二日やる、クレイドルを連れてこい!
「――あと」
唐突につけ加えるようなロワの声に背中を刺されて、ハシュはびくりとしてしまう。
あとすこしでここから逃げ出すことのできる最後の動作――扉の取っ手に手がかかるというのに、足のほうが先に止まってしまった。
――まだ何か言うつもりなのか、この人はッ!
嫌な予感しかしないハシュは、振り返るのが怖かった。
けれども背を向けたまま言葉を受けるのは、このトゥブアン皇国に十二ある騎士団の十二席しかない一座に着座することのできる相手に対し、さすがに不敬だろうと思われた。しかも相手が悪すぎる。
「……何でしょうか?」
ハシュはどうにかしてふり返ると、ロワは腕を組んだまま窓越しに寄りかかっていた。
それはただの姿勢のひとつだというのに、彼がするととことん相手を侮っている独尊を表しているように見えてならない。同時に、不思議と彼だからこそ似合う姿勢にも見えてしまうから、印象というのはじつに怖い。
嫌ならふり返らず逃げればいいものの、ハシュはふり返り、しかも用件の追加を伺う言葉を発してしまった。
自ら退路を断ってしまった以上、逃げ場などどこにもありはしない――。
「これは急ぎではないから、二日待ってやる。――クレイドルを連れてこい」
「……は?」
――……?
「え……と?」
ロワはいま、何と言ったのだろう?
これまでの会話とは関係性があるとは思えない、また唐突な話がはじまった。
――誰を連れてこいと?
しかもまた、拒否権なしの命令口調ときた。
ハシュは思わず目をまばたいてしまう。その左目もとにあるほくろに怪訝を浮かべながら、
「恐れながら、ロワ団長。いま誰を……いえ、どちらの方をこちらまでお連れしろと?」
――クレイドル?
けっして珍しい名前ではないと思うが、ハシュにとってその名は初耳だった。
なので、簡単に心当たりが浮かぶ顔がない。
誰だろう?
この流れでいうと、明日、急な呼び出しが確定した十二月騎士団所属の学長の名前でないのは確かだが、では誰を? どうして突然?
思いきって恐る恐る尋ねてみると、ロワはそれこそ間抜けを哀れに見る目つきをし、思いのほか柳眉に整ったそれを動かしてくる。
「何だ、伝書鳩は一度では言われたことも理解できんのか?」
「も、申し訳ございません……。その、そうではなくて、自分には面識のない方のお名前でしたので、どちらにいらっしゃる方なのかな、と」
「それはいま、私が貴様に教えなければならないことか?」
――いやいやいや!
教えてもらわないと、声のかけようもないし!
どこに向かえばいいのか、根本的に必要な情報だと思いますけど!
ハシュは心中で不満を叫ぶが、これ以上余計な口を開いてなお話を捩じらせるわけにもいかない。ハシュは不満をぐっと堪え、
「何もかも不勉強で申し訳ございません。……ですが、存じ上げない方のことですので、万が一まちがっては失礼にあたります」
どうしてここまで自分が頭を下げなければならないのだろう?
理不尽極まりないロワに、それでもハシュは怒りとめまいに堪えてわずかな沈黙の時間を待つが、目の前の四月騎士団団長から口を割るようすはなかった。
それどころか、
「伝書鳩。貴様はどうして労を取ることを厭うのだ? 私が犬か猫に会いたいとでも思うのか?」
「い、いえ、そのようなことは」
「だったら、奴を知っている誰かを探し、奴の居場所を聞いてたどり着けばいい話だろう?」
「ごもっともですが……」
――いや、だから!
――その「奴」とやらを判断する必要もあるから、尋ねたっていうのにッ!
「そうとわかっているのなら、なぜ聞く? ――貴様は馬鹿か?」
――何でそうなるのさッ!
ハシュはほとんど叫びたくなった。
ただでさえ伝書鳩の日々は時間に追われる一方だというのに、その上、名前だけを頼りにどこの誰とも知れぬ相手を正しく探し出して「四月騎士団団長がお呼びです」と伝える暇などあるものか!
今日はもうそれどころではなくなったというのに、「二日待つ」ということは、じっくり探す時間を得たとしても中一日……明日しかないではないか。
――だいたいそれは、俺じゃなきゃ都合が悪い事柄なのッ?
――いや、そんなことないでしょッ!
「せめて、クレイドルさんの特徴……例えば、一般の方なのか、それとも武官か文官、どちらかの騎士であられるのか。教えていただくわけには……」
「これでも私は責任ある立場だ。個人情報を易々口にすることは憚れる」
「……」
――この人との会話は疲れる……。
ハシュはどうにかして逃げ道を模索しようと数時間前に上官に「臓器以下」と罵られた脳を最大限に駆使して考えたが、ハシュのそれを簡単に見通しているロワがすぐそばの机の引き出しに手をかけて、一通の封筒を取り出してくる。
そして――ずいぶんと意味ありげにそれをハシュに見せてきた。
「伝書鳩、これが何かわかるか?」
「封筒です」
ハシュはどこか開き直って見た目のまま素直に答えると、ロワが珍しいことに一瞬だけ鼻白んだが、
「じつを言うと、これが最優先の書類でな。貴様に渡しそびれたことをいま、思い出した」
「それって……」
ハシュでもわかるわざとらしい演技に「絶対に嘘だッ」と今度こそ声も出かかったが、実際叫んだところでロワの有利が揺らぐわけではない。むしろハシュの不利が増えるだけだ。
それを察したハシュを察するロワが、じつに愉快そうに笑んでくる。
「二日後に渡してやると言ったら――やる気も出るだろう?」
「~~~~~ッ」
その封筒が真実最優先なのかは、ハシュには判然がつかない。
だが、それを餌にこき使われることを宣言されたハシュには、すでに拒否権というものが存在しなかった。
――承りました、何てひと言も言っていないのにッ!
いったい、初対面の伝書鳩を苛めて何が楽しいというのだろう――?




