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十月騎士団団長付きの秘書官は、美形美人のカノアさん

「まさか、こんなにも簡単にもらえたなんて……」


 ハシュは呆れながらも自身が所属する十月騎士団の長――団長への面会申請書に集まった判子を見やり、


「新人文官でも、強引に押し切れば上官たちの判子ももらいやすくなるんだ」


 ――さすがはあの七三黒縁眼鏡鬼畜。

 ――こういうときは、意外とあの人の名前って使えるんだなぁ。


 ハシュはとんでもない脅迫をした自覚を九割持ちつつも、呑気に思いながらつぎの策に向けてその足取りを進めていた。

 これであとは本庁舎のとなりにある建物、十月騎士団団長の執務室がある団長専用舎で何も問題なく「関門」を突破できれば、ハシュの礼儀正しい指の関節が丁寧に団長執務室の扉をノックすることができる。


 ――こんな音だったっけ?


 ハシュは昨日、四月騎士団団長の執務室の扉を叩いた文官のノック音を思い出し、手首の動きを真似て、試しに宙をノックしてみる。


「うん、こんな感じだよね」


 ハシュは何となくおもしろそうにくすくすと笑う。

 ただ――。

 先ほどハシュが上官たちを脅してまで判子を捺させた面会申請書は、あくまでも団長執務室の扉の前に立つために必要な通過儀礼を許可してほしいという書類であって、すぐさま団長執務室の扉をノックさせていただきますというものではない。

 ハシュは団長専用舎に着くと、今度は受付担当や秘書官など、団長の身辺で「決断の長」の業務を支える役職たちにこの申請書を見せて、「通ってよし」の判子を捺してもらわなければ団長執務室の扉の前に立つことが許されない。

 文官は書類がすべてなので、何事も回りくどいのだ。

 無論、ハシュが業務の一環――伝書鳩として「上官から直截渡すよう頼まれました」と言ってしまえば、この回りくどさも必要なくなるのだが、今回、それは通用しない。

 ハシュは伝書鳩としてではなく、個人として向かうため、どうしても個人用の手続きでないと前に進めないのだ。


 ――そう。

 ――世の中はすべて、裁可の判子が捺された書類で成立しているのだ。


 十月騎士団団長が座する団長専用舎は、本庁舎とおなじ赤煉瓦造りの二階建てで、規模も大きくないので周囲の本庁舎や別庁舎などに比べるとこじんまりした印象が強い。

 舎内も本庁舎で見かけるような文官たちが書類を手に右往左往しているようすを見ることはなく、どこか閑散としている。

 こちらには重要な会議で使う部屋や、他の騎士団から足を運ぶ来客者、または上層部たちを招く談話室、応接室など、必要なときにだけ使う部屋のほうが多いので、なお庁内を行き交う文官の姿は見受けられない。

 ほんとうに団長のためだけにある専用舎――。

 それまでお気楽だったハシュも、やや緊張を覚える。

 玄関ホールに入ると、皇宮の四月騎士団の庁舎で感じたような厳粛なものはなく、雰囲気は静かに柔らかかった。

 廊下には幾か所にも成果が奇麗に行けられていて、日中は大きな窓のおかげで日差しも存分に入るので、廊下は明るいし、装飾も質素であるが、かえって穏やかな空間に感じられて落ち着くことができる。

 十月騎士団団長は物静かなお方なので、それを感じ取ることができる。


 ――やっぱり団長の存在感が表れるって、こういうことを言うんだよね。


 ハシュはえらそうに評論しながら、さて、誰から声をかけていこうと思い、きょろきょろすると、


「――あ」


 ハシュはひとりの青年の姿を見つけた。

 遠目から見ても、すぐ傍から見ても独特の存在感がある美形、あるいは美人に見える文官。一見からして明らかに根っからの文官体質ではない気配と、美しくすらりとした姿勢が元武官の証で、一年ほど前に訳ありで文官に転属したと聞いている。

