四月騎士団団長は絶対にヤバい人ッ！
通常であれば、トゥブアン皇国に十二ある騎士団の各庁舎で作成された書類はすべて十月騎士団の伝達係――伝書鳩に円滑な受け渡しができるよう、専門の窓口のような部署がある。
それは伝書鳩たちがすぐに持ち運びしやすいよう――か、どうかは定かではないが――、どの庁舎も一階にその部屋を設けているので、前を歩く四月騎士団の文官につづいて階段を上がっているとき、ハシュは建物内の散策気分とはべつの、わずかに違和感を覚えていた。
――ひょっとすると……。
文官の四月騎士団の管轄は、皇宮諸事の一切を取り仕切ること。
このトゥブアン皇国の頂点である唯一皇帝にもっとも近しい立場であるが、その反面、国事、国政、軍事への関与権限が一切ない。
かわりに唯一皇帝の公私すべてを預かり、身辺を正しく警護護衛する武官の一月、二月騎士団を有し、支持する重責も担っているので、外部を行き来する書類などは機密保持も兼ねて、簡単に外に漏れ出ないよう二階に受け渡し部屋があるのかもしれない。
そんなふうに思っていると案内役の文官が足を止めて、その前にある扉を間髪入れずにノックする。コンコン、と立てた音は大きすぎず、小さすぎず、文官らしい機能的なあった。
――奇麗な音だな。
自分もこんなふうにノック音を立ててみたい。
よし、今度真似をしながら習得しよう。
そんなふうにハシュは呑気に思っていたが、その扉の向こうが何なのか。それを知るなりハシュはぎょっとしてしまう。
「え……？」
その扉には「四月騎士団団長室」と記されていたのだ。
「……し……」
――四月騎士団……団長室ッ？
――ええッ？
ハシュは動揺が隠せず、思わず驚愕の声を上げそうにあったが、反射的に両手を動かしてどうにか自身の口を塞ぐことができた。
――でもッ、何で？
自分は書類を取りに行けと言われたから来ただけだというのに、なぜ、いきなり四月騎士団最高位の団長の執務室に通されようとしているのか？
通常、ハシュのような新人騎士が所属先であろうと他の騎士団であろうと、その騎士団の最高位である団長に即座の目通りが許されるということはない。もしその必要があったとしても、まさに許可、許可、許可の書類の裁可を経ていかなければ到達することもできないのだ。
すくなくともハシュが皇宮の御用門からこちらに向かう間、それを先触れとして伝えに動いた人物は見受けられない。
――もしかすると……。
上官に気安く頼まれこそしたが、じつはあまりにも重要な書類なので、団長自らの手渡しで受け取る必要があって連れてこられたのだろうか？
だったら、それこそ皇宮がはじめてのハシュにそんな重責を頼むはずもないし――たぶん――、いや、でもッ……とハシュの動揺は収まらない。
急に緊張を覚えて鼓動が嫌なふうに高鳴るが、すでにノックという合図はされてしまった。時間はハシュの心情など待ってはくれない。
しかも、コンコン、とノックをしたすぐに、
「かまわん」
と、どこか冷たく言い放たれた入室許可の声に、ハシュはどこか奇妙なほど息を飲んでしまう。
たかが短い返答だというのに、ずいぶんと威圧的な何かを感じたからだ。
その声を受けてさらに鼓動が嫌に高鳴るので、ハシュは思わず自身の胸元を押さえてしまった。
十月騎士団の伝書鳩として、四方八方と行き交った三ヵ月。
確実に身につけたのは、初対面、あるいは声だけで相手がどのような人物であるのかを直感するそれ。
――この人、きっとものすごく怖いぞ……ッ。
その勘は至極正しいと自分でも思う。
それだけでも身が竦むというのに、これまで無言で案内をしてきた文官がようやく自分に向けて口を開き、
「――どうぞ、ご入室ください。私は戸口で待っていますので」
「えッ？」
その口調は丁寧だったが、ここから先はハシュひとりで行けと、そう機能的で無慈悲なひと言だけを伝えてくる。
一緒に入室してはくれないのだろうか？
十七歳にもなって、しかもすでにこの身は伝書鳩だというのに、何を心細がる必要があるんだ――とハシュは思うが、何せ本能が最大級の警戒を伝えてくるので、ひとりで扉の先に向かうにしても身が竦んでしまうのだ。
奇妙なほど表情を変えているハシュに、その心情を正確に読み取った文官がなぜか同情的にうなずいてくる。
文官はまだ若さを感じられる青年であったが、無口なのは性格らしく、けっして冷淡な内心の持ち主ではないようだった。何かをハシュに助言しようとして、何度も言いかけて口を閉ざし、ようやく適した言葉を脳裏に閃かせ、ハシュに顔を寄せて耳打ちしてくる。
「――大丈夫。大人しく言われるままに従っていれば、心の傷は浅くすむ」
「……へ？」
「万が一泣きたくなっても、この部屋では絶対に泣くな。まずは生き抜くことを考えろ」
