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ハシュとオルク 兄弟の語らい

 ハシュにとってオルクと過ごした時間は、ほんとうに有意義なものがあった。

 壁に当たって途方に暮れていたところに手を差し伸べてもらい、現状をほぼ正確に読み取るようにしてあの七三黒縁眼鏡鬼畜の真意に近いものを知ることができたのは大きな収穫だった。


 ――ほんとうにあの人は得体が知れない。

 ――なんて人なんだッ!

 ――いや、ほんとうに人かどうかはともかく……。


 だからといって釈然としないものばかりに混乱もしたが、「こうしなければ」と思い込んで前に進もうとしていた自分に絡みつく鎖を解いてくれて、ハシュはやっと嫌な思考から抜け出せた気がする。

 それに……。

 結婚をして夫となり、父となった実兄に甘えることはもうできないんだな、と心のどこかで甘えとはさらばだと思っていたが、オルクはオルクだった。実兄は何も変わらない。

 このひとときだけでも傍にいられたのは、実弟としては嬉しいかぎりだった。

 最初に出会った「クレイドル」から受け取ったメモは意味がないと言われたが、それでも事が済むまでは……と思い、ハシュは折りたたんで軍装の内ポケットにしまう。

 できることならもうすこし明るい話題でオルクと座談をしていたかったが、ハシュにはまだ向かわなければならないところがある。


 ――……。


 見やる窓の外はすっかり暗くなっていた。

 世界はもう、本格的な夜の色に染まっている。


 ――夜……。


 ハシュは途端に嫌なふうに胸をざわつかせる。

 その胸を落ち着かせようと手を当てて、ぎゅっと目を閉じ、唇を噛んだ。

 ここから先は誰もいない――。

 思うだけで全身の肌が粟立ち、ハシュは目を開けるのが怖くなってきた。



□ □



「――ハシュ、どうしても十二月騎士団に行かなければならないのか?」


 オルクはこれで何度目かのおなじ言葉を発する。

 ハシュはそれに何度も明るく振る舞ってうなずいてきたが、食堂のある建物から外に出た瞬間、ハシュの身体はあからさまなほど硬直してしまう。

 夜の色に染まる外を見て恐怖を感じるように目を見開かせ、まぶたが動かなくなってしまい、ハシュは今度、逆にそれから目を逸らせない。

 夜空には星がいくつも浮かんでいる。

 蒼月だって昇っている。

 見ればきっと、何て素敵な夜空なんだろう、と秋の夜を楽しむこともできただろうが、ハシュは七年前からただの一度も満足に夜空を見上げたことがない。


 ――……。


「無理はするな。ロワ団長のからくり、見事に見破ったんだ。学長を呼びつけるのもこじつけの理由に過ぎないだろう。真剣に取り合わなくたっていいはずだ」

「……うん」

「今日は俺と帰ろう、ハシュ。アリナが喜ぶ。ユゥエだって抱っこしてやれ。重たくなったぞ」

「……うん」

「そうだ、夜は一緒に寝ながら今後の作戦を練ろう。タリアルのカードを総動員させて、何でも占ってやるから」

「……うん」


 オルクが身を案じてハシュに今後を取りやめるよう説得してくるが、ハシュがそれにうなずくことはなかった。

 兄弟なかよく手を握って歩く――、いつの間にかそんな構図でふたりは等間隔の燈籠の灯りが美しい道中を歩いていた。

 食堂を出た最初の道中こそ帰路の文官たちの姿も多くあってにぎわっていたが、進むにつれて燈籠の灯りもまばらになってくる。

 ハシュは次第にひとりで歩くことが困難になって、知らず実兄の手を取り、強く握るかたちで自分の心を支えていた。

 だが、手は明らかに震え、身体も震えて、歩くこともどこか難しい。

 顔はうつむき加減で周囲など満足に見やっていない。

 オルクの強く握り返す温もりが切ないほど優しくて、ハシュは泣きたくなるように眉根を寄せてしまうが、


「義姉さんには今度会うよ。ちょっとカッコつけてさ、お花とか渡したいな。ユゥエにも手ぶらで会ったら、ハシュおにいちゃまは何て気が利かないの、と思われるのは嫌だし。いまはどんなものが食べられるようになったの? 会うなら、いっぱい買ってあげなきゃ」

「ハシュ……」


 うつむいたまま声音だけは気丈に振る舞うが、弱い。

 ひとつうなずくだけでハシュの先には温かく優しげな家族の笑顔が約束されているのに、断るのは酷く辛い。……いや、寂しい。

 でも……。


「それに――ここに来るまでの道中、新入生の馬慣らしの隊列を率いていた十二月騎士団団長にお会いしてね、今夜はそちらに向かうからって伝えちゃったんだ。だから行かないと……」

「それは必要な約束か?」


 気乗りがしないオルクが問うてくるが、ハシュはうなずく。


「行くって伝えたんだ。このまま姿を見せないと、ひょっとしたら俺が道中迷子になっているとか、怪我をして動けなくなったんじゃないかって思われて、俺を探しに捜索隊を出すかもしれない」

「……」

「団長は――バティアだよ。少年兵時代、ずっと寄宿舎で同室だった俺の親友で」

「ああ、何かそんな奴、いたな」

「……」


 あれほど送る手紙に熱心に書いてきたというのに。

 実兄はちゃんと読んでいなかったのだろうか?

