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ハシュが受け取る未来の花

「あ、あの、ハシュ先輩!」


 そう声をかけられて、ハシュはそばに寄ってくる新入生の数人に囲まれた。

 咄嗟に顔ぶれを見やったが、直截対面したことがない彼らに覚えのある顔はない。

 ハシュは一瞬そう判じたが、よく見ると、そのうちのひとり……気弱そうな少年の顔に記憶が引っかかる。

 そうだ――。

 先ほど出会った新入生の馬慣らしのお散歩の隊列で、酷く騎馬に怯える新入生がいた。隊列を見守る監督生を経験しているハシュは見かねて、「大丈夫だから」と言って正しく手綱の握り方を教えて、ちゃんとみんなが助けてくれるから不安に思わないで、と安心を伝えた少年兵がいる。


「きみは確か……」


 思い出したハシュも目もとを和ませ、声をかけると、新入生はハシュに勇気を振り絞って声をかけたものの、つぎに伝えたいと思っている言葉をうまく口にすることができず、小さく唇を震わせながらかえって奇妙に委縮してしまうが、


「ん?」


 ハシュが緊張を解くように優しげに小首をかたむけ、彼の周囲にいる同期たちも背や腕をさすって支えてもらい、「がんばれ」と勇気の出る言葉を耳もとささやかれたことで決意できたのか、ハシュに声をかけたきりうつむき加減だった顔を上げて、


「あ、あの……先ほどはご指導いただきまして、ありがとうございました」


 よろしければ受け取ってください、と目の前に差し出したのは、皇帝の花壇に咲いている花だろうか。豪華な色合いではないが、一途に凛と咲いている花をいくつかまとめ、自分で包装したようすの花束をハシュに向けてくる。

 素朴で飾り気のないところが彼を表現しているようで好ましい。

 新入生は緊張で顔を赤らめながら、


「ぼ、僕……とても嬉しかったです。すぐには上達できませんが、ハシュ先輩に教えていただいたことを胸に、がんばります……」


 どうにか伝えたいことを口から出すことができて、すこしだけ表情をほっとさせ、だがすぐに目をぎゅっと閉じてハシュに差し出す花束を受け取ってもらえるかどうかを待つ。

 ハシュは最初、花束を差し出されるという経験がなかっただけに目をまばたかせてしまうが、まっすぐな気性の持ち主なのだろう新入生の懸命さに自然と笑みが浮かんで、そのままゆっくりと手を伸ばす。


「俺のほうこそ、ありがとう。――こんなにも温かな歓迎をしてもらえるなんて、嬉しいよ」


 言って、大切そうに花束を受け取り、


「でも、焦らなくていいからね。きみが自分で大丈夫だと思えるようになるまでは、ゆっくりでいいんだから」

「ほんとうに、それでいいのでしょうか?」

「うん」


 自分もそうだった。

 そうやって教わり、自分の速度で確実に乗馬は楽しいものなのだと実感しながら慣れていき、そこからようやく馬術という学びをはじめることができた。

 技術習得のスタートこそ同期たちには遅れてしまったが、自分なりにコツを掴み、自分なりの乗馬を身体で覚えて、そうしていざ真剣に取り組み前だけを見るようになったら、――いつの間にかハシュの前には誰もいない。

 あれ、と思い、首を巡らせていたら、それまで常に前にいたはずの彼らの背中は姿ごとハシュの後ろにいて、ハシュに追いつけ、追い越したくても届かないようすがあって、歯を食いしばりながらがむしゃらにハシュの騎馬に近づこうと誰もが懸命な顔をしている。

 その顔は、剣技の修練でどんどんと上位になっていく同期たちの技術に追いつかず、歯が立たなくなって、悔しくて泣いてしまうハシュのそのときによく似ていた。

 あの瞬間から、ハシュはもう誰の背中も見るものかと、全身で決意したことを思い出す。

 世の中とは、不思議が起きたらきりがないのだ――。


「もし、こんな俺でよかったら、きみが乗馬に慣れてきたころに一緒に散歩に出かけようか」

「散歩……ご指導でしょうか?」


 新入生にとって乗馬での散歩とは、あくまでも騎乗のための体感慣らしという意識が強い。

 しかもそうやって声をかけてくださるのは、あのハシュ先輩、だ。

 すでに文官騎士として日々、任務で忙しくお過ごしだというのに、もったいなくも時間を割いてまで休日に十二月騎士団を訪ね、特別に指導してくださる。

 そういう意味なのだろうか――?

 新入生にとってそれは誉のように感じてもよかったのだが、彼はまったく逆の発想で意識を暗くしていく。

 確かに自分は乗馬が苦手だ。

 十二月騎士団に入団して、ハシュ先輩とおなじようにそこではじめて乗馬を経験することになったが、自分はいつまで経っても慣れる見込みがない。むしろ、いよいよ不出来が目に余って、それでハシュ先輩の手を煩わせてしまうのだろうか……?

