ハシュの真骨頂、ここにあり!
「ああ……、嘘でしょ?」
いったい、この馬場一周のお膳立てはどこまで手配が整っていたのだろう?
聞けば、下級生は朝から馬場内周に集められて剣技の授業を受けながら見学待機しているというし――ハシュとしては、てっきり馬場の観覧席に彼らが集められ、そのなかで全力疾走するものだと思っていた――、学舎で学術の授業を受けていた上級生に至っては、教師陣が、
「ハシュとバティアが決闘するぞ! すぐに馬場に向かえッ」
などと言葉を選ばずに叫び回ったものだから、全員がとんでもない瞬発力で馬場の観覧席に集まってきたし寮母たちも家政従事者たちもあわてて飛び出してきたようすが一目瞭然で、年齢的に息を切らしている者も多い。
おかげで馬場は、とんでもない衆目とにぎわいで一変してしまった。
馬術の教官たちはほんとうに学舎や寮棟、食堂に至るまですべての関係者を短時間でかき集めてしまったのだ。
さすがは元武官。
戦場を想定した伝令訓練も受けているから、その伝達力は驚異的すぎる。
――先生って、こういうときの機動力が異常だよね。
ハシュはいよいよちがう意味でめまいを覚えてしまう。
――大事にはしないで、って言ったのに……。
学術の先生、あなた方はほんとうに「大事にしないで」の意味を存じて教壇にお立ちなのでしょうかッ?
ハシュは叫んで抗議したい!
例えバティアがハシュに勝負を挑まれなくても、最初から仕組まれていたお膳立てで観覧席もあっという間に現状のようににぎわったのだろう。
存外、教官や教師陣もお調子者が多いから、目を離せばすぐこれだ。
思うと、ハシュは握った拳を震わさずにはいられない。
――もうッ!
――これだから大人は油断ができないッ!
ここまで大げさになるなんて思ってもいなかった!
こんなにも観衆に湧いてしまった馬場で、バティアはほんとうに集中を途切れさせることなく騎乗できるのだろうか。
ハシュは先ほどから真剣な気配を維持しているバティアを気遣い、ちらりと見やる。するとさすがにバティアもおなじことを思ったのか、ちらりとハシュを見てくるので、碧眼とやや暗めの橙色の瞳がそこでぶつかる。
――まさかここまで大事になるなんて思わなかったよ、ごめんね。
――それでも俺との勝負を受けてくれて、ありがとう。
――……うん。
一瞬、互いに何とも言えない表情で視線だけで会話をする。
だが、それだけだった。
バティアはほんとうにハシュに真剣勝負を挑む、その集中を崩していないし、それが痛いほど伝わってくる。
半面、ハシュの脳裏はまだ雑念だらけだった。
――勝負、か。
ハシュはあらためて思う。
十月騎士団の伝書鳩としての日々は、確かに充分すぎるほど騎馬に跨り皇都地域を奔走しているが、それはひとりでひたすら書類の受け渡しを熟すために全力疾走をしているだけ。
誰かと技術や速度で競り合う必要のない疾走だ。
なので、誰かと競るのはハシュにとっても久しぶりのこと。
しかも相手は親友のバティア!
こんなかたちで今日、バティアと別れを告げるなんて……。
――何で俺って、いつもこうなっちゃうのかな?
ハシュは肩を落とすように大きなため息をつく。
そして吐ききって、顔を上げた瞬間――。
ハシュはようやく表情をあらためて、別人のように集中をはじめる。
このとき、ハシュもバティアも自身の騎馬に騎乗したが、ハシュにとってそれは呼吸をするのとおなじくらいの動作だったので、視界が高くなった、そのていどの間隔でしかなく、騎乗した感覚はこれといってなかった。
鼓動がドキドキと高鳴っているが、これは緊張ではない。
ハシュにとってそれは「絶対に負けるものか」という決意を研ぎ澄ますものに似ている。
鼓動という秒針が進むにつれて集中力が高まり、となりでおなじように集中を高めているバティアと彼の騎馬である白斑の気配が……ハシュから消えていく――。
――ハシュの周囲にはもう、誰もいなかった。
いてもいいのは自分だけ。
そしていま、目の前に映る世界は自分だけのもの。
ここには相手が誰であろうと、割り込ませるわけにはいかない。
そのようなこと、させるものか……ッ。
ハシュの集中は極限まで高まり、昂る感情はすべてハシュの覇気となっていく。
まだ遠くにハシュがいるというのに、馬場に集ったものすべてがその気迫に呑まれ、声を出すどころか、微動もできない。
「栗毛色、――行くよ」
ハシュの世界に入ることを唯一許された、スタートの合図を伝える教官が旗をかまえる。
そして――。
旗が大きく振られた瞬間!
「はッ!」
ハシュとバティア。
同時に気迫の声を上げて、騎馬を走らせた。
ふたりの騎馬が並んだのは、スタート時のわずか一瞬。
つぎの瞬間には栗毛色にどんな奇術で瞬発力を与えたのか、ハシュはすでに四馬身の差を出して一気に独走状態となって馬場の外周に飛び込んだ!




