老爺の学長は四月騎士団団長がお気に入り?
いま、貴方の目の前で口を開く伝書鳩が嘆かわしいことに四月騎士団団長の問いに無学を晒し、教養の不出来を以って教育現場に対する不信を同団長に与えてしまいました。
いわく、騎士育成を務める十二月騎士団、その教免の長である学長に学舎方針の現状をいま一度ゆっくり尋ねたい――と。
□ □
ハシュは懸命に頭のなかで文言を考え、それを伝える。
あの七三黒縁眼鏡鬼畜はただ、「学長に朝一で四月騎士団の庁舎まで来い」、それだけを伝えろと言ったが、そんな失礼な口をハシュが鵜呑みに叩けるはずがない。
それに……。
いま思い出しても、そこまで自分の考えは疎かだったのか、とハシュは複雑な気持ちで思う。
だいたい、書類に裁可押印をするだけなら「決断の長」である十月騎士団団長が直截判子を持ってくればいいものを……――そんなことを四月騎士団団長から言い出したのだ。
だから、
『国事や国政、軍事の大事は、このトゥブアン皇国にある十二の騎士団の団長たちが直截集まって議論を交わし、そこで決定を下して書類なり何なりに判を捺せば、多方面の事柄も一度に片が付くから効率もよくなるのでは』
――そう思えたから、ハシュは答えたというのに……。
それがどれほどの愚論だったというのか?
涙は収まったが、泣きすぎて目もとがすこし痛い。
鼻もときどきすすらないと垂れてきそうな気がするので、ぐずぐずとしながら、ハシュは四月騎士団団長とのやりとりを学長に説明する。
学長も最初はなぜ十月騎士団の伝達係が他の騎士団の団長――しかも皇宮を統括する四月騎士団団長の命令を直截背負ってきたのか、その構図がわからず、年甲斐もなく目をぱちくりさせてしまったが、ハシュの説明を聞いて腑に落ちるものがあったのか、「うん、うん」と何度もうなずいてくる。
「なるほど。――了承した。明日は刻限までには向かおう。ハシュはもう気にするな。このためだけにずいぶんと無茶をさせてしまったのう」
「い、いえッ。今回は私事でお騒がせしてしまいまして、申し訳ございませんでした。お忙しいところに遠路での急な予定を入れてしまいまして……」
「何、学長というのは、こういうときでもなければ十二月騎士団の敷地から出る機会もない。どんなお小言を受けるのか、楽しみじゃよ」
「へッ?」
――たッ、楽しみって……ッ?
学長ッ、いま、楽しみって言いました?
相手はあの、四月騎士団団長ですよッ?
あれがどんな性格なのか、ご存じですよねッ?
……え? 知らなかったらどうしよう……?
ハシュはまさかの物言いに驚愕してしまい、一瞬で瞳に残る涙を蒸発させてしまう。
そんなハシュに苦笑しながら、学長は室内にある年代物で重厚そうなソファに腰を下ろすようハシュに促してくる。
十二月騎士団の敷地にある多くの建物のなかで、教官や教師陣……いわゆる教免を持つ者たちの長である学長の公室は、学舎のなかではいちばんの格式があって、十二月騎士団の総合では団長公室に次ぐ格式を持っている。
だが学長の公室は思いのほか気安く少年兵たちに開かれていて、突然訪ねても温かく出迎えてくれて、お茶や菓子を振る舞ってくれる。
ハシュも少年兵時代は何度か同期たちと祖父の部屋を訪ねるように顔を出して、先ほどこんなことがあったのだと伝えたり、学術の時間で疑問に思ったことや、夢を現実にしたいというのに、成せなかったらどうしよう……と思い悩んでいることも話して、よく聞いてもらったものだ。
ソファに座ることを勧められたハシュは最初、ありがとうございます、と返事こそしたが着座はしない。
ハシュはいま、伝書鳩として訪ねているのだ。
当時のようにすぐさま腰を下ろすわけにもいかない。
きちんと立ったままでいなければ……と背を正すが、学長が深みの色合いが落ち着きを感じさせるローテーブルに素朴なティーカップを用意しながら、
「すこしだけお茶にしよう。わしの喉が渇いているんじゃ」
「それは失礼しました。では、お言葉に甘えて……」
などと言ってハシュが着座しやすいように勧めてくれたので、ハシュも恐縮そうに腰を下ろす。ソファは懐かしい据わり心地があった。
淹れてもらったお茶も奇麗な色をしている。
口に含むと甘くはないのに、ふんわりと甘い花の香りがする。
この香りだとハーティの煮込み茶だろうか?
