ハシュの朝
――ゴーン、ゴーン……。
何だろう、あの聞き覚えのある金の音。
トゥブアン皇国には高層建築様式の文化がないため、ずいぶんと高い塔からひびくような鐘の音ではないが、それでもハシュには自分より高い位置からひびいているように聞こえて、それでこれまで深く眠りについていた意識がゆっくりと浮上しはじめたことを自覚する。
「……ん……」
もぞり、と身体を丸めて寝ていた体勢を反対向きにしながら、眉間をぴくりと動かし、
――ゴーン、ゴーン……。
聞き覚えのある音。
でも、十月騎士団で鳴らされる鐘とはすこしひびきがちがう気がする。
ハシュはそこまで他の騎士団で鳴らされる鐘――主な用途は始業、昼、終業を告げる時報のようなものだが――に詳しくないが、他に聞き覚えがあるとすればどこの鐘だろう?
――ゴーン、ゴーン……。
懐かしい音だと思う。
いつもこれを聞いて、大きなあくびを漏らしていたような気がする。
懐かしいから、聞き心地がいい……。
ハシュはぼんやりと思いながら、意識の浮上にさほど抗うことなくぼんやりと目を開ける。
ふ……と覚める感覚に、ハシュは自分がそれまで寝ていたことを知り、そして、あれ、と思う。
天井が見慣れない。
十月騎士団の官舎の自室は飾りも何もない壁と同一の淡色だというのに、ここにはどこか装飾めいた模様が描かれて、素敵だなと思えるものがある。
そして、ハシュの部屋の天井よりもわずかに高さが勝って、それだけで何となく広さも感じられる。
――広さと言えば……。
いま横たわっているベッドがそうだ。
いつも使っているベッドとは比べものにならないほど大きくて、寝具もよく、寝心地がいい。
ハシュは「ふあぁあ……」と大きなあくびを漏らしながら、上掛けの寝具のなかでふたたびもぞもぞと動きながら身体を横にすると、しっかりとした生地のドレープカーテンの隙間からまぶしそうな光が差し込んでいるのが目に入る。
黄金色の強烈な光。
まだカーテンを開けていないのに、その隙間からの明かりだけで充分に室内のようすが読み取れる。だから天井の模様まではっきりと見えたのだろう。
その先にあるのはまちがいなく明るい世界。
夜が終わり、朝が来たのだと否応なしに知ることができる。
ただ――。
どうしてハシュは、見知らぬ大きなベッドの上でひとり寝ているのだろう?
ここはどこで、自分はいつ寝てしまったのか。
――う~ん……思い出せない。
ハシュはもう一度大きなあくびを漏らして、思いきって上掛けの寝具を「スパンッ」と片足で蹴り上げる。
じつのところこれもハシュの癖で、思いのほか朝のハシュはお行儀が悪い。
そして、そのまま、
「う~ん……ッ」
大きく大の字になって、思いきり伸びた。
最中もまた大きなあくびが漏れたが、思いのほか頭はすっきりとしている。
そのまま起き上がろうとして上体をまず起こし、片方の膝をついて腰を浮かせようとしたときだった。
「うわッ」
膝でズボンの生地を踏んでいたせいか、腰を浮かせたと同時にズボンと下着がずるりと下がってしまい、お尻が丸見えになってしまった状態におどろいて悲鳴を上げてしまう。
それだけならまだしも、そのせいで膝もとにズボンのたるんだ生地が集中してうまく身体が起こせず、ハシュはベッドの上で前のめりに倒れてしまう。
「ひゃッ」
このとんでもない転倒で、ハシュはお尻どころか膝部分まで完全に肌が露わになってしまい、さらに悲鳴を上げてしまう。
ハシュはあわててズボンを引き上げようとして、その前に下着がうまく引っぱれず、腰だけを高くつき上げた状態で下半身の肌を露わにする、朝からその奇妙な痴態と格闘をしてしまう。
いまは誰もいないからいいけれど、朝からお尻が丸出しなんて!
ハシュはもう、充分に十七歳だというのに……ッ!
「もうッ、何なんだよ!」
そう言えば……。
このズボンと下着はハシュの体型には合わず、寝ているときもやたらと脱げかけていたような気がする。
でも、そんなサイズの合わないパジャマをどうして着ているのだろう?
ハシュは目を何度もまばたかせながら、「さて、ここはどこだ?」と思い、
――ゴーン、ゴーン……。
と、これで最後の鐘のひびきと鳴る音を聞いて、ハッと唐突にすべてを思い出した。
――そうだ!
「バティア!」
そうだよ、この鐘の音は少年兵を育成する十二月騎士団のものだ。
いまのは授業開始の合図で……と思うなり、ハシュはずいぶんと寝過ごしてしまったことを知って青ざめるが、自分はもう少年兵ではないのだからと開き直り、ようやくのことでズボンと下着を穿き直す。
そう、そしてここはバティアの部屋だ!
昨日はバティアの部屋に泊めてもらうことになったのだ。
十二月騎士団団長が賜る私室は歴々を務めた先輩方の思い出の品が残されていて、何だか不思議な感じがしたのは覚えている。
けれども、そこからの記憶がずいぶんと曖昧になって、どこまで起きていたのか、夢だったのかがもう判然もつかない。
パジャマだって自分が着たのかどうかさえ、ハシュは覚えていない。
「バティア、どこ?」
声をかけるが、昨夜は一緒のベッドで寝ていた――たぶん――はずのバティアの姿がない。というより、バティアがこのベッドで一緒にいた形跡がない。
もしかすると……。
どこかのタイミングで寝こけてしまったハシュを気遣って、ハシュをあの大きなベッドに、自分は居間にあった大きなソファの上に寝転がって一夜を別々に過ごしてしまったのかもしれない。
そうだとしても寝室のとなりにある浴室にも、その反対にある居間にもバティアがいる気配が感じられない。どこもかしこも「しん」としている。
ひょっとするとバティアは団長だから、早い時点で起きて、業務なのか、朝の務めを果たしに先に部屋を出てしまったのかもしれない。
「ああ、俺、バティアとはもっと楽しくおしゃべりしたかったのに、いつ寝ちゃったんだろう……?」
せっかくの時間、もっと大切に使いたかったのに――。
おまけにベッドまで占拠してしまうなんて、至れり尽くせりだ。
とりあえず会ったら謝って、それから……。
脱いだ記憶もない軍装はどこにあるのだろうと思い、ベッドから下りる。探す前に窓の外を見ようと思って、カーテンを引くと、
「うわッ、まぶしい……ッ」
どうやらこの部屋は左向きらしい。
すでに高く昇ろうとしている黄金色の日差しが存分にハシュを晴らして、その心地のいいまぶしさに耐えきれず、ハシュはぎゅっと楽しそうに目を閉じてしまう。
まぶしいけれど、いい朝日を浴びることができた気がする。
これはきっと、いいことがあるぞ。
きっと――いい日になるにちがいない。
ハシュは気持ちを新たにするが、その瞬間!
穿き直して落ち着いたと思われたズボンと下着がまた「すとん」と落ちてしまう。ハシュの下半身はまたあられもない姿となって窓ガラスにそのようすが反射するものだから、ハシュは堪らず真っ赤になって、あわててズボンと下着を引っぱりあげる。
まったく、もう!
ここは二階だからいいけど、窓の外に誰かがいたらどうするのだッ!
「もうッ」




