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穏やかな時間 でも……

 食堂に行くと、さすがにこの時間は十二月騎士団の敷地内すべてが授業中に当たるので、ハシュと顔を合わせて朝食を取ろうとする者の姿は見受けられなかった。

 広い食堂ががらんとしているのは、初めて見る光景かもしれない。

 一方で――。

 聞こえるのは、多くの少年兵たちが食事を終えた器をひたすら洗っている音。

 その奥ではすでに昼食に向けて燭台を切っているのか何やら仕込みのような音が聞こえてくる。

 どちらも人数を必要とする作業で、忙しそうだ。でも、合間に聞こえるおしゃべりはとても楽しそうな雰囲気がある。

 こうやって少年兵ではなくなった立場で懐かしい場所を見ていると、厨房ひとつとっても一日中忙しいんだなと知ることができたし、そのおかげで二年間、おいしい料理を提供してもらえたのだと思うと、ほんとうに感謝しか浮かばない。

 その最中に遅すぎる朝食を食べに顔を出すのは申し訳なかったが、料理人たちも給仕係も笑いながらハシュに取っておいた食事を用意してくれた。

 サービスよ、と言って、すこし大きめにカットされたフルーツの山盛りを渡される。


「また遊びに来てね、ハシュくん」

「みんなにも、たまには顔を出しなさいって伝えておいてよ」

「はい。まずは食事、いただきます!」


 そのやりとりのなか、唯一のんびりとした時間を過ごしているのが、朝のひと仕事を終えた寮母たちだった。彼女たちはここに集まり、こうしてお茶を飲みながら休憩をするのが日課なのだろう。

 食事を乗せたトレイを持ちながらハシュが挨拶に向かうと、寮母たちも気さくに応じてくれて、そのままここで食べていきなさいよと相席に誘う。

 ハシュは喜んでうなずいた。


「おはよう、ハシュくん。ゆっくりできた?」


 言外に「お寝坊さんね」と含まれていたが、それは単に母親のような愛情に近い。

 寮母たちはハシュの来訪を詳細には知らないが、上級生がほとんど自主的総動員でランタン騎馬隊を結成、教官や教師陣が編制して団長であるバティアが出迎えに入ったと聞けば、何やら英雄の凱旋のようにも聞こえるし、ハシュをはじめてみる新入生――下級生たちの誰もがハシュを歓迎した昨晩を見れば、その温かな時間を共有できただけでも楽しくて、嬉しい。

 ハシュにしてみれば、もうどうにも取り返しのつかない誤解が尾ひれどころか翼をつけてひとり歩きしてしまい、回収できない事態にいたたまれなかったが、


「十月騎士団の軍装なんて滅多に触れるものじゃないから、おばさんたち気合を入れてお洗濯しちゃった」

「どう? きちんと手入れをして戻したんだけど、不備はない?」

「ありがとうございます。懐かしい匂いがする仕上がりだから、すっごく着心地がいいです」

「まぁ、そう言ってもらえて嬉しいわ」


 ほんとうならば寮母たちとも久しぶりの再会なので、たくさんのことを離したかったが、さすがに時間を取ることができなかった。


 ――すでに、一時間以上バティアを待たせている。


 そのバティアだって、この敷地全体を統括する十二月騎士団団長の立場なのだから、ハシュのためだけに時間を割くこともできない。

 きっと、朝から忙しい身なのに、それでもハシュを起こすわけでもなく、呼びに来ることもなく、ハシュの時間で動いてかまわないと言ってくれたのだ。

 バティアはほんとうにハシュには甘い。――優しすぎる。

 だからこそ!

