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ええッ、やだッ、俺撃たれるのッ?

 ――集中しなくちゃ……。


 いつからだろう?

 ハシュは自分がまばたきすることを徐々に恐れるようになってきた。

 最初は慎重に、集中力もつづいて暗闇に慣れてきた視界を維持することもできていたが、さすがにすこし疲れてあくびが漏れたり、集中を取り戻そうと何度かつづけてまばたきをすると、かえって夜色に慣れた視界がふたたび暗闇のようになって、ハシュのわずかな視界を奪っていく。

 蒼月からもたらされる月光をうまく利用できない。

 だが……。


 ――大丈夫だ、伝書鳩。


 背に跨るハシュの震えが止まらないことを心配し、手綱から伝わるハシュの心情を充分に理解して、騎馬の栗毛色が「大丈夫だ」と言うようにハシュを呑み込む恐怖を払うように鼻を鳴らし、ほんのすこし……ほんのすこしだけわざと背を揺らしてハシュの気を逸らそうとしてくる。


 ――お前はいま、ひとりじゃないだろ?


 もし、栗毛色が真実気位の高い「騎士」そのものだったら、そんなことを言ってハシュの背中をばしりと叩いて鼓舞してくれたかもしれない。

 栗毛色の気性は荒い。

 けれども、本性は自身の騎手をとことん大切に思ってくれている。

 それを受けてハッとすると、ハシュは自身の鼓動の高鳴りを自覚しながら前をどうにか見やり、栗毛色の足音をよく聞いて、震えを止めようと手綱をぎゅっと握りしめる。


「大丈夫……」


 ハシュが視界を不明にしていても、栗毛色がちゃんと捉えている。

 さすがは経験豊富な軍馬。騎手であるハシュを気遣いながら、自身の集中力をまったく欠いていない。

 だから、わかる――。

 その足取りは安定している。

 まっすぐ夜道を歩いている。


「さすがだよ、きみは……」


 言って、ハシュはどうにか手を伸ばして栗毛色の首筋を撫でる。

 でも、ハシュにはどうしてもたくさんの不安が拭えない。

 その最たるものが、いまの自分の居場所だった。

 周囲の風景がすこしでもわかるように見えていれば、自分はいまどれほどの距離を進み、現在はここ、目的地まではあとこれくらいの時間を要するだろうと計ることもできるのだが、その導となるものがどこにもない。

 普段であれば、馬術の得意なハシュは騎馬を全力疾走させることで逆に時間短縮の計算をしてしまうので、ゆっくりとした歩行だけでしか進まない距離と時間がうまくつかめない。

 軍装のポケットには懐中時計はあるが、この暗さではよく見えないし、現時点の時間を知ると恐怖の時間を知るような感覚になるので、怖くて見ることができない。


 ――あと、どれくらいだろ……。

 ――十二月騎士団まで、あと……。


 でも、それでは意識が集中できない、とハシュは頭を振る。

 弱さを考えていては、駄目だ。

 では……弱音なんか言っていられない何かはあるだろうか?


 ――俺にとって、いまいちばん重要なのは……?


 そうだ、書類!

 明日、上官に叩きつけるように、十月騎士団に無事に持ち帰らなければならない書類を五月騎士団から受け取ったのだ。

 例え栗毛色が道を踏み外しても、ハシュが落馬しても……。

 国府から預かった書類だけは何があっても護らなければ!

 ああ、でも……。

 それでは書類に命を懸ける上官たちとおなじ思考になるな、とハシュはやや「俺もああなっちゃうのか」とちがう意味で切なさを覚える。いま、自分の集中力を最大に高めるのが書類なのかと思うと、さらにちがう意味で泣けてくる。


 ――俺はもう伝書鳩なのだから。


 いつまでも夜が怖いと言って、怯えることはできない。

 全部わかって無理を通そうとしているのは、あの七三黒縁眼鏡鬼畜ではない。

 ()()なのだから!


