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問答無用の問答 長い三日間のはじまり

「受け取れ」

「は、はいッ」


 言われてようやくのことでハシュが顔を上げると、顔面に突きつけられたのは封筒がふたつ。厚みはなかったので、封筒に入っている書類自体も枚数的にすくないのだろうというのが読み取れた。


 ――たった、これだけのために……。


 十月騎士団に所属する伝達係は日々、「行け」と言われたら「どこへでも!」の精神で奔走しなければならないのだろうか。

 最初ころこそ職務を忠実に熟そうと懸命になったが――無論、いまだって何だかんだと励んでいるが――、それも慣れてしまうとたかが紙のために日々足を使い、馬を使い、神経をすり減らして、疲労困憊に奔走するために「騎士」になろうと憧れと夢を持って少年兵を育成する十二月騎士団で二年間の厳しい修練を経て修了したわけではないのに……と、やっぱり思ってしまう。

 それはハシュだけではなく、武官を志して文官に着地してしまった歴々が思ってきた事柄かもしれないが。

 だからといって、それは個人の感情論に過ぎない。

 国事、国政、軍事、それぞれの面で重要とする書類の裁可押印は一枚とっても疎かにはできないし、信用あるからこそ運ぶことを任されていると思うと、伝書鳩はけっして軽んじるような職務ではない。

 厩舎の厩務員にもそう言われたが――。


「――だいたい書類に判を捺すだけのことなら、伝書鳩を往復させずともユーボットが直截判子を持って周れば済むものを。そうと思わんか?」


 ふん、手間を煩わしく感じるように鼻を鳴らし、四月騎士団団長のロワが同意を求めてくる。

 手間と言いきられた、伝書鳩。

 職務の不満を自分自身でつぶやくには問題もないが、こうやって他者に自分の役目を堂々否定されるのも何やら切ない。


「えっと……」


 これは真っ向から伝書鳩を用いる現行を否定する意思があるのか。

 それとも、こういった伝達経路の改善しようと何か模索しているのか。

 ハシュにそれは判然できなかったが、だからといって多忙を極める十月騎士団団長に判子を持たせ、皇都地域に点在する十二ある各騎士団の庁舎を巡らせて、判子捺しのためだけに奔走させる真似をさせるわけにはいかない。

 内心の不満やぼやきとは矛盾もするが、十月騎士団団長の多忙を思えばロワの問いには同意できない。

 でも、何か答えたほうがいいのかな……と、ハシュも悩むと、


「じ……持論ですけど、それをお考えであれば、週に一度……いえ、月に一度でもいいので、各騎士団団長が裁可に必要な書類を持ち寄り、互いに意見を述べあって、そこで十月騎士団団長の最終的な判断で押印する――そんな定例会議を行えばいいと思います」

「ほぉ?」


 そう。

 何事も最終的判断は「決断の長」である十月騎士団団長の裁可押印が必要となるが、その場に「決断の長」がいれば、ひょっとすると他の騎士団団長同士での必要な取り決めなども、十月騎士団に提出する書類を何度も往復させずに円滑に進むような気もする。


「議題の内容によっては、もちろん即日決定に至らないものもあると思います。でも定期的に団長たちが集えば、物事の進みも効率が上がるのではないかと……」


 極論を言えば、採択裁可、裁可押印ができる存在が集うのだ。その場で解決し、すぐにつぎに取りかかれるのであれば、これに越したことはないように思われる。

 だが、実績も何もない新人文官のハシュが持論を呈したところで、これは他人任せの案にしかならない。

 自分で言ってみたものの、この持論だと自分はいまの立場を失い、失職しかねないという結論にもなったので、それはそれで困るかも……と思い、眉根が寄ってしまう。

 一方。

 先に問うてきたのか、持論を零したのかわからない口調だったロワも黒縁眼鏡の奥からさもつまらなそうに鋭い目つきを細めてくる。

 彼にしてみたら、ハシュの考えは面白味もない落第点のようなものだったらしい。いやに呆れた目つきが妙に突き刺さる。


「つまり、それは――伝書鳩を廃し、職務多忙な団長自ら足を使え、と。その単純発想で上層部だけが国事を担えと。貴様はそう思うのか?」

「い、いえッ、そういう意味ではッ」

「では、どういう意味だ?」

「どうと言われても……」


 ――似たようなことを先に口にしたのはそっちなのにッ。


 鋭く問われたところでハシュには返答しょうがなく、浮かぶ言葉もなかった。

 確かによくある単純発想だが、国事、国政、軍事、それぞれに権限を持つ団長格が集うからこそ円滑を望むのならそれが最適だと思えただけで、理論的にロワを納得させる基盤など考えてもいない。

 ハシュはあわてて謝罪に頭を下げる。


「申し訳ございませんッ、短絡でしたッ」

「何が短絡だ、それ以下だ。まったく――少年兵を育成する十二月騎士団の教師連中は、雛鳥たちに何を教えているんだ?」

「そ、それは……」


 国政の学術でハシュに不勉強があったひと言に尽きるが、


 ――あれ?


