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ハシュは十月騎士団に戻りました

「おはようございます! ――ハシュ、戻りました!」


 ハシュが十月騎士団の敷地に戻ったとき、時刻はまだ昼食時と呼ぶには少々早いころだった。

 腕まくりのシャツ姿で敷地内の厩舎に戻ると、今日も職務に励んでいる同期の伝書鳩と会った。

 同期は朝から姿を見ていなかったハシュにぱちくりとまばたきし、すでに充分な汗を掻いているハシュにもう一度まばたく。


「――あれ? ハシュ。きみは今日、非番だろう?」


 最初は早朝から気分転換で思いきり遠乗りでもしてきたのかと思ったが、ハシュが着る腕まくりのシャツもスラックスも軍装のもので、私服ではない。

 しかも荒い呼吸をくり返して気息を整えようとしている軍馬には書類の山――装着されている鞄に封筒がびっしり詰め込まれているようすがうかがえる。

 量からすると国府の五月騎士団から戻ってきたのだろうなと予測もつくが、でも今日のハシュは非番のはずだ。さすがに書類集めに命を懸ける上官たちも、非番相手に仕事を頼むような鬼畜の極みはしないはず。――たぶん。

 はて? と首をかしげると、その間にハシュは身軽に下馬して、すぐさま近くの水道まで駆け寄って栓を回すなり、頭から水をかぶってしまう。

 まだ秋はじめなので、日中に掻いた汗から解放されようと思えば、かぶる水の温度はまだ心地がいい。

 その最中のハシュの息遣いも軍馬とおなじでどこか荒く、「はぁ、はぁ」と浅く速い。ただ、疲労や気鬱めいた表情はなく、まるで爽快な運動をしてきた後のように気配までもが生き生きとしていた。

 おまけに普段のハシュでは見られないほど豪快に、両手で受け止めた水で顔を洗うのを見て、ずいぶんと気持ちよさそうに疲れているな、と感じる。

 しかし――。

 頭と顔をずぶ濡れにしておきながら拭うタオルを用意しておらず、それを気にすることもなく着ているシャツで顔を拭おうとするハシュには呆れる。

 同期はため息を漏らしながらタオルを手渡した。


「珍しいね、ハシュが男前に頭から水浴びするのは」


 声をかけると、ハシュは「ありがとう」と言いながら受け取ったタオルで顔を拭い、髪の雫を簡単に拭いながら、


「何言っているの、俺はずっと男だよ?」

「……」


 うん、そういう意味で言ったんじゃないんだけど……。

 いつものハシュらしい返答に、同期はただ黙する。


 ――まぁ、ハシュがこの調子なら心配することもないだろうけど……。


 聞けば昨日。

 ハシュは皇宮内にある四月騎士団から書類を受け取って戻ってきたとき、何やら半ばパニックになっていて、べそまで掻いていたという。

 それを目撃していた同期の伝書鳩も詳細はわからずじまいだったが、上官たちはこれに奇怪な怯えをしていたという。

 ほんとうによくわからないが、どうやらハシュは書類を受け取る際に失礼でもしたのか、四月騎士団団長に泣かされて帰ってきたとか、そんなふうに上官たちがひそひそと話しているのを耳にしている。

 その後ハシュは、持ち前のパニックを全開にして、五月騎士団に行かなくてはと叫び、夕暮れを前にして十月騎士団の敷地を飛び出して行ってしまった。そこから誰もハシュの姿を見ていない。


 ――ハシュは夜が駄目だというのに。


 いったいこのひと晩、どこで何をしていたのやら。


「ハシュ、どこから戻ってきたの?」


 同期が問うと、


「ん? 十二月騎士団。――昨日はバティアの部屋に泊まって、今日はみんなの前で馬場外周をバティアと勝負して、その足で戻ってきたんだ」

「……何でまた、十二月騎士団なんかに?」


 あまりにも簡略しすぎるハシュの説明では、情報整理も前後不明。

 同期は眉を寄せてしまう。

 五月騎士団に行ったのは確かだろうが、何で十二月騎士団から戻ってくると話が飛躍するのだろう?

