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七月騎士団団長を見て、ハシュは父を思い出す

 このように「食えよ」という威圧……もとい、「おいしく食べてほしい」という温かな眼差しから逃れることもできずに昼食を食べたところで……。

 ハシュは最初、そう思ったが、


「……あ」


 ナッツ系を好むハシュには堪らない、胡桃が練り込まれたパンに、野菜と鶏肉がふんだんに盛られたあっさりとした味わいのスープがおいしくて、ハシュはつい、――あっという間に平らげてしまった。

 どのような視線を受けようと、食べはじめてしまえば気にもならない。

 年ごろの食欲がそうさせてしまうのは仕方もないが、皿に盛ればまだ食べられそうなハシュに、秘書官がおもしろそうに告げてくる。


「よければ、おかわり、用意しようか?」


 などと問われるが、ハシュは昼食をご馳走になりに来たのではない。

 十月騎士団団長に重大な用件を頼むために、ここまで来たのだ。

 小振りにカットされたいくつものフルーツを食べながら、ハシュは辞退に頭を振る。

 そのようすに秘書官は楽しそうに笑うが、一方で――。

 用意した昼食を半分以上も残して口もとを押さえながら限界を迎えている十月騎士団団長の食の細さにとことん呆れ、秘書官がねめつけている。

 ハシュはそれを見て、


 ――ああ……俺、ほんとうに何やっているんだろう……?


 ぱくり、と最後のフルーツを口に入れ、ハシュは自責する。

 そのようすを見ながら、ハシュに昼食のすべてを譲ってくれた七月騎士団団長は、先ほどから自ら言ったようにお茶しか飲んでいない。

 もし……。

 この場の最年長者として若者に空腹を悟られず、悠然としながら食欲を堪えているのであれば、それはどう詫びたらいいのか。

 ハシュはようやくそれに思い至り、七月騎士団団長のお口を慰めるには……と、ハシュは昼食の提供に対してのお礼を考える。

 何がいいんだろう?

 そう思いながら、ハシュは自分がずっと背負っていた鞄を手もとに置いていたことを思い出し、それを膝の上に乗せて、中身を漁るようにごそごそと手を動かす。

 そして、大きめの賽子状にカットされたポレットの包みを取り出した。


「あ、あの、七月騎士団団長。お食事をいただいて、お礼がこれでは申し訳ございませんが、事情あって今朝、十二月騎士団の寮母さんたちからクッキーやポレットをたくさんいただいてきたので、よろしければどうぞ――」


 ハシュとしては懸命な策としての返礼品だったが、それをハシュの背に立っていた秘書官が見て失笑する。


「――お礼を言いたいのはわかるが、そうじゃないだろ、ハシュ」

「へ?」


 まったく、こいつときたら。

 子どものように、しかも武官の長であらせられる七月騎士団団長に向けて、「もらったポレット」を差し出すとは。

 その失笑に、ハシュもようやくハッとする。

 あわてて、すこしでも豪華に包まれたポレットはないかと鞄のなかを漁るが、そのようすを見ていた七月騎士団団長が何かに関心を持ち、身を乗り出してくる。


「……十二月騎士団の寮母、ねぇ」


 ふむ、とかたちのよい顎に手をかけながら、


「もしよければ、私に中身を見せてほしい」

「え?」

「ずいぶんとたくさんいただいているようだから、差し支えなければ好みのポレットがあるかどうか見たいんだ」

「は、はい! 勿論です」


 ポレットはトゥブアン皇国にとっては国民食ともいえる菓子のようで、パンの代わりにもなるパウンドケーキのようなものだ。

 なかにはドライフルーツやナッツが入っていて、かなり栄養価があって、腹持ちもいい。

 どちらがたくさん入っているほうが好みか、という論争になると不思議なほど二分し、ときには激論にもなる一品なのだ。

 なので、七月騎士団団長が「好みの……」と言って、つい探す姿勢を見せるのは思いのほか意外なことでもなかった。

 もしかすると、ハシュの返礼案が子どもっぽいと指摘を受けたことに対して恥をかかせないよう、それとなく合わせてくれたのかもしれない。

 だとしたら、この方は何て素敵な方なのだろう!