「……そ、それって……」
どういう意味なのだろうか？
何というか、まるで冒険小説の一大事な局面とおなじ台詞を言われた気がする。
――それも、ものすごく恐ろしいことを言われた気が……。
する、と思った瞬間だった。
「――どうした？ 私は入室を許可したぞ。さっさと入ってこい」
「！」
扉の奥からこの部屋の主――四月騎士団団長と思われる声が向けられる。
荒げた声音ではなかったが苛立ちは含んでいたし、ずいぶん、という表現ではすまない何か高圧的な気配を直截投げられたような気がする。
ハシュと文官が同時にびくりとすると、
「それとも何か？ 言葉も知らぬ、扉の開け方も知らぬ間抜けを連れてきたのか？」
などと言ってくるので、これは確実に執務室まで案内をしてくれた文官に対する叱責と取れたので、文官は完全に青ざめて、扉を開ける前から恐縮して勢いよく頭を下げた。
――刹那に、その動作をしてしまう。
――それだけの相手がこの部屋のなかにいる！
それを目前としたせいで恐怖が伝染してしまい、ハシュも何やら血の気が引きはじめてしまう。
「申し訳ございません。――十月騎士団から伝達係が参りました。お通しいたします」
□ □
文官は声音こそ冷静を保ち、機能的で、ハシュが褒めた「スマートな文官」を体現していた。
実際、案内をしてくれた文官の所作はひとつとっても美しかったが、彼は扉を開けるなり、ハシュの首もとを掴んで放り投げたか、あるいは勢いよく蹴り込んだか。
そんな早業でハシュを四月騎士団団長の執務室へと放り込んだものだから、ハシュの彼に対する敬意は一瞬で地に堕ちた。
――いま、蹴った……ッ？ 俺、蹴られたよねッ？
きっと文官も、この執務室の主を大変苦手としているのだろう。
それは態度で瞭然だったが、だからといってハシュという生贄を迷わず蹴り込むなんて！
――その勢いで入室と同時に転んだりしたら、どうしてくれるんだッ！
と、ハシュは思ったが、幸いにして最初の一歩で大きく踏み止まることができたので、どうにかバランスを保つことができてほっとした。
ほっとはしたが……。
「……」
執務室、と記されていた室内は、まだ午後の日差しが入る向きに面していたので、声から想像する緊張感の頂点を具現するような禍々しい空気の印象はなく、白を基調とした壁や天井、背丈のある窓やカーテンがまず目に入り、職務に忠実そうな清潔感と高潔な印象があった。
壁は一面だけに書棚があって、それは執務に使う書類を保管するものではなく、読書の意味合いを持つ書物や文献を思わせる、ずいぶんと年季の入った背表紙が高さと色合いの均衡をきっちりとさせて並べられている。
これだけでかなり神経質か、あるいは几帳面な性格なのだろうということを伺い知ることができる。
不思議に思えたのは、狭さを感じさせない室内には重厚感のある色味の机と椅子が窓近くに置かれているだけで、室内にほかの家具はないことだ。
こんな調子なので机の上にも何もなく、室内の空気が丸ごと整然としている、そんな印象を強く受ける。
――執務室って、こんなに素っ気なかったっけ？
すくなくともハシュが知るそこは、どれほど整理整頓がされていようと、書棚にはひと息合間に読むような書物ではなく、執務に必要な書類が分類されてまとめられており、机には「押印可」「不可」「要検討」「未読」などと記された仕分け箱のようなものがあって、いくつものペンやインク、用途別に使用される印鑑、つぎからつぎへと持ち込まれてくる書類とその封筒が……。
そういった、結局は整然とは無縁の忙しさを表すのが「執務室」だと思うのに、ここはそれを一切感じさせない。
勿論、ハシュはトゥブアン皇国に十二ある騎士団の庁舎――そこにある団長の執務室に直截入室したことはないが、所属する十月騎士団団長の執務室であれば何度か訪ねたことがあるので、「団長の執務室といえば」という基本のイメージがそうだった。
それを簡単に覆す、この整然さたるや！
これが皇宮諸事の一切を取り仕切る四月騎士団の長であり、個人の気質を表わしているのだとしたら――。
――さっさと書類を受け取って、秒で逃げよう！
執務室に入るなり、わずか二秒で室内からこの部屋の主の性格を読み、ハシュは関わりを避けようと決意するが、それは考えるだけ無駄な事柄だった。
窓から差し込む午後の日差しは、すでに秋のものなので夏の時期のような苛烈な光を室内にもたらすことはなかったが、なぜか四月騎士団団長がそれを背にしていると、奇妙な威圧に拍車をかけている。
――見たところ、三十代後半くらいだろうか……。
髪の色は曖昧さを嫌うように、意思をはっきりと主張するような黒。