 新入生はとことん自分の不出来を自覚しているだけに、どんどん悪い方向へと考えてしまうが、ハシュはそれに頭を振りながら微笑する。


 ――まさか、この世の中にここまで人畜無害な自分に怯える子がいるなんて……。


 もはやこれは前代未聞の珍事だ。

 十月騎士団に戻り、同期の伝書鳩たちに話せば、彼らはひっくり返るように笑い転げるだろう。

 ハシュも被害妄想をするのであれば負けないが、彼の場合は自分をとことん否定する悪い癖があるらしい。

 そんな必要はないよ、とハシュは思いながら、



「ちがうよ。お散歩はねぇ――、ゆっくり乗馬しながら楽しいおしゃべりをして、あっちの風景を見に行こうかとか、そういうことをするんだ。すぐ先にある湖も巡るのにはちょうどいい大きさだから、湖畔を巡るのもいいよね」

「……え?」


 途中で魚を釣って見たり、お弁当を作り合って、おかずなんかを交換し合ったりして。


「俺、ちょっとなら料理はできるし、ポレットなら得意だからいっぱい作るよ」

「ポレット、ですか?」

「うん。きみはナッツ派? ドライフルーツ派?」


 尋ねると、新入生はやや恥ずかしそうに、


「僕はナッツが好きです。歯ごたえが好きです」

「ほんとう? やった! 仲間だ!」

「!」


 まさかの趣向の一致にハシュは無条件で喜び、思わず新入生の手を取って握手し、ぶんぶんと振り回してしまう。


「じゃあ、俺、気合を入れてポレット作るから、お散歩の道中で食べようね」

「え……いいのですか?」

「いいに決まっているじゃない。俺とのお散歩は修練じゃない、遊びに行こうっていうお誘いなんだからさ」

「!」


 予期もせぬ突然の誘いに新入生はおどろきが隠せず、気弱そうな目を思わず丸めてしまうが、ハシュはそのままゆっくりとうなずき、


「十二月騎士団で習うべき馬術は厳しいけれど、だからといって落ち込んでもらいたくはない。習得はできる範囲でいいんだし、楽しいと思って乗馬できることがいちばんだと俺は思うんだ」

「ハシュ先輩……」


 ――だから。


 指導を受けたことで気負い、早く修練の成果を見せなければ……とかえって焦る学び方はしてほしくない。

 ハシュは心を込めて「大丈夫だから」と新入生に伝え、優しく頭を撫でてやる。

 いまはまだ、ハシュのほうが身長も勝っていた。

 彼を見ていると何だか気弱な弟ができたように思えて、励ましながらいつも笑っていられるように可愛がってあげたいなぁ、という気分にもなって、何だか胸が温かくくすぐられる。

 ハシュの兄弟は実兄のオルクだけなので、自分もこうやってオルクに可愛がってもらったんだと思うと、なお優しさが生まれてくる。

 思わず、きゅ、と抱きしめたくもなった。

 でもそれは、もうすこし親しくなってから。


 ――初対面の先輩にそれをされたら……。


 この子はひょっとするとびっくりしすぎて、泡を吹いて倒れてしまうかもしれない。

 ハシュだって、一応段取りというものは心得ているのだ。

 そして――。

 新入生のほうも絶えず教官たちから聞かされる「馬術の才」を持ったハシュに頭を撫でてもらえるとは露にも思っていなかったので、それですっかり感激してしまい、


「せ、先輩……っ。僕、ご一緒にお散歩ができるようにがんばりますので、そ、そのときはよろしくお願いいたします」

「うん、楽しみにしている」

「お弁当もがんばって作ります。ハシュ先輩に食べていただきたいです」


 だから、がんばります……!

 新入生は頭を勢いよく下げると、そのまま感極まって途端に泣き出してしまう。

 うわぁああん、と声を上げてしまうものだから、


「ち、ちょっと、泣かないで!」


 いまの会話のなかで彼にとっては無理難題を口にしてしまったのだろうか?

 ハシュは思って「え? え?」と焦ってしまうが、その慰め役は周囲の同期たちが買って出てくれた。


「凄いじゃないか、ハシュ先輩とお出かけの約束をしてしまうなんて!」

「いいなぁ、お散歩。楽しそう」

「俺たちも一緒に練習するからさ、がんばれよ」


 そう遠くないだろう、彼らの目に浮かぶ未来。

 同期たちは口々に羨ましがり、だが同行を求めるのではなく、ハシュのお誘いを受けた新入生がそれを実現できるように協力すると励まし合って、まだ華奢な彼の肩や背を撫でてくる。

 その優しさに安堵したのだろう、彼はますます泣いてしまう。

 その涙の温度がとても温かなものであればいいな、とハシュは思う。

 見ていると、何だか無性に当時の自分や同期たちのことを思い出す。

 ふとバティアのほうを見ると「彼らなら大丈夫だよ」とうなずいてくれたので、ハシュもほっとすることができた。



 ――この十二月騎士団を訪ねることになった、真の用向きとは。


 それは情けなすぎて口には出せないし、このあと会う学長にも口を固く閉ざしてほしいと頼み込むしかないが、こんなにも盛大な歓迎を受けて出迎えてもらえたのなら……。

 ランタンの灯りだけではない、心優しい多くの灯り。

 ハシュの好めない夜の世界にそれは見事に点った。


 ――これも俺を導く灯りのひとつなんだろうな……。


 ハシュは思いながら、軍装の内ポケットにしまっていたタリアルのカードを取り出す。

 その絵柄を見て「ふふ」と笑ってしまうと、バティアがすこしだけ気になったようすで尋ねてくる。


「それは?」

「さっき訪ねた五月騎士団で、占術師を兼ねているオルク兄さんに会ってね。お守りにもらったんだ」

「へぇ、とても温かな印象のカードだね」

「うん、タリアルのカードと言ってね」


 バティアがそう感想を述べた、この絵柄。

 ハシュもおなじように思い、ハシュにはそれがバティアを連想してならなかった。

 ハシュはすこしだけふたりを見比べる。


「やっぱりオルク兄さんは占いを外さないし、このカードも俺の見立てどおりだ」

「?」


 ――何だか、ちょっとしたお祭りを体験した気分にもなったけど。


 でも、ここにいる全員と共有できる素敵な思い出を持つことができたのだと思うと、そもそもの根源である四月騎士団団長にもちょっとだけ感謝してもいいかな、とハシュは思い、苦笑した。


 ――無論、()()()()、だ。

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