 ハシュがそれにいつまでも甘えているわけにはいかない。

 ハシュには今日、明日の一大決戦に向けての下準備の大詰めが待っている。

 それでなくても昨日、上官に五月騎士団の内務府で受け取った書類を朝に届けると言って、そのまま飛び出してきたのだ。

 まずは今日も朝から軍馬の栗毛色を酷使することになるが、栗毛色には全力疾走で二時間近くはかかる十月騎士団の本庁舎に向かって走ってもらわないと……。

 その後、もし、皇宮の四月騎士団の庁舎に向かうことができるとしたら、そこは十月騎士団最速を誇る競走馬の黒馬に頼むしかない。


 ――今日がどんな一日になるかわからないけど……。


 あんなにも強烈で活気あふれる朝日を浴びたのだ。

 しかも、団長私室でそれを浴びたのだから、もしかすると現在部屋の主であるバティアは勿論、歴々の団長たち先輩のエネルギー……ちょっとしたご利益にあやかれたかもしれない。

 名残惜しいが、ハシュは朝食を美味しくぺろりと平らげてしまう。

 周囲には寮母の他、給仕係の女たちも集まっていて、ハシュに「手土産だ」と言って、いくつもの焼き菓子を包んだそれを渡してくる。

 鼻にふんわりと届く優しい匂い。

 受け取った感触でクッキーやポレットだというのがわかる。

 これは道中、頼もしいおやつになる!


「ハシュくんひとりで食べてもいいけど、今日のおやつにみんなと食べてね」

「はい。俺たち伝書鳩でいただきます!」


 あはは、とハシュは笑って周囲に感謝し、左目もとのほくろと一緒に思いきり笑った。



□ □



「――ごめん、バティア! すっかり待たせちゃって」


 団長公室にいる十二月騎士団団長に対し、礼も取らずにハシュは勢いよく公室の扉を開けた。

 この部屋の主である団長のバティアは、普段から何かの執務に負われているようなようすもなく、ずっと窓辺に立っていたのか、朝日というよりはすでに午前中の日差しと呼べるそれを受けていた。

 金髪碧眼の秀麗な容姿。

 きちんと団長の軍装を纏っているので、眩いばかりの若き武官騎士そのものの姿にハシュはすこしだけぽかんとしてしまう。


「おはよう、ハシュ。――ゆっくり眠れた?」

「バティアこそ、昨日はありがとう。俺、いつから自分が寝ちゃったのか全然わからなくてさ。軍装も洗ってくれたなんて、わからなかったよ」

「気にしないで」


 詫びるハシュに返ってくるのは、いつものように優しく、温和に満ちた表情と柔らかな声。すこしだけふんわりとした髪は現在伸ばしている最中なので、きちんと飾り紐で結わえて整えている。

 ほんとうにバティアはどんどんカッコよくなっているよなぁ、とハシュは思う。

 あまり()()()()()()()()()()()()のだが、バティアがこれだもの、皇都中の年ごろの女性たちがバティアに好意的な印象を抱いて騒ぐのもよくわかる、とハシュはすこしだけ感想をつぶやくが、


 ――ん?


 何となく……何となくだけど。

 昨日とはちがうような雰囲気があるような……?

 ハシュはほんのわずかな違和感を覚え、バティアを見やる。

 昨日はまだ、少年期と青年期の最後の境界線に立つ年ごろの特有の雰囲気があって、少年らしくもあり、青年らしく見えるようになった、そんな危うい雰囲気だったというのに、いまはもう、たったひと晩で大人びた印象を強めた、そんな落ち着いたものを感じる。

 そのハシュの直感は正しかった――。

 いまのバティアはもう、ハシュを唯一無の親友として見る目つきをしていない。

 全身全霊でハシュに蕩けるような想いと眼差しを向けているが、ハシュが自分に向けられる秘めた想いなど知ることもないので、


 ――やっぱり団長公室に立つと、バティアも気が引き締まるんだな。


 そんな見当ちがいを奇妙に納得して、バティアの印象を自分なりに理解する。

 雄大な青空の印象もある碧眼はいま、まるで静かな湖水を思わせるようにまっすぐハシュを見やっていたが、それを色目のように表情と一緒に微笑ませながら、


「ハシュ。早速で申し訳ないけど、昨夜、この部屋で預かった五月騎士団からの封筒を確認してもらえないかな? 鞄のまま預かったから不備はないと思うけど、ハシュの許可がないと軍馬に装着できないから」