 こんなにも素敵な方が武官の長ならば、


 ――自分もいつか武官になった暁には、一生ついていきます!


 と、ハシュは早くも心酔を誓う。


 ――ほんとうに、どこかの団長とは大ちがいだよ!


 ハシュがそうやって七月騎士団団長に心を奪われていると、どうやら好みのポレットを探し当てたのか、「では、これをいただこう」と手のひらに乗せてみせる。

 その眼差しはどこか愛しい誰かを見つめるように柔らかい。

 そんなにそのポレットが気に入ったのかな?

 ハシュはそんなふうに捉えたが、


「きみが会った寮母のなかに、彼女はいただろうか?」

「?」

「名前は――」


 そう言って告げてくるので、ハシュは肯定するようにうなずくと、七月騎士団団長が見せる笑みの質を変えてきた。

 それはハシュに向けてのことではなく、名を尋ねた女性に対して愛情深いものを見せる、そんな気配があったので、それが不思議に思えてぽかんとしてしまうと、


「ああ、すまない。名を尋ねた女性は、私の妻なんだ。海軍騎士――七月騎士団なんて立場にいるから、日ごろから軍港住まい、家族とも別居のほうが長くてね。子育てが一段落したころを機に、妻も活気づいた場所で働きたいと言ってね――」


 それで別居生活の延長で、住み込み生活となる少年兵を育成する十二月騎士団で寮母の職を選び、ここ数年、彼女は少年兵たちの世話をしながら、優しく、頼もしく働いているのだという。

 ハシュもその寮母は知っている。

 確かに、よく世話もしてもらった。

 そんな話を聞かされて「へぇ」と思うと、彼はつづけて、


「妻もポレットを作るのは得意なんだけど、どうもドライフルーツを多く入れる癖があってね。ナッツ派の私とは、若いころにはよく意見を対立させたこともあるんだ」

「ポレットで?」


 そんな夫婦喧嘩、聞いたこともない。

 思わずくすっと笑ってしまうと、彼も楽しげに笑い、


「きみも、ユーボット団長も。結婚すればわかるようになるよ。奥さんは立てたほうがいいが、自分の好物くらいは最初のうちにきちんと主張しておいたほうがいい」

「そう、なのですか?」


 釣られて問うてしまうと、


「八回に一回くらいはこちらの要求を呑んでくれる」

「……」


 八回に一回、か。

 これは要求に対しての頻度を思えばかなり低いと思えるが、結婚ってそう言うものなのだろうか?

 それとも仲睦まじければ、その頻度でもいいと思えるようになるのだろうか?

 七月騎士団団長は言葉こそハシュとユーボットに向けて言ったが、その視線はなぜかハシュの背に立つ秘書官のほうを見やっている。

 彼がちょっとだけ悪戯めいたような視線で何かを語ったので、目が合った秘書官が複雑めいたようにその視線を躱す。――いや、視線負けして顔を逸らしてしまった。

 美しい容姿の美しい口もとからは「ちッ」と舌打ちが聞こえたけれど、まさか七月騎士団団長に向かってそんな返しをするはずもないだろうと思い、ハシュは何も聞かなかったことにする。

 でも、その秘書官の美しい指にはすでに婚姻を躱した相手がいる証……指輪が大切そうに嵌められている。

 どうやら結婚して、夫婦生活をはじめると、いろんなところでいろんなことが出てくるのだなとハシュは簡単に感想をまとめることにした。

 こういった話はハシュには苦手な分野であるし、秘書官を視線で揶揄うように追い詰めて、深追いしない雰囲気が何だかいかにも大人のしぐさで、カッコよく見えてならない。

 ただ――。


「思えば、夫婦喧嘩も数すくない生活でのいい思い出だった」

「……」


 できることならもっと傍にいて、夫婦喧嘩でも何でもその時間を大切に過ごしていたかった。

 わずかに切なげな表情が浮かぶ七月騎士団団長が、それを声にせず語っている。

 でも、なぜ……。

 それがもう訪れないような、過去のように遠く感じさせるように彼は語るのだろう?

