ハシュの矜持? 「ズボンは穿きません!」*
思いがけない姿をしているハシュに、バティアが半ば叫ぶように声を上げると、バティアの軍装の裾に指をかけていたハシュの指がぴくりと反応して、そのままおもしろくなさそうに「ぐいっ」とさらに強く引っぱってくる。
バティアはあまりの抗議の愛らしさに意識を失いかけたが、バティアにだって言い分はある。
寝ていたハシュをあのような姿のままにするわけにはいかなかった。
たまたまバティアの気配で起きてくれたが、自分がズボンを穿いていないことに頓着ないようすだったので、仕方なく注意したにすぎない。
そもそも、ハシュには無頓着すぎる癖はなかったはずだというのに。
バティアのこの態度で不機嫌になられても、バティアだって困る。
せめて下着だけでも着用していてくれたら……。
――ああ……。
――この場合、どうしたらいいんだろう……?
どう見ても、いまのハシュは完全に寝ぼけている。
いよいよ窮するとき、
「――だって……。バティアのパジャマ、大きいんだもん」
ぽそり、とハシュが唇を尖らせるように言ってきたのが背中越しから伝わった。
刹那、「え?」と思うより、ただ「?」と思ってしまった。
どういうことだろうと考えようとしたとき、ハシュがどこか悔しげに口を開いてくる。
「俺さ……――。最近、食べても、食べても全然肉がつかないんだ。普段のベルトも位置も何度か変えているし」
「……そう、なんだ」
もともとハシュは細身だ。
痩せてきた、と言われればそのようにも感じられる。
だが、先ほどから聞かされている十月騎士団の伝達係としての激務を聞いていると、騎馬で奔走しているとはいえ少年兵時代とは運動量もちがうから、そんなふうにバティアは自然と納得していたが……ハシュにとってその実感は異なるのだろうか?
「だからバティアから借りたパジャマも、上はちょっとぶかぶかだし、ズボンは穿いてもすぐに下着ごと落ちちゃうからさ……」
「……」
そう思った矢先の、まさかの方向ちがいの事態。
それはつまり……。
――え……?
――それって、俺が太ってきたってことかな?
――もっとちゃんと武官の団長として動かないと駄目かな……?
バティアは突然の理由に何とも言えない衝撃を受けて、ハシュに背を向けたままさりげなく自分の腰つきを触りはじめる。少年兵のころから着用しているベルトは、その位置を変えていなはず……と、バティアは妙な方向で心拍数を上げていく。
無論、バティアは秀麗な体形美であるので、本人が衝撃を受ける心配は何もないのだが、目に見えて体格差を感じられないハシュに腰回りのサイズを言われてしまうと、バティアはどうしたらいいのかわからない。
だが、バティアの衝撃はそこだけに止まらない。
「だからさ、みっともないから脱いだんだ」
「――え?」
まさかのハシュがたどり着いた理論にバティアは一瞬思考が止まり、硬直してしまう。
それはどういう意味なのだろう……?
できることならハシュの意見に親身になって寄り添いたいが、ハシュはいま、どういう正論で言い返してきたのだろうか。
できることならハシュのいまの表情を見て心境を探りたいが、バティアは振り向くことができない。
――振り向いたらきっと、ハシュの……。
それ以上は考えるな、とバティアはあわてて頭を振り、
「ハ……ハシュ、きみの言い分は何となくわかった。サイズが合わなかったのは謝るよ。安定しないサイズじゃ寝心地が悪いものね。きちんと確認しないで洗濯に出してしまったのは、俺の配慮不足だった」
自分に裁縫の心得があれば、すぐさまこの場でハシュのサイズにズボンも下着も仕立て直せるのに……。
バティアはそんなことを考えながら、おなじ理論ですぐさま寮母たちにそれをお願いするべきかと一度は真剣に考え、
「でもね、ハシュ。俺たちももう少年兵ではないんだ。俺たちの年ごろでは穿かないほうが、その……みっともないんだよ。わかる?」
たぶん、ハシュは完全に寝ぼけている。
それでもどうにか意識を正してやろうと、バティアは説得を試みようとするが、これは自分でもわかるくらいに声が上擦ってしまい、うまく言えたとは思えない。
できたら通じてほしい、とバティアは祈ったが、
「でもさ、バティア。穿いていたズボンが歩いている最中にずるずる落ちて脱げるほうが、よっぽど恥ずかしいじゃない」
「そ、それは……うん、状況にもよるかもしれないね」
バティアは、日ごろからハシュに対して否定が得意ではない。
まずは言い分を理解しようとうなずくと、
「だったら、最初から穿いていないほうがいいじゃない」
「……」
ハシュはバティアの同意が鈍いことに「むぅ」とし、真逆の理論を貫こうとしてくる。――これでは状況打破が見えてこない。
バティアはなお頭のなかを白くさせながら、
「ハシュ……。確かにズボンが合わなくて落ちてしまうのは、恥ずかしいことだし、不満にもつながると思う。でもね、――どんな結果になろうと、最初はやっぱり穿いていたほうがいいと俺は思うんだ」
「そうかな?」
「そうだよ。何事も結果重視よりも、まずは過程だから」
――ああ、俺……何を言っているんだろう?
バティアはハシュと言い合った経験があまりない。
無論、ときには意見の食いちがいで言い合うような場面もあったが、それでもどんなに過去を振り返ってみても、この問答は例を見ない珍事件として記憶に残るだろう。
バティアは額を押さえながら、もっともな策に出る。
「それにね。その恰好を他の人に見られたらどうするの? さすがに恥ずかしいと思うでしょ?」
この正論なら、ハシュも納得するだろう。
そう願うバティアだが、ハシュも負けない。
「だって、ここはバティアの部屋でしょ? 誰も来ないんだからいいじゃない。俺たちずっと一緒だったんだし」
「そ、それは……」
「それともバティアは、俺のズボンがずり落ちるところを見たいの?」
「……」
――ああ、ハシュ……。
もう論点が噛み合わない。
こう言われた場合、どう返せばいいのだろう?
かえって咎められたように言われてしまい、バティアはこれで何度目かを窮する。
何か方策はないものか――。
そのときだった。
先ほどからバティアの軍装の裾を指先で摘まんでいたハシュの手が、いよいよ落ちるように離れる。その動きはどこか切なげだった。
バティアはまだ背を向けたままなので、ハシュがいまどのような体勢をしているのか想像もしたくないが、上半身はやや大きめなパジャマを着て、その下は肌を露わにしたままのハシュはベッドの上で四つん這いのような姿勢のまま、拗ねたように顔を逸らし……。