 ひょっとして……。

 ハシュは十二月騎士団で団長を務めることになった同期のバティアとは親友だから、五月騎士団での書類の受け渡しの後に足を延ばして十二月騎士団に向かい、泊まって、いま帰ってきた。

 そういうふうに状況をやや乱暴に繋げると、経緯はともかく、最低限のつじつまが合う。

 でも夜の世界を渡ることができないハシュが、どうやって日が暮れたあとだろう五月騎士団を出立して、移動時間もかかる十二月騎士団に向かうことができたのか。ここが謎すぎて引っかかる。

 まぁ、それは後でゆっくり聞けば判明するだろう。


 ――それに、バティアと勝負してきたって……。


 これも謎だが、ハシュがバティアと勝負できると言ったら馬術しかないし、馬場がどうのこうの……と言ったら、たぶん勝負の内容は速さを競う競馬だろう。

 同期はとにかく最低限の情報から理解を導き出そうとする。


「で、バティアは?」


 バティアは文武両道に長けているが、競馬でハシュと勝負したのであれば、その結果は聞くまでもない。

 一応、その意味で問うてみたのだが、ハシュの答えはやっぱりハシュだった。


「うん、元気だったよ」

「……あ、そう」


 ――いや、そうじゃなくてさぁ。


 同期はやっぱり期待できる返答をもらえなかったので呆れるが、ハシュの日常が不思議なほど珍妙に溢れているのは知っている。なので、他の同期も集めて、近いうちに詳しい話を聞かせてもらうことにする。

 自分では経験もしたくないが、聞くぶんには充分に娯楽性があるので、ハシュの日常は聞いても飽きがこないのだ。

 一方で――。

 厩舎に戻るなりハシュから騎馬の栗毛色を預かった厩務員たちは、素早く装備されていた鞄を外して、鞍や鐙などを外して、栗毛色を労いながらすべての装着から解放させていく。

 栗毛色もさすがに楽になったと見えて、全身を大きく震わせる。

 役目を終えた安堵の息を吐いて、走り終えた騎馬たちが自分のペースで気息が整えられるよう、解放場となる簡単な馬場へと連れて行かれる。

 その厩務員たちとはべつの、ハシュと懇意となった厩務員が、昨日のパニックとべそ掻きとは打って変わってのようすを見せるハシュに、にやにやとしながら近づいてくる。


「やっぱり朝帰り――厳密に言うと、昼に近いのだが――は気分もいいだろ?」


 などと自分の解釈で言ってくるので、即座にそれがどういう意味なのかを見抜いた同期は「これだからおっさんは……」と額を押さえてしまったが、まるで意味が通じていないハシュも負けずに、


「はい、とっても楽しかったです!」


 と、完全に揶揄に揶揄を上乗せしたので、


 ――何で、ハシュはいつもこうなんだ?


 同期はそのまま頭痛を覚えてしまう。

 厩務員の揶揄は、こうだ。

 昨日は皇都の街で出会った初めての彼女とお泊りデートを約束していて、その時間が迫っているからあわてて出かけ……そうして立派な男になって帰ってきた。

 そんな勝手な色事の想像で揶揄したのに、ハシュの返しもこれだ。

 当人はこの手の話が潔癖すぎるほど苦手だというのに、どうして噛み合っていないのに噛み合ってしまうのか。――そこが謎すぎるほど恐ろしい。

 あとで「酷い誤解をしていたよ」と教えてやるべきだろうか?


「ほんとう、ハシュはお気楽だよねぇ」

「?」

「――べつに」


 同期はどうしたものかと悩んだが、ハシュはまったく気にすることなく、今度は何に忙しくなるのか、きょろきょろとあたりを見回しながら厩務員に向かい、


「すいません。このあと午後には皇宮内の四月騎士団の庁舎まで出向きたいので、いたら黒馬を用意してもらいたいのですが」

「黒馬?」


 ハシュが用意を頼んだ騎馬は馬種類のなかでも最速を誇る競走馬で、この十月騎士団の厩舎には数頭所属しているが、なかでも毛並みが黒の黒馬はもっとも脚に優れている。

 移動距離と受け渡しの書類が嵩むときは、ハシュも先ほどまで騎乗していた軍馬の栗毛色を重宝するが、単に短距離の移動や、抱える書類がすくないときは競走馬の黒馬をハシュは好む。

