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団長私室って、うわぁ……!

「――着いたよ」

「う、うん……」


 バティアにそう言われて、ハシュはずっと肩に手を回して抱き止められていた個所をかるく叩かれる。

 ハシュは結局ほとんど目を閉じたまま階段を上り、しがみついたままバティアの私室へと案内されていた。

 カチャリ、とドアノブを回す音が聞こえたので、ハシュはようやく目を開いて身を起こす。バティアはその間もハシュを片手で優しく抱いたままだったが、とくには気にならなかった。

 扉が開いた先は、当然夜の色に染まっている静寂な空間。

 大きな窓がいくつかあって、レースカーテン越しから蒼月の幻想的な月明かりが差し込んでいる。

 ぱっと見たところ、これはかなり広そうな予感があった。


「これから部屋の灯りをつけるから、ちょっと座って待っていて。目は閉じていてもいいから」


 優しく言われて、ハシュは肩を抱かれたままゆっくりと歩き、ローテーブルとセットになっているソファの三人掛けのように大きなそこに座らされる。

 このソファ、凄く座り心地がいい。そう思える感触があった。

 ほんとうは目を閉じて待っていたかったが、夜色の恐怖よりも室内への興味がやや勝り、灯りをつけるために離れたバティアのかわりにハシュはソファのクッションを何となく取って、ぎゅっと抱きしめてしまう。

 蒼月の明かりがあるので、部屋には家具と空間の影がきちんと分かれてだいたいの配置がわかる。それに慣れているバティアは最初にローテーブルの上に燭台や置き型のランタンをいくつか用意して蝋燭を点して、まずはハシュの周囲に灯りを贈る。

 それからいくつもの壁面灯や背丈のある立型の笠のついたランプ、次々に灯りを点していく。

 少年兵時代の同室暮らしからずっと夜の部屋に灯りを点すのはバティアの役目だったので、その手際は慣れたもの。

 室内をただ明るくするのではなく、ハシュに灯りを贈るのだと思うと心も弾む。


「ほんとうは暖炉を熾せばもっと明るくなるんだけど、まだ季節じゃないからね。――でも、ハシュはどう? 寒くない?」


 日の入りこそ早くなったが、秋はじめの気温は夜になって急に冷えを覚える、まだそこまでには達していない。

 いま、灯りのために暖炉を熾したら、窓を開けていなければすぐに熱くてかなわなくなるだろう。

 ハシュは小さく笑いながら頭を振る。


「お待たせ。灯りはこれで全部だけど、どうだろう?」

「ありがとう、バティア。――……わぁ……」


 天上に吊り下がる照明に灯りを点したバティアが、簡易梯子に腰を下ろして尋ねてくる。

 あちらこちらからの点りがハシュに温かな安堵を与えてくれるのが嬉しかった。


「これがバティアの部屋?」


 灯りのなかで見る私室は、暗がりで漠然と捉えた広さよりもさらにゆったりとした空間で整っていた。

 窓側には個人で作業ができる執務机があって、その背に並ぶ窓は高い。

 窓からは蒼月も見えるが、ハシュはわずかに名残惜しそうにうなずいて、ドレープカーテンを閉めてもらう。そのカーテンの色味も落ち着いていて、生地も重厚そうなのがひと目でわかった。

 自他理の背丈よりも高い書棚には、どこか統一性のない背表紙の書籍がずらりと並んでいて、その手前や、開いている空間には小物のようなものもおかれている。

 ただし、こちらも種類や趣が異なっていて統一性がない。

 見たところ、それらはすべてバティアの趣味でもなければ、持ち物でもないような気がする。

 なかには「何でこんなところに万年筆があるんだろう?」そう思えるものが棚の空間を独り占めしていたりする。

 不思議に思えたが、眺めていると何か懐古的なものを感じられて好ましい。

 双眼鏡や、小さな軍船の模型。

 何というか、自分のお気に入りをここに飾っている、そんな感じがする。

 ハシュが腰を下ろしているソファも上質で、ローソファを囲むように左右にひとり掛けのソファがある。おどろくことにソファはそこだけではなく、お茶の時間にカップを置けそうな小さな円卓が傍らにあるひとり掛けのソファが二対、扉付近には簡単なコート掛けもあって、一見して応接室のように見受けられて――そう、例えるなら先ほどお邪魔した学長の公室にすこし雰囲気が似ていて、これが個人の部屋というのは何となく掴みにくい。

 そして――。

 私室には「これがあって当然」というものが見当たらない。


「あれ? バティア、ベッドはどこにあるの?」


 まさか、この大きなソファで横になって寝ているのだろうか?

