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エスコートは、一月騎士団衛兵のお兄さん

「おやおや、きみもなかなか忙しそうな子だね」


 そう声をかけてきたのは、物腰の柔らかそうな、ハシュを四月騎士団の庁舎まで案内すると言ってきた衛兵だった。

 確かに興味であちらこちらを見ていたことは認めるが、そのようすがあからさまだったとは……。


「す、すいません、とてもきれいな建物ばかりなので、つい……」


 ハシュは恥じ入るように頬を染め、視線をやや逸らす。

 刹那、左目もとのほくろも一緒になって恥じたように見えたのか、衛兵がすこしだけ身を屈めてハシュの顔を覗きこみ、


「可愛いほくろだね。きみ、名前は?」


 と問いながら、ハシュのほくろを「ちょん」と白地の手袋を嵌めた指先で触れてくるので、ハシュは真っ赤になりながら、


「ハ、ハシュといいます」

「ハシュ。いい名前だね。きみの名前、憶えてもいいかな?」

「へッ? え、そ、その……ッ」

「緊張しなくてもいいよ。皇宮において規律と格式は絶対だけど、おしゃべりくらいは許される」


 容姿も物腰も優美な衛兵の年のころは、二十代半ばだろうか。

 軍装は一月騎士団の身に許された白地の上下。とくに上着の裾は燕尾のように長く、歩いて揺れるさまは外套の裾のようにも見えて風雅だった。

 襟首や袖、裾などに金糸で刺繍された華麗なアクセントも目を惹くが、装飾を兼ねた肩章が鎧甲冑とはまた異なる洗礼された肩当てのようにも見えて、とにかくカッコいい。

 きっと武官としての正装ではなく儀礼用を兼ねているのだろうが、衛兵という立ち位置の軍装でさえ華やかで気品があるなんて、やはり一月騎士団の品格はまさに格がちがう、とハシュは間近で見る憧れの軍装にうっとりとしてしまう。


「どうだい? だいぶ仕事には慣れてきたかな?」

「はい。要領はだいぶ掴めましたが……何というか……」


 ――そのおかげで、上官たちにこき使われる頻度も上がりました!


 などとは言えないので、ハシュは適当に濁す。

 その口ごもりを緊張しているものだと捉えた衛兵は柔らかく笑い、


「でも、ハシュは優秀なんだろうね。慣れてきたとはいえ、普通、三ヵ月ていどの伝書鳩が皇宮を訪ねることはまずできない。こちらでの用向きは国事や国政とは異なるから、十月騎士団でもそれなりの立場がある文官でなければ、通常は通すこともできないのだけれど」

「は、はは……」


 ――ですよねぇ?

 ――それをすっ飛ばして、面倒くさがって、「ついで」にと言いのける上官たちって……。


 しかも、脳みそという臓器を最大限に活用してでも書類を捥ぎ取ってこいと言われた。その事実を話してやろうかとも思ったが、それはそれで今後、何かが捻じれそうな予感があったので、ハシュは仕方がなく口を塞ぐ。


「おや、ハシュはおしゃべりが苦手なのかな?」

「いえ、そんなことは……」

「ふふ、きみは声も可愛らしいから、もっと聞いてみたくなるよ。――ねぇ、ハシュ。もっと声を聞かせて?」

「はうッ!」


 ――こんな素敵なお兄さんに揶揄われるなんてッ!


 軽やかに微笑まれて、ハシュはいよいよ全身を沸騰させそうになってしまう。

 この皇宮の騎士団に所属を許されるのは、武官であれば武芸、文官であれば学術に秀でた、トゥブアン皇国に十二ある騎士団のなかでもっとも才気才覚に優れた人材ばかり。

 ハシュをエスコートする衛兵も一見は柔和だが、いざ対処が必要な場面に遭遇すれば武勇に優れた動きを難なく見せて――あるいは、こちらが見る間もなく――、何事もなかったような顔をしてしまうのだろう。

 門前の衛兵たちは腰に帯剣をしていなかったが、門内の衛兵たちは帯剣している。

 それは実践で用いられる剣よりは幾分細身で、鞘が高尚な作りをしているので装飾品にも見えるが、いざ抜刀すれば一月騎士団の武官にふさわしい一撃のかがやきを放つにちがいない。

 その姿はハシュが憧れている「騎士」そのものだ。


 ――そう!


 やっぱり「騎士」というのは、彼のような姿だ。

 書類集めと判子捺しに命を懸ける上官のために、日々右往左往と奔走する「騎士」で終わりたくなんかない!