 いまの会話で、どうして「騎士」の基礎を徹底して修練させる十二月騎士団の教育方針に突如飛び火するのだろう?

 ハシュは頭を下げたまま脳内が「?」でいっぱいになってしまうが、ロワの口は止まらない。


「どうやら雛鳥だけが説教の対象だと思いこみ、気が緩んでいるのかもしれないな。だとしたら、貴様の短絡思考は教育の成れの果てということになる。――おお、これは由々しき」

「……」


 これはほとんどひとり言に近いと思われるが、語尾はどこか演技がかっていた。

 そもそもハシュの失言がどうしてそのような発想につながるのだろう?

 ハシュには彼の独特な思考がまったく読み取れない。

 しかし、言動からしてすでに雲行きが怪しい。それだけは直感できた。

 ロワの黒縁眼鏡の奥にある鋭い目つきに、愉悦じみた考案が浮かんだのを知らせる光が宿る。


「伝書鳩、さっそく用件ができた。喜んで受けるがいい」

「へ……?」


 ――用件ができたって、何ッ?

 ――確かにこき使ってやるぞと一方的に言われたけど、え? 俺、何をさせられるの?


 などと思い、反射的にハシュは顔を上げたが、そのとき、自分がどんな顔をしているのかわからなかった。

 そのハシュを凝視したままロワが薄く笑う。


「何、貴様とは初対面だからな。急に難題を押しつけるほど私も鬼ではない。――貴様がこのあとどこへ行くのか、それは私の知ったことではないが、どうせ方々で回っている身だ。ついでに十二月騎士団に赴き、学長に伝えろ」

「は……?」


 学長、と聞いた瞬間、ハシュの心臓が嫌なふうに跳ね上がった。

 学長というのは十二月騎士団に所属する少年たちに武芸と学びを与える教官や教師を束ねている、文字どおり教師陣の長だ。

 十二月騎士団では二年間の教育鍛錬を行うため、所属する少年兵たちは全寮の寄宿生活で日々を過ごし、また教師陣や学長、そんな彼らの一切を世話する従事たちも共に過ごしている。

 十五歳で誰もが一度は親もとを離れるので、教師陣たちは師であり、身近な大人として多感な時期を支えてくれる恩師となる。その長である老体に、いったい何を伝えろというのだろう?

 ハシュの額に嫌な汗が滲みはじめたが、


「今後の教育方針について、四月騎士団団長であるロワが直々に下問すべきことができた、と。――いや、そこは省いてかまわん。直截口頭での伝達を許可してやる。明日の朝一番に、このロワに顔を見せに来いとだけ伝えろ」

「へ……ッ?」


 ――な、何言っているの、この人……ッ。

 ――え? 何でそうなるのッ?


 ハシュはこの一方的な理論がわからず、目を丸め、何度もまばたくが、ロワはそれを呆れた目で見やるだけで、


「貴様が自分で蒔いた種だ。それを私が肩代わりして不出来を刈り取ってやろうというのだ。貴様は初対面の上官にわざわざ除草をさせるのだぞ? 感謝して当然だというのに、よもや不服と捉えているのではなかろうな?」

「そ、そのようなことは……」

「無論だ。初対面の伝書鳩に不服と思われるほど、私も安くはない」

「でも、その……」


 ハシュの不勉強に対して叱責したいのであれば、本人が目の前にいるのだから雷でも落とし、罵詈雑言を吐けばいい。無論、実際に受けるのは嫌だけれど。

 だが、どうしてそれが学長の呼び出しにつながるのだろう?

 ハシュはめまいを覚えながら気焦りする。

 よくはわからないが、すでにロワが構築する脳内ではハシュ本人を罵るより、ハシュにまともな学術を施さなかった教師陣に責任があり、その長である学長が責めを負うべきだと、そんな不可思議な理論が成されたらしい。


「あ、あの……俺の不出来は改めて謝罪します。耳障りな持論を申し上げて、大変失礼いたしました。ですので、学長のお呼び立ては……」

「何だ? 命乞いか?」

「い……」


 ――命乞いって、どういう意味ッ?

