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やっと学長に会えました 涙が止まりません

 それからハシュはさらに多くの後輩たちに囲まれて歓迎の挨拶を受けたが、それを長く丁寧に受け取る時間はあまりなかった。

 ハシュは本来、懐かしの学び舎に里帰り気分で訪ねたわけではない。

 これから真の目的である学長に会わなければならないのだ。

 理由は誰にも伝えていないが、ハシュの来訪の目的はバティアを通じて教官や教師陣も知っていたので、


「さぁ、お開きだ」


 と言って、周囲のにぎわいに終了を告げるように手を叩いていく。

 できることならもうすこしだけお祭り気分に近いこの時間を楽しみたかったが、これ以上ハシュの……巣立った教え子の伝書鳩としての務めを邪魔するわけにもいかない。


 ――準備は唐突で、あれほど慌ただしかったというのに……。


 どこか楽しくて、出迎えのランタン騎馬隊の灯りはほんとうに幻想的で、何よりハシュが喜んでくれたことにやりがいもあったが、その時間もあっという間に終わってしまった。

 何とも名残惜しいが、集まった多くの新入生――下級生たちを寮に戻さなければならないし、ランタン騎馬隊も大所帯で編制したので、これから順序よく騎馬を厩舎に戻し、身体を拭い、水や餌を与えて充分に労って寝床も整えて、その世話に上級生たちが追われる。

 それと、ハシュのために用意したランタンも片づけなければならない。


 ――ああ、ほんとうに名残惜しい。


 誰もがそんなふうに思いながら行動に移し、十二月騎士団団長のバティアもそれぞれに指示していく。

 周囲の騒がしさが落ち着くまで、当分は時間もかかるだろう。

 だが――、明日はまだ平日。

 朝から剣技や武芸、学術の授業がはじまるが、彼らが真に寝付くころはきっと夜も深まったころだろうから、さて、明日は特別に授業開始の時間を遅らせるべきかどうか……とバティアは思案しながら、


「ハシュ。きみの騎馬は教官たちの見立てに合う厩舎で預かるかたちでもいいかな?」

「え、ああ、うん。ここまで来られたのは栗毛色の奮闘あってのことだからね。いっぱい労ってあげないと」


 尋ねてくるバティアにうなずき、ハシュも自分で面倒を見ようと踵を返そうとしたが、


「ハシュはこれから学長に会わなくては。世話はこちらでするから、気にしないで」


 バティアがやんわりと言ってハシュを制し、かわりにかるく視線で促してきたので釣られるように見やると、本来なら初見の相手であれば少々手こずるだろうハシュの騎馬である栗毛色が、先ほどハシュの額に盛大なデコピンを食らわせた体躯のいい教官に大人しく連れられて行くのが目についた。

 ハシュは一瞬だけおどろいてしまう。


「……え?」


 いったい、どうやって意気投合したのだろう。

 あの栗毛色が初対面の教官相手に機嫌をよくして、心なしか嬉しそうに尾を揺らしているではないか。

 珍しいな、と思う一方で、教官ならハシュに代わって栗毛色をうんと褒めて、うんと労ってくれるにちがいない。そう思えたので、ハシュは世話を任せることにした。

 それに――。

 この場に学長の姿はなかったが、すでにバティアが先触れしているだろうから、学長にいつまでもハシュの来訪を待たせるわけにもいかない。


「ありがとう、栗毛色」


 ハシュは栗毛色に手を振りながら感謝の念を込めてつぶやき、


「あ! ――書類ッ」


 ハシュは栗毛色に運ばせていた書類のことを思い出して、それを取りに行こうとあわてて一歩を踏み出す。

 十月騎士団の伝達係である伝書鳩が各騎士団との受け渡しで預かる書類は、基本的には預かった伝書鳩以外の手に触れることを厳禁としている。

 ハシュはつい伝書鳩の務めをかるく見てしまうが、預かった書類を必要とする上司に直截届けるという役目はほんとうに重要で、その書類は最終的に国事、国政、軍事のすべてに裁可の判を押すことができる「決断の長」である十月騎士団団長のもとに渡るため、何があっても最初に受け取る上官に手渡すまでは死守しなければならない。