 自分もがんばって剣技の鍛錬をつづけて、いつかこんなふうにカッコいい武官になって……。

 夢の具現化、優美な武官がとなりを歩いているせいもあって、ハシュの自身に対する妄想が止まらない。足取りも何だかふわふわとしてしまう。


「でも、よく俺が伝書鳩だってわかりましたね」


 そういえば、と思い出し問うてみると、衛兵がわずかにまばたいて苦笑してくる。白い手袋をはめたそれを口もとに当てて笑うしぐさに、普段から気品があって優美な人なんだなと思えるものがあった。


「ああ。ひょっとすると、ハシュは自分の肩章の意味がよく分かっていないのかな?」

「?」

「きみの肩章、これ」


 と言って、衛兵がハシュの片方だけに付いている肩章を指先でかるく触れてくる。


「本来、肩章は武官を表し、軍装の両肩の線に沿って付いているものだけど、きみの――十月騎士団に所属する伝書鳩……伝達係だけに付いている肩章は短冊形の板状じゃなくて、装飾章のように胸もとにかけて垂れているように付いているだろう?」

「ええ」

「これはトゥブアン皇国に十二ある騎士団の庁舎や敷地に、名乗らずとも入れる証。自在が効く通行証みたいなものなんだ」

「……そう、なんですか?」

「ふふ。伝書鳩は十月騎士団にしか存在しない。いわば特権証みたいなものだから、なくさないように」

「はい」


 通行証か、とハシュは胸の内でつぶやく。

 言われてみれば、どの騎士団の庁舎に立ち入るにしても呼び止められたことがなく、必要に応じた部屋に当たり前のように出入りすることができていた。

 国府である五月騎士団の庁舎や内務府などの重要な建物に難なく入れるのも、ひょっとするとあちらが警護に大らかすぎるのではなくて、ハシュに十月騎士団の伝書鳩としての目印があったから。

 だから――誰もその歩みを呼び止めることもなかったのだろう。


「なるほど。どおりで……」


 書類を取りに行け、渡してこい、と鬼畜のように上官たちに命じられても、行けぬ場所がないわけだ。

 ハシュがいま付けている肩章は、肩の線に沿って付ける肩章とおなじくらいの大きさで、形状はやや長めの楕円形。それを胸元のほうに垂らす装着式で、先端にはちょっとした飾りがついている。

 シンプルすぎる文官の軍装に唯一装飾めいたものがあるていどなので、単に新人文官の目印かと思われていた。

 最初はなぜ片方だけに不思議な肩章を付けるのだろうと思ったが、そういう意味があったのは――。


「おや、誰も教えてくれなかったのかな?」

「いま……はじめて知りました」

「いま、ねぇ」


 つい、しみじみ言うと、となりを歩く衛兵がさらに苦笑する。


 ――教えることは、最低限。

 ――あとは自分で体験しておぼえろ。


 つまりはこういうことなのだろう。


「……なるほど。そういう気質は武官だけではなく、文官にもあるのか」


 そんなふうに、自身の体験を踏まえて納得するような顔つきを衛兵がする。

 そんな話をしているうちに、


「ここが四月騎士団の庁舎だよ」


 と言って、衛兵が足を止める。


「――へ?」


 つい話し込みながら歩いていたので、ハシュは突然のゴールにすこしだけおどろく。あわてて周囲を見やったが、衛兵が足を止めたのはすでにとある建物のなか。

 皇宮の御用門からどのような経路でここに到着したのか。ハシュは完全に見落としていたので、初見で目にした建物のどれが四月騎士団の庁舎に当たるのか、まったくわからなかった。

 もしかすると思いのほか歩いたような気もするので、目についた以外の建物に案内された可能性もあるが、それこそハシュには判然としない。

 これは目的地を正確に把握しなければ移動することに支障が出る伝書鳩としては、かなり恥ずかしい落ち度だった。

 でも、だからこそ、じつは皇宮に所属する騎士団の庁舎やその他の建物への正確な経路を外部にあまり漏らさないようにしている可能性が意図的にあって、ハシュは衛兵と気さくに話をしながら、目くらましの一種をかけられていたのかもしれない。

