先生たちは全力で冷やかします とくにバティアを
悲喜こもごも。
誰がこの適切な言葉を考えたのだろう……とハシュは思う。
後半、ハシュにとってはうなだれてしまう話題も多かったが、
――現状に思い詰めてすぐに判断せず、迷ったら相談しに来い!
と、どの教官も教師陣も真摯に受け止めて、明るさに陰りが帯びたハシュを励まし、元気づけてくれた。
「答えというのは、すぐに出さなくてもいいんですか?」
問うハシュに、周囲が「当然だ」と同意してうなずいてくれる。
なかにはハシュの左目もとにあるほくろを「ちょん」と指先で突く教官もいたので、恩師たちの温かさにハシュはすこしだけほっとすることができた。
――バティアがようやくのことで食堂に姿を見せたのは、ちょうどそのころだった。
□ □
ハシュはすでにたくさんの器に山のように盛られた料理をきれいに食べ終えて、周囲との会話にも弾んでいた。
――あはは、と聞こえるハシュの声は純粋で明るく、優しさに溢れていて、耳に届くだけで好ましい。
そんなことを無意識に感じて口もとを綻ばすバティアの服装は、まだ軍装のままだった。
どうやら学長の公室を出たあと、そのまま食堂を訪ねたのだろう。
「――あ、バティア!」
バティアに気がついてハシュが大きく手を挙げる。
「グラタンありがとう、おいしかったよ」
真っ先にお礼を言って、すでに空になっている器をかるく指差す。
それを見て嬉しそうにバティアもうなずくが、ハシュの周囲には会話を楽しんでいる教官や教師陣たちが多く座している。尽きぬ座談を楽しんでいるのが雰囲気でよく伝わる。
丁寧に料理を盛られたトレイを手にするバティアは、無理にハシュの傍には座ろうとせず、食べ終えた上級生たちもいなくなった席でさっさと食べてしまおうと思ったが、幾人かが気を利かせて席を立ち、ハシュのとなりを譲ってくれた。
そのとき――。
数人がハシュには気づかれないようバティアに鋭い視線を向けて、
――何があった?
と、問うてくるが、ハシュとは異なり、十月騎士団の伝達係――伝書鳩がこの十二月騎士団を訪ねるのは本来どのような意味を持つのかを学長に教えてもらったバティアも、
――何も。
と、かるく頭を振るだけ。
むしろ、ハシュをそのような目で見ないでください、と注意するように態度があっさりしていて、どこか素っ気なかった。
一方のハシュはというと……。
好物になったメニューを厨房にリクエストしてくれたことには感謝しているが、学長とどのような作戦を立ててハシュに献上するつもりなのかと思うと、さすがに落ち着いていられない。
「バティア、あの、その……」
ただ、この場で先ほどのやりとりを会話にするわけにもいかないので、ハシュはどうやって尋ねようかとやや口ごもってしまうが、バティアはそんなハシュに柔らかく笑むだけ。
声には出さず、小さく唇だけを動かして「あとで」と伝えるようにささやく。
それからもう一度にこりと笑って、教官らと話をつづけていいよ、と視線で意を送ると、ハシュとの話を堪能した教官や教師陣が今度、バティアに目をつけてくる。
年齢でいう大人という者は存外巧妙な計算が上手く、周囲に少年兵となる生徒の姿がいないことを確認するなり、教免所持の姿を脱ぎ捨てる。
彼らは途端にひとりの大人としての顔となり、
「――よぉ、バティア。この色男め」
「聞いたぞ? ハシュを迎えたときに手を取って、熱心に見つめ合っていたそうじゃないか」
と、誰かがにやにやと口を開いた途端、
「――ッ!」
性格は明るいが控え目、周囲に思慮深く、優しく誠実で、金髪碧眼の眉目秀麗な容姿と非の打ちどころのないバティアも、突然向けられた言葉には参ってしまい、ハシュのように「ぶッ」と音を立てて口の中にあるものを吹き出しこそしなかったが、即座に手を当てて耐えたものの、
「ごほッ、ごほッ……ごほッ」
と、盛大にむせてしまい、そのまま思いきり咳込みはじめてしまう。
となりに座るハシュは、へ? え? と目を丸くして、
「バティア、大丈夫ッ?」
などと言って背をさするが、揶揄われた直後に感じるハシュの手の温もりに動揺して、かえってバティアの咳は止まらない。
「ごほッ、ごほッ」
「えッ、ちょッ、バティア? しっかり!」
ハシュは、バティアに揶揄いのひと言が向けられた瞬間、べつの教官と話をしていたので、なぜバティアが突然咳き込みだしたのか、まったく理解できずにいた。
それはバティアにとっては幸いだったが、
――バティアが食事中にこんな失敗をするなんて……。
これは珍しいというよりも、ハシュははじめて目にするかもしれない。
「ごめ……ハシュ……ごほッ、だ、大丈夫だから……ごほッ」
バティアは涙目になりながらかるく手を上げてハシュの心配を制そうとするが、バティアの咳込みはなかなか止まらない。
