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ハシュの危機? この面子の前で昼食を食えと?

「――カノア、戻りました」


 言って、ハシュに昼食の用意が乗るワゴンを運ばせた秘書官が一階にある応接室の扉をノックし、入室する。

 十月騎士団団長の執務室は二階にあるが、それではワゴンが運べない。

 だから一階にある部屋に運ぶことはごく自然なことだったが、何で応接室なんだろうと、とハシュは思う。

 団長がどこで食事を取ろうとそれは彼の自由なので、ハシュが疑問に思うことはないのだが、でも、団長には休憩室というかくつろげる居間のような部屋があることをハシュは知っている。――以前、その団長に見せてもらったことがあるので。

 だが、その十月騎士団団長付きの美人の秘書官は確かに戻ってきたような足どりで応接室へと入っていくし、


「おい、――逃げてないだろうな?」


 などと、ハシュと会話をしていた軽やかな美声を三割低くして、やや相手に凄むようその所在を確認してくる。

 ハシュはその声音におどろいてしまったが、聞きようによっては日ごろからの信頼関係がしっかり構築されている証拠なんだろうなと思えるものもあったので、ハシュは楽しそうだなと苦笑してしまう。

 ハシュはそのまま食事を乗せたワゴンを押して入室し、食事を取るため――たぶん、本人的には強制的に食べさせられるあきらめに似ているんだろうな――にゆったりとしたソファに腰を下ろしている人物を見て、ぎょっとしてしまった。

 思わず左目もとのほくろごと目を見開いて、二度も三度も見てしまう。


 ――へッ?


 この部屋には執務を感じさせるものは何ひとつない。

 あるのはごく家庭的な居間を思わせる家具ばかりで、テーブルも椅子も、ソファも、調度品に高級感こそあるものの、文官の部屋、それを安易に想像させるような書棚や年代めいた書物などはない。

 南の日差しが入る大きな窓のおかげで解放感があって、何とも言えない居心地のよさがある。

 だが!


 ――え……ッ?


 その部屋にいるのは、食事を取るために監禁? されていた十月騎士団団長だけがいるのだろうと思っていたのに、ハシュが最初に目にした人物は「彼」ではなかった。

 年のころは四十よりやや上だろうか。

 はっきりとした体躯、まだ生き生きとした精悍さもあるが深みのある落ち着いた容姿、見事に長い脚を悠然と組んでいる男がひとり、十月騎士団団長と向かい合って座るかたちで三人掛けのソファでくつろいでいる。

 何より印象的なのが力強い眉と双眸。

 覇気とか風格とか、こういう人のことを言うのだろうか。

 はじめて彼を見るハシュでさえその言葉を即座に脳裏に閃かせて、彼がただの男ではないことが瞭然だった。

 濃紺の生地を主軸に仕立てられた軍装を着用していたので、彼が武官の騎士だというのはすぐに理解ができた。

 だが――!

 濃紺を基調にしているのは武官のなかでも海軍騎士の七月騎士団だけの特色で、その意味合いは、この島大陸のトゥブアン皇国を囲む大海洋を表す絶対の盾。皇国の護り、防衛。

 それに半分は装飾に近いだろうが、見事な飾りの肩章にはいくつもの「号」が記されていて、もっとも特徴的な印が表す号は――団長!

 このトゥブアン皇国を永く一心に護ってくれる騎士団に対して、その肩章の意味を知らぬ者などいない!


 ――し、ししし、七月騎士団の軍装に、だ、だだ、団長職の肩章ってッ!


 ハシュは彼の正体を悟るや否や、思わず秘書官の腕を掴んでしまう。


「ひ、ひひ……カ……カノア秘書官ッ、俺、やっぱり後でうかがいます……」


 どこをとっても美しい秘書官を掴むハシュの手は、彼を目の前に早速声ごと震えてしまう。


 ――いやいやいやッ、カノア秘書官!

