハシュが直面しているのは、彼らが所属する十月騎士団が組織として動く件ではなく、あくまでハシュ個人に絡むこと。
思いきり私用だ。
加えてハシュは、十七歳の新人文官。
まだ成人にも満たないひとりの少年に、これ以上騒ぎを起こすことに誰が目を閉じよう?
だが……。
――この時点ですでに、騎士団最高位の一端である十二月騎士団、それに比肩する学長が温情を持って訴えるのは破格の異例。
「勿論、この発端はロワさんにあるから、答えのために正しい手順を取ろうとするハシュに非はない。それは僕も理解できるよ」
「……ありがとうございます」
「その上で僕にできるのは、あくまでも恩情をかけてほしい、そう言った請願に近い内容の手紙を書くことだけ。あとのことは、何もかも受け取った四月騎士団団長であるロワさんの判断次第になる」
「……はい」
「ハシュはそれでもかまわない? どんな結果になっても、きちんと納得できる?」
そうやって、まるでぐずる弟を優しく諭して宥めようとする兄のように静かに問うてくる。
さすがのハシュも、自分がすでに自身の思惑として考えている権力の手紙がどれほどの恩情で動こうとしているのか理解しているので、了承の意味で静かにうなずく。
「無論です。トットー……いえ、ユーボット団長には突然のご迷惑をおかけしていることも重々承知していますが、でも――」
ここに来るまで、ハシュはほんとうにたくさんの優しさと温かさに支えられてきた。
「みんなのおかげで答えに辿り着いたのに、四月騎士団団長の思惑どおりに壁に当たって、はい終わり……は、さすがに悔しくて……」
だから、やれるだけのことをやろうと決意した。
最初は十月騎士団団長から四月騎士団団長に対して、
――お戯れも大概にしてください。
そんな、どこか叱りを向ける一筆さえ書いてもらえば、固く閉ざされた門扉が開くかもしれない。
ハシュは最初、この策を持ちかけられたときにそう感じ取り、どこかで早くも勝利宣言に近い高揚を覚えたが、こうやってその一筆を書くかどうかの判断に直面する十月騎士団団長を前にすると、すこしだけ冷静が戻る。
自分がとんでもないことをしようとしている。
それは、わかる。
でも、やっぱり……。
――ここまで来てしまったんだ……。
例え他力本願の末になろうと、ハシュはやっぱり前に進みたい。
そのハシュの手がいまになって震えてしまう。
緊張なのか、不安なのか。
それはハシュにもわからなかったが、ユーボットが小さくうなずいてくれてハシュの頭を撫でてくれる。
「ハシュがやる気を見せたのなら……じゃあ、やってみようかな」
言ってユーボットは席を立ち、簡易な執務なら行える机に向かい、腰を下ろす。そしてすぐさまペンと便箋を取り出した。
「僕の手紙がどこまで役に立つのかはわからないけど……、まずは皇宮内の四月騎士団の庁舎に直截ハシュを通すように、御用門の衛兵に通達を書くよ。ハシュはそのまま団長執務室まで向かいなさい」
「ユーボット団長……」
「もっとも、ハシュには伝達係――伝書鳩としての肩章があるから足止めされることはないだろうけど、困ることが起きたら、十月騎士団団長に直截向かえと言われました、そう言ってかまわないから」
「トットー……」
「あと、これはロワさん宛て。まずはハシュの成果を認めてほしいって書いたから。こちらはクレイドル団長宛て。会わずともかまわないので、ハシュの努力を酌んでほしい――って」
「……」
「さすがにクレイドル団長に会ってほしいとは書けないよ。彼は唯一皇帝を影より護衛する者。唯一皇帝から一瞬でも護りを削ぐことはできない」
「――勿論です」
昨日から探すことになっていた「クレイドル」。
彼がどのような立場にあるのかを知ると、ユーボットの恩情ある働きかけには感謝の念しか浮かばない。
ハシュは立ち上がり、手紙を書いてくれた十月騎士団団長に最敬礼のお辞儀をする。
その姿勢に感心したのか、傍らで黙して話を聞いていた七月騎士団団長も、
「――カノア」
と、十月騎士団団長付き秘書官の名前を呼ぶ。
やはり以前から交流があったのか、秘書官はそれだけで察し、小さくうなずいてペンと便箋を用意して彼の前に差し出す。
七月騎士団団長はハシュに向かって父性のような笑みを向け、
「ハシュ。きみのおかげで、久しぶりに妻のポレットを食べることができた。これも何かの縁だろう。私も一筆書かせてもらうよ」
「……え?」
「ようはロワのやつに、私のポレット仲間を虐めるな、と書けばいいのだろう?」
「団長……」
悠然とした風格、それでいて武官の長たる覇気を持つ七月騎士団団長の申し出にハシュは目を丸めてしまったが、彼は楽しげに、
「文官は策で攻めようとするが、我々武官は何より数で攻める。これはどちらも正攻法。覚えておいて損はないよ」
「あ、ありがとうございます!」
文官の最高峰に、武官の最高峰。
それぞれの団長から、自分の背中を押してもらえる手紙を書いてもらうことができるなんて……!