じつを言うと――。
喉が渇いていたのはむしろハシュのほうだったので、熱さを緩和しようとかるく息を吹きかけるなり、ほとんどひと息に飲み干してしまった。
学長が笑いながら、すぐに空になったカップに新しいお茶を注いでくれる。
そして――。
ハシュはぼんやりとしながら懐かしい公室を見やる。
――確か、先々代の学長の出身が、海軍騎士の七月騎士団で……。
彼は退官後、教免所持を得て、海軍騎士の育成に特化した十二月騎士団の「分校舎」でしばらく教鞭を持ち、その後、この十二月騎士団の学舎で学長を務めていたと聞く。
七月騎士団は各種類の軍船を主力武器としてあつかうが、それ以外にもさまざまな技術や海洋面に特化した専門学術を必要として、武官でありながら文官以上の頭脳と教養が必須だと言われている。
当時の学長はとくに天文学の教養が深く、その名残がいまもこの公室に置かれているのだ。
壁紙の一部に天文の位置を表す星空のような模様が描かれていたり、いくつもの望遠鏡やホロスコープが飾られて、月の満ち欠けを表す模型、揺れるとまるで涼やかな鈴音のように聞こえる装飾天秤など、年季の入ったアンティーク調の品がいくつもあって、先代も現役時代に使用していたという海洋図、軍船の設計図、当時の世界地図といった珍しいものを飾っていたので、少年兵たちも「宝箱のような部屋だ」と目をかがやかせながら、興味津々に足繁く通ってしまう。
そんなふうに蒐集品が貯まる公室でもあるが、歴々すべてが海軍騎士の七月騎士団の武官を経験しているわけではない。
『その点、わしの出身は十月騎士団だからのう』
そう。
現学長の出身は何とハシュとおなじ十月騎士団で、現役時代は団長職に近い上層部まで経験している。
『ここに歴々愛用した判子を飾るのも一興かと思うが、そうなると世界観がちぐはぐになるかもしれん』
などと、訪ねる少年兵たちを笑わせてくれることもある。
当時はよくわからなかったが、いまならどれだけの判子を所持し、押印に使用してきたのかがよくわかる。――わかるから、ぞっとしてしまう。
同時に――。
学長も当時は魑魅魍魎のように跋扈する書類を相手に命を懸けてきたのだろうか。思うとすこしだけ笑えてしまう。
そう言えば……。
ハシュの十二月騎士団生活も修了時期が迫るころ、ハシュは夢であった剣技の六月騎士団に入団することを最後まであきらめずにいたが、現実は厳しく、届いた採用通知が文官の十月騎士団であることに酷くショックを受けて、落胆で膝もついたが、そんなときに学長が、
――ハシュのような可愛らしい後輩ができて、嬉しいぞ。
と、喜びながら頭を撫でてくれたのを覚えている。
そんなふうに、さほど遠くもない過去を懐かしんでいると、
「――それにしても、ロワくんには困ったものだ。あの子はすぐに人を試したがる。相変わらず、その癖だけは治っておらんのう」
などと、油断していたところに学長がそんなことを口にするものだから、ハシュは思わず、
「ぶッ!」
と、三杯目に飲んでいたお茶を思いきり吹きこぼしてしまう。
その勢いは、ひょっとすると左目もとのほくろまで飛んでいってしまったのでは……そう思えるほどの衝撃があった。
いきなりなんてことを言うのだろうか、この人はッ!
――ロ……ッ、ロワ……くんッ?
――そ、そそそれって、ひょっとしなくても四月騎士団団長のッ?