 ――こんなにもすごい御方がいるのに、何で俺なんかを通したんですかッ!


 ハシュは口をぱくぱくさせながら心の声だけで叫ぶが、秘書官はまったくこだわることなく、


「ああ、べつにかまわない。ハシュ、給仕をこのまま手伝ってくれないか?」


 などと言って、ワゴンで運んできた食事を慣れた手つきでふたりが座るソファ前のローテーブルに並べはじめるものだから、ハシュは、


 ――お願いッ、俺の話を聞いて!


 拒絶に頭を振り、


「お、お客さまとの会食中に、俺なんかがお話し……いえ、控えているわけにはいきませんッ!」


 どう考えたって、食事をはじめるだろう団長に対して会話を求めるのは失礼な事柄であるし、ましてや彼には皇国の重鎮のひとりが客人として向かい合っている。

 てっきり秘書官と食事をするのだろうと思われていたふたり分は、団長の客人の男に向かって丁寧に用意されていく。


 ――いやいやいやッ。

 ――無理無理無理ッ!


 その場に新人文官の伝書鳩がぽつんと立っていたって、これは絵面ではなく、ハシュの弱々しくてすぐに砕け散る心臓が持たない!

 それを訴えたいというのに、


「いいって。ふたりとも会談は済ませているし、あとは食事を取るだけだから。ほら、そこの器を取ってくれ」

「で、ででで、でもッ」


 種類豊富なサラダが盛りつけられている器に秘書官が出を伸ばし、受け取りを待つが、ハシュはもう頭を振るだけ。

 秘書官が一拍置いてねめつけてくる。


「それとも何か? ――俺が運んできた飯、冷めてもいいって言うのか?」

「あうッ……」


 いまでこそ元武官という肩書であるが、刹那の眼光はいまも健在。

 ハシュは完全に逃げ場を失ってしまう。

 この秘書官も出身が海軍騎士の七月騎士団だから、ソファに座る客人の男とは面識もあって、かつての立場や階級によっては懇意でもあったのだろう。

 だから男の存在を気軽に捉えているのかも知れないが、――だが!

 ハシュはそうではない!

 秘書官が身内のように同席を許可してくれたことは嬉しいが、そういうわけにはいかないのだ!


 ――だって……ッ。


 この軍装を纏う身分が何なのか。

 知らぬ者はこの皇国にはいないし、知っているからこそ伝書鳩ごときが気安く誘いに乗って同席するわけにもいかなかった。ハシュにだってそれくらいのわきまえは充分にある!


 ――この御方ッ!


 剣技の六月騎士団。

 海軍騎士の七月騎士団。

 騎馬隊で構成される八月騎士団。

 少年兵を育成する十二月騎士団。

 このトゥブアン皇国に十二ある騎士団で「武官」で構成される四つの騎士団を統括する長――ハシュの目の前には、その七月騎士団団長が悠々と座しているではないか!


 ――カノア秘書官! 俺、皿運びを手伝いに来たんじゃないんですよ!

 ――しかも、団長ふたりの昼食時にお邪魔できる身分じゃないんですから!


 ハシュは脳内で完全にパニックを起こしてしまうが、


「おや、可愛らしい子だね。――なるほど、伝書鳩くんか」

「!」


 深みのある低い声を向けられた。

 ハシュの外見からしてわかる少年らしさと、片側だけに独自の形状の肩章を付けているそれを見て、文官の軍装で唯一軍装をつける立場が何であるのかを知る彼――七月騎士団団長が円熟した笑みを浮かべてくるので、ハシュは卒倒したくなる意識を立て直し、あわてて直立不動に姿勢を正す。