ハシュとはちがい、滅多にない失敗だからこそ、余計に辛そうに感じてしまう。
「待っていて、バティア。俺、何か飲み物をもらってくるから!」
ハシュはあわてて席を立ち、給仕係の女性たちに駆け寄って温めの飲み物の用意を頼む。
その隙に大人たちは隙間なくバティアを一斉に囲み、
「お~お、パタパタと走って、まぁ。ハシュは思いのほか世話女房が似合いそうだな」
「ま、普段のドジぶりならハシュの独壇場だからな。バティアの世話焼きもすっかり日常だったし」
「――で? お前ら、いつからそういう仲になったんだ?」
「外に出れば年ごろの娘さんたちからの黄色い声に困惑していたくせに、ハシュには人目も憚らずってか。――いい度胸だ、お前。才能あるぞ」
などと言って、容赦なく冷やかしをはじめてくる。
教官や教師陣がどこでどんな話を聞いたのかは知らないが、彼らの興味は完全によからぬ方向へと突進している。
「せ、先生……ごぼ、何か誤解を……ごほッ、ごほ、していませんか?」
「誤解も何もそうなんだろう?」
「そうって……、ごほッ」
そうとはいったい何だ?
何を指しているのだ?
バティアとしては、周囲の誤解に対して不満がある。それではまるで、自分がハシュに不埒な態度を取ったような言いようではないか。
もし、彼らが指摘している場面が夕暮れ前に会ったお散歩での出来事だったとすれば、それは手袋もせず、素手で疾走する軍馬の手綱を操っていたハシュの手が痛んでいないかと心配になって見聞しただけで、他意はない。
怪我も傷もなくてよかった、と安堵するほうが大きかった。
ランタン騎馬隊で出迎えたときもそうだ。
夜の世界を好めないハシュが道中ひとりのときに、安全に渡れたのかどうかを確認したかったし、手を取ったのも再会の喜びと無事を安堵する親友としてのしぐさにすぎない。――たぶん。
――だというのに……。
――ごほ……こほ。
教育者からただの大人に成り下がった周囲の好奇心は、まだそういう方向に疎いだろうバティアにもそろそろ「オトナの教育」をしなければ、と穢れた心で一致団結しており、バティアのハシュに対する過度な心配性の根源たる本心を引き出そうとし、軽口を砲門のように開いてくる。
「バティア。お前もハシュも、もうじき成人――トゥブアン皇国では男女問わず、十八歳で成人を迎えることになる――だ。そろそろ気合い入れないと、手に入れ損ねるぞ」
「いやぁ、あのハシュだぞ? 簡単に誰かになびくかねぇ?」
「ま、あいつもそっち方面は疎いというか、潔癖が目立っていたけど、いざ絆されたら、あっという間にコロッと落ちるタイプだと思うぞ。ハシュは絶対、年上に弱いと見た」
「ハシュもまだ子どもっぽいけど、ありゃ意外と美人に育つぞ」
などととんでもないことを言いはじめ、しまいには、
「互いにそういう年ごろだ。そういう気も起こるだろうが、ここは清き正しき未来を育てる寄宿学校だ。――今夜は控えろよ」
「なッ、何を言って……、そんな、するわけ……ッ」
大人としてはあるていど配慮した、けれども茶目っ気を含ませた言葉で揶揄ったが、思いのほかバティアは正確に読み取ってしまい、思わず反応してしまう。
大人たちにとってこれは、まさかの反応だった。
まだ少年の心を脱却していない清楚なままかと思いきや、これは意外。
今度こそ、誰もが容赦なくにやにやと顔を寄せてくる。
「ということは……、もうどこかでそういうことを?」
「いや、さすがにそれは早いだろう? 修了するまでは清き親友同士だったろうし」
「そうでもないだろ? こういうのは条件さえ整えば、手でも口でも勝手に出るもんさ」
「――で、はじめてはいつだ? まさか在籍中じゃないだろうな」
「先生ッ!」
いったい、自分は何を言われているのか。
わからないようで、わかってしまって。
――何だか、無理やり本心を引き出されてしまう速度が怖い。
バティアは堪えきれず、耳の端まで顔を真っ赤に染め上げて、滅多なことでは上げない声を出してしまう。
ハシュはとても大切な親友だ。
どんなときだっていちばんに大切にしたい、親愛なる存在だ。
それが揺らぎはじめている自覚はどこかにあるが、まだ急いで進みたくはない。怖いのだ。
ハシュには自分の心の変化の速度を押しつけたくはない。
だというのに……。
「で? ――愛しの姫君を最高の幻想世界の灯りで出迎えた気分はどうよ?」
「いまからこれじゃ、お前もずいぶんな色男になるなぁ」
「なッ、何言っているんですか。俺はただ、ハシュが夜を苦手としているから、それで灯りが欲しいと思っただけで……」
「そうそう。年ごとはまず、ロマンティックを大切にしないと」
「ですから……――」
――ああ、駄目だ、この人たち。
ほんとうに、そうではないというのに。
どうして大人はすぐに、そのような方向に話を持っていきたがるのだろう?