 そう思えた瞬間、ハシュはなぜか「やられたッ」と思ってしまった。

 無論、衛兵にしてみたらそれが職務の一環なのだろうから仕方もないが、興味に視線を動かしておきながら、肝心なところを完全に見落とすのはどうも釈然としない。

 だが、同時に――。

 気さくな態度のなかにまったく隙を見せなかった衛兵の所作に、ハシュはますますカッコいいと思い、さらなる理想と憧れを募らせてしまう。

 そんなふうに思っていると、衛兵が最後に足を止めたまま微動もせず、


「ここから先、衛兵の……一月騎士団の立ち入りは許されていないんだ」

「――え?」

「私はこちらで待っているので、ハシュはつぎに案内してくれる人につづいて向かいなさい」

「え……っと……」

「大丈夫、きみをひとりにはしないから」


 突然のことにハシュはまばたいてしまう。

 どうやら皇宮内はすべてが一括りのようでいて、じつは一月、二月、四月、それぞれの騎士団における管轄のようなものがあるらしい。

 目視でわかる境界線、目には見えない境界線。そういったものが。

 それでもなおハシュが先に進めるのは、先ほど衛兵が教えてくれた伝書鳩の証である肩章が物語っているのだろう。


「ここまでの付き添い、ありがとうございました。……でも、外に出れば大方の方向も見当つきますので、帰りは自分で戻れます」


 皇宮内の来訪者に対しての案内も衛兵の務めだというが、単に書類をもらうだけの時間に衛兵を付き合わせるのは何だか申し訳がない。

 ハシュは恐縮するように衛兵の申し出を断ろうとしたが、


「これが私の職務だから。きみは気にせず、自分の務めを果たしてきなさい」

「は、はい」


 あくまでもやんわりとだが、騎士には「騎士」としての明確な立場と職務がある。そうと言われてしまえば、素直に従うしかない。

 では、伝書鳩の分際で一月騎士団の衛兵をここで長く待たせるわけにはいかない。


「あのッ、俺、早めに戻りますので」


 ハシュはそう言って、衛兵に頭を下げる。

 さて、と身を正して振り返ると、その目の前にはいつの間にかここ四月騎士団の文官のひとりが立っていたので、


 ――ひッ!


 思わずおどろいたハシュは、内心で悲鳴を上げてしまった。

 衛兵が挨拶ていどにかるく頭を下げると、文官も心得たようにうなずく。


「以降は私が案内します。どうぞ、こちらへ」

「は、はい」


 このようすからして、今度はこの文官に案内されて書類を受け取りに行くのだなと察することができた。くるりと反転する足についていくと、ハシュはそのまま二階へと向かう階段を上がっていく。

 二階まで上がる階段は直線ではなく中間に踊り場を設け、コの字上に上がるような、そんな造りをしていた。衛兵と別れた場所は、どうやら四月騎士団の庁舎の玄関口とされるホールのようなところだった。

 トゥブアン皇国の建築様式は低層が主体だが、庁舎のような建物はとくに一階だけでも充分に天井が高いので、狭さや小ささは感じられない。

 階段を上がりながら下を見やると、おなじ文官の騎士団だというのにハシュが所属する十月騎士団ならではの、書類持ちの文官たちが忙しく右往左往しているような地獄絵図の活気はなく、歩く人数はまばら。いたとしても凛として、淡々と歩いているので、これはハシュにとってはおどろきだった。


 ――人って静かに歩けるんだ……。


 直後、


 ――ん? 何だ、この感想は?


 ずいぶんと奇妙な言葉を浮かべたなと思ったが、それほどの印象がハシュにはあった。

 もしかすると書類が魑魅魍魎のように跋扈しているのは、トゥブアン皇国に十二ある騎士団から国事、国政、軍事、そのいずれも重要な案件は「決断の長」である十月騎士団団長の裁可押印がないと進まないので、そのために集まる書類の量は尋常ではないし、十月騎士団の多忙雑然が特異なのかもしれない。

 でもなぁ……と、ハシュは思う。

 ハシュにとってイメージする「スマートな文官」とは、動きも、何となく個々の体型も、彼らのほうがよほど当てはまっているような気がする。


 ――こういう文官なら、素直にかっこいいって思えるのに……。


 ハシュは前を歩いて案内をしてくれる文官に何か声をかけようとしたが、席ほどの衛兵とは異なって文官はいかにもこちらから声をかけるには少々……といった風体があって、今度は無言のなかを歩いていた。

 建物自体、皇宮諸事の一切を取り仕切る四月騎士団ならではのようすがあるのかな、と思われたが、そうと感じるものはない。ざっくりと見て、庁舎の主だった造りはどこも変わりがないなと思われる。

 白亜色をした石造りの外観に準じた内部もその色が明るく美しくて、午後の日差しも廊下に並ぶいくつもの大きな窓から届いているので暗さは感じられない。

 壁などにかけられている絵画や、花瓶に生けられている花。

 廊下の絨毯の色合いや趣にも統一感があって、空間そのものに凛としたものを感じる。

 きっと――。

 このように粛々とした庁舎で「書類を取りに来ましたッ」と声を上げようものなら、「空気を読めッ」と殴られるだけではすまないだろう。


 ――上官の言うことは真に受けないほうがいい。


 ハシュはそれを今日の学びとするのだった。

 でも――。

 それとはべつに、ハシュはわずかな違和感を覚える。


 ――何で俺、二階なんかに上がっているんだろう?



□ □



 そんなふうに、周囲をきょろきょろしながら階段を上がっていくハシュを見送りながら、


「――さて、と」


 と、こちらまでハシュを案内した衛兵の口端がかるくつり上がる。

 この庁舎の二階にあるのは、四月騎士団団長の執務室。

 あの子が案内されて上る階段は、その執務室へのほぼ直通だ。

 どのような用向きで使いに出されたのかは知らないが、はじめて訪ねる皇宮の場所がそことは、運がいいのか、悪いのか。


()()()、最初から二階に通されるとはね――」

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