 武官時代はハシュの父とおなじ海軍騎士の七月騎士団に所属していて、その話がきっかけで、ハシュを舎弟のように可愛がってくれている。

 何より――。

 ハシュがいま、もっとも会いたかった最後の「関門」その人でもあった。


「カノア秘書官!」


 声をかけて礼を取ると、なお呼ばれた青年――秘書官がにこりと笑って気さくに手を上げてくれる。


「どうした、ハシュ。こんなところまでやってきて」


 薄茶色の髪はさほど癖もなく、柔らかな線を描いて腰もとまで流れていた。

 ただ、普段はそれを緩めに編んだ三つ編みでまとめている。

 背丈は高すぎないが、身のこなしのすっきりとした端麗な美丈夫にも見えるし、秀麗に整った容姿は美形であり、美人でもある。

 ハシュの目から見てもカッコよく、奇麗な人だなと思えるものがあるのだ。


「カノア秘書官、いま、お話しても大丈夫でしょうか?」

「勿論」


 顔がよければ、当然声も美声。

 きっぱりとした性格を表す声に、ハシュは()()()としてしまう。

 この彼こそが十月騎士団団長付きの秘書官で、この団長専用舎では最後の関門。彼を通じなければ上層部でないかぎり、簡単には団長面会までたどり着くことができないのだ。

 その秘書官にあっさり会えたのは、ハシュには幸運だった。

 通常であれば、彼に会うまで三人の文官に会わなければならないので――。

 ただ、ハシュはこのまま話を進めることを躊躇った。

 いま秘書官が手にしているのは、三段ほどの棚を持つ給仕用のワゴン。

 ふたり分の食事を乗せて、押している。


 ――これからふたりで昼食でも取るのだろうか?


 いい匂いがする。

 今日の昼食のメインは何だろう?

 などと、くんくんと鼻を動かしながら、そんなことを考え、


「カノア秘書官。ひょっとして……団長とこれからお食事をなさるのですか?」


 軍装の上着のポケットに入れていた懐中時計を見やると、そろそろ昼食で食堂がにぎわう時刻になっている。ただし、この専用舎に食堂はない。団長の食事はいつも専用ワゴンで部屋まで運ばれる。

 ハシュも途端にお腹が空いてきた。

 問うと、美人の秘書官はやや鼻で笑い、


「食事、ねぇ。――あいつがちゃんとそれをしてくれれば、俺もわざわざ給仕係を兼任しなくてもいいんだけど」

「……団長、相変わらずなんですか?」


 十月騎士団団長の食が極端に細いのは知っている。

 周囲が見張っていないと、簡単なパンをひと口かじっただけで一日分の食事を取った気でいるのだ。


 ――昔はそんなことなかったのに……。


 ハシュがつい心配そうな表情を浮かべてしまうと、秘書官も困ったようにやや上目になり、


「不精というか、不摂生というか。唯一の欠点が食に興味がなさすぎる。決断の長であるくせに万年栄養不足じゃ、いざというときに周囲が大困りする。その自覚がないから参ったものだよ」

「……」


 ――ということは……。


 食の細い彼が秘書官の用意した昼食を食べ終えるには、ずいぶんと時間もかかるだろう。

 だとしたらハシュも一度下がって食堂で食事をして、それから出直したほうがよさそうかもしれない。

 ハシュはそう思って口を開こうとしたが、先に秘書官が声をかけてくる。


「ハシュが傍にいてガミガミ言えば、すこしはあいつも食べるだろう。お前がここにいるってことは、――団長に用があるんだろう?」

「え、ええ。でも……」

「かまわない、来い」

「えッ?」


 団長の食事の時間を邪魔するわけにはいかない。

 さすがのハシュも礼儀は心得ているので、恐縮そうに一歩引こうとしたが、秘書官に腕を取られてしまい、やや焦る。

 だが秘書官はまったく気にせず、


「秘書官の俺がいいって言っているんだ。ハシュ、来い」

「で、でも……」


 例え団長本人も「かまわないよ」と言ってハシュを部屋に招いてくれても、ハシュが持ちかける話は彼の食をさらに細めそうな内容だ。――その自覚がある。

 ハシュは半ば本気で恐縮したが、元武官の腕力はまだまだ健在で、腕を取られたハシュは攫われる勢いで秘書官に引き寄せられてしまう。


「じゃあ、お前には俺に付いてくるだけの理由をやろう」

「理由?」

「俺のかわりにワゴンを運べ」

「はうッ」


 にこりと笑って、平然とこき使うその発想。

 まるで「兄」のようにこだわりがない。

 この秘書官に弟妹がいるのかは知らないが、ハシュには年の離れた実兄がいるので、こういった態度や口やかましくなると厄介になるという予感だけは充分に感じ取れてしまう。

 秘書官はハシュの実兄より二、三歳ほど年上だったが、こういう気さくさが年齢を感じさせなくて好ましい。


「で、では……仰せのとおりに」


 ハシュは団長までの面会をあっさり許可されたことに感謝するが、せっかく上官たちを脅して判子を捺してもらった面会申請書も、この瞬間に紙切れとなったことを哀れに思うべきか。

 この世はやっぱり書類が物事を動かすのではなく、鶴の一声を持つ権力がやっぱり強いのかな、とハシュは現場の実権というものを何となく考えてしまうのだった。

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