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いざ、皇宮へ!

 そんな皇宮とハシュが所属する十月騎士団は比較的距離が近く、競走馬で駆れば二十分もあれば充分というところだった。

 しかも黒馬(こくば)が優秀だったので、――人々の往来がある公道を全力疾走させるわけにはいかないので、皇宮に用向きのある騎士たちだけが許された皇道を用いたのだが――ハシュの馬術と相成って十五分ほどで到着してしまった。

 日々、時間に追われている身としては五分でも短縮できたのは喜ばしいが、おかげでこれから先の、皇宮に叱られることなく、正しく乗り込む策をまだ脳内でまとめきることができずにいた。

 黒馬の背から下りて手綱を握りながら歩き、水路に架かる石造りの橋をふたつほど渡りながら、さて、とハシュは悩む。


「せめて紹介状とか、許可書とか、そういうのを持たせてくれればいいのに……」


 ハシュは思うが、そんなものを持たせてくれるほど上官たちは優しくない。

 何事も現場経験で学びなさい――。

 慈愛と微笑みでそんなことを言って、あっさり新人文官たちを放り出してしまうのだ。

 人がひとりで歩いていればさほど目立ちもしないが、競走馬という上背のある黒馬を連れて歩いていればハシュは否応なしに人目につくし、騎士たちの一般的な出入りに用いられている御用門まではもうすぐだが、最初の門前に立つ衛兵たちがハシュに気がつき、それとなくこちらを向いて、立ち位置をそれとなく変えたのが目につく。


「やっぱり……」


 きっとあと数歩も歩けば、門の両脇に立つ衛兵たちの握る装飾槍が斜め十字に交差して、この身の行く手を遮るだろう。

 まさに想定の範囲内。

 それが彼ら衛兵たちの職務であるから、これに文句はないが――いや、しかし。


「とりあえず、十月騎士団の伝書鳩――じゃない、伝達係として伺いました。用向きのため、四月騎士団の庁舎までの立ち入りを許可してほしいのですが……と言えば、通してもらえるかな?」


 そういえば……と、ハシュは思い出す。

 ここは唯一皇帝の御座所である皇宮だから何事にも厳重なのはわかるが、その理論でいうと、実際に国政を担う五月騎士団のほうが国府として警備も遥かに厳重であってもいいと思われるのに、ハシュはすでに何度も尋ねている五月騎士団の本庁舎をはじめ、内務府、外務府、総務府のそこで立ち入りに苦労をしたことがない。

 そもそも――。

 五月騎士団の敷地にも正門や御用門はあるのだが、そこに衛兵が立っているという記憶がないのだ。

 トゥブアン皇国の舵取りの場でありながら、国民の気質で「警備警護の必要なし」というのが衛兵を必要としない理由であれば、この皇国はどれだけ大らかなのだろう?

 ハシュはここに来て、はじめてそれを疑問に思う。

 勿論、いないからといって悪事を働く輩がいるとは思えないし、いわば「お役所」の面を持つ国府には民の出入りも頻繁にあるので、衛兵がその足をひとつずつ止めて検問するのも手間だといえばそうだし、いや、国府だからこそ必要な手間もあっていいのでは、とハシュは奇妙なところで正論を思ってしまう。