 その理屈からいくと――。

 ハシュは学長のもとを訪ねるにしても、それを背負って肌身離さず管理しなければならない。

 だが、おんぶに抱っこをしたところで重量がかなりあるので、実際にやろうとしたらハシュはまちがいなく亀のようにひっくり返ってしまうだろう。


 ――伝書鳩が一転して亀……。


 万が一、それをあの七三黒縁眼鏡鬼畜に知られでもしたら、


『……貴様はいったい何がしたいのだ?』


 と、いよいよハシュを真実人間以下として見下すか、馬鹿に付ける薬はないと哀れを通り越した何かの視線を向けてくるかもしれない。

 そうなると今度は、


『馬鹿を伝書鳩に据えるとは愚の極み。――おお、伝書鳩、仕事をやろう。貴様の最上級上官である十月騎士団団長を連れてこい。誰が亀を飼えと言った? と説教をせねばな』


 などと平然と言って、語尾にはきっと「ふはははは!」とあの高笑いをするにちがいない。


 ――それだけは絶対に駄目ッ!

 ――団長だけは俺が護らないとッ!


 ハシュは全身をぶるりと震わせ、肌を粟立たせる。

 そんなハシュの独特の被害妄想など露知らず、バティアはハシュを安堵させようと提案してくる。


「大丈夫だよ。先生たちのなかには五月騎士団で文官を経験された方もいる。国府からお預かりしている大切な書類のあつかいには心得ているだろうし、今夜は俺の……団長公室で預からせていただくから」

「でも、それって迷惑なんじゃ……」

「何言っているの。ハシュの大切なお勤めの役に立てるのなら、どんな部屋だって用意するよ。団長公室は一応、この十二月騎士団の敷地ではいちばんの部屋で鍵だってかけられる。それでも心配なら――」

「え……っと、バティアの執務室の安全性のことじゃなくて、ひと晩とはいえ物置がわりにお借りするのはどうかと思って」


 ハシュが抱えるには量もありすぎるが、一室を借りて置くにはたいした量でもない。正直――机の上にどんと置けば、どこの部屋だろうとそれで済む話だ。

 確かに国府から預かった最重要書類の一時置き場としては最適かもしれないが、大切な親友の仕事部屋をそのようにあつかうのは心情的に抵抗がある。

 ハシュが複雑げに渋ると、


「じゃあ、戸口に寝ず番をつけて警備に当たらせるのはどうだろう?」

「寝ず番ッ?」

「先生たちにお願いすれば、きっと面白がって戸口に張りついてくれるだろうし」

「バティア、何言ってるのッ?」

「この案も駄目? じゃあ……」


 ハシュとバティア。

 ふたりはほんとうに仲のいい親友だが、それでいてときどきおもしろいくらいに意思の疎通が噛み合わなくなってしまうから、聞いているほうもおもしろくてたまらない。傍にいる教師陣はくすくすと笑ってしまう。

 ハシュは結局、バティアの好意のすべてに甘えることにした。

 あまり渋るとバティア自ら寝ず番を買って出そうになるし、ハシュが預かった書類なのだからハシュが抱えて寝ると言おうものなら、バティアはまちがいなくそのハシュを守るために寝ず番をしようと言い出すにちがいない。

 何とも不可思議な堂々巡り――。

 ハシュにはこれを打開する方策が見つからなかった……。



□ □



 ――ようやくのことで、今日という長い一日が終わろうとしている。


 ハシュは学舎にある教官や教師陣たち教免の長である学長の公室の前に立ち、何度も大きな深呼吸をする。


 ――まずは文官騎士らしく、きちんと挨拶をして。

 ――それからすかさず学長が混乱しないように事と次第を話して、謝罪。

 ――もう夜だっていうのに、明日は早起きをさせなければならないなんて……。


 ああ、もう!

 ほんとうに謝っても、謝ってもきりがない。

 ハシュは何度も脳内で手順を構築し、まだまだ新人だけれど文官騎士となった身をすこしでも立派に見せたいと思い、丁寧な音で扉をノックする。


「――かまわんよ。入っておいで」


 ハシュのノックに対して返ってきたのは、温かみのある老爺の声。

 誰かとは大ちがいの声にハシュはホッとして、いざ礼儀正しく扉を開けて入室したのだが……。

 この学舎を修了して、早三ヵ月。

 だが、それ以上に長く感じられるほどの懐かしさが再会と同時に込み上がり、ハシュは対面直後に頭のなかを真っ白にしてしまう。

 なぜかきょとんとして、会いたかった対面者を見つめてしまった。


「――おお、ハシュ。道中大変だっただろうに、よう来た。うんうん、十月騎士団の軍装もよう似合うようになったのう。顔つきもすこしは大人びたかな?」

「あ……」


 慈愛に満ちた、朗らかな白髭の老爺。

 誰かとは比べものにならないほどの柔らかな笑みで出迎えられてしまうと、ハシュは途端に気が緩んでしまったのか。一瞬で瞳のなかが潤むものでいっぱいになって、熱くなってしまい、咄嗟に下唇を噛んだが間に合わず、暗めの橙色の瞳から大粒の涙をこぼしはじめてしまう。