 そして、最敬礼を向けた。


「た、たた、大変失礼いたしました、――七月騎士団団長。お食事時に騒がせるつもりはなかったのですが……」


 ――だって、カノア秘書官がかまわないって言うし。


 などと舐めた言い訳など言えるはずもないが、とりあえずいまは突然の砲門を謝罪して、この場から退室しなければならない。

 それが礼儀だ、とハシュは「逃げるぞ!」と渾身の力を込めて回れ右をしようとしたが、


「――かまわないよ、ハシュ。おいで」


 そう言って、ハシュの逃げ足を完全に応接室の床に打ち止めたのが、七月騎士団団長が座するソファの対面に座る、痩身の青年だった。

 ハシュは、ああ……と内心で嘆き、両手で顔を覆ってしまう。


「よかったら、ハシュも食べる?」


 などと、いかにも気弱そうだが優しげな声で青年が気さくに声をかけてくるものの、これが言外に「食べきれなかったらハシュが食べて」と、食が細すぎる彼なりの援護要請だとなぜだか悟ってしまい、ハシュは非礼を度返しして「無理無理ッ」と首が吹き飛ぶ勢いで頭を振る。

 ハシュは、この場では完全に異質だ。

 突然の来訪者だ。

 追い返してくれたっていいのに、気弱な青年が「あとは食べて」と食事の皿をハシュに進めでもしたら……。

 普段から彼の食の細さで頭を悩ませている背後の秘書官の、どんな説教に巻き込まれるか――。

 何で、つぎからつぎへと逃げ道が塞がるわけッ?

 ハシュは真っ青になるが、


「大丈夫。ハシュならいつ来てもかまわないし、そう言ったのは()。いまも彼と食事をするだけだから――かまいませんよね」


 気弱な青年が発する語尾は、ハシュにではなく、客人である七月騎士団団長に向けてのものだった。

 七月騎士団団長もハシュの同席を快諾するようにうなずいて、三人掛けのソファに悠然と座っていた腰をわずかに浮かせて、ハシュがとなりに座れるよう空間を作り、その場を「ぽんぽん」と手で叩いてくる。


「よかったら、こちらに座りなさい」


 などと自ら同席を促してくるものだから、ハシュはどうしたらいいのかわからず、必死になって卒倒を堪える。

 畏れ多くも武官の統括者である七月騎士団団長のとなりに着座を許されたが、だからといって「失礼します」とすぐさま座ることなどできるはずがない。

 逃げられない。

 座れない。

 逃げられない……。

 そんなふうにハシュが自分の立ち位置を見失って、完全に困ってしまうと、


「団長、失礼――」


 そう言って七月騎士団団長の向かいに座っていた気弱な青年が自ら腰を上げ、七月騎士団団長のとなりに座る。

 ハシュは最初、その席替えが何を意味するのかわからなかったが、


「ハシュ、ここに座っていいよ」

「へッ?」


 そう言ってくるので、ハシュは動揺してしまう。

 まさか気弱な青年……十月騎士団団長が自らハシュが着席しやすいよう、場所を譲ってくれたなんて!


 ――でもねッ、団長ッ、ちがうから!

 ――気遣いは嬉しいけど、そうじゃないから!


 ハシュは脳内で渾身の力を込めて叫ぶものの、気弱な青年にそれは届かない。

 だが、それでもハシュが動けずにいると、いよいよ業を煮やした秘書官に肩を掴まれ、明け渡してもらったソファに沈められる勢いで座らされてしまう。

 ハシュはそのまま涙目になった。

 せっかく先ほど厩舎で顔を洗ってきたというのに――いや、それで済ませて、この場に来るにはあまりにも雑すぎるけどッ――、その額には緊張のあまりに汗が玉のようになって浮かんでしまう。