 ――そんなときだった。


 ハシュには周囲の気配など読み取ることもできなかったが、栗毛色が先に何かに気がついて、それまで騎手に怯えを与えないようつづけてきた歩行に変化をつけてくる。

 何かがいる――。

 栗毛色がそれを嫌なふうに感じ取り、自ら止まろうと歩行を止めてしまう。


「え……?」


 立ち止まったのはいいが、その場で足踏みをはじめる。

 不機嫌ではなく、警戒、という意味で。


「……どうしたの?」


 突然、何も指示を出していないのに勝手な行動を取る栗毛色にハシュはおどろくが、まるでハシュを護るように盾のように警戒し、威嚇のように前を見据える姿勢にハシュも緊張を覚える。


 ――()()いるんだ……。


 この周囲はすでに民家などはなく、ただ森林がいくつも重なるように広がっている自然地域だ。

 道は思いのほか幅はあり、定期的に整備もされているが、繋ぐ先は国府の五月騎士団と少年兵を育成する十二月騎士団なので、少年兵たちが訓練で使用しなければ人の往来は乏しい。

 なので、夜間に行動を得意とする野生動物とっては打ってつけの場所かもしれない。

 だとしたら……。

 軍馬の栗毛色が相当に警戒する相手とくれば……狼?

 ウサギやキツネに軍馬が怯むものか。

 すぐさま思い浮かぶ野生動物に、ハシュはぞくりとする。

 だが、十二月騎士団在籍中に周辺での目撃情報はほとんど聞いたことがないし、あったとしても武官を経験している教官らが嬉々として狩猟するか、威嚇で追い払うかのどちらかで、危険を目前まで感じたことはない。


 ――でもそれは、敷地のなかで護られている少年兵のときの話だ。


 ハシュはもう少年兵ではない。

 立場は文官ではあるが、騎士、だ。

 鼻息荒く前を見据える栗毛色に緊張を緩める気配はない。

 ハシュもそれが真実だと理解し、自分なりに警戒して周囲を見やる。だがハシュにその気配はうまくつかめない。

 もし狼に狙われているのだとしたら、彼らの習性は集団での狩り。

 万が一囲まれでもしたら……ッ。

 こういう場合、すぐさま全力疾走で逃げたほうがいいのか。

 それとも逃げることで狼の追走がはじまってしまうのか。


 ――ど、どうしよう……ッ。


 だが、栗毛色の本能は逃げることに重きを置かなかった。

 ハシュにさらに前を見ろと伝えてくる気配があったので、ハシュは従う。

 すると……。

 まだ距離のある前方から、奇妙な灯りがあるのが目についた。

 それは小さく、不自然な高さで浮かんでいて、よくよく見ると前方の奥で複数が見受けられる。

 何だろう、と思うが、この道中に灯りをもたらすものは何もないはず。

 ハシュは一瞬「お化けッ!」と思い、心臓の鼓動を盛大に跳ね上げてしまったが、どうやらちがうらしい。遠くから見える複数の灯りのおかげで、この道先には誰かが騎馬に跨っているような影……のようなものを感じ取ることができた。


「もしかすると、八月騎士団の騎馬隊……?」


 この周辺に騎馬隊で構成される八月騎士団の主要敷地はないが、彼らはすでに正式な武官であるので、夜間移動の訓練をこの近辺で行っている可能性も否定できない。

 いまは平時のトゥブアン皇国だが、いざ戦時を迎えれば、状況把握のために八月騎士団では多くの騎馬隊が各地に――この場合は海軍騎士の七月騎士団の主要軍港、あるいは鎮守府――派遣されて、皇都地域の各騎士団に状況を伝える役割を持つ。その訓練かと思われたが、


 ――だが、それにしてはこちらに近づいてくる気配がない。


 騎馬隊なら最低でも数頭の軍馬から構成されるから、こちらに向かってくるのであれば複数の足音が聞こえてくるだろうし、灯りだって近づいてくるはず。

 これでちがうとしたら、誰だろう?

