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バティアに申し込まれた、一騎打ち勝負

 先ほど団長公室から出るときに、ハシュはバティアに呼び止められた。

 何だろうと思い、話を聞くと、帰り際に馬場を一周、全力疾走の姿を後輩たちに見せてやってほしいと教官や教師陣から熱望が入ったという。

 この申し出にはさすがにおどろいたが、ここ十二月騎士団には充分にお世話になった。昨夜はとくにランタン騎馬隊による幻想的な出迎えを受けた。

 そのお礼に……という名目でハシュは最初頷いたが、それを承諾した瞬間――バティアの気配が変わった。

 それまで蕩けるようにハシュを見ていた碧眼が怖いほどの真剣な光を放ち、


「その馬場一周の際、ハシュと真剣に勝負がしたいんだ」


 バティアがそう言って、ハシュに早さを競う競馬勝負を申し出てきたのだ。



□ □



「え……?」


 これもまた突然の申し出なだけにハシュは驚愕し、何度も忙しくまばたいてしまった。

 バティアはいま、何て……?

 バティアに手を取られたまま、ハシュが半ば現状に混乱してしまうと、バティアの碧眼がなお厳しい色を浮かべてハシュを見つめてくる。

 あまりの真剣な表情にハシュは一歩、思わず身を引こうとしたが、ハシュの手を取ったままのバティアが「逃げないで」とハシュを引き寄せるようにぐっと握る力を込めてきて、もう一度思いを伝えてくる。


「――ハシュ、俺と勝負してほしい」

「バティア……」


 バティアがこんなふうに誰かに対して勝負を求めてくるのは、稀、だった。

 しかもハシュに関して言えば、皆無。

 何かを半ば無理強いするように求めてくることは、これまで一度だってなかった。

 だからハシュは余計に混乱してしまう。


「競馬で勝負……」


 これを挑まれたのはバティアにかぎって言えば初めてのことだが、ハシュの馬術が見事に開花して、あっという間に才覚を発揮するようになったころ、ハシュは周囲の同期たちからよく競馬での勝負を申し込まれるようになった。

 その勝負は勿論授業以外のところだったが、馬場を使う許可や安全面の確保で多くの教官たちがおもしろそうに立ち会い、半ば公式のように何度も真剣に勝負を繰り広げたものだ。

 最初のころこそ接戦の勝負も多かったが、ハシュはもう負けを知ることはなかった。

 それどころか何馬身もハシュが一気に引き剥がす独走、一方的な展開となって、気がつけば――ハシュはもう誰の気配も寄せつけず、誰かの背中を見ることもまったくなくなっていた。


 ――目の前にあるのは、自分だけの風景。


 ハシュが望めば望むほどその風景は開放的で、信じられない速度で流れていく。

 そんな独走状態にいつしか騎馬隊の八月騎士団を経験してきた教官たちのほうが本気になって、ハシュに勝負を挑んでくるようになった。

 さすがに元武官の教官を追い越すのは容易ではなかったが、自分が走りたい風景を邪魔するその背はけっして遠くもなかった。

 走り終えると周囲はいつも拍手喝さいで、ハシュにやりきる喜びと楽しさを与えてくれた。ときには孫の上達を喜ぶように、見学に来ていた学長も身を乗り出して拍手してくれたことをハシュは覚えている。

 以降は独走状態のハシュが見たくて、見惚れたくて、何度も勝負を挑まれるようになった。


 ――自分が勝負を挑まれるなんて、夢みたいだ。


 剣技ではどれほど同期に勝負を挑んでも、たった一撃で吹き飛ばされるというのに――。


 ――剣技では並ぶことはできないけれど……。

 ――馬術なら誰にも並ばせない!