 でも――。

 それは五月騎士団の話であって、ハシュにとってのいまは四月騎士団のほうにある。


「う~ん……」


 ハシュは唸りながら、自分の装いをあらためて見る。

 ハシュの見た目はどう考えても新人文官でしかないが、覇気も威厳もまったくないにせよ、それでも十月騎士団の文官騎士としての軍装を纏っている。

 紺色を基調とした詰襟タイプのそれはシンプルで、文官なので武官のような肩章もなければ、特段飾り気があるわけでもない。

 一見してかなり地味ではあるが、だからといってさすがに不審者や一般人とまちがわれることもないだろうし、


「十月騎士団団長より、裁可押印の必要な書類を受け取るよう命じられて参上してきました……とでもいえば、まだ通過できる可能性もあるかな?」


 上官の上官、さらに上官は団長。

 直上の上官が欲する書類は、すなわち最終的には十月騎士団の最高位である団長が必要とする書類。

 現に「彼」だけが裁可を下せる押印を捺さなければ、国府だろうが皇宮だろうが物事を動かすことはできないのだから、それを取り次ぐ伝書鳩を無碍にもできないはず。

「決断の長」である十月騎士団団長の存在を最初からちらつかせるのはかなり盛ってはいるが、結果としてハシュが取りに行く書類は団長の手に渡るのだから、この際、大げさに言ってしまえば入門できずとも相手側から書類を持ってきてくれるかもしれない。


 ――そうだよ。


 ハシュにとって必要なのは、入門の許可ではなく、書類なのだから。

 それさえ手に入れば、もう――。


「ん? この考え、どこかで……」


 いま、ちらりと浮かんだ上官たちの顔はこの際、忘れることにする。

 いまから上官の理論の色に染まるなんて、それは恐ろしいことでしかない。

 だいたい!

 このあとの移動時間を考えれば、ここでまごつくわけにもいかないのだ。


「よし! これで行こう!」


 などと声に出して作戦案を自己採決していると、ハシュはほとんど御用門の直近まで来てしまっていた。

 脳内で相当考えこみながら歩いていたハシュに変わり、黒馬が空気を呼んで歩みを控え、最後の一歩で立ち止まる。それでハシュもハッとした。

 そうして――。

 想定の範囲内……衛兵たちが一片も表情を変えることなく、視線だけをこちらに向けてくる。痛い視線ではなかったが、一瞬で相手の立場も人格も読み取られるような洞察力の眼光は向けられるだけで竦むものがあった。


 ――う……ッ。


 普段は明るく素直な印象のハシュも、いまは左目もとにあるほくろの演出で何やら気弱そうな表情になってしまい、そのまま無意識にぎゅっと目を閉じてしまう。

 一瞬――。

 ごくわずかだが、軽やかな含み笑いが聞こえたようにも思えたが、表情を変えない衛兵たちがそれをするはずもない。

 はて、と思い、目を開けると、気高き高潔さを持つ美丈夫たちが打って変わってハシュに向かって微笑んできた。表情が和らげば、彼らには個々それぞれに魅力がある。


「――十月騎士団の伝達係ですね。用件は皇宮内所属の四月騎士団の庁舎でよろしいかな?」

「……え?」


 これは想定外だった。

 ハシュはまだ身元を名乗っていない。

 なのに、衛兵のほうからハシュの正体を見抜いて、そのように尋ねてくるとは!

 ハシュは一瞬面喰ってしまい、何度もまばたいてしまう。

 左目もとのほくろもつられてしまい、


「は、はい。書類を受け取りに……」


 参上しました――とつけ加える前に、門内から衛兵たちとおなじ軍装姿のふたりが現れて、ひとりはハシュが騎乗してきた黒馬の手綱を取り、もうひとりがハシュ自身を案内しようと傍らに立った。


「ここから先は、私が案内します。どうぞ、こちらへ」

「は、はいッ」


 ――まさか、一介の伝書鳩に案内がつくなんて!


 ハシュは思わず身を正して緊張してしまうが、はじめての敷地内で案内してもらえるのは助かるが、ここでの用件を終えたらすぐに黒馬に騎乗して十月騎士団に戻らなければならないので、黒馬をどこか離れた場所に連れて行かれるのは厄介だ。

