ハシュの王子さま? 十二月騎士団団長の出迎え
父を失った、あの日から――。
もうずいぶんと長く夜の世界を好むことができなくなったハシュにとって、夜は怖くて、怖くて、怖くて堪らない世界になった。
そうなってしまってから、ハシュはもうひとりで夜の世界を歩くことができない。
夜に見ることで奇麗だと思えるものすべてを見ることができずに、このまま大人になって、おじいちゃんになっていくのかな……?
などと思うほどハシュはそれを隔絶してきたが――。
――でも。
夜に怯えるハシュを心配して、十二月騎士団の後輩たちが即席の「ランタン騎馬隊」を編制し、騎乗のまま道の両脇に等間隔でランタンを持って並び、ハシュの道中を温かな思いと灯りで照らしてくれている。
本来であれば彼ら少年兵にその行為はまだ早く、厳禁とされているのに、「ハシュ先輩を迎えに行くのだ」と意気込み、その姿勢を買って、教官や教師陣も一緒になって騎馬隊に参加し、隊列の安全を見守りながらハシュを迎えに来てくれた。
温かな出迎えと、趣向による幻想的な光景。
ランタンの灯りが夜をこんなにも美しく魅せるなんて、ハシュは知らなかった。
みんなに優しく出迎えられて、自分が幻想的な灯りの中心にいたら、ほんとうにこれが現実でいいのだろうかと思い、得意? の妄想かと錯覚を起こしてしまいそうになる。
そして……。
――バティア……。
ハシュの目の前にはいま、唯一無二の親友であるバティアがいる。
バティアがハシュに幻だけを見せて終わるなんてことはあり得ない。
だったら、これは――。
「ハシュ……」
自分だけに向けられる、柔らかな声。
優しい表情、優しい笑み。
夜の世界でも損なわれることのない、美しい碧眼。
バティアがゆっくりと手を伸ばしてくる。
「……バティア」
ああ……。
夢などではない。
ハシュはやっとバティアに会えたのだ。
□ □
「――お帰り、ハシュ。道中に危険はなかった?」
「う……うん」
周囲に浮かぶランタンの温かな灯りを受けながら、親友であるバティア――金髪碧眼の秀麗な容姿を持つ十二月騎士団団長が柔らかく笑み、何よりもハシュの身を案じるように尋ねてくる。
「ほんとうはハシュの予定を聞いた時点で迎えに行くと明確に決めればよかったのに……。ごめん、ひとりで夜の道を歩かせてしまって」
「バティア……」
バティアがゆっくりと手を伸ばしてくるので、ハシュもつられるように手を伸ばすと、互いの騎馬の間隔がギリギリのところで指先が触れ合い、そのままバティアに優しく手を包みこまれる。
手にはどちらも乗馬用の手袋をしているが、互いの温もりが混ざり合うような感触が心地よい。
何より――。
バティアに触れてもらうことでほんとうの意味で安堵が全身に伝わってきたので、ハシュはそれまで抱いていた緊張が一気に抜けていくような気がして心底ほっとしてしまう。
すでに周囲はランタンで灯されていて、出迎えてくれた後輩は温かく、教官や教師陣も懐かしてハシュを不安や恐怖から救ってくれたのに、バティアを前にするとその安堵が一層強まる。
そのせいか、バティアを見ているとすこし泣きそうになってくる。
「謝るのは俺のほうだよ、バティア。俺、……すこし意地になっていた」
「意地?」
問うてくるバティアに、ハシュは曖昧にうなずく。
ハシュが誰よりも自分が夜の世界を渡ることが困難だと知っていたのに、もう文官騎士になったのだから、いまは奔走が務めの伝書鳩なのだから、いつまでも「怖いからできない」などと尻込みするのはどうかと思い、意地を貫こうとしてしまった。
でも道中は、覚悟以上に怖くて堪らなかった。
やはり簡単には克服できそうもない。
結果として、理由も知らないみんなにこうして心配をかけさせてしまった。
だから、バティアが謝る必要な何ひとつない。
――ほんとうに謝らなければならないのは……。
ハシュはそうやって口を開こうとしたが、バティアもまた何かを察したように微笑し、ハシュの手をゆっくりと握りしめてくる。
「――手はどう? 痛まない?」
自分の謝罪がハシュの謝罪につながるとは思っていなかったバティアがそう言って、会話を変えてくる。
互いに繋いでいる手……ハシュの手は本来素肌だったが、いまはバティアから受け取った黒地の手袋をしている。バティアもまたおなじ色の手袋をしていた。
そう言えば色の濃い控え目な色をバティアは好んでいたな、と思い出しながら、ハシュもその気遣いに感謝しながらうなずき、
「ありがとう。おかげで手はどこも痛めてないよ。手綱もちゃんと握れたし、俺の視界が不安定でも栗毛色ががんばって歩いてくれたんだ。危ない目にも遭っていない。――バティアこそ、俺に手袋を渡したあとは? 手を痛めたりしていない?」
問うと、バティアも安心させるようにうなずいてくる。
「俺は大丈夫だよ。お散歩の道中では走ることもないし、あれからすぐに十二月騎士団に戻ったから」
「そう。――なら、よかった」
「心配してくれてありがとう、ハシュ。でも、きみの手は赤くなっていたからね。寮母さんにお願いして、塗り薬を用意してもらっているから。戻ったら塗ってあげる」
「あはは、大丈夫だって」
「ダメだよ、ハシュ。手入れはきちんとしないと」
「もう、心配性なんだから」
ようやくのことで、ハシュがいつものように笑ってくる。
バティアは一瞬、目を見開いた。
ハシュが夜の世界で笑うことができるなんて――。
ランタンの幻想的な灯りのなかで笑むハシュにはどこか魅力があった。
バティアはそのまま惚けてしまう。
――だが。
当人たちはすっかりふたりの世界に浸っていたが、そろそろこの状況の周囲には、彼らの後輩である少年兵たちがランタンを持って騎馬待機していることを思い出してもらいたい。
無論、敬意、尊敬するハシュのために用意した灯りなのだから、安堵していただけるのであれば本望。でも、ですよ?
