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ハシュの悩み バティアの卒倒 *

「――俺、いまだって時間があれば剣技の鍛錬をしているんだ」


 ハシュはぽつりと話しはじめる。

 その声は出だしからどこか切ない。


「俺たちの同期って、剣技がすごかったじゃない。主席も次席も、上位陣はみんなして剣技の六月騎士団に入団してさ。半面……」


 見込みがないほどの不向きではなかったが、ハシュの技量では霞んでしまい、ハシュに憧れの騎士団に入団する現実は訪れなかった。

 同期たちに嫉妬がないわけではないが、比べられる相手が悪すぎた。


「俺……十月騎士団は嫌いじゃないよ。何だかんだと楽しいし」

「……うん」

「でも、俺は文官じゃなくて、剣を振るう武官に憧れて少年兵を育成する十二月騎士団に入団したんだ」

「うん」


 ハシュの熱意は知っている。

 その夢はこの十二月騎士団ではじめて知り合って、はじめての同室の寮生活、その夜からずっと語り合ってきたから、ハシュの情熱と失意は痛いほど知っている。

 ハシュは見た目からして武官向きではなかったが、唯一、教官や教師陣さえも驚愕させたのが馬術で、新入生のころは初心者だったというのに、才覚を一気に開花させたら騎馬隊で構成される八月騎士団が本気で惚れ込み、ハシュの入団を熱望した。

 実際、ハシュは十月騎士団に取られてしまったが、八月騎士団はいつだってハシュの心変わりを待っている。

 けれども――。


「俺、乗馬は好きだよ。……でもさ、やっぱり剣技の騎士になりたいんだ。なのに、鍛錬はしているけど思うように時間は取れなくなるし、食べたって痩せちゃって、バティアのズボンも脱げちゃうし……」

「ハシュ……」


 こんな調子で、青年期に向かう身体がきちんと整わなければ……。

 きっと、剣を存分に振るうことはできない。

 握れたところで確実に武官として力をつけている同期たちに力押しされて、稽古でも模擬戦でもハシュは一打も耐えきれず、身体ごと吹き飛ばされてしまうだろう。

 ただでさえ、少年兵時代の模擬戦でもハシュの負け方は尻もちだった。

 地面に背を打ちつけて、すぐに立ち上がることができなかったのも珍しくない。


 ――振るう剣に重みがない。ハシュの剣は軽すぎるのだ。


 それはハシュにだってわかっている。

 でも……。

 だからこそがんばっているのに――。


「べつに、バティアのパジャマが悪いわけじゃないよ。……わかってる」

「……」


 だが、まだ目立つ体格差でないと思われたバティアのパジャマさえハシュの体格では馴染めない。穿いたところで落ちるズボンや下着は、正直ショックだった。

 憧れと努力だけでは理想には届かない。

 その上、身体つきまで華奢のように止まってしまったら、ハシュが「騎士」でいられるのは文官の立場でしか残されていない。

 あくまでも武官にこだわるのなら、八月騎士団への転属を望めば叶うだろうが、ハシュにとってそれは八月騎士団に対する失礼な自分の逃げ道のような気がして意識が働かない。

 それでいて日ごろは散々に不満を漏らしつつも、いま所属している十月騎士団には愛着がある。こうやって何かが変わっていくのだろうか?


「俺……あきらめるの、怖いよ」

「ハシュ……」


 ハシュの声が震える。


「いまあきらめたら、最初に剣技の武官になりたいって憧れた、あのときの自分にも申し訳ない気がしてさ……」

「ハシュ――」

「徒弟制度で剣技を鍛錬させてもらっているのに、俺、やっぱり見込みなさそうで……」


 先ほどの夕食の席で徒弟制度を利用している件を教官や教師陣に語ったが、その雰囲気は応援してやろうと盛り上がるようすはなかった。

 ハシュを新入生のころから見ている彼らの、それが答えだった。

 誰も何も言わなかったが、ハシュは心のどこかで何かを感じて、潮時という恐ろしい言葉が脳裏のどこかで浮かべてしまっている。


 ――ハシュがそこまで悩みを深くしていたなんて……。


 背中越しから伝わるハシュの悲しげな言葉の数々に、バティアはこればかりは手を取り合って努力しようと励ますことのできない現実に心痛する。

 でも――。

 せめて、すぐに相談できる距離にいれば……。


「ごめん、ハシュ……」


 何より、ハシュがそんなふうに抱えていた悩みも汲み取れず、ただズボンや下着を着用していないハシュの素肌に動揺して、あらぬ方向に意識が飛びそうになる自分をごまかそうとする、その浅ましさが情けない。

 ぐず……、と鼻をすするような音が聞こえる。


 ――もしかすると、ハシュが耐えかねて泣き出している?