「あ、そうだよね。ごめん」


 言われてハシュはあわてて鞄のように視線をやる。

 鞄は昨夜、ハシュが五月騎士団の内務府から預かったままの状態で安置されており、何かを心配するような面は発生していない。

 当然、昨夜、ハシュの騎馬である栗毛色からその鞄を外して、この十二月騎士団団長公室にきちんと置いた、五月騎士団の文官を経験している教師陣が不備を起こすはずもない。

 きっぱりと言えるくらいにハシュは彼らを信頼しているが、何事にも作法や手順というものがある。

 ハシュにとって書類の入った封筒はすでに日々の奔走で自分たち伝書鳩を苦しめる「もの」にすぎないが、それらに目を触れたこともない者にとっては、あまりにも重責が詰まった「御物」のように感じてならない。

 ましてや国府の五月騎士団から預かったのだ。

 その書類は一枚、一文、一文字をとっても国事や国政に直結する。


 ――本来、これに触れることができるのは十月騎士団の伝達係以外はない。


 ハシュはその大事を失念しているが、ハシュの許可「よし」がなければ、教師陣たちも軍馬の栗毛色に装着し直す作業ができないのだ。


「うん、大丈夫。ごめんね、バティア。大切に預かってくれて」

「これはハシュが謝ることではないよ。それに――ハシュの伝達係としてのお役目にお手伝いできたのは、俺も誇らしいし」

「う……うん……」


 バティアは誇らしいと言ってくれたが……。

 この書類はね、鞄のなかで大人しくしているふりをしているけど、十月騎士団の本庁舎についた途端、魑魅魍魎の跋扈のように飛び回るんだ。

 それを追い回す上官たちの姿たるや、もう壮絶なんだ。

 そんな丁寧に思わなくてもいいんだよ?

 ハシュはうっかり口に出して言いそうになったが、さすがにハシュだって空気は読める。

 きちんと確認したハシュがうなずくと、


「お願いします」


 と、バティアが団長公室の戸口に向かって声をかける。

 すると教師たちが三人ほど入室してきて、鞄を受け取った。

 先に騎馬の栗毛色に装着しに行くという。

 騎馬に書類入れ専用の鞄を取り付けるのは、経験者でないと存外難しいのだ。


「先生。あの子、すこしだけ気難しいところがあるので気をつけてください」


 ハシュにはずいぶんと馴れて慕ってくれるが、栗毛色の気性は近づく者を選ぶ傾向がある。

 だが、そういった経験も文官を経験している教師陣にはあるので、心得たようにうなずいてくれた彼らにハシュもほっとする。


「――バティア。何から何まで、ありがとう。昨日、お散歩の途中のバティアと会えなかったら、俺、きっと十二月騎士団に来ることもできなかったよ」


 そう。

 夜の世界を怖がるあまりに、これ以上の夜道はひとりでは進めないと泣いていたかもしれないし、五月騎士団の食堂で実兄と会い、彼が得意とする占術のタリアルのカードで事の真相を聞かされてすべてに失望して、泣きながら実兄の家でひと晩ご厄介になっていたかもしれない。

 ああ、こうやって考えてみると、何だか泣いてばかりの結末だなぁ。

 そんなことを言って笑うと、バティアがゆっくりと笑み、ハシュの手を優しく取ってくる。


「俺はただ学長からの知恵を拝借しただけで、まだ何の力にもなれていない。手紙を書くことしかできなくて、ほんとうにごめん。この策の起動となる十月騎士団団長がご不快を示したのなら、すぐに言って。真っ先にお詫びに行くから」

「バティア……」


 この件でバティアは初めて十二月騎士団団長としての権限を施行したが、所詮は少年兵全体の統括者。国事、国政、軍事のすべての実権を事実上担う「決断の長」十月騎士団団長を巻き込むのはあまりにも僭越すぎる。