「う……うう……」


 足腰だって日ごろから騎馬を用いた激務で鍛えている? はずだというのに、まるで力が抜けたように、すとん、と自分を支えきれずに崩れ落ちてしまい、ハシュはその場に座り込んでしまう。

 頬を伝う涙が止まらない。


「ハ、ハシュ? どうした?」


 ハシュが夕暮れ時分に五月騎士団に向かい、その足で十二月騎士団に来ると、バティアが先触れで伝えてくれた。

 それで急きょハシュを迎えに行くためランタン騎馬隊が編制されて、バティアが十二月騎士団団長としてそれを率いて出かけたのも知っているが、道中で会う前に怪我をして、それが痛んで立てなくなったのだろうか?


「どこか痛むのか? 手当てをせねばな」


 学長はそんなふうに尋ねてハシュの身を案じ、すぐ目の前で自らも膝をついて温かな手を伸ばすが、ハシュはちがうのだと懸命に頭を振る。


「学……長……」


 ああ――。

 きちんと対面してご挨拶をするどころか、いきなり涙が出てしまって、立てなくなるなんて……。何て失礼をしているんだろう?

 用があって訪ねたのは自分なのに、学長に膝を付かせるなんて。

 早く立ち上がってきちんと挨拶しなければ……、とハシュはがんばって立ち上がろうとするが足腰はうまく動かず、かえって気焦りばかりの自分が情けなくなってどうすることもできない。


「……せん……せい……」


 ハシュは心底すまなそうに詫びようとするが、視界が涙に負けて学長の顔も満足に映らなくなってしまう。

 うまく声も出せない。


「大丈夫じゃ、ハシュ。もう大丈夫じゃ。無理して立つ必要はない」

「せん……せい……」


 柔らかな笑み、すべてを見通している聖君のような気風。

 存在そのものが何隔たりなく包み込んでくれる温かな灯りのような、老爺。

 ハシュは学長を前にして、今日はほんとうにいろいろなことがありすぎたなと実感する。脳裏では目まぐるしいほど記憶が巡る。

 そして、ようやくのことで会えたこと、やっと肩の荷のひとつを下ろすことができて、すっかり安堵に負けてしまい、耐えることができずに「わぁあああん」とその場で泣き崩れてしまう。

 これまで多くの少年兵――可愛い生徒たちを見守ってきた学長も、ハシュが極度の緊張から解放されて泣き崩れたのだと正しく察して「うん、うん」とうなずきながら、


「そうじゃな、ハシュ。ようがんばった」


 学長が笑んで、ハシュの頭や背を優しく撫でてくれる。


「う、うう……俺……」


 これでは先ほど自分に花束をくれた新入生とおなじではないか。

 あの子はハシュに対して感極まって泣いてしまい、自分は気が緩んでしまって……。

 あの子に対しては先輩らしく、まだまだ新人だけど文官騎士としてすこしはいいところを見せられたと思うのに、いざ、自分が甘えられる対象を前にしたらこんなふうになってしまうなんて……。


 ――どうして俺は、肝心なところでこうなんだろう?


 ハシュは早く立ち上がって、伝達を任された伝書鳩として姿勢を正して伝えたかったのに、しばらくは泣きじゃくってしまい、どうしたらいいのかわからなかった。

 それでもどうにかして泣き止んだ後、ハシュは学長に支えられながらようやくのことで起き上がることができて、きちんと姿勢を正す。

 目もとを軍装の袖で乱暴に拭い、鼻をぐずぐずとすすりながら、


「た、大変失礼いたしました。このたび十月騎士団の伝達係は四月騎士団団長の名を受けて、学長にお伝えするお言葉を預かってまいりました」

「四月騎士団団長?」

「お伝えします。いわく――」

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