彼に対する学長の呼び方だろうか。
あまりの驚愕に、吹いたお茶は目の前のローテーブルを容赦なく汚してしまい、ハシュはあわててポケットに入れていたハンカチを取り出して拭き上げる。
「あ、ああああッ、す、すいませんッ、先生ッ」
「気にせんでいい。人の喉というものは、ときに急にむせることもある。――ようやくいつもの調子が出てきたようじゃな」
「……」
学長としてはハシュの失敗をさらりと流してくれたようだったが、
――いつもの調子って、俺……。
こんなにも事あるごとに人前で吹くようなこと、していたっけ?
奇妙なことを言われてしまい、ハシュは普段の行いを振り返る。
そそっかしい面は一部自覚もあるけど、対面相手がいるのに吹くなんてことをしただろうか?
いや、ないと思うぞ。――たぶん。
だが十七歳にもなって、こんなにも恥ずかしい失敗を簡単にするなんて……。
ハシュは恥ずかしくなって顔を赤らめようとしたが、この場合は青くなって自己嫌悪に陥るべきだろうかと、ある意味真剣に悩んでしまう。
――でも……。
――くん、呼びをするなんて。
学長の口ぶりからすると、彼は四月騎士団団長という人物をただ知っているという感じではなさそうだった。
むしろ個人をよく知っていて、どことなく親しい間柄――年齢的に学長に有利がありそうな力関係も見え隠れするような――、そんな気配を感じる。
大体の者は年齢問わずに、彼の名を耳にしただけで顔色を変えるというのに……。
刹那、ハシュには素朴な疑問が浮かんでしまう。
「先生はその……四月騎士団団長のことをご存じなのでしょうか?」
表面的に問えば、学長ほどの立場であればトゥブアン皇国にある十二の騎士団それぞれの頂点に立つ団長の顔や名前、あるいは各騎士団の上層部の顔ぶれぐらいは知っていてもおかしくはないと思われる。
だがハシュの問いには、「あの人物を具体的にどこまで知っているんですか?」と、そういう意味が強く含まれている。
興味と恐怖を綯い交ぜにしなが答えを待つと、
「ロワくん――彼は、わしがこの学舎で教鞭を取っていたときの教え子でな」
「えッ?」
もし、この瞬間にお茶を飲んでいたら、ハシュはまちがいなく再度「ぶッ!」と盛大に吹きこぼしていただろう。このひと言も衝撃が強すぎた。
「おッ、教え子ッ?」
冷静に考えれば学長の年齢から計算すると、現在現役の武官や文官、あるいは騎士を経験した者たちの相当数が少年兵時代から慈しんできた教え子に当たるだろうから、その関係性も理解はできる。
だが!
ハシュはまず、あの七三黒縁眼鏡鬼畜にも十二月騎士団所属の少年兵時代があったことが信じられず、心底おどろいてしまう。
――そッ、そうだよね、あの人だって人の子だもん。たぶん。
――そういう時代があったって……。
――いや、ほんとうにその時代があったのかな?
学長が嘘をつくとは思えないが、いまみたいに腕を組みながら少年兵の軍装を着用していたのだろうか?
当時からあんな髪型や眼鏡をしていたのだろうか?
などと唐突に想像してしまうと、あまりにも複雑怪奇すぎる。
そんなハシュの思考が表情に出ていたのか、学長がくっくっと笑い、
「まぁ、ハシュもロワくんを経験したように、当時から妙に口達者で人に絡むのが好きでな。風評、世評も聞こえるとおりじゃ」
「……」
「教師のころはとにかく絡まれて、大変じゃった」
「それは……」
――昔から、治しようのない性格だったんですね。
ハシュは即座に感想を述べたが、さすがに口に出しては言えない。
なるほど、と思う一方で、
――でも、先生は嫌そうな顔をしていない。
むしろ懐かしそうに当時を思い出す口ぶりには、思いのほか四月騎士団団長の素行が嫌いではない……そんな気配が読み取れた。
それに対して、問題はあの人のほうだ。
こんなにも記憶に残して懐かしんでくれる恩師に対して、「来い」と平然と呼び出すあの態度!
学長が慈悲深いのか、あの七三黒縁眼鏡鬼畜が高慢すぎるのか。
ハシュにはもう、判然もつかない。




