学長はどうにも煮え切らない
「――クレイドル?」
いままでの話題とは打って変わる問いに、さすがの学長も唐突だったようで不思議そうに目をまばたいてくる。
しかし――。
そのまばたきの間に、これまで十二月騎士団に在籍していた少年兵の顔ぶれからその名を持つ者を思い浮かべ、脳内に並べていく。そんな気配があったので、ひょっとすると……と思い、
「ええ、クレイドルさんです」
ハシュはもう一度、強く念を押すようにその名前を口にする。
すると学長は脳裏に浮かべる顔をさらに厳選するように取捨し、ハシュがまだ名前以外には何も伝えていないというのに、つぎに何を尋ねようとしているのか目途でもつけたように、
「さて……。いろんな性格をした子がいたからのう」
今度は逆に問うてくるようにつぶやくので、ハシュもまた目つきを変えて、自ら垂らした釣り針に食いつくように身を乗り出してしまう。
ハシュは彼のこの名前しか知らない。
外見の詳しい特徴も目安となる年齢も知らなければ、どこかの騎士団に所属する人物ならば武官なのか、文官なのかも知らないが、
――知りたければ、知っているやつを探せば済むことだろう。
彼を連れてこいと言った張本人は無情にもそれだけしか伝えず、ハシュも最初途方に暮れたが……いま、ハシュの知りたいことを可能なかぎり知り尽くしているだろう人物が目の前にいる。
しかも学長はすでに正しい目測がついているようで、ハシュのつぎの問いを待っている余裕の気配さえある。
これはまちがいなく「当たり」だろう。
ハシュは、今度こそ――とどこか祈りを込めながら、
「じつは四月騎士団団長に頼まれたんです。二日の猶予をいただいて、クレイドルさんをロワ団長の執務室までお連れするように受けたのですが、どこの御方なのか俺は失礼ながら存じ上げず、――その方を知る方ともまた巡り合えず……」
「ふむ」
「このままではロワ団長のご予定の刻限までお連れすることが叶わず、正直なところ途方に暮れていました」
「ふむ、またロワくんか」
学長が困ったように笑うが、ハシュはもう困りすぎて笑いに付き合うこともできない。
――ええ、ほんとうにもうッ、さっきからあの人絡みで嫌になりますよ!
思うだけで握る拳が震えてしまう。
「もし、先生のご記憶に甘えることができましたら、四月騎士団団長が会いたいと思われるクレイドルさんの目星をつけていただきたいのですが……」
「ロワくんの、ねぇ」
ハシュは言って、先ほど五月騎士団で会った最初の「クレイドル」に同名者を連ねてもらったメモを取り出し、学長に見せる。
学長が脳裏で取捨した顔は、果たしてこのなかにいるだろうか?
どうだ、とハシュは答えを待つが、学長の視線は簡単に彼らの所属先を見やっただけ。すぐに視線が逸れたので、このなかには該当者がいないと察することができた。
それだけにハシュはやや不安げに眉根を寄せたが、
「――なるほど。あの子はほんとうに好き放題じゃのう。以前も、探す相手が知らないというのに連れてこいと難癖をつけて、その子を泣かせたことがある」
「……」
――ということは、俺のほかにも犠牲者がいるんですね。
これにはほっとするべきか、どうか。
いや、その人が見事探し当てられたのかどうかが気になる。
――見つけられなかったとしたら、その末路は?
――その人はいまも無事に生きています?