これにはさすがのバティアもめまいを覚えて、額を押さえてしまう。
こんなにも恥ずかしくて、そしてどこか嫌らしさを含んでいる話など、ハシュにはとてもではないが聞かせられない。
いや。
聞かせたくない――。
そうやってバティアが周囲の大人たちに苦戦しているときだった。
飲み物を取りに行っていたハシュが席に戻ってくる。
「バティア、咳は収まったようだけど大丈夫? 顔が真っ赤だよ? かなりむせたんだね」
などと見当ちがいに心配してくるハシュに周囲は笑い、バティアだけが変わらぬハシュに救われる。
「ごめん、ハシュ。手を煩わせてしまって」
「何言っているの、これくらいどうってこともないよ」
飲み物を受け取るバティアがほんのわずかに顔を反らし、ゆっくりと口に含む。
それは飲みやすいようにハシュが配慮してくれた白湯にすぎなかったが、口のなかに広がる味わいはどこか甘く、何よりも優しいものに溢れていた。
「ねぇ、さっきから話が盛り上がっていたようだけど、何を話していたの?」
着座するなり、ハシュは興味のままバティアの顔を覗きこむ。
何も知らないようすに周囲のにやにやとした顔は止まらなかったが、バティアは自分を見つめるハシュの瞳と、その左目もとにあるほくろをちらりと見ながら、
「うん。今日のランタン騎馬隊の動きははじめてなのに、みんながとてもうまくこなせたから、彼らを褒めていたんだ」
バティアが完全に話を逸らそうとして、ハシュが興味を持つだろう話題を強引に持ちかける。
そんな完全な逃げに、教官や教師陣は呆れてしまう。
――いや、そうじゃないだろ、バティア。
――お前も男なら、一発ビシっと言わないと!
――言うって、何をだよ?
――そりゃあ、愛しの姫君に思いの丈を込めて……。
――ハシュが姫君ねぇ。そういう年になったのか。
――でもバティアの場合、お付き合いしてくださいをすっ飛ばして、最初から結……。
――ああ、言いそうだな。
などと慣れた視線で会話をしながら、周囲はわざとらしく咳払いを立ててバティアを咎める。
この場合――。
どう見てもハシュが鈍感すぎるので、バティアの想いだけが一方通行になるのが哀れで、一層ハシュ激励を飛ばしたかったのだが、これにはさすがのバティアも「穢れた大人から清らかなハシュを護らなければ」と思い、黙殺の意味を込めて碧眼に鋭い光を走らせる。
だが、立場でこそこの十二月騎士団の最高位であるバティアだが、年はまだ十七歳。しかも三ヵ月ほど前まで周囲の教え子だったのだ。彼らにはその眼光さえ背伸びのようで、かえって可愛らしく感じてしまう。
さて、ふたりを肴に遊ぶのもこれで終いか。
周囲は仕方なく苦笑しながら、十二月騎士団団長の仰せのままに、と従う。
「?」
「……何でもないよ、ハシュ。気にしないで」
「う、うん……」
奇妙なやりとりの空気だけは辛うじて感じることもできたが、それがどういう種類なのか。
ハシュにはさっぱりわからなかった。