 黒馬も栗毛色もハシュを騎手として好んでいるが、問題はただ一点。


 ――両馬とも気性が荒く、十月騎士団で自在に乗りこなせる騎手がいない。


 皆無ではないが、騎乗するまでが手こずり、走らせても手こずる。

 つまり、誰も起用したがらないのだ。

 それもそのはず――。

 どちらもまだ年は若く、以前所属していた騎馬隊の八月騎士団でもまだ充分に現役で活躍できる実力を持っているのだが、如何せん性格が伴わず、早くに引退馬としての烙印を捺されてしまった、いわく付き。まさにじゃじゃ馬。

 それをハシュが手懐け、自在に操るものだから、この二頭はもうハシュの専用馬と言っても過言ではない。

 そして――。

 それを自覚しているのはこの二頭もおなじで、競走馬の黒馬と軍馬の栗毛色も似た者同士の気性なので、とにかくハシュを独り占めしたくて堪らない。

 昨日、ハシュが栗毛色とともに出かけて帰ってこなかったとき、黒馬はこの事実が恨めしく、一晩中荒れていたほどだ。

 そのハシュに指名されて、馬房にいた黒馬は態度を一変させて、


 ――いますぐ出かけるぞ!


 と、今度はやる気を漲らせて嘶いてくる。

 その嘶きを聞いて、外の解放場でひと息をついていた栗毛色が今度は腹を立てて暴れはじめる。


 ――この伝書鳩めッ。

 ――昨日、いちばん頼りになるのはこの栗毛色だと言ったのは嘘なのかッ!


 そんなふうに癇癪を全開に表すものだから、厩務員が数人がかりで宥めに入る。他の騎馬たちは「またか」と思い、我関せずを決める。

 そんな状況を見てハシュは、あはは、と笑い、顔を突き出してくる黒馬の鼻先を楽しげに撫でてやる。


「ごめん、先に上官に書類を届けたり、ちょっと会わなければならない人がいるから、その用事を済ませてからね。――今日は一気に攻め込むよ」

「?」


 そのハシュの予定を聞いて、同期がさらに怪訝がる。


「ハシュ、今日は非番だよね」

「うん」

「なのに、これから皇宮内の四月騎士団まで行く気なの?」


 いったいどうして、と思い尋ねると、ハシュもどこか説明に困った表情を浮かべながらかるく頬を掻き、


「まぁ……、今日は非番を度返しでも下準備しなきゃいけないことがあって」

「下準備?」


 そう。

 あの七三黒縁眼鏡鬼畜……もとい、四月騎士団団長に「ぎゃふん」と言わせるための布石を打つために。

 そのためにハシュは、バティアからの協力を得たのだ。


 ――これは何があろうと、絶対に成功させなければならない!


 ハシュはぐっと拳を握る。

 そのハシュが何かをやらかそうとしている。

 下準備と言ったが、それがどうして皇宮内の四月騎士団に向かうことになるのか。尋ねてみたが、同期にはさっぱりわからない。

 だいたい皇宮は、このトゥブアン皇国の頂点である唯一皇帝の御座所だ。

 十月騎士団の伝達係――伝書鳩とはいえ、気軽に立ち入れる場所ではない。ハシュはそれを忘れていないだろうか?

 同期はいよいよ心配になってきたが、


「大丈夫だって。俺、かならず四月騎士団団長に()()()()って言わせてみせるから」

「……ぎゃふん?」

「そう、ぎゃふん!」


 この高揚的なハシュの言動はある意味通常運行だったが、もはや意味不明のハシュに厩務員も同期もただ唖然とするしかなかった。


「ハシュ、お前……命を無駄にする気か?」


 直截の対面はないが、噂に名高き四月騎士団団長のことは厩務員も知っている。ただ、彼にハシュを正気にさせる手立てはひとつもなかった。

 同期の伝書鳩も幸いに四月騎士団団長のことは存じ上げなかったので「ふぅん」と聞き流すていどで終わる。

 だいたい非番のハシュとはちがって、同期はいま職務中なのだ。

 これから上官から預かった書類を届けるために五月騎士団の総務府へと向かわなければならない。それで厩舎に来たら、ハシュと出くわしたのだ。

 いつまでもハシュに唖然としている暇などない。


「じゃあ、ハシュ。今日の夕食のときに話を聞かせてね」

「うん。俺も話したいことがいっぱいあるから、迷っちゃうよ」

「そういうときは、時系列」

「あはは」

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