ハシュは途端に目頭を感謝で熱くしてしまい、嬉しくて潤む目もとをあわてて拭う。
表情を明るくして、ハシュは七月騎士団団長にも深々と最敬礼する。
そんなハシュを見て、秘書官だけが意味ありげに口端をつり上げてくる。
「それにしても、ハシュ。あの四月騎士団団長に気に入られるとはとんだ災難だな。――出世はするだろうが、お前は何に目をつけられたんだ?」
「へ?」
それは昨日、実兄にもおなじようなことを言われた。
試されるということは、ハシュにはすでに「何か」があるということ。それを意味するのだと。
「お前、案外、四月騎士団向きの何かを持っているんじゃないのか?」
「なッ、なな、何言っているんですか!」
まさかの揶揄に、ハシュはあわてて拒絶する。
――カノア秘書官は明け透けないところが好きだけど!
これから先、まばゆい人生しかないだろう未来に、四月騎士団と縁を持つだなんて悪夢どころではない!
もし、それが現実になってしまったら、ハシュは一生あの七三黒縁眼鏡鬼畜に飼い殺しにされてしまうではないか!
ハシュは身震いして、全身の肌を恐怖で粟立ててしまう。
「嫌ですよッ、そんな! 俺はかならず剣技の六月騎士団の武官になるってきめて、いまも鍛錬に励んでいるんですから!」
そうやって叫ぶと、
「おや、残念。海軍騎士の七月騎士団には来てくれないのか?」
「えッ、ええとッ、それはッ」
突然、おもしろそうに口を挟んでくる七月騎士団団長に恐縮してしまい、ハシュはあわてる。
トゥブアン皇国で「武官」と言えば海軍騎士の七月騎士団のそれが相場だが、ハシュの目標はやっぱり手に剣を握り、誇りと魂のすべてを剣に懸けるまっすぐな気性の六月騎士団に向けているのだ。
けっして七月騎士団を袖にするつもりはないのだが、ハシュはまだ十七歳なのだから、将来に向ける夢や希望くらいは存分に語らせてほしい。
それを踏まえてあわてていると、今度は十月騎士団団長のユーボットがどこか寂しく、切なげなようすを見せてくる。
「ハシュは……十月騎士団が嫌いなの?」
「トットーッ!」
これもまた突然のことに、ハシュは大あわてしてしまう。
「そ、そんなわけないじゃない! 仕事は大変だけど、嫌いじゃないよ! 馬に乗れるから楽しいし、上官たちだって何だかんだと優しいし、いろんな場所に行けるのも――と言っても、その往復のほとんどが国府の五月騎士団だけれど――じつは楽しいし……」
「僕に会うのは?」
「勿論、嬉しいに決まっているじゃないか!」
「――でも、すぐに顔を見せには来てくれないよね?」
「そんなこと言ったって!」
「僕はいつ来たっていいよと言っているのに」
「はうッ」
幼いころから親しく、共通の思い出を持つ幼馴染であろうと、彼はすでにトゥブアン皇国における最高権威のひとり。
新人文官の伝書鳩が気軽に会える立場ではないのだ。
「トットーのことは好きだよ、もっといろんなことを話したいよ。でも……」
「でも?」
静かに微笑むユーボットに、ハシュは声を詰まらせる。
先ほどは自分の「日常」を否定してしまったが、ハシュには話題に困らない「日常」がてんこ盛りで、それらは同期の伝書鳩たちにもよく話すが、ときには目の前の幼馴染にも話して笑ってもらいたいとも思っている。
でも、どうしたって立場が先頭になってしまうと、その足もすぐには迎えない。
ハシュは、じつはこの場の勢いを借りてユーボットに揶揄われているなど微塵にも思っていなかったので、必死に遠のく足を詫びようと思い、
「そうだ! 今度非番の日に皇都の街に行こうよ! おいしいものでも食べてさ」
「……ハシュ、僕は食べるのが苦手だよ?」
「ああ、うう……」
これは彼なりの真面目な返答なのだろう。
じゃあ、どうすれば……とハシュは言葉を失って、周囲の笑いを誘ってしまう。
その笑いの後、ユーボットに対して秘書官がぴしゃりと言い放った。
「お前な、せっかく年下の可愛い子が出歩きを誘ってくれたんだ。飯食うのが嫌で即答で断るやつがあるか!」
確かにそのとおりだけれど……。
と、言われてユーボットも反省し、いつの間にかいつもの気弱な青年の表情に戻ってしまい、今度はそのふたりのやりとりにハシュがあわててとりなす羽目になる。
普段は笑いの表情に縁がない十月騎士団団長も、ハシュが傍にいればユーボットとして笑うことができる。
ユーボットはそのひとときに感謝しながら、静かに目を伏せる――。