これはとんでもない同境遇者がいたものだ。
ハシュは刹那に強い興味を持ったが、今後の人生を左右しかねない顛末の例について学長は何も答えない。目をかがやかしても流れるのは沈黙だけ。
仕方がないのでハシュはため息をつき、そのまま経緯を話す。
勿論、経緯と言っても取って付けたような思い付きで命じられたのだ。
ハシュには語りようもなかったが……。
「俺、最初はあてずっぽうに名前を持つ人を探して、最終的にクレイドルさんなら誰でもいいやと思って。ちょうど十月騎士団の上官に同名者がいると知ったので、その上官を差し出そうと考えていました」
「それは何とも大胆な解決策じゃな」
明け透けなくハシュが白状すると、学長がおもしろそうに笑ってくる。
「でもここに来る前、占術師を兼ねている実兄と五月騎士団で偶然会うことができて、タリアルのカードでこの顛末を視てもらいました」
「ほお? して、オルクは何と?」
「え?」
さらりと実兄の名を口にする学長に、ハシュは刹那、驚愕する。
――先生、すごい……。
ハシュは実兄としか言っていない。
彼を前に実兄を話題にしたことはない……と思う。
占術師だって五月騎士団には少数だが、両の指の数では足りないほどの人材が所属している。そのなかから正しくハシュの実兄を言い当てるなんて!
だが、学長の興味にハシュの口は重たい。
「結果は……」
無残も無残だった。
ハシュはたどり着くことができず、ただいいように遊ばれるだけ。
しかもあの七三黒縁眼鏡鬼畜はハシュの慌てふためく奔走劇が見たいというとんでもない興味を持っていて――それがからくりなのか、ただの暇潰しなのか、もう判然もつかない。
「俺……最初はそれを聞いて、真面目に取り合うのが嫌になってあきらめようとしたんです。でも……受けたからには遂げたい気持ちもあって」
「なるほど。ハシュはそういう負けん気が強いからのう」
まさか、彼を相手にあえて挑もうとする若者がいるとは――。
学長はハシュを見て感心するように「うん、うん」とうなずくが、ハシュにとっては何もかもが懸命な話だ。
ここまで言って引き下がるのは、心情的に嫌だった。
学長に明日、皇宮の四月騎士団の庁舎に赴いてほしいと伝えることができた以上、ハシュを悩ませるのはもうこの「クレイドル」しかいない。
ハシュが真剣な目を向けつづけると、学長は何かを思案したように、
「ひとりだけ――」
そう、ぽつりと口にして、
「ロワくんが会いたいという、クレイドル。ひとりだけなら心当たりがある。――たぶん、彼だろう」
強く確信めいたことを言ってくるので、ハシュは思わず目を見開いてしまう。
「先生、ほんとうですか……?」
尋ねると同意的にうなずいてくれたので、ハシュは「やった!」と歓喜を声にしてしまい、表情を思いきりかがやかせる。
「それでクレイドルさんは、いまどちらに?」
ハシュはソファから腰を浮かして身を乗り出してしまうが、学長はハシュに対して申し訳なさそうに頭を振って、ゆっくりとハシュの顔色を青ざめさせる。
「居るには居る。わしは彼の所在を知っているが――残念なことにそれを口にできる権限がないのじゃ」
「――え?」
「大抵の者であれば、わしにも所在を他者に教える権限はあるのじゃが……ロワくんが望む相手となると、おいそれと口には出せんのじゃよ」
「そ、それって……」
権限……?
それはいったい、どういうことだろうか?
ハシュはべつに特命の内部調査を行っているわけでもなければ――でも、それって何だかカッコよさそう!――、詳細な個人情報を漏らしてほしいと言っているわけではない。
どこに「クレイドル」がいるのかを教えてくれさえずれば、あとはハシュが軍馬の栗毛色を……いや、速度でいえば競走馬の黒馬をこれでもかと全力疾走させて訪ねに行くだけ。
無論、何も知らない相手には多大な迷惑をかけるのだから、低頭の謝罪だって覚悟している。
なのに、知っていても肝心な居場所を口にできないなんて……。
そもそも権限とは――。
「先生、権限って何ですか?」
学長の言葉を脳内で充分に吟味する暇などない。
ハシュはすぐに聞き返したが、学長は黙したまま。
それは何だか嫌な空気だった。
ハシュにとって学長は、多くの権限があると思われていた。
無論、十二月騎士団のなかで最高の権限を有するのは団長だが、教免の長として少年兵を育成する以上、ときには団長と同等の権限も発動できるはず。
だが反して言えば、それはあくまでも十二月騎士団の敷地内にかぎりなのかもしれない。
学長という老爺がどれだけ多くの修了生を見送ってきたとしても、門の外に出た以上、恩師として関わるのはかぎりがある。そういう意味での権限なのだろうか?