周囲はふと、居づらさを覚える。
ハシュとバティアの仲のよさ、唯一無二の親友の間柄は後輩たちの目から見ても当時から憧れるものがあった。――だが、しかし!
夜を好めない親友の身を案じてそばに寄り、安堵の声をかけるのはわかる。
ハシュとバティアが再会を喜び、手を差し出し合うのもわかる。
でも、ですよ!
――先輩たち、それって握手……じゃないですよね?
――どう見ても完全に握り合っているよなぁ……。
――え? 先輩たちってそういう仲だっけ?
――そういう仲って、どういう仲だよ?
――バティア先輩……いや、団長。いつの間にハシュ先輩に告ったんだよ?
――え? 先輩たちっていつもこうじゃなかった?
ふたりの雰囲気を邪魔するつもりはないが、周囲の後輩たちは動くに動けず困りはじめて、声なき声で疑問をつぶやき合い、会話を成立させてしまう。
人目も憚らず手を取り合ってしまう。
それを見るのが今日で二度目となる、夕暮れ前にハシュとは一度会っている監督生は「またか」と自身の額を押さえながら深いため息をつき、事情は知らぬが「これはおもしろくなるぞ」と直感する教官や教師陣が浮つきはじめ、「ヒュー」と口笛を吹いてくる。
先ほどはどうしたらいいものかとタイミングを伺っていた監督生だが、このふたりのそれを伺っていたら朝になってしまう。これはもう充分に学んだ。
――そうとわかった以上は、あえてふたりの世界を壊すまでだ。
「バティア団長――、つぎのご指示を」
監督生はバティアの気をハシュから逸らそうと、わざと大きな咳払いをする。
すると、先ほどは照れてハシュの手を離したバティアだったが、いまは小さくうなずくだけで、
「ハシュ、もうすこしだけ待っていてね」
「?」
バティアはハシュの手を握ったまま、それとは反対の手をかるく上げる。
それがランタン騎馬隊に対しての、つぎの行動の合図だった――。
「――え?」
いまはその場で立ち止まっているハシュとバティア。
そしてハシュに付き従うかたちで後続していた騎馬を数頭だけ残して、あとは先に道を進むようにしてランタンを持ったままかるく走り出してしまう。
それを丁寧に指導しながら教官や教師陣たちも移動をはじめ、なかには追い越す際に、
「バティア、ほどほどにな」
と、冷やかしの言葉をかけていく教官もいる。
バティアはすこしだけ恥じらいを目もとに浮かべたが、どちらかというと表情は澄ましたまま。視線を前に、ほとんど動じない。
一方のハシュは周囲の動きがよくわからず、何事ッ、と動揺してしまったが、バティアに手を握られているので長く不安に思うことはなかったが、――だからといって疑問が晴れたわけではない。
後続していた騎馬のほとんどが先に行ってしまったが、周囲から灯りが薄れることもなかった。
道中の左右には、いまもランタンを手にしたまま整列している後輩たちがいる。彼らはハシュが前を通りすぎるまでは動かないらしい。
その灯りが道の先までつづいているが、一体全体、どうなっているのだろう?
「バティア? え……っと、これはいったい……」
問うと、バティアがからくりを明かすように肩を上下に動かす。
「ほんとうは隊列を一度に並ばせたまま、十二月騎士団の敷地までランタンの灯りを点せればよかったんだけど、さすがにここからだとまだ距離があるから、一定の距離まで来たら後続する騎馬たちを急いで最前列に並び直させて、ふたたび道中でランタンを灯さないとならないんだ」
「?」
「――わかりやすく言うと、後輩たちの人数を以てしても夜道の灯りが足りないから、合図のたびに後続する騎馬には先に行ってもらって、道を照らす灯り役になってほしい。それをくり返すよう合図したんだよ」
「それって……」
もうすこしでわかりそうな気もするけれど……。
いまひとつのハシュが小首をかしげてしまうと、それを見てバティアが苦笑する。
「ちょっと格好がつかないけれど、一度の灯りでは足りないから、何度か灯り役になって――って。いわゆる道中の灯りの継ぎ足しとでも言うのかな?」
「――ぷっ」
その途端、なるほどと理解できたハシュも声を上げて笑ってしまう。
「あはは、格好なんか充分ついているじゃない。ランタンを持って、しかも夜の騎馬も操れるんだから」
ハシュは馬術に優れているが、夜を克服できない以上それだけは経験もできないし、当然真似だってできない。
なので、ハシュとしては周囲の後輩たちの馬術上達に対して最大限に評価し、褒めてみせたのだが、バティアの語る「格好がつかない」をほどよくまちがって解釈していたらしい。
バティアとしては、せっかく幻想的な夜も演出できるランタン騎馬隊だというのに、その灯りが足りないので継ぎ足し操法させる。これが雰囲気を損ねて申し訳ないと言いたかったのだが……。
そんなやりとりを聞きながらふたりに後続する騎馬を見守り、指示する教官たちが頭痛を起こしていたが、しばらくして前方の奥から軍馬一斉号令の指口笛が聞こえてきたのでハシュとバティアはうなずいた。
――用意整う。歩行開始。
それを意味する指口笛に騎馬たちも反応して、ハシュをはじめとする隊列が動きはじめる。
その道中に不安がないよう、左右に整列する後輩たちがランタンで灯す。
「ハシュ、行こう」
「うん」