 ――ど、どどど、どうしたら……。


 ハシュは視線をそこら中に泳がせたい気持ちでいっぱいになったが、目の前にいる団長格のふたりからいつまでも視線は逸らせない。

 こんなふうに完全に恐縮している伝書鳩をおもしろそうに眺めてくる、生きていれば父と似たような年ごろの七月騎士団団長。

 だが、ハシュにその覇気ある双眸を見やることはとてもではないができないので、馴染みのある気弱な青年、十月騎士団団長にやや視線を合わせる。


 ――彼は比較的ハシュと年齢が近い、十九歳くらいの若き青年だった。


 落ち着いて見れば整っている容姿に入る部類だろうが、食の細さが物語るように顔色はあまり優れない。

 前髪をきちんと整えた、深い茶色の髪と瞳。

 頬にはそばかすが浮いていて、優しい性格であるのは知っているが、気弱そうな眉目、目に見えて気弱な雰囲気が印象的すぎて、それ以上の特筆はない。

 総じて精彩がない。

 あとは、ハシュより辛うじて背丈があるかどうか……。

 けれども――!

 ハシュの目の前に座る青年こそが、十月騎士団の「決断の長」――団長であり、皇宮の四月騎士団、国府の五月騎士団と「文官」全体を率いる統括者でもあり、ひいてはトゥブアン皇国の国事、国政、軍事、そのすべてに携わる権限を唯一持つ、十二ある騎士団の事実上のトップであるのだ!


 ――名前は、ユーボット。


 だがそれを初見から信じる者など、どこにもいない。

 こんなにも痩身の青年がそうだと、誰が判ろうか?


「ああ、僕たちだけが食べるのは申し訳ないね。ハシュ、お昼は?」

「う、ううん」


 一瞬、気を緩めたハシュが問われて、気易く「まだ」と意味する首振りをしてしまうと、十月騎士団団長――ユーボットが小さく笑み、


「カノアさん、ハシュにも食事を用意してください」

「――へッ?」


 などと、突然のことをユーボットが秘書官に頼むので、ハシュは即座に「お気遣いだけで充分ですッ」とあわてて声を上げて、顔も手も断る一心で横に振るが、そこに、


「いや、いい。――支度をし直すのは時間もかかるだろう。私の分をこの子にあげるから、私にはお茶だけを用意してほしい」


 などと大人の配慮を悠然に七月騎士団団長が言って、


「了解しました」


 と秘書官がうなずいて、ローテーブルに並べた最初の用意の向きをハシュとユーボットそれぞれに用意し直すものだから、ハシュはもう恐縮に心臓が持たない。


「七月騎士団団長ッ、そのご配慮だけで俺、充分にお腹いっぱいですから!」


 最低限の立場と礼儀だけは守ろうと思い、拒絶ではなく丁重にお断りしようとハシュは訴えたが、こういうときにかぎってハシュのお腹は昼食の時間を正確に読み取り、「ぐぐぅ~~」と「飯はまだか」と催促するように鳴ってしまうから、一同の苦笑を一身に浴びてしまう。


「うう……ッ」


 ハシュはあわてて勝手に返事をしたお腹を押さえ、


 ――この腹の虫めぇッ!


 全身を火だるまのように肌を真っ赤に染め上げて、額に浮かぶ汗さえも一気に蒸発させてしまう。

 その火だるまの伝書鳩を見やり、食欲旺盛な十七歳の素直さに大人たちは堪らなくなって、「あはは」と声を上げて笑ってしまう。

 無論、ユーボットは声など上げず、まるで淑やかな兄然のように微笑むだけ。


「――ハシュ、ここは七月騎士団団長の顔を立ててやれ。彼にはちゃんと礼を言っておくから」

「カノア秘書官……」


 後ろから可笑しげに笑いながら目もとに浮かぶ涙を拭う秘書官が耳打ちしてくるものだから、ハシュはもう完全に従うしかなかった。

 こうして――。

 ハシュは七月騎士団団長から、十月騎士団団長のユーボットは自身の秘書官からにこやかな視線で「食えよ」と容赦のない威圧を受けて、昼食を取るかたちとなってしまった。

 この状況。

 誰に伝えたところで、誰が信じ、理解するだろう?


 ――武官の視線って、ほんとうに迫力があるよな……。


 ハシュは覚悟をきめて、フォークを手に取る。

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