 その瞬間――。


 ――お父さん……。


 ハシュはその顔を見て、唐突に父を思い出してしまう――。

 ハシュの父も海軍騎士の七月騎士電に所属する武官だったので、別居生活の実態はよく知っている。

 文官たちは皇都地域に家をかまえれば自宅から所属する騎士団への登庁も充分に可能で、剣技や騎馬隊の騎士団もそれに等しかったが、七月騎士団だけはそうもいかない。

 家族を持ては否応なしに別居が必然となるし、あるいは所属が変わるたびに引っ越して家族と一緒に住む、そのどちらかなので、落ち着かない生活に負担を駆けぬよう、七月騎士団の武官たちは別居を選ぶ。

 父も日ごろは所属する軍港の官舎で暮らしていたため、ハシュは幼いころ、母や実兄に連れられた非番や休暇中の父に会うためよく足を運んだものだ。

 会えた瞬間。

 父はいつも大喜びして、ハシュを大きく抱えてぐるぐると回ってくれた。

 ハシュや実兄を見れば豪快な性格や見た目でないのは一目瞭然だが、家族にとっては誰よりも愛しい人だった。

 そう。

 別居中でも、父や家族が生きていればそれでいい。

 でも……。


 ――ハシュは突如と浮かぶ記憶を、そこで遮断させる。


 遮断された壁の前では、幼かったころのハシュが泣いている。

 散々に泣き腫らした大きな瞳からはまだ大粒の涙があふれて、零れている。

 十七歳のハシュは幼いハシュの涙を拭いたくても、その方法がわからない……。

 そしてふと顔を上げたとき、ハシュは目の前に座る七月騎士団団長に「父を知っていますか?」と途端に尋ねてみたい衝動に駆られてしまった。

 生きていたら、父と七月騎士団団長の年齢に大きな差はないと思われる。

 だが――。

 海軍騎士の七月騎士団と言えば、武官のなかでも最大人数を誇るので、例え父の当時の所属軍船団や階級を伝えたところで、突然問われても知らないと返答される可能性のほうが圧倒的に高い。

 それぐらいのことはハシュも理解できるので、知らなければそれでいい。


 ――でも……。


 もし七月騎士団団長が父のことを知っていたら……。

 怖くて聞けないのか。

 恋しすぎて聞きたくないのか。

 ハシュは唐突に思い出した父の姿が無性に恋しくなって、何かを尋ねてみたくなったが、


 ――あ……。


 ハシュはいまも黙々とか細く食事をつづけているユーボットを見やり、ハッとして、あわてて恋しさを息ごと飲み込む。


 ――彼の目の前で、この恋しさと切なさは禁句だ。


 万が一、いまのハシュの心情をユーボットに悟られでもしたら……。

 気がつくと、ハシュはいまも向かいで話をつづけている七月騎士団団長の話を半分以上も聞き逃していたが、


「――だから、妻の作ったポレットは見ればすぐにわかるんだ」


 そう言って、透明な包みで個包装されているポレットを手のひらに乗せて、そのパウンドケーキにも似た断面をハシュに見せながら、


「ほら。ナッツよりもドライフルーツが多い」


 妻の手製を完璧に言い当ててくるので、そのようすがどこか子どもっぽく……そしてハシュはそれに紛れて思考を消すように笑って返してしまう。


「俺もナッツの多いほうが好きです。いろんな種類の歯ごたえが堪りませんよね」

「おや、きみとは趣味が合いそうだ」


 普段であれば、ハシュはこのひと言で趣味の一致に完全に舞い上がっていただろう。

 でも、もったいないことにいまは……。

 一瞬だけ泣きそうになって潤んだ瞳は、うまく隠せているだろうか――?

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