 バティアにかぎって、そんな――。

 疑問に思えて尋ねると、バティアがくすくすと笑い、


「寝室はこの奥にあるよ。浴室もあるんだ」

「へぇ、浴室も……――ってッ! バティア、部屋を二つも持っているのッ?」


 さらりと言ってのけるバティアに、ハシュは目を丸くしておどろく。

 少年兵時代の十二月騎士団での寮生活はふたり一組でひと部屋を使うスタイルだったので、机にベッドは個別だが、書棚やクローゼットは室内の共有だったし、ハシュは現在、十月騎士団の単身者用の官舎住まいをしているが、家具の基本は変わらず、狭くはないが、腰を下ろすのなら机と対になる椅子か、ベッドの上か。

 ひとり掛けでもこんな大きなソファなんか置いたら……うん、いよいよ狭さかが目立つかな、とハシュはいまの部屋と比較する。

 だが、バティアの部屋は格があっても狭さは感じられないし、さらには寝室、そこから繋がる浴室もあるなんて!

 しかも家具や調度品が贅沢な造りであっても、高尚で落ち着いた雰囲気のほうが印象もあるので、ハシュはあっという間に居心地のよさにうっとりとしてしまう。


 ――さすがは十二月騎士団団長だ!


 疲労困憊で一日を終えて、あとは爆睡できればなんでもいいや……そんなハシュの部屋とは大ちがいだ。

 うん、そもそも団長位と張り合うほうがおこがましいのだが。


「凄いね、バティア! こんなにも素敵な部屋を使っているなんて」


 室内に点る灯りにも慣れたハシュは、さすがに幼子のようにうろちょろと歩きまわって見学することはなかったが、それでもソファから立ち上がってあちらこちらをきょろきょろと見やり、このランプのガラスに厚みはあるのかな、などと指先でそっと撫でたりしていると、バティアが何とも言えない表情で微笑してくる。


「そうだね。でも――、これは歴々の団長が使用されていた部屋だから、団長職を賜っている間、俺が預かっている。そんな感じだから、自分の部屋というのもどうかな?」

「でも、でも! 居間と寝室が分かれている個室って見たことがないから、やっぱりすごいよ。バティアはそれだけのお勤めをしているんだって、何だか見ている俺のほうが実感しちゃうよ」

「そう言われると、ちょっと照れるよ」


 あくまでも預かっている立場だという認識が強いバティアを見ていると、ほんとうに真面目な性格なんだから、とハシュは思って笑ってしまう。

 では、あの棚にいくつも置かれている小物は、と思うと、


「団長職は代々、寮生活の少年兵からそのまま部屋だけを移動する身だから、根本的に個人の所有物しかない」

「うん、確かに」


 少年兵に必要なのは学術でいえば本やノート、文具類、私服は季節に添うものが数着ずつあればいいし、普段着ているのは制服の意味合いを持つ軍装。


 ――これくらいで、あとは……何を持っていたっけ?


 厳しい修練は二年間つづき、休日はあったが、では皇都の街に出かけようと思えるほど距離も近くはないし、希望する少年兵をまとめて乗せた馬車で出かけても、何かに興味を惹かれて買った……というよりは、食べた、だ。

 そもそも時間があれば、とにかく鍛錬、修練――。


「それでもみなさん、何かしら持っていて、団長職から正式な騎士として十二月騎士団を後にするとき、宝物だったものを記念に置いていくみたいなんだ。ここにいた証というか、念願の騎士になったのだからと、憧れていたころと別れを告げるように」

「へぇ、素敵」

「でも、文官の先輩方は手持ちの本がありすぎるせいか、手離すというか、運ぶのも大変だから置いていくみたいで、書棚はほとんどそんな感じかな?」


 なかには日記帳のようなものが混ざっていて、バティアも思わず読んでしまい、あわてて閉じたこともあるという。

 それを聞いたハシュは、あはは、と笑ってしまった。

 どおりで棚に並べられている趣味がちぐはぐのわけだ。

 なのに、思い出という統一感だけはわかる気がする。


「バティアもいつかは何かを置いていくの?」

「どうだろう? 俺は持ち物がすくないし……」


 と、一度は言うが、


「でも、そうだね。この部屋には置けないけど、就任の祝いで競走馬の白馬を賜ったから、あの子をみんなのために……俺にできるのはそれくらいかな?」

「うん、バティアらしくていいね」

「ありがとう」


 何かを置くことができる。

 それは別れや区切りをつけるよりも、想いと思い出の継承のような気がして好ましい。

 これを自然とする歴々の団長だから、きっと少年兵たちは安心して護られていたのだろう。バティアだって、その歴々に負けていない。ハシュはそう思う。

 そんな話をしながらハシュがソファに戻ると、バティアもとなりに腰を下ろしてくる。

 そして――。

 軍装のポケットに入れていたいくつかの封筒を取り出して、目の前のローテーブルの上に並べてきた。

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