オルク兄さんは、文官で占術師です
「オ、オルク兄さんッ? 何でここにいるのッ?」
自分とよく似た顔立ちの実兄の登場にハシュは心底おどろくが、オルクとしてはべつに突然湧いて出てきたわけではない。いまほどハシュを横から身体ごと突くように、押しながら遊んでやったではないか。
それに……。
オルクは頬杖をついたままハシュを見やり、
「俺は最初から五月騎士団の文官だ。所属だって内務府だから、用件があればあちらこちらに顔を出している。――それがおかしいか?」
などと言って、ハシュの左目もとのほくろを突きながら問うてくるので、ハシュは「おかしくない」という意味で頭を振りたかったがうまくできず、「そうじゃなくて……」と口ごもる。
確かにオルクは五月騎士団の文官であることにまちがいはないし、内務府のどこに所属していたっけ……? とハシュはやや考えこむが、正直覚えていない。
五月騎士団は国政を担う国府なので、全体的な視野を養うために内務府と総務府はこまめな部署移動が多い。前に実兄からの手紙でつぎの移動先の知らせを受けたが、本庁舎だっけ、分庁舎だっけ、と覚えも曖昧なので、ハシュはとりあえず内務府にいるとしか記憶にしてない。
なので……。
内務府に来たら顔を見せに来いと前々から言われているものの、十月騎士団の伝書鳩として職務で五月騎士団を訪ねているのだ。もう十七歳だし、これでも新人文官なのだから、実兄が近くにいるからといって職務中に「兄さん!」と声をかけて、会いに行くのもどうかと思う。
つまり、新人文官として生活をはじめたこの三ヵ月。――何だかんだと会ってもいない。
もしかするとオルクがここに現れたのは、「会いに来い!」と実弟に催促するためなのだろうか?
――ヤバ……。
ハシュは何となく気まずくなって目を逸らすが、オルクはかるく咎めるような眼差しでねめつけるだけで、すぐに小さく笑って許す。
会うことを面倒くさがられているわけではないにせよ、「いるから来い」といって真に受けるほどハシュももう子どもではないのだ。互いに文官……騎士になってしまえば兄弟とはいえそのようなものだろう。
「今日はこのまま家に帰ろうと思っていたんだけど、道中で俺と似た顔の子がいるって、誰かが話しているのが聞こえてね」
「……え?」
「それでハシュだと思って。この時間だし、ひょっとしたら食堂で腹ごしらえをしているんじゃないかと思って覗きに来たんだ」
「……すごい」
――こういうのを推察力っていうんだっけ?
些細な情報だけで何となく知りうる全体を見て測り、的を絞る。
昔からオルクはこういったことに長けているのだ。
ハシュのオルクに対する登場のおどろきはそこにあったのだが、こうして会ってしまえば経緯の疑問もさほど残らなくなる。私的な時間ではなく、文官として職務についている時間に実兄に会えたのは恥ずかしいようで……やっぱり嬉しい。
オルクのほうも久しぶりに会えた実弟を突いて遊ぶのは楽しいが、じつは似ている子がいるというだけでハシュを探しに来たわけではなかった。
ハシュへのちょっかいを終いにすると、頬杖をついたまま視線だけを動かし、
「――で? お前、何をしでかしたんだ?」
「な、何って?」
いきなり問われて、ハシュはどきりとする。
妙に核心を突くような声音に嫌な予感がして、ハシュはわざと知らぬふりをしようとしたが、
「すれちがった文官たちが言っていたんだ。十月騎士団の伝書鳩が四月騎士団団長の使い魔を兼任して、奇妙な人探しをはじめたって」
「……」
――やっぱりそう思われたか……。
どうやらハシュが恐れていた事態は、早くも口伝しはじめているようだった。
だが、その文言だと最初の「クレイドル」にとって自滅しかねたいと思われるのに、それでいいのかな、と秘かに考えるが、彼がどのように身を滅ぼそうとそれはハシュの知ったところではない。
むしろ、ハシュ自身の存在に尾ひれが付いて、このまま五月騎士団への立ち入りをほんとうに出禁にでもされたら、各騎士団への書類の受け渡しを主務とする十月騎士団の伝書鳩としては成り立たない。
いざ本格的に事態が発展したら、ハシュは上官に何と言って事態鎮静を求めればいいのか……。
ああ……と思いながら、ハシュは肩を落とし、両手で自身の頭を抱える。
――いま、四月騎士団団長って聞こえなかったか?
――ここは五月騎士団だぞ。何であの方の名前が……。
ふたりの会話を偶然耳にしたのか、すぐそばで食事を取っていた数人の文官がトレイを持って立ち上がり、よくわからぬが巻き込まれないように……と離れた席へと移動してしまう。
オルクはそれを冷ややかに見やりながら、
「十月騎士団の伝書鳩は日々奔走しているから、同期の新人騎士たちとは異なり、顔を見知ってもらうのも、人脈への参加も破格に早い。――しかも四月騎士団団長の使い魔になったとは、ハシュもとんだ大出世をしているじゃないか」
「~~~~~ッ」
「お前、何をしてあの方に気に入られたんだ?」
どうやらあの七三黒縁眼鏡鬼畜の人となりは、オルクの耳にも充分に届いているらしい。そうとわかった上に、この揶揄だ。
ハシュはどうしたらいいのか、わからなくなってしまう。
「オルク兄さん……それ、冗談で言っているよね?」
ハシュがねめつけながら尋ねると、オルクがおもしろそうに目を細め、右目もとのほくろを魅惑的に見せながら、
「居心地は最悪だろうけど、四月騎士団団長――