 そう思うと、バティアはいつものようにハシュを優しく抱きしめて「大丈夫だよ」と言って慰めてやりたい衝動に駆られるが、いま、それはできない。

 もし抱きしめてしまったら、その後のことが怖い――。


「でもね、ハシュ」


 だからといって、このままハシュを甘やかし――すぐに脱げてしまうようなズボンなら最初から穿かないほうがいい、その理論を正論にさせるわけにもいかない。

 正すべきところは、正さないと。

 バティアはまだ下半身が露わのハシュと向かい合う勇気が出ず、背を向けたまま、


「まずはこの件、ハシュにきちんと確認しないで事を進めた俺に非がある。そのせいでハシュに悲しい思いをさせてしまった。――ほんとうにごめん、ハシュ」

「バティア……」

「――でもね。ズボンはやっぱり穿いていたほうがいいと思うんだ」

「……」

「それでも脱げてしまって困るようなら、そのときは一緒に考えよう?」

「でも……」


 普段であれば、バティアはそろそろあきらめてハシュの意見に賛同を示すころだった。だが、あくまでもズボンを穿けとバティアは言う。


 ――だから! 

 ――穿いたって脱げるのが恥ずかしいから穿かないのに!


 珍しくバティアに主張が通らないハシュは「もうッ」と頬を膨らませてしまうが、


「まだ秋はじめだけど、今夜、お腹を冷やしてハシュが体調を崩してしまったら、俺は誰に詫びればいい?」


 ハシュには明日、大事な務めがある。

 いま寝ぼけているハシュが事態に気がつかず、朝を迎えるころに寝込んでしまったら、きっとハシュ自身が酷く落ち込んでしまうことになるだろう。

 このひと言で、ようやくハシュもバティアに迷惑はかけられないといつもの心理が働いたのか、渋々従おうとする気配を浮かべてくる。

 それでもすぐには不服不満を消さない。


「もう、バティアはすぐに脅すんだから」

「え……? そんなつもりは……」


 いまの会話のなかでそのような要素があっただろうか?

 さすがのバティアも言葉を振り返るように眉間にしわを寄せてしまうが、いまはとにかく言い返さないほうがいい。

 ハシュがこのあとも拒むのなら、いまはそれがいいのだと思う。

 気が済んで寝てしまったら、しっかりハシュに上掛けの寝具をかけてやればいいだけのことだから。

 バティアは気持ちを切り替えようと、ようやくのことで深呼吸をする。

 そして、向かい合わずとも、バティアはいつものようにハシュに笑む。

 結局は自分が折れたほうが何事も解決しやすくなる。バティアはそれを知っている。


「いまはハシュの落ち着ける気持ちと環境が優先だから、ハシュはそのままでいいよ。――ああ、でも、何かに触れて怪我をしないようにね。そこはハシュの大切な……う、ううん、何でもない」

「バティア……」

「俺も湯浴みをしてくるから、気にしないで寝ていて」

「……バティアも一緒に寝てくれるよね」


 自分で押しかけておきながら、こんなにも大きな親友のベッドを独り占めするのは気が引ける。

 先に寝ていていいというのは、ハシュが気にしないでゆっくり寝られるよう、今夜バティアは私室のどこかで――たとえば、居間にあたる大きなソファの上で――ひと晩を過ごす可能性もある。それを直感してしまうと途端に切なくなってしまう。

 ハシュが心細そうに尋ねても、バティアはこれに答えない。

 ハシュは、しゅん、としてしまう。


「――ごめん、バティア。俺……」


 いまのハシュは自分が起きているのか、寝ているのか。それがよくわからなかった。

 夢だったらこんな言い合いではなく、もっと楽しい事柄を見たいし、まだ起きているのならもっと楽しいおしゃべりをして、久しぶりの再会と一緒に過ごす夜を大切にしたいのに……。

 せめてバティアがこちらを向いてくれたら、ハシュも安心できるというのに。

 どうしてバティアは一度もこちらを見てくれないのだろう……。

 それが心細くなって、何だかバティアの手に触れたくなった。

 そう思ったハシュはそっと手を伸ばし、バティアの指先にちょんと触れる。

 刹那――。


 ――びくッ。


 と、バティアの身体が耐えきれず、全身が動揺で震えた。

 その種類がどんな意味なのかはハシュに判然つかないが、せっかく触れた手を反射的に遠ざけてしまう。


「あ……」


 拒んだ。

 拒まれた。

 そう思って漏れた声は、ハシュとバティア、どちらの声だろう?