 この先にあるのは十二月騎士団しかないが、あれは言ってしまえば少年兵のための寄宿学校だ。

 年齢も少年ばかりだから制限が多く、とくに許可なく昼夜問わず敷地から出ることは厳禁であるし、夜間の移動など授業にだってない。

 ハシュはそれを知っている。


 ――だったら、あの騎馬の影は……。


 誰だろう、と精神を集中して読み解こうとする。

 その刹那だった――。

 まだ遠い道の先の奥から誰かがこちらに向かって声をかけているような、そんな音が聞こえはじめた。

 何度も、何度も。

 大きな声を上げて、何かを確かめようとしている。

 ハシュは最初、自分に向けられている声だとは思わなかったので応じることなどなかったが、その人の声に対して栗毛色が全身で警戒と威嚇を強めてくるので、これは只事ではないぞ、とハシュもいよいよ警戒を全面に出す。

 緊張と恐怖、不安が額に嫌な汗を浮かばせた瞬間、


 ――もしかしたら、夜盗ッ?


 ここは何もない道中だというのに、もし、これから遭遇する危険がそれだとしたら!

 夜盗も複数はいるだろう。

 ハシュに持ち合わせの金品などないが、それ以上に、あまりにも重要な書類を束になって持ち合わせている。

 これには国事、国政、軍事のすべてが関わっている。

 例え命を奪われても、それだけは奪われるわけにはいかない!

 現時点、ハシュは丸腰の少年であるし……新人文官の伝書鳩だ。

 力に対して勝ち目などないが、この身は文官だが、ハシュだって剣技の六月騎士団に憧れ、いまもそれを掴もうとする剣技の一端は持ち合わせている。

 入団には届かなかったが、うまく剣を奪うことができれば逃走の突破口ぐらい……。

 そんなふうに、ハシュの緊張が極限に高まったときだった。


 ――ピィイイイッ!


 突如として夜の一帯にひびいたのは、甲高い音――口笛だった。

 もしかすると夜盗が正式にハシュを獲物と定めて周囲に合図を送り、これからハシュを襲おうというのだろうか!

 確定的に思えた瞬間、ハシュは全身から血の気が引いたが――いや、()()()

 この口笛には聞き覚えがあった。

 ハシュは即座に恐怖よりも覚えのある記憶に意識を集中させて、答えを探り出した。

 これはただの合図じゃない!


 ――ピィイイイッ!


 何度かに渡って聞こえる、その口笛。

 周囲によくひびく音は口だけを使って吹くのではなく、親指と人差し指を曲げて口に咥えて、そこから定められた高さやリズム、音調を使い分けて遠くまで複数に合図をするという、特殊号令のひとつ。

 そう!

 これは騎馬隊特有の軍馬一斉号令だ!

 酷似ではなく、まちがいない。

 十二月騎士団では馬術の授業で習っているし、夕暮れ前に出会ったお散歩隊列でも、最後方の監督生が即時「止まれ」の合図を受けて、あわてて隊列を一度に強制的に操ろうと鳴らした口笛もこの号令のひとつだ。

 では、まちがいなくハシュの向かう道の先には複数の騎馬がいる。

 それが夜盗なのか。

 八月騎士団の騎馬隊なのか。

 いまは前者後者の判然など、どうでもよかった。

 問題はもうそこではないのだ!


 ――ハシュは、口笛の意味を知って全身を硬直させる。


 いま聞こえる口笛の意味は――一斉構え!


「ええッ、一斉構えって……ッ?」


 相手が夜盗ならまさにハシュを襲撃しようと鉄砲を複数かまえるだろうし、逆に八月騎士団の騎馬隊なら、前方に不審者あり、と確定し、威嚇で撃ち込んでくるかもしれない。

 どちらにせよ、ハシュは複数の銃口を向けられている可能性が極限まで高くなった!

 そして、


 ――俺、このまま撃たれちゃうのッ?


 ああッ、もうッ!

 今日はほんとうに、何て厄日なんだッ!

 ここで死んだら絶対に化けて出てやるからな!

 覚えていろよ、四月騎士団団長のあの七三黒縁眼鏡鬼畜!

 即座によくこれだけ恨み言を吐けたな、と後にハシュは思うが、いまはそれどころではない。

 覚悟など決めるつもりもなかったが、ハシュにはもう、ぎゅっと目をつぶることしかできない!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が、では――誰の顔を浮かべればよかったのだろう?

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