一難去って、また一難
それから――。
ハシュはひとりで学長の公室を後にすることになった。
ほんとうなら、自分を迎えに来たバティアと一緒に楽しくおしゃべりをしながら食堂に向かうところだったが、
――どうしたらハシュが伝達係として職務を全うできるのか。
その思考に取り憑かれたバティアが当人よりも真剣に考えはじめて、学長に妙案はないかと相談を持ちかけてしまい、
――かならずハシュに光の導きを与えるから。
などと言って、自ら知恵勝負に乗り出してしまったのだ。
ハシュとしては協力姿勢こそ感謝の念も絶えないが、その妙案がどれほどの打ち出の小槌となってしまうのか、それを御する自信がないハシュには不安しか残らない。
――バティア、こういうときは妙に張りきるからなぁ……。
ハシュは公室を出る前に、何事も適宜がいちばんなんだからね、分相応ってじつは大切な事柄なんだ、と念を押してみたものの、それがバティアの耳に正しく入ったかどうかはわからない。
バティアは心配性が発動すると、普段の広角的な思慮深さも極端な狭角に変わる。似たようなところがあるハシュにはやんわりと指摘ができるというのに、バティアは自身もそれに当てはまるという自覚はあるのだろうか?
とりあえず――。
バティアが妙案を揃えてきても、受け取るお膳立てが過ぎるようならハシュが改案に全力で知恵を絞ればそれでいい。
せっかくバティアが張りきってくれるのだ。
いまは水を差す真似はやめようとハシュは頭を振り、
「こうなったら、なるようになれ、だ」
腹を括ってつぶやくと、思わぬところから返事が返ってきて、お腹が「ぐうぅ~」と鳴ってしまう。
「……そういえば俺のポレット」
先ほど休憩していた五月騎士団の内務府庁舎にある食堂で食べていたのだが、その食べ途中を久しぶりに再会した実兄のオルクに食べられてしまい、それきり何も食べていない。
思い出してハシュは苦笑し、今日の夕食は何だろうと想像を働かせる。
じつは……。
ハシュの直近の後輩である上級生たちが教官や教師陣とともに結成したランタン騎馬隊が出払っているとき、学舎では心強い味方が留守を預かり、十二月騎士団に所属するすべての者に日々の食事を提供している料理人や給仕係が張りきって、かなり豪華な夕食を作ってくれたというのだ。
その料理はお留守番に徹するしかなかった新入生たちにも振舞われ、さらには特別な夜食として、寮の部屋で食べられるよう菓子パンもいくつか用意されているという。
十二月騎士団には食欲が旺盛な少年兵たちが相当数いるというのに、その彼らのために惜しまず全力で作ってしまうとは感謝しかない。
やはり、祭りや余興の後の楽しみと言ったら、食欲の満たし!
これにかぎる!
「そういえば……、秋はじめにはよくキノコ料理が出たっけ?」
海辺の町育ちのハシュにとっては最初、うまく味覚に馴染めるかどうか心配だったが、いざ、毎日食べてもちがった料理が提供される品数の多さと、慣れていくうちに今度は相性もよくなって口が止まらなくなり、ハシュはとくにグラタンが好物になってしまった。
最初のひと口で失敗すると舌を火傷するが、はふはふ、としながら食べる。あのひとときがいいのだ。
「ああ~~、いまになって思い出すなんて」
もっと早くに思い出していればリクエストもできたのになぁ、と思い、おいしい匂いが漂う方向に鼻を向けて嗅いでみる。チーズを焼いたような近しい匂いがするので、これは期待できるかもしれない。
「――よし!」
学長の公室がある学舎から食堂に向かうには、やはりトゥブアン皇国独自の建築様式で長い回廊をいくつか渡ることになるのだが、――周囲は夜。
回廊にはハシュの一件があって以降増やされた、多くの吊るしランタンが温かな灯りを点しているが、手すりからすぐ先が夜の世界だと思うとハシュもゆっくりと歩いていられない。
きっと……。
バティアが一緒だったら当時のように手をつないでくれて、何の不安もなく渡れたのに――。
ふと思い出して、手もとの寂しさを思うが、同時に、
「~~~ッ」
先ほどバティアに手を取られたとき、まさか揺るぎない友情と協力を誓うように手の甲を額に当てるどころか、バティアの唇が……ッ!