 ――いやいや、そうじゃなくて!


 そもそもハシュと学長、どちらに向けての「命乞い」と述べたのだろう?

 何だろう、話せば話すほど会話が噛み合わなくなってきているような気が……。


「いえ、その……自分にはこれから五月騎士団内務府までの用向きがありまして、今日のうちに十二月騎士団に赴くのは……」


 根本的に無理がある!

 ありすぎる!

 これからハシュは十月騎士団本庁舎に戻り、いま、目の前の四月騎士団団長から受け取った書類を上官に渡したら速攻で騎馬を走らせても片道一時間はかかる五月騎士団の内務府へと向かわなければならない。

 そして、そこで受け取った書類のすべてを上官に届けるべく、十月騎士団へとふたたび戻らなければならないのだ。

 ざっと単純計算をして、この移動だけでも今日の就業時間ぎりぎりだ。

 さらにそこから十二月騎士団に向かうとなると、その距離は最長の二時間は有するので、道中はすでに夜となる。これは残業どころではない。


 ――夜の移動はハシュには不可能だというのに……。


 けれども、ロワはちらりと四月騎士団団長執務室にある数すくない調度品のひとつの時計を見やるだけで、


「伝書鳩、貴様は時計もわからんのか? ひと言用件だけを伝え、学長が明日の朝一番までにこの四月騎士団の庁舎を訪ねるまで、まだ充分時間はあるぞ」

「い、いえ、そういうことではなく……」

「私は用ができたから貴様に頼んでいるのだ。それを貴様個人の時間配分を理由に却下しろと? 用向き伝達が本業の伝書鳩が何を言う?」

「……」

「それとも何か? 他騎士団から直截物事を頼まれて発生した時間に残業給金は含まれないから、タダ働きが嫌とでも?」

「そうではなく……」

「まったく、最近の新人はすぐに換算思考をする。そんなに給金が欲しくば、私が特別手当を出してやろう。――この四月騎士団団長ロワの、もっとも手持ちのいい駒としての永久栄誉を! これは金品では手に入らんぞ、ありがたく受け取れ」

「ひッ」


 まるで専属の小間使いの烙印を捺された気がして、ハシュは思わず悲鳴にいた声を上げてしまう。

 ようやくのことで悲鳴を上げた伝書鳩に、ロワは愉快そうに「ふははは」と腕組みをしたまま高笑いをはじめた。その魔的な笑いがまた似合うこと。


 ――いやいやいやッ。

 ――それは謹んで辞退しますッ、絶対にいらないですからッ!

 ――俺の本業は、あくまで十月騎士団の伝達係ですから!


 この慈悲のない鬼畜な命令も直截の上官に下されたのなら向かうしかないが、他騎士団団長の、どう考えてもいま浮上した個人的な用向きでハシュが酷使される理由にはならない。

 ハシュの最優先すべきは、上官に必要だと言われた書類の受け渡しをすること。それ以外を取り扱う必要などない。

 そう。

 必要などないというのに!


 ――しかもッ!


 また「ついで」だ。

 まったく、このトゥブアン皇国の騎士たる上官たちはどいつもこいつもすぐに「ついで」と言って、まったく「ついで」ではすまない用件を言いつけて、ハシュたち伝書鳩の移動距離を拡大させてしまう。

 だが……。

 いや、待てよ、とハシュは自分に対しての助け舟を一艘浮かべる。


 ――ひょっとすると、これは揶揄われているだけなのかもしれない。


 いくら勉学のなさを露呈したところで、それはハシュの問題だ。学長を呼び出して叱責するほどのことでもない。


「あの、学長への伝令はほんとうに行うべきなのでしょうか?」


 ためしに問うてみると、ロワが心底呆れた顔を向けてくる。


「貴様はなぜ不要だと思える? これ以上、不勉強な雛鳥を量産させて十二月騎士団を修了させ、武官、文官として騎士の号を与え、それらに今後の皇国を支えよとは狂気の沙汰だとは思わんか?」

「……」


 ――これって、つまり……。

 ――俺のことを馬鹿だと言っているんだよね、この人は。


 ハシュは自らを救うべく船に乗ってみたものの、泥よりも早く崩壊する船ごと轟沈してしまう。


 ――と、とりあえず……。


 本来の目的であるここでの用件は終わった。

 上官から言いつけられた書類を受け取ることはできた。

 ここにはもう用はない。――あってたまるものかッ!

 ハシュはこれ以上の面倒ごとが起きないうちに退散するぞと勢いつけて、退室の礼をし、即座に身を翻したが――。

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