 ハシュはねめつけてやろうかと思ったが、うまくできなくてオルクの腕いぎゅっと絡みつく。


「親友が待ってくれているんだ。だから……」

「――そうか」


 ここ五月騎士団から十二月騎士団までの道のりは一本なので、万が一そのように思われても行き違いになることはないが、道中を渡る者に安堵をもたらす灯りはひとつもない。

 本来ならハシュはもう、ひとりで歩くこともできないが、


 ――うん、バティアはすぐに心配しちゃうから……。


 ハシュが早く姿を見せないと、今度はバティアが心配しすぎてそわそわして落ち着かなくなるだろう。

 バティアはすでに多くの少年兵を預かる十二月騎士団の団長だ。

 自分のためにそんな姿になるバティアを、後輩に見せたくはない。

 ハシュはそうやって自分が気丈でいられる理由を作るが、ここから先、ほんとうに大丈夫なのか――自信はない。

 むしろ……。

 ハシュは外での道中、できるかぎり見送るよと言ってくれたオルクと一緒に五月騎士団内務府にある来客用の騎馬待機場を目指して歩いていた。

 建物と建物をつなぐ回廊には吊るし照明のランタンの灯りが美しく、蝋燭の炎がガラス細工を通して幻想的な色を浮かべていたが、それもわずかな空間にだけ届く限定的な安堵の灯り。遠くまでは灯らない。

 そもそもハシュは、その灯りさえ美しいとは思えていない。

 あれが消えたらどうするのだ、と不安ばかり浮かべてしまう。

 ハシュは決めたら、ほんとうに頑固になる。

 簡単なことはすぐにできないといって困るくせに、難しいことになると意地を張りすぎてしまう。

 そうやって、今夜はこのまま何があっても十二月騎士団にひとりで向かうのだろう。

 さて……。

 この頑固者の気を紛らわせるには何がいいか……。


「――で、お前、好きな子とかできたか?」

「へッ?」


 などと、急にオルクがハシュのもっとも苦手とする分野を口にすると、ハシュの恐怖は途端に途切れてしまい、今度は羞恥で一気に体温が爆発してしまい、顔も身体も、握る手も先まで真っ赤にしてやっと顔を上げてくる。

 その体温を悟られまいと思い、ハシュはあわててオルクにしがみついていた手を離そうとしたが、オルクのほうがおもしろがってハシュの手をしっかり握ってくる。

 離してッ、とハシュは指の間でしっかり握るオルクの手を払おうとぶんぶん振りながら、


「も、もう! そんな、俺……ッ、仕事ばかりだし、皇都の街だってよく歩いてもいないし……」

「でも、可愛い娘さんがいたら、ついつい見ちゃうだろう?」

「そッ、そんな失礼なこと、するわけないじゃないッ」

「失礼、ねぇ」


 よし、釣れた、とオルクはにやにやとしながら、無造作に自身の首筋にかかる髪をかるく払いながら、


「案外、お前に声をかけられるのを待っている娘さんがいるかもしれないぞ? ロワ団長の喧嘩を買う度胸があるんだ。声のひとつでもかけてみろ」

「なッ、何言って……ッ!」

「当然、お茶代はお前持ちだが、お茶に誘うのならとっておきの店をお兄さまが紹介してやるから」

「やめてよ、そういうのッ」


 すでに既婚者であるからこのような浮ついた会話も平然としていられるのだろうけど、その気持ちがないハシュにはあまりにも敷居が高すぎる。

 ハシュの左目もとのほくろも羞恥に耐えきれないようすを見せながら、


「もうッ! 恥ずかしいからこの話はやめようよ! つづけるんなら俺、もうオルク兄さんとは口きかないからね!」


 ――何で、急に女の子の話なんか……ッ。


 最近もそうだ。同期の伝書鳩たちも他愛のない会話のなかで、オルクと似たような恋愛を絡めた話をすることが多くなってきた。それがはじまるたびにハシュは複雑な気持ちになって、こそこそと逃げてしまう。

 どうしてこんなにも苦手なのかは自分でもわからないが、とにかくいまは嫌だった。

 ハシュはどうにかして実兄の口を止めることができたが、だが目が合うと「で?」などと揶揄の視線を投げてくるから堪らない。


 ――ここまで頑なに拒むとすると……。


 じつは秘かに思う相手がいるのか。ほんとうに恋愛にはまだ興味がなく潔癖で、ひたすら照れているだけなのか。

 見事な二極の解釈論を感じさせるが、ハシュは怒るとほんとうに拗ねるので深追いはできない。

 いまはこのくらいにしておくか、とオルクはくっくっと笑う。

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