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ハシュは競馬を披露することになりました

「先生、お待たせしました!」


 ハシュが十二月騎士団内にある厩舎地に向かうと、そこではすでにハシュの騎馬である軍馬の栗毛色に五月騎士団の内務府から預かった封筒を入れた鞄がしっかりと装着されていて、いつでも騎手であるハシュが騎乗できるように馬具もしっかりと付けられていた。

 傍らでは用意してくれた教師たちと、昨夜、ハシュに容赦のないデコピンを食らわせた体躯のいい教官たちが楽しげに談笑していて、ハシュが声をかけて現れるなり、気さくに手を上げてくる。


「遅いぞ、ハシュ。まさか、ほんとうに寝坊していたんじゃないだろうな?」

「あはは……」


 尋ねてくる教官にハシュは笑ってごまかすが、裏を返せば「はい、そうです」という返答になってしまい、彼らの笑いを誘う。

 これが少年兵であれば、実際容赦なく怒られるのはまちがいないが、昨晩の夕食でハシュの一日の奔走行程を聞かされれば冗談でも怒れない。

 ハシュは頬を掻いて、すぐさま騎馬の栗毛色に抱きつく。


「おはよう。――昨日はほんとうにありがとう。ちゃんと休むことができた?」


 問うと、栗毛色も嬉しそうに顔を寄せてくる。

 普段であれば「遅いぞ!」と言いたげに鼻息荒くハシュをねめつけるしぐさをしてくるというのに、何とも不思議なことに、今日は朝から上機嫌だ。

 これは珍しい。

 ハシュがまばたきながら黒毛色の鼻もとをポンポンと叩くと、教官もおなじように栗毛色の傍に立ち、その鍛え上げられた首筋を愛しげに撫でる。


「こいつは十月騎士団に下るのはもったいないほどの軍馬だな。普通ならもう数年は現役として騎馬隊の八月騎士団に居られただろうに」

「……はい」


 栗毛色はまだ若く、持ち前の性能も所属当時は上位だっただろう。

 ただ、手を焼く気性の荒さが仇となって、早くに現役引退馬となり、武官の八月騎士団から文官の十月騎士団所属騎馬としての移動を余儀なくされた経験を持つ。

 栗毛色がその「左遷」をどう思っているのか。

 さすがのハシュも本心はわからないが、ハシュにとってはこの上ない見事な名馬で相棒だ。いてくれて、ほんとうに感謝している。

 ハシュはそれを口に出さず、表情に浮かべながら栗毛色を撫でていると、


「ハシュには悪いが、お前がここに来る前にかるくこいつで馬場を走らせてもらった」

「え?」

「安心しろ。長距離移動前の簡単な散歩だ。いつもハシュの面倒を見てくれてありがとなって褒めちぎったら、まぁ、可愛いこと」


 ハシュが十月騎士団に入団して乗りこなすまでは、誰がどのようにあつかえたのか。それが不思議なくらいに騎手を選んでいると、十月騎士団の厩舎に務める厩務員(きゅうむいん)たちも言っていたのに。

 それをあっさり手懐けて、乗りこなしてしまえるとは。

 さすがは騎馬隊の八月騎士団出身の教官だな、とハシュは感心する。


「なかなかいい気性じゃないか。俺にはちょうどいい手ごたえだった」


 教官はそう言って、しばらく自分の専用騎馬にしたいくらいだとつけ加えてくる。

 これはかなりのようすで栗毛色を気に入ったのだろう。


 ――言われてみると……。


 栗毛色と教官は何となく似ているような気がする。

 もし栗毛色が人間だったら、――当然、武官の騎士だろう。

 それにふさわしい気性と技量はあるし、きっと教官とは意見の衝突で喧嘩ばかりの衝突もするだろうけど、それが親友と呼べる仲になるかもしれないし、だから栗毛色もすぐに教官を気に入って懐いたのだろう。