 咄嗟のこの行為。

 拒絶ではない。それだけは伝えたいバティアは、それでもハシュの姿を見るわけにはいかず、立ったままぐっと堪えていると、


「ねぇ、――バティア」


 重厚な造りでもベッドの端に重みがかかれば「ぎしり」音がするのか。

 わずかに立つ音にバティアはどきりとして、鼓動が高鳴ってしまう。

 もしかするとハシュがやっと観念して、きちんとベッドで寝ようと体勢を変えようとしているのだろうか。だとしたら、ようやくのことでバティアは安堵できる。

 そう思い、バティアが油断したときだった――。


「え……ッ?」


 やっとハシュとの言い合いを終えることができる。

 胸を撫で下ろすように安堵の息を漏らすバティアの正面に、いまのバティアの心を平気で掻き乱す格好をしているハシュが立ち、じっとこちらを見てくる。

 刹那、バティアの鼓動は飛び出してしまいそうなほど跳ね上がってしまった。

 いまにもほんとうに泣きそうな瞳をしているハシュと、その左目もとにあるほくろに見つめられて直視できず、目のやり場を探してうっかりハシュの足もとに視線が行ってしまい、これを強引に引き剥がすが……どこに視線を逸らせばいいのか、いよいよ逃げ場がなくなってしまう。

 いつものようにハシュに笑んでしまえばいいのかもしれないが、バティアはいま、自分がどのような顔をしているのかがわからない。わからない表情をハシュに見せるわけにはいかなかったが――。


 ――どうして突然、顔を合わせてくれなくなったのか。


 それが切ないハシュは、バティアの両手をいきなり掴んで自分の腰もとに当てさせる。これはとんでもないことだった。


「!」


 その体勢は、バティアのほうがハシュの腰に両手を当てて掴んでいる。見方としてはそちらのほうが強くて、しかも素肌に触れている事実に、バティアは緊張で全身を染め上げて、ほんとうにどうしたらいいのかわからなくなる。


「ハシュ……ッ?」


 これ以上はもう動揺も隠せない。

 手を離したいのに、ハシュがしっかりとバティアの手を押さえてそれを許さない。


「ねぇ……バティア」


 そして――。

 そのまま真剣にバティアの顔を覗きこんでくる。


「俺、いまはこんな腰だけど……ちゃんと食べて、ちゃんと鍛錬をつづければ、剣技の武官になれるかな?」

「……」

「ねぇ、なれるよね?」


 先ほどまでは四月騎士団団長の気まぐれに振り回されて、文字どおりの悪戦苦闘。それに息巻いていたのに、今度は何もかもが気弱になって、何か激励の言葉を欲するようにバティアを見つめてくる。

 表情も感情も多彩だけど、ひとつも偽りがないハシュ。

 それがどれほど好ましくなって、愛しくなってきたか――。

 ふいにとんでもない体勢で見つめ合うことになってしまい、バティアはもうハシュから目を逸らすことができない。


 ――ああ、ハシュ……。


 早くハシュが安心する言葉をかけてあげなければ……。

 だが、それ以上に触れたことのない部分の素肌に触れている現実があまりにも強すぎて、バティアはもう意識が耐えきれなかった。

 ほとんど卒倒するようにベッドの上に、とすん、と横倒れてしまう。


「……バティア?」


 そんなバティアを見て、ハシュは一瞬、何が起こったのかが理解できなかった。

 バティアが何かにうなされるような……そんな表情を浮かべたまま倒れるなんて、これまでの付き合いのなかで見たことがない。


「バティア? どうしたの?」


 声をかけるが、すでに意識を失っているバティアがこれに応えるはずもない。

 ハシュはしばらくバティアを見やり、それから「ふあぁ……」と大きなあくびを漏らす。

 バティアも今日はたくさん忙しく、ハシュのために大所帯のランタン騎馬隊を率いたし、学長と一緒になってハシュの悩みを解決しようと知恵を絞り出してくれた。

 だから……。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()

 完全に寝ぼけていたハシュはこれを夢だと思い、バティアが寝たのなら自分も寝ようと、何も深く考えずに自分もベッドの上に乗り直した。

 その最中、ハシュを散々に手こずらせた下着とズボンが目に入ったが、ハシュがそれを着直したかどうかは……――。

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