 きっと騎馬待機場に連れて行くのだろうと予測はつくが、簡単に見渡しても近しい場所にそれらしきものは目に入らなかった。


「あ、あのッ、用件が終わればすぐに帰りますので!」


 だから黒馬は近場で待機させてほしい。

 そう言外に含ませると、今度はほんとうに衛兵たちが声に出して苦笑してくる。


「きみが忙しい立場だというのはわかるけど、皇宮には皇宮のしきたりというものがある。遵守願いたい」


 ひとりが穏やかだがきっぱりと言い、


「それに水を飲ませずに待たせるのはかわいそうだ。この子が飲む時間くらい、作ってあげなさい」


 もうひとりも穏やかに言って、ハシュににこりと笑んで言い聞かせてくる。

 眉目秀麗が途端に目の前で笑むものだから、ハシュは一瞬で頬を染めてしまう。


 ――この黒馬を相手に、この子って……。


 これが騎士の花形である一月騎士団所属の衛兵の、大人の余裕というやつなのだろうか。

 何だかかっこいい……とハシュは方向ちがいに感心してしまうが、すぐに自分が失礼な物言いをして、皇宮に対する礼儀を失念していたことに気がついて、あわてて頭を下げて謝罪する。


「すッ、すいませんでしたッ、俺、その……」

「はじめて見る顔だね。なら、仕方もないよ。伝書鳩はいつだって時間に追われているからね」


 この物言いからすると、以前、誰かもそうやって時間を惜しんだ発言をしたのだろうか?

 とりあえず「無作法者め!」と怒鳴られないだけよかった。

 ハシュはそう思ってほっとする。

 その一方で、黒馬のほうは「この子」呼ばわりが矜持に障ったのか、手綱を引かれても騎馬らしい従順さを見せようとしなかったが、騎馬のあつかいにも慣れているのか、衛兵が一瞬、手綱を握る力に奇妙な圧を加えると黒馬は厳しく訓練されたときを刹那に思い出したのか、打って変わって大人しく従ってしまう。

 何だか途端に衛兵の圧に屈して肩を落としたような、そんなふうにも見受けられた。


 ――す、すごい……。


 騎馬のあつかいに慣れている十月騎士団の厩舎にいる厩務員たちでさえ、見知る仲にならなければ黒馬を一発で黙らせることなんかできないというのに……。

 ハシュが呆気に取られていると、


「なるほど。――この子は相手を選ぶ性格か」


 一瞬で上下関係を収めた衛兵が、ふ、と薄く口角をつり上げる。


「すいません、普段はいい子なんですけど……」


 ハシュは騎手として詫びるが、「普段のいい子」はハシュに対してなので、本来の素行をハシュは知らない。

 だが、確かにここまで全力で走ってくれた黒馬には休憩が必要だ。

 とはいえ、手綱を取る衛兵にどうやら苦手意識を持ったようなので、黒馬のためにも居心地の悪そうな待機時間はなるべく軽減してやらなければならない。


 ――ごめん、早く戻ってくるから……ッ。


 ハシュは心中で詫びるものの、それでもやっぱり一歩入ってしまった皇宮内に興味が湧いて、周囲の建物をきょろきょろと見やってしまう。

 一度の目視でざっと八棟はあるだろうか?

 どれも低層だが、白亜の皇宮本宮に準じた外観はいずれも美しい白で、赤煉瓦の特徴が美しい十月騎士団の本庁舎とはまた異なる趣があった。

 さて、どれが四月騎士団の庁舎に当たるのだろう?

 皇宮周辺では美しく静寂な自然のほうが目立ち、傍を歩く人影はほとんどなかったが、皇宮の御用門の中に入ってみると、思いのほか武官や文官の行き交う姿が目につく。

 ではこの辺りは、唯一皇帝の御座所である本宮……あるいは内宮と呼ばれる一帯ではなく、皇宮内に所属する騎士団に関係する敷地なのだろうか?

 加えて、トゥブアン皇国には独特の建築様式と回廊があるのだが、この皇宮では建物同士をつなぐそれが見受けられない。無論、足もとは整地された石畳か、きちんと均された直截の地面なので問題はないが、回廊でつなぐ渡りに慣れていると何だか不思議な気分になる。

 ただ――青空の下、外という空間を歩くのは悪くはない。

 そんなふうに周囲を見やるハシュの忙しい視線に、くすくす、と鈴音のような苦笑が漏れてくる。

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