バティアが明かす、「クレイドル」の正体
バティアにとってハシュは何よりも大切な親友で、年ごろを迎えたいま、想いも感情もそれ以上の存在になろうとしていた。
何があってもハシュが最優先。
彼が望むのであれば、バティアは何の躊躇いもなくその望みを叶えようと動くだろう。
――だが、そうやって秘かに思うバティアの心情さえ。
ハシュが心底知りたがっている「クレイドル」に関する事柄を口にすることに躊躇いがあった。
そんなふうにバティアが自分に対して想うところがあるなど知らないが、自分の問いに対してバティアがかなり迷っている気配はすぐに読み取れたので、ハシュはそれでも引き下がらずに一歩を踏み込むか、それともバティアを追い詰めるわけにもいかないから一歩を引くか。ハシュなりに判断に迷うところでもあった。
しかし――。
「――バティア、きみならかまわんじゃろう」
「……」
学長がバティアに「教えてあげなさい」とやんわり押してくるので、バティアはそれでも固くしていた表情を簡単に崩すことがなかったが、ようやくのことで重く深い息を吐く。
そのまま何か覚悟をきめたようにうなずいた。
ただ……。
このまま団長として、十月騎士団の伝達係としての立場だと話しづらいのか、バティアがハシュに向かってかるく両手を上げてくる。表情も先ほどの堅苦しさを解いて、いつものバティアのように、すこしだけ困ったようなものを浮かべながら、
「……ごめん。やっぱり、ハシュ、でいいかな? どうもあらたまって話をするとなると、どこかややこしくなるかもしれないから」
「え? あ、ああ、うん。ありがとう。俺もそのほうが嬉しいし」
これからいったい、どのような話をはじめようとするのか。
公的な立場ではなく、私的な立場で話を進めたいというバティアにハシュも内実ほっとして、了承にうなずく。
――でも、ややこしいって……?
ハシュが不思議に思うと、「あのね」と言って、バティアがまっすぐに碧眼を向けてきた。
口調はもういつもの親友としてのバティアの声音だったが、ハシュを見やる碧眼の奥にはまだ幾分かの緊張感が含まれている。
「四月騎士団団長がお会いしたいと言っている、そのお方。――端的に言ってしまうとクレイドル団長だと思われる」
「クレイドル……」
「うん」
バティアはやや慎重にうなずいて、
「四月騎士団団長にもっとも近しい方であって、そのお名前を持つ方だとすれば、クレイドル団長でまちがいがない」
「だ……ん……」
――ん?
バティアはいま、何と附属した?
ハシュは一瞬だけきょとんとしたが、
「だッ、団長ッ?」
突然の答えと想像もしなかった役職名に、ハシュは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「だ……団長ってッ? どちらの騎士団に所属されている方なのッ?」
これはハシュにとって、青天の霹靂という言葉に近いほどの衝撃があった。
ハシュにとって「クレイドル」を連れてこいと、不遜にもほどがある――いや、とてつもなくお似合いの態度ですが――物言いで命じた以上、きっとそれはあの七三黒縁眼鏡鬼畜にとっては下位の存在で、ハシュが連れてきたら狂気のようにほくそ笑んで、いたぶるように何事かを叱りつけけるのだろう。そう想像していた。
だからハシュは何となく、それっぽい外見も想像に含めていた。
なのに、読みはてんで外れ、
「ねぇ、バティア! クレイドル団長はどちらにッ?」
「え?」
ハシュの期待に満ちた問いに、バティアが一瞬面喰った表情をするが、いまのハシュにそれは見えていない。
相手が団長格であるのなら、あてずっぽに名前を呼んで探したところで見つかるはずもない。
そうだよ、あんな五月騎士団の小物な「クレイドル」さんとはわけがちがうんだよ!