途端に思い出すなり、ハシュは真っ赤になってしまった。
バティアが触れた手の甲を見て、それを隠すようにもう片方の手でぎゅっと握る。
「もう、バティアったら! 何で、土壇場で作法をまちがえちゃうのかなッ」
バティアに対していまはこの認識でしかないハシュは、むうッ、と頬を膨らませてしまう。
それはともかく――。
いまはにぎわう食堂で盛り上がっているか、食べ終わった少年兵たちが寮棟に戻っているかのころなので、この回廊に人影はない。
これを回避するためにバティアが迎えに来てくれたというのに……。
どうやら自力で渡るしかないと思い、ハシュはほとんど全力疾走するのだった。
□ □
はぁ、はぁ……。
長い回廊を二本走った。
かるく息を切らしながら食堂の棟まで走りきると、なかなか姿を見せないハシュを気にしていたのか、ランタン騎馬隊と接触する前に夢幻に囚われていたハシュの額に強烈な指弾き――デコピンを食らわせた、体躯のいい馬術の教官と、おなじく特徴的な鼻髭と奇妙なスマートさが印象の教官が立っていて、ハシュにかるく手を上げてくる。
「――遅かったな、ハシュ。他の連中はもうはじめているぞ」
そう言ってハシュの肩をがっしりと掴み、楽しそうに身を寄せてくる体躯のいい教官に向かい、ハシュはひと言、
――ここは飲み屋ですか?
と、心中でつぶやく。
彼のことは嫌いではないし、むしろ尊敬しているし、話すと楽しいのだが、これを実際口にしたら最後――。酔ってもいない相手に酔っぱらい然で絡まれるのは必至なので、ハシュは絶対に口にしない。
「お待たせしてすいませんでした。俺も教官たちと食べるのは久しぶりなので、楽しみです」
「お~お、ずいぶんと可愛いこと言ってくれるじゃないか」
「わッ」
彼は酔っていないというのに、言動がすでに飲み屋のそれだ。
陽気に笑いながらハシュの肩を掴むのとはべつの逞しい腕を使って、ハシュの頭を無遠慮に撫でまわしてくる。
再会を喜んでくれる教官の気持ちは嬉しいが、ハシュはその力で首をかくかく揺らしながら、
「き……教官、先ほどは俺の騎馬の手入れ、ありがとうございました」
この十二月騎士団に到着したとき、ハシュをここまで連れてきてくれた軍馬の栗毛色を預かってくれた。厩舎に連れて行って労いながら、本来であればハシュが行うべき世話をしてくれたことに感謝する。
「何、あの軍馬は気骨がいいな。一見はあつかいにくそうだけど、騎手に対して忠義をきちんとわきまえている。そこがいい。俺は気に入ったぞ」
「そう言っていただけると、俺も嬉しいです。あの子ががんばってくれたから、俺もこうして無事にいられるわけですし」
「今日はほんとうにご苦労だった。疲れているだろうが、いろんな話を聞かせてくれ」
「はい……って、うわッ」
素直に返事をすると、なおのこと教官が激しく頭を撫でてくるので、やや短髪気味のハシュの髪もぐしゃぐしゃになってしまう。
――もうッ!
――だから、酔っぱらいは嫌いなのに!
いや、彼はまだ飲酒などしていないし、そもそもここは未成年の少年兵が生徒として集う寄宿学校だ。教官や教師陣も定めには厳重に従わなければならない。
勿論、禁酒も週末や祝祭日には解放されるが、酒量は厳格に決められていて、これを正しく守れずにいると大変な目に遭う。
実際、痛い反省を余儀なくされた教官や教師陣を目にしたことはないが、聞くところによると酒量に羽目を外すと学長の公室で数時間お説教があり、退室するころにはげっそりと体重が激減すると言われている。
学長は生徒である少年兵たちには「みんなのおじいちゃん」のように慕われているが、さすがは教免の長という面もきちんと心得ているのだ。
「そういえば、バティアはどうした? きみを迎えに行ったはずなのに」
「え……っとですねぇ」
鼻髭が特徴の教官に尋ねられて、ハシュは少々返答に窮する。
まさかこの身にとんでもない不幸が訪れて、それを救うためにバティアが妙案を練り出している……などと話すわけにもいかかない。
「バティアは学長とすこしお話するようなので、俺だけ先に来ました」
「学長と?」
ハシュとしては差し障りなく、ただ事実を言ったのだが、教官がそれに妙に反応して気配を鋭くしてくる。