きちんと整髪されているが、なぜか右側から前髪を七三型に分けている整いが妙に印象を残す。
容姿は一見して文官らしく整っていたが――何に怖さを感じるのかというと、眼つきがとにかく鋭くて、気配が高圧的。他者を平然としたに見るようなさまがとてつもなくよく似合っているからだ。
加えて角型の黒縁眼鏡がよく似合い、高慢げに腕を組み、細身でありながら精神は巨木よりも幅がありそうな絶対的な風格があるせいで、上から目線然が異様なほど似合っている。
室内にはまるで目に見えないピアノ線のようなものが張り巡らされて、どこで何に触れてしまったら、その瞬間、自分はどうなってしまうのだろうか。彼が持つ気配から、ハシュは息苦しいほどの緊張を覚えてしまう。
この手のタイプは、どう考えても「アレ」だ。
――この人、怖いんじゃなくて、ヤバい人なのかも……ッ。
ハシュはそれを本能で読み取る。
同時に、ハシュが執務室に入室してまだ四秒と経っていないというのに、彼もまたハシュのようすを正確に読み取っていたらしい。
「ふん、――貴様が十月騎士団の秘蔵っ子か。ずいぶんと平凡だな」
「……」
「十二月騎士団を修了して、現場で奉職をはじめて三ヵ月。何だ？ まだオドオドとしたその態度は」
「！」
最初から鼻で笑い、無礼、軽視、見下し、そのどれも平然と自然に口にする。それが性格なのだろうな、と瞬時に判断できる目つきと態度を四月騎士団団長は惜しげもなくハシュに向けてくる。
――ああ、やっぱり……。
――この人は、ヤバい、だ！
それも相当の、筋金入りの方向で、だ。
初対面からずいぶんな言われようをされたが、彼がそれを態度で表し、口にすると異様に似合うような気がして、何を言われてもすんなりと「仰せのとおりです」と思えてしまいそうになる。
――お、俺ッ、何かしたッ？
ハシュは心底震え上がってしまったが、
――ん？
いま彼は、自分に向けて「秘蔵っ子」と言わなかっただろうか？
秘蔵っ子とはそれなりの特別視を受けている意味合いを持つが、ハシュにそのような持ち合わせはない。むしろ、伝書鳩として日々、散々にこき使われている真逆の存在だ。
それとも何か？
四月騎士団では軽視を通り越して、伝書鳩を秘蔵っ子と揶揄か含みで表現しているのだろうか？
ハシュはいますぐ回れ右をしたくなったが、残念なことにいまは十月騎士団の伝書鳩――伝達係としての用向きがあって、この四月騎士団団長の前に立っている。先手で圧倒されつづけたが、ハシュは先ほどの皇宮の御用門のときとおなじで、まだ最低限の礼儀も向けていなかった。
「い、いまほどは大変失礼いたしましたッ。自分は十月騎士団所属の――」
「伝書鳩にそれ以外の何の紹介がある？ 最低限の口が利ければ、あとは必要ない」
「……」
あわてて頭を下げたところでバッサリと言われ、ハシュは姿勢をもとに戻すタイミングを見失ってしまった。
それどころか、
「まあ、いい。――ユーボットが直截見込んで手もとに置こうと採用したのだ。ヤツに免じて、私も貴様をこき使ってやろう」
「……」
――そ……それはどういう理屈でしょうか？
ハシュは頭を下げたまま思う。
彼はいま、何と言ったのだろうか？
言葉を反芻するのも恐ろしい。
――ユーボットって、十月騎士団……ウチの団長の名前……。
確かに彼も正式な騎士団団長なので、団長格の同列同士、相手を職務上の名義ではなくて名前で呼ぶことに何ら不思議はないが、どうもこの四月騎士団団長が他者の名前を口にすると、相手を下に見ている雰囲気がありありと感じられて、それだけで得体の知れない怖さを感じてしまう。
――たしかにウチの団長は、破格に年若いけど！
でも！
だからといって、他の騎士団の団長が自身の統括外に所属する者を成り行きで私物のようにあつかうことを宣言する理由になるとは思えない。
それが冗談なのか本気なのかは判然つかないが、ハシュは「お断りします」と言える立場ではないし、「謹んでお受けいたします」と承諾させられるのだけは全力で拒みたい。
――あれ？ 俺……。
――何をしに、この部屋に入ったんだっけ？
すでに本来の目的が霞むほど相手に呑まれてしまい、額に汗が、嫌な汗が滲み出てきたような気がする。
秋の日差しでも、午後の採光が室内に籠ればこうも暑く感じるのだろうか？
ハシュが微動もせず、どう逃げたらいいのだろうと身の振り方を真剣に悩んでいると、四月騎士団団長――ロワが、はて、と黒縁眼鏡の奥からまばたいてくる。
「おい、いつまで間抜けな姿勢を取っている？ 腰を痛めるぞ」
「……」
これは気を遣われていると、受け取っていいのだろうか？
ようやく姿勢を正せるぞと、ほっとする一方で、顔を上げた瞬間にまた何かを言われるような気がして、ハシュはかえって顔を上げることが怖くなった。