それでも学長は、すでにハシュが喉から手が出るほど欲しい答えを知っている。ここまで来たら、どうあっても口を開いてもらいたい。
「先生……ッ、もし先生が口を開いて誰かに咎を受けるのであれば、俺がかわりに受けますから」
「ハシュ……」
だから……ッ。
ハシュは懇願するように頭を下げる。
学長もそれに観念したのか、彼にしては珍しいほどの大きなため息をつく。
そしてハシュから視線を外すと、その奥にある学長公室の出入り口である扉に向かって声をかける。
「――バティア。……団長、いるかね?」
「へ……?」
なぜここで、唐突に学長がバティアの名を口にするのだろう?
ハシュは強引に話を逸らす気かと思い、思わず眉をつり上げてしまったが、怪訝にふり返ると同時に扉の外側から控え目なノック音が聞こえ、「失礼します」とバティアが入室してくる。
「バティア……」
さすがに背にしていた外套は外したようだったが、バティアはまだ、十二月騎士団団長の軍装のままだった。
ランタン騎馬隊が無事に十二月騎士団に到着し、参加した多くの後輩たちを分散させて騎馬を厩舎に戻して労いながら世話をしたり、この時間だと夕食……もしかすると用意してもらった夜食を食べてもらうのに食堂へと移動させたり、ハシュを温かく歓迎してくれた新入生たちを寮に戻したり、ハシュが五月騎士団から預かってきた国府の書類を厳重保管するためにあれこれ指示し、ようやく落ち着いてハシュを迎えに来たのかもしれない。
その表情はさすがに疲れた気配を見せていたが、ハシュを見て、バティアがいつものように微笑んでくる。
ハシュはそこでハッとする。
自分としては学長に用件を伝え、ほんのすこしだけ用意していただいたお茶を飲んで簡単な世間話をして退室しようと思っていたのだが、バティアがそれだけの用件を熟してここに来たのだとすると、ハシュは思っていた以上の時間を費やしていたのかもしれない。
「バティア、ごめん、待たせちゃって。でも、その……」
ハシュは自分を迎えに来たバティアと一緒に退室を余儀なくされると思い、腰を浮かせたまま半ば硬直してしまったが、
「ハシュ、一度腰を下ろしなさい」
そう言って手のしぐさでハシュに着座を促し、
「バティアはこちらに」
そう言ってバティアを手招きし、ハシュと対面しているソファのいずれかに座るよう促してくる。
だが、先ほどまで行われていたふたりのやりとりをバティアは知らない。
最初はのんびりと世間話をして、それが長引いていたのかとも思われたが、どこか顔を強張らせているハシュを見れば穏やかな会話でなかったのが想像もつく。
声をかけられ入室したが、ここは控えて公室を出るべきだろうと判断し、
「迎えに来るのが早すぎましたね。――お話がお済みでないようでしたら、俺はこのまま外で控えていますので」
バティアは言って公室を出ようとしたが、学長がその足さばきを止める。
「団長、こちらへ。いま、ここにおられる十月騎士団から参られた伝達係が、団長にお尋ねしたいことがあるそうだ」
「え? ハシュが……?」
――へッ? どういうこと?
これにはまったく話の見えないバティアと、なぜ、いまの会話の流れで自分がバティアにものを尋ねなければならないのか。どちらも学長の意図が見えず、それぞれおどろくが、学長はただうなずくだけ。
バティアはとりあえずハシュのとなりに立ったが、傍に座ろうとはしなかった。
ハシュとバティアが唯一無二の親友なのは、学長も充分に知っている。
そのふたりを前に、ハシュのことを十月騎士団から見えた伝達係として紹介し、バティアを名称どおりに団長と呼んだ。
あえて互いを役職で呼ぶところに、何か意図を感じる。
「あの、学長。これはいったい?」