「ハシュ、――決断の長から何か火急の伝言でも頼まれたのか?」
「え……?」
ハシュはまだこの意味を正確には捉えることができないが、いわば寄宿学校である十二月騎士団に伝書鳩が用向きで訪ねることはほとんどない。
十二月騎士団が門の外と接触するときは、年に一度行われる武官騎士団に夜演武模擬戦の見学会や、一部の少年兵による参加の案内、あるいはトゥブアン皇国の秋の風物詩である収穫祭の余興に参加するための打ち合わせ。
時期はまだ先になるが、上級生が修了すると同時に正式な騎士団に入団するために必要な実技試験か、その手続き。
大きくにぎわう以外は、修練、鍛錬の日々――。
このやりとりはそれらを必要とする各騎士団の秘書官が動く事柄なので、十月騎士団の伝達係――伝書鳩が使いとして来訪することはまずない。
もし、訪ねてくるとしたら……。
――それはトゥブアン皇国に戦禍が迫り、学徒の急きょ補充を意味することになる。
少年兵たちの何を急きょ補充とするのかは、海軍騎士の七月騎士団をはじめとする武官の騎士団が前線に向かう事態になれば……と想像すれば、おのずと見えてくるだろう。
過去にはその事態に直面したこともあった。
前例が一再でないだけに、
――本来、十二月騎士団にとって伝書鳩は不吉の前触れなのだ。
教官は一瞬それを危惧したが、現状、国情が急激に戦時にかたむくようすはまだ見受けられない。
もし、ハシュが何かを運ぶしかなかったとしても、それは対象者以外に口外することはできない。
だが……。
いまのハシュは問われた意味を理解しないまま、
――俺がここに来たのは、全部あの七三黒縁眼鏡鬼畜!
――皇宮の四月騎士団団長のせいですッ!
と、叫びたいのを堪え、ただ頭を振る。
ハシュにそういった類の緊張感は見受けられなかったので、教官も深く追求しなかった。
「まぁ、いい。今夜の主賓はハシュだからね。ぜひ、日々奔走で有名な伝書鳩の多忙を聞かせてもらいたい」
「あはは……は……」
それでよければ、いくらでも聞かせてやろう!
残念なのは、もっとも旬な現状を口に出せないということ。
――四月騎士団団長から贈られた、悲劇!
これを話せたらどれだけ周囲の興味を駆り立て、ハシュも鬱憤を晴らすことができるか。
そう……。
いまはまだ話すこともできないが、これが事の顛末を迎え、ハシュがそれを乗り越えることができから、いつか笑い話として語れるだろうか?
まぁ、この話をウリにしなくても……。
語れる話であればいくらだってある。そうなったら、どこからどう話せば伝書鳩の惨劇悲劇を臨場感たっぷりに伝えることができるだろうか。この学び舎を修了して三ヵ月。饒舌になる話題には困らない。
ハシュは乾いた笑いをするしかなかったが、
「それよりも、ハシュ」
「はい」
「お前、何で長距離移動しているのに、乗馬用のブーツを着用していなかったんだ?」
「はう……ッ」
ハシュの肩をしっかりと抱く教官がにんまりと笑い、ハシュの顎の線を指先で「つう……」と撫でてくる。
思わぬ質問にハシュはその場でびくりと身を震わせて、硬直してしまった。
つまり、それが問いに対する答えとなる――。
すると鼻髭の教官もじつは気にしていたらしく、にこり、とひと言。
「乗馬の準備に不備ありとは。――ハシュ、いまになって落第点が欲しいようだね」
「あ、ああ……」
言われた途端にハシュは青ざめる。
「そ、それは、その……これにはいろいろありまして……」
「なるほど。修了から三ヵ月にして、すでに常習性があると見た」
「これは吊し上げにはもってこいの話だな。ハシュ」
「ああ、うう……」
――ああああッ!
バティアにも夕暮れ前に一度会ったときに指摘をされたが、やはり教官たちの目もそれを見逃すことがなかった。
いまはもう夜。
ランタン騎馬隊の温かな灯りの出迎えのなかでも足もとは見えないだろうと思い、放っておいたが――いや、正確には完全に忘れていたのだが――、どうやら素面の席での肴が決定したらしい。
「さぁ、ハシュ。――好きな教官を選ばせてやるから、思いきり白状して、叱られろ」
「うう……」
どうせ選んだところで、結局全員からの小言を受けるのは必至。
ハシュは頭を抱え、教官や教師陣が集うテーブルにそのまま連行されてしまうのだった。