 思えば、何だかんだとハシュを気にかけて世話をするところが教官に似ている気がする。

 だから栗毛色に安心できるのか、と思うとハシュは堪らず苦笑してしまう。

 その一方で――。

 先ほどからハシュが背負っている鞄の中身が気になるのか、栗毛色がその匂いを嗅ぎ取り、妙に興味を持って鼻先を近づけてくる。ふん、ふん、と熱心に嗅いでくるので、気がついたハシュはあわてて離れる。


「ごめん。これはきみの食べられるものじゃないんだ。――まぁ、ポレットぐらいならあげてもいいかな?」

「ポレット?」


 ハシュという新人文官の背には、何やら奇妙に膨れている鞄が背負われている。

 黒毛色の鞄が特注の一級品だとしたら、ハシュの背負い鞄は容量次第でいくらでも形が変わる、ごく一般的で簡素な布地拵えだ。

 いま、ハシュがポレットと言ったので、背負い鞄にはそれがあるのだろうけど、どういうことだと教官が太い首をかしげてくる。それによく見たら、花壇の花でも摘んだのか。それをまとめたようなものがわずかに顔をのぞかせている。


「何だ、ハシュ。帰りは散歩気分か?」


 教官はハシュのこれからの予定を知らない。

 恐れ知らずのこの伝書鳩が、これから壮大な野望を――かの有名な四月騎士団団長を、ぎゃふん、と言わせる――抱いているなど、誰が想像しよう?

 なので、何となく揶揄いを口にすると、ハシュもすこしだけ笑い、


「このポレットは、先ほど寮母さんたちからいただいたんですよ。花は昨日、俺を歓迎してくれた新入生の子からもらったんです」

「へぇ。ハシュはモテモテだなぁ」

「あはは」


 確かに中身はクッキーだ、ポレットだ、慎ましい花束といった感じで文官の軍装姿が背負うには様にならないかもしれないが、だが、ハシュにとってはこちらのほうが遥かに大切で、かけがえのない真心だ。

 とくに花束は人生ではじめてもらった品になるので、どうやったら長く持たせることができるのか、十月騎士団の敷地に戻ったら、園芸の詳しそうな奥さんを持つ上官に聞いてみようと思っている。

 それらを背負い、このまま帰るのはべつに問題ではないが……。

 どうも奇妙な格好でしかないハシュに、何ともいえない表情で教官が腕を組んでこちらを見やってくる。


「――バティアから伝言、聞いているか?」

「ええ。……正門を出る前に馬場を一周、全力疾走して帰れっていうやつですよね」


 尋ねられて、ハシュはやや困ったように上目遣いをする。


 ――そう。


 先ほど十二月騎士団団長の公室で、ハシュは奇妙な伝言をバティアから聞かされた。

 十二月騎士団を出立する際、噂はかねがね聞いてはいるが、実際のハシュを見たことがない今期の新入生たちの前で、馬場を全力疾走で一周する勇姿を見せてやってほしい――と。

 わかりやすく言うと、「噂の先輩がカッコよく走りながら帰りますよ」を見せびらかしてほしい。そういうことになるらしい。

 今朝、馬術を担当する教官たちが総出でバティアに願い出て、ハシュのこれからの予定を知るバティアがこれにかなりの難色。珍しく口論にまで発展したというが、


「俺でよければ……ということで、バティアには了承しました」

「ほんとうか?」

「ただ、カッコよくって言われても……」


 これから披露するのは、いわゆる専用馬場での競馬。

 とにかくスピードが命と言われるやりとりに、菓子や花束を詰め込んだ鞄を背負い、手袋はバティアからもらった乗馬用があるからいいけれど、足もとは専用ブーツではなくて、普通の革靴。

 おまけに軍装は文官。

 辛うじて洒落っ気があるのは、十月騎士団の伝達係である伝書鳩だけに許可された特殊形状の肩章。それくらいだ。

 いまほど教官に散歩気分かと問われたが、そのとおり。どう見ても騎馬の勇姿を見せる「騎士」とはほど遠い格好をしている。


 ――この装備でカッコよく見せるって、何だろう……?