 そのようにバティアは恐縮に感じて、責任も感じているようだが、ハシュは明るく笑う。


「大丈夫だよ。十月騎士団団長はとても理解ある人だし、ほんとうに駄目でも叱ったりするような人じゃない」

「それならいいけど……」

「それに、バティアが俺のために導きの光をくれたんだ。俺、がんばるから」

「ハシュ……」


 この言葉は自分に対しての気休めではない。

 もう絶対に迷うことのない導きが、ハシュの軍装の内ポケットにある。

 それに――。

 大切にしているのは他にもある。


「ねぇ、バティア。机の上にあったカレンダーに、俺の非番で予定が合う日に印をつけておいたから、あとで見てね。二日ほど一致する日があったんだ。あとはバティアの都合でいいよ」

「二日……ね」

「えっと、曜日は――」


 ここにはすでにハシュとバティアしかいないのに、ハシュは何となく内緒話のようにバティアに顔を近づけ、その耳もとで曜日を伝える。

 するとバティアがわずかに頬を染めながらも、ふむ、と言ったようすでうなずいて、


「もし、どちらか選べないようだったら、二日とも一緒に出掛けようか?」


 などと、バティアも耳打ちを返すようにハシュの耳朶に唇が触れる寸前の距離でささやいてくる。

 この誘いはバティアにしてはかなり珍しい軽口にも似ていたので、ハシュも思わず笑ってしまう。


「いいね、それ。最初の日はゆっくりお買い物をして、そのつぎはゆっくりおしゃべりしながら皇都の街を散歩して……」


 ああ……。

 そうやって今度の再会をきめて楽しさが膨らんでいくというのに、いまはもう別れを告げなければならないのだと思うと、不思議と惜しむ心が膨らんで離れがたくなってしまう。


 ――もっと、もっといろんな話をしたいのに。


 ハシュとバティア。

 そちらがそれを強く思っているのだろう?

 そうだ、いまのうちに伝えたいことはないだろうか?

 あるとしたら、えっと、えっと……。

 帰らなければならない時間を気にしつつも、ハシュはもうすこしだけ自分を足止めする理由を考えるが、これ以上の長居は十二月騎士団団長としてのバティアに迷惑がかかるかもしれない。

 それを思い、ハシュはつぎに会える時間のおしゃべりを膨らませるため、口をゆっくりと紡ぐ。


 ――そうだよ、つぎのおしゃべりのためにとっておきの事を成功させないと!


 そして、今度会ったバティアにこの件の顛末を伝えるのだ。


 ――あの四月騎士団団長に、()()()()、と言わせたよ! と。


 ハシュはようやく本来の目的に向かって意識を切り替えていく。


「俺、クレイドル団長にお会いできるかわからないけど、最後までやってみせるね」

「うん。俺も本懐を遂げられるように祈っているから」


 バティアも言って、名残惜しそうに目を細めてくる。

 ハシュはそのまま背を向けて団長公室を出ようとしたが、じつは先ほどから当たり前のようにバティアに手を取られていて、簡単に身体が動かないのをいまになって知る。

 もう、バティアったらほんとうに心配性なんだから!

 ハシュはそんなふうに思ってしまったが、手を取るバティアの力がやや強まる。

 それはわずかに引き止めようとする意味合いに似ていた。


「バティア?」


 何だろうと思い、ハシュが小首をかしげると、バティアがやや困ったように笑ってくる。


「――ハシュ。最後に教官たちからの伝言、伝えてもいいかな?」

「ん?」

「嫌だったら断ってもいい。俺も無理強いはしたくない」

「?」

「ただ、どうしても少年兵たちに見せたいってせがまれて、さっき教官たちと口論しちゃって」

「……へ?」


 ――何を?


 ハシュは唐突の言われに理解ができずにまばたくが、ハシュが何かを頼まれるとしたら、それは()()()()ない。


 ――この十二月騎士団で見事に開花した、ハシュの馬術を見せてやりたい。


 馬術を専門に教授する教官たちが今朝、一斉に口を開いてきたのだという。

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