 それは過剰な自信ではなく、ハシュが自身の集中力を高める初めての欲望と原動力になった。

 そのなかで――。

 周囲の盛り上がりに付き合うかたちでバティアも競馬勝負の一員として並んだこともあったが、ハシュは一度としてバティアの姿を目に入れたことがない。

 最後にバティアの姿を見るのは、いつもスタートラインに並ぶ準備のときぐらいだった。

 つまり――。

 剣技に関してバティアは真実上位に立つこともできたが、競馬……馬術に関しては一度もハシュに勝ててためしがない。

 無論、成績は悪くなかったが、ハシュの独走の後につづく上位陣に食い込めたかというと、それに並びきることは不安定だった。

 同期たち剣技の上位陣が「化け物揃い」なら、ハシュの馬術の独走状態はまさに「脅威」でしかなかった。

 それがハシュとバティアの実力の差だった。


 ――それは誰よりもバティア本人が知っている。


 もとより誰かに勝負事を挑むのは得意ではなかったので、バティアはいつもハシュの応援に回っていたのだが……。


「――勿論、ハシュが今日も忙しいのは知っている。何より、無理強いしたくないと言ったのは俺だけど……」


 でも、とつけ加え、


「ハシュに競馬を披露してほしいと教官たちに頼まれたとき、何だかふとハシュと勝負をしたくなったんだ」

「でも、俺……」


 バティアがそうやって自分に挑む心を向けてくれるのは嬉しいが、ハシュは困惑する。

 互いに馬場一周の走りを競い合うのはかまわない。

 だが、バティアがハシュの時間を充分に配慮しているように、ハシュには今日もやることだらけで時間がない。できることならいますぐにでも十二月騎士団を出立したかったが、その気持ちを押さえて、教官らに熱望された馬場一周は承諾した。

 でも勝負となると、何だか気が引ける――。

 この困惑をどう説明すればいいのか。

 自分でもうまく言えなくて、ハシュがそのまま黙ってしまうと、バティアがすこしだけ柔和を取り戻してくる。


「ごめん――。ほんとうにハシュを困らせるつもりはないんだ。嫌なら俺の申し出はなかったことにしていいよ。ハシュも馬場を一周したらそのまま正門を抜けてかまわない」


 ただ……。


「その寸前まで競るように走りたいだけなんだ。何も特別な場を設けようとは思っていない」

「バティア……」


 バティアは引き下がるように言ってみせるが、


「もうお互いに少年兵じゃない。立場はちがうけど、互いに騎士になったんだ。その騎士としてハシュに勝負を挑む機会は、いまを逃したらもうないかもしれない。そう思うと……」


 どうあっても勝負をしてほしいと、まるで懇願するように手を握ってくる。

 武官と文官。

 十二月騎士団団長と、新人の伝書鳩。

 そう、――すでに立場は明確に分かれている。

 だが、その立場を関係なしに「騎士」としての一騎打ちを望むバティアの碧眼は真剣そのもの。言葉にある機を逃したくはないという焦りも含み、眼光の鋭さは衰えていない。

 ハシュは堪らず、その視線から顔を逸らしてしまう。

 そのようなバティアを見たことがないので、ハシュも怯みがちに、


「機会がないってそんな……。――あ、そうだ。今度の休みをその勝負に当てるのはどうかな?」


 何となく場を濁そうとして発案してみるが、バティアは否定的に頭を振ってくる。


「きっとみんな、ハシュの走りばかりに目を奪われるだろうから、俺の走りなんか誰の目にも入らない。――でも、だからこそ俺はその目のなかでハシュと勝負がしたいんだ」

「……」


 ――バティア、どうしたの?


 バティアはまるでハシュ自身が気がついていないだけで、困惑する根底を直感したようになお食い下がる。

 少年兵を育成する十二月騎士団を修了して敷地の外に出たハシュと、立場こそトゥブアン皇国にある十二の騎士団、その団長位の一席に座することになったが、いまだ少年兵たちとおなじ敷地に残っている自分。

 この三ヵ月でいったい、どれだけの差がついてしまったのか。

 バティアにはそれを純粋に知りたい気持ちもあったし、昨夜、ハシュに対して生涯告げることのできない秘密を抱えた以上、近い将来、真剣に向き合ってほしい想いのためにもバティアはどこかで自分を律したくなった。

 それが否応なしに実力の差が出る、勝負、だった。


 ――どうしてバティアが「いま」にこだわるのか。


 ハシュにはまだわからない。

 ただ、ハシュに無理強いすることも困らすことも厭うバティアがどちらも強いてきて、ハシュがうなずくまで離さないといった気迫に負けてしまい、ハシュはこの空気を回避するために承諾を選んでしまう。他に余地などなかった。

 この事態はバティアと出会って、親友になって初めての出来事だった。

 ハシュはいまになって自分が額に汗を浮かべていたことを知る。


「じゃあ……、バティアが()()()()()()でいいのなら」

「――ありがとう、ハシュ」


 けっして乗り気ではない口調のハシュに、バティアは自分にだけ意味がわかる笑みを浮かべる。


 ――このときハシュは、ちがう意味で気づくことができなかった。


 バティアの思惑はわからない。

 だからこんなふうに言うしかなかったが、この物言いこそがハシュが勝負を渋る根底そのものだったのだ。

 馬術の勝負に関して……こと競馬に関してバティアが自分に敵うはずがない。けっして侮っているわけではないが、ハシュはそれを充分に承知している。

 だから()()()()()()――。

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