 さすがにハシュの心も鋼鉄にはできていない。

 まぁ、ハシュはそこまで自分を都合よく見せようとは思わないが、それでも変なふうに自分に尊敬の念を抱いてくれる新入生――後輩たちに全力疾走の競馬を見せるのだから、


 ――なるほど、ハシュ先輩は小間使いが似合うんですね。

 ――うん。十月騎士団に入団希望することだけはやめよう。


 などと、現実主義的な感想で上書きされたくはない。

 それでもハシュが承諾したのは、噂で褒めそやされてその気になったのではなく、この少年兵を育成する十二月騎士団ではじめて乗馬を経験した自分が、二度も落馬を経験して周囲を冷や冷やさせた自分が、馬術が好きだと思えるようになって、懸命に鍛錬したらあるていど乗りこなせるようになったよ。

 それを自分とおなじ境遇から乗馬をはじめた後輩たちに伝えたくて、


 ――いまは怖くても、いいんだよ。

 ――自分が楽しいと思える乗馬ができれば、それで充分だから。


 昨日、お散歩の隊列で乗馬を怖がっていたあの子にも「大丈夫」と伝えた言葉をちゃんと体現したくて、それで話を受けたのだ。


「こんな俺の走りでも、誰かの勇気につながるのなら……」


 ハシュがしっかりとした眼差しを向けると、教官や教師たちがすぐに栗毛色が全力疾走に集中できるよう鞄の装着に不備がないかどうかを確認する。

 栗毛色はその最中も大人しく、むしろ喜んでいるように尾を振っていた。

 これから自分が何をさせられるのか。

 会話を聞いて、ハシュの気配を読み取って理解しているようにも思われた。

 そんなハシュと栗毛色を見やりながら、教官が笑う。


「ま――。じつを言うと雛鳥にお前を見せるより、この三か月間、みっちり十月騎士団の伝書鳩として日々奔走しているハシュの技術がどこまで向上したのか、俺たちが見たくて堪らないんだ」

「き、教官、そんな……ッ」


 まさかの期待に、ハシュはあわてる。

 伝書鳩の全力疾走は、単純に書類を待ち構える上官の機嫌を損ねないよう、そのていどの気概で走っているにすぎないのに……。


 ――ううう……。


 どうしよう?

 ここで騎馬最中、変な姿勢が癖になっているとか、曲線での馬の走りがおかしいとか言われたら……。

 あとで十月騎士団宛てに速達が届いて、「現場での乗馬姿勢が基本を蔑ろにしているので、落第点!」などと書かれていたら……ッ!


 ――ひょっとして俺、自ら公開処刑をするんじゃッ?


 あああッ!

 ハシュは昨日ぶりに早速妄想を爆発させて、頭を抱えてしまう。

 そんなふうに周囲が笑いに盛り上がっていると――。

 ハシュのいる厩舎の前に、べつの乗馬装備を完全に終えた一騎の軍馬が現れた。

 やや青みがかった黒毛に、白の(まだら)

 馬の種類は軍馬。

 その手綱を持つのは、鼻髭に特徴を持つ、こちらも昨夜はハシュの出迎えに来てくれたスマートな印象の馬術の教官だった。――白斑(しろまだら)は教官の愛馬だ。

 その傍には十二月騎士団団長のバティアがいつでも乗馬できるようにしっかりと準備をして、真剣な眼差しをハシュに向けてくる。

 ハシュはそれを受けて、ああ……と思う。


 ――バティア、本気なんだ。


 ハシュもその眼差しに応えるように、意識を徐々に切り替えていく。


「おい、ハシュ。どういうことだ?」


 これから馬場を走るのはハシュだというのに、どうしてバティアまでいつでも乗馬できるよう自身の姿を整えているのだろうか?

 ひょっとすると()()にハシュに()()()()()()()、途中まで見送りに同行するのだろうか?

 予定にはなかったバティアの登場を訝しみ、教官が尋ねてくる。


「え……っとですねぇ……」


 これには少々説明がいる。


「じつは……馬場一周は、そのままバティアと一騎打ちの競馬することになりまして……」

「――は?」


 突然の内容変更に、教官は豪眼をまばたかせた。

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