ハシュはかなり失礼な感想を浮かべて、いまは団長格であらせられた「クレイドル」の正体に奇妙な感心をしてしまう。
――団長格。
――そこに座する十二の最高位は、雲上人。
直截関わりのない所属以外の騎士団でも、団長位であれば顔と名前ぐらい覚えておくのが一般的には礼儀なのかもしれないが、そもそも存在自体が雲上人で、しかもトゥブアン皇国では権力が長く一極しないように、団長位の配置は数年周期で交代するのが通常。
その情報は同騎士団以外に公表されることはすくなく、とくに武官の騎士団での団長位の交代は頻繁に行われている。
ゆえに、そこまで上層部の情報に興味がないから……と言ってしまえば認識不足にもほどがあるが、だが実際、誰もがそのような感覚なので、
――団長個人は存じ上げないが、当然、各騎士団には団長がいる。
そのていどの認識に止まってしまうのだ。
周囲がそうなのだから、新人三ヵ月目の文官のハシュだって、
――きみは伝書鳩なのだから、上層部を含め、全員をきちんと覚えておきなさい。
という頭脳の強制記憶の回避をしたって、咎められる筋合いもない。
ハシュはそうやって、この際、自分の知識不足を正当化させ、
「俺、四月騎士団団長は文官だから、てっきり文官の誰かを呼びつけて説教するんだろうって、ずっと想像していたんだ。それじゃあ見つかりっこないよね」
「説教……?」
「あ、ううん、これは俺の想像。だからさ、探しているクレイドルさんが団長だなんて考えもしなかったよ」
「……」
「で? クレイドル団長はどちらに? 俺、明日は朝一ですっ飛んでいって、四月騎士団団長がお呼びですって伝えに行かなきゃ」
「――ハシュ?」
もう夜ではあるので「明日にでも」と言ってみたものの、まさかの答えに辿り着いたハシュは歓喜が隠しきれず、いますぐに飛び出して行きたい高揚感に爆発しそうになってきた。
本来であれば、十二席に座する団長位にハシュのような新人文官や一般職とされる騎士たちは、望んですぐに対面することは不可能だ。
通常であればその執務室にたどり着くまで、関門手形を求めるように面会許可書の書類を持っていくつもの許可の判子を捺してもらい、そうして前に進まなければならない。
でも!
――ハシュは伝書鳩だ。
十月騎士団の伝達係は天下御免の通行許可証を意味する肩章があって、よほどの場所でないかぎり、トゥブアン皇国に十二ある騎士団の敷地には事由に出入りすることができるし、面会許可書に多くの判子を捺してもらわずとも、最短で団長の執務室の前に立つことも可能なのだ。
ただし!
これを乱用すれば……当然、最後は……。
聞きつけた直截の上官にひとたまりもないげんこつを脳天から受けるのは必至だし、最悪の場合はさらなる上官に呼び座されて、「文鎮の刑」という、世にも恐ろしいお仕置きが待っていると聞かされている。
文鎮、とは、あの文鎮だ――。
無論……。
今日のようにわけもわからず、突然、あの七三黒縁眼鏡鬼畜の執務室の前に立たされるどころか、いきなり蹴り込まれる場合もあるが、いまは記憶から除外することにする。――うん。
「わぁ。クレイドル団長ってどんな御方だろう?」
仮にも団長職に就いているのだから、あの七三黒縁眼鏡鬼畜の名前を聞いて顔色を変え、ハシュを執務室から蹴り出すような真似はしないだろう。
万が一、それをしようものならハシュは全力疾走で「決断の長」が座する我が十月騎士団団長の執務室に飛び込んで、
――不信任案で、団長職の是非をきちんと正してください!
そうやって言いつけてやる!
でも……クレイドル団長はその名のひびきから、そのような小物ぶりを見せることはないだろう。
きっと――。
凛々しくてカッコよくて、もしかすると「私を呼び出すのに伝書鳩を困らせるな!」などと言って、逆にあの七三黒縁眼鏡鬼畜を叱ってくれるかもしれない。そんな素敵な方だったら、どうしよう……!
――ああ、その現場を見るのは可能でしょうか?
ハシュは胸もとで両手をしっかりと合わせてまだ見ぬ人物像に早速妄想し、うっとりとしてしまう。
「お会いできるの、楽しみだなぁ」
「ハシュ……」
そうやって素直さを隠せないハシュは、見ていて好ましい。
バティアは頬さえ紅潮しているハシュを見て、柔らかく微笑む。
だが……――。
ハシュの喜ぶ速度に合わせて、バティアの心が不安にざわつく。
どうやらハシュはすでに物事を完結させたかのように喜んでいるけど、ハシュは彼に対して重大なことをまだ知らない。
この喜びを前にそれを告げてもいいのだろうか?
まだハシュの込み入った事情を詳細に掴んでいないバティアは、やや困惑しながら、
「ハシュ、落ち着いて。――相手はクレイドル団長でまちがいはないけど、でも、ハシュが個人でお迎えに行くことはできないよ」
「……え?」
出会ってからこれまで、バティアは一度だってハシュを言葉で地獄に叩き落としたことはない。
いつだって優しく、温かく、過保護すぎるほどハシュの味方でいてくれる。
なのに、いま――。
バティアは自分に対して何と言った?
――でき……ない……?
ハシュは突然向けられた否定に驚愕し、目を大きく見開く。
その視線を受けて、バティアも一瞬、問われたことに対してあまりにも単刀直入な物言いをしたことにすこしだけ申し訳なさそうな表情をするが、
「ごめん、言葉が足りなくて。――でも、ほんとうにそうなんだ。あの方に対して、ハシュが対面をして直截仰せつかったご用件を伝えることはできないんだ」
「な……んで……」
念を押すような物言いのバティアに、ハシュは半ば呆然としてしまう。
――できない?
まただ。
また、バティアが否定を口にしてくる。
こう見えて、ハシュは伝書鳩だ。
伝書鳩を有する十月騎士団は、書類集めであれば鬼にも蛇にもなれる書類には命を懸けることができる魔境の巣窟で、その書類を実際の受け渡しで集めることが任務音の伝書鳩には行動の面で相当の特免が許可されている。
行動範囲がとくに特化しているため、ハシュは同期たちの伝書鳩と日々皇都地域中を奔走しているわけなのだが、上官から、
――直截口頭で伝えよ!
――この書類に直截判子を捺してもらってこい!
と命じられれば、例え他騎士団の団長位だろうとハシュに会えない人物はいない。
これはハシュも伝書鳩になってはじめて知った権限なので、ひょっとするとバティアが知らない可能性もある。
でも……。
バティアがハシュに否定しか言わないなんて……。
「会えないなんて……。そんな騎士団があるの?」
ハシュは自身の立場を過信しているわけではない。
だが、伝書鳩の行く手を遮ってしまえば、それは書類を通して知る情報伝達を遮るに他ならず、これは母体である十月騎士団だけではなく、他の騎士団にだって影響が出てしまうのだ。
でもバティアは、
「――ある」
そうきっぱりと言って、先ほどまで頬を紅潮させ高揚していたハシュからすべての体温を奪っていく。
「通常、どの騎士団でもそうだけど――少年兵の教育現場である十二月騎士団は例外として――団長職を賜る方との面会には先触れがかならず必要で、これは秘書を務める方の幾人かを通して許可を得て、なおかつ本人である団長から面会許可を得なければ執務室の前に立つことはできない」
「それは……知っている」
例え職務であろうと、個人の用向きであろうと、最上位の上官に会うためにはそれなりの段階を踏まえなくてはならない。
けど、――ハシュは……ちがう。
あるていどは端折れてしまえるのだ。
「でも、クレイドル団長だけはそうはいかない。お会いするにはまずはどうしても四月騎士団団長の許可書が必要だし、それがないとクレイドル団長への面会許可書さえ作成できないんだ」
「は? ……どういうこと?」
――ここにきて、また出たよ!
――四月騎士団団長ッ!
あの人はいったい、どれだけ人の通行を遮ろうと、とんでもない厚みの壁となって前に立ちはだかるのだろう?
余興か? 趣味か?
ハシュの思考は完全に偏り、これまでの不満を込めて怒りで爆発しそうになって握った拳が震えてくる。バティアはそんなハシュを見やりながら困ったように、
「あのね、ハシュ。クレイドル団長は――二月騎士団の方なんだ。二月騎士団の方だけはけっして自ら表に出ることはない」
「え――?」
――二月騎士団……?
――バティア、待って……。
――いま、何て……?
「ええッ?」
ハシュは、伝えられたまさかの騎士団名に頭のなかを刹那で真っ白にしてしまう。
そんな――。
二月騎士団……二月騎士団といえば……。
「ハシュも知ってのとおり、二月騎士団は唯一皇帝の御在所である皇宮内と、私宮である内宮を警護し、皇帝の御身最優先を常とするので、公私に渡り、直截影となってお傍から離れない護衛警護に徹した騎士団だ」
おなじ護衛警護の立場には一月騎士団がいて、彼ら武官は表舞台、例えばハシュが皇宮の御用門を通ろうとしたときに身辺を正す衛兵がいたり、皇宮内の建物回りの警備や、万が一の不審者に対しての即座の対応など、目に見える場所での働きの一切を担っている。
彼ら武官は、他の騎士団からの選りすぐり……厳選された武芸のエリート集団で、とくに剣技の六月騎士団――これは、ハシュが幼いころから夢見ていた騎士団である。あ、べつにあきらめていないから!――の武官たちは最終的な身の置き所の騎士団をここに目標とするほど、トゥブアン皇国にある十二の騎士団のなかでは「花形」なのだ。
それは騎士たちだけではなく、国民の誰もが敬意と尊崇を抱いている。
その「表」に対し、「裏」である二月騎士団は――。
「二月騎士団の方たちは警護のため、自身の存在さえ消すとも言われているから、家族にさえどこの騎士団に所属しているのか伝えることもできないと言われている」
「……」
「その、皇宮および皇宮内警護護衛を務める一月、二月騎士団を総括しているのが四月騎士団。だから、一月騎士団にはまだ複雑めいた打診は必要がないけど、内宮にいる二月騎士団の誰かに……ましてや団長との面会を望むとなると、どうしても四月騎士団団長の許可が必要になるんだ」
「……そ……」
――そんな……。
ハシュは完全に顔面を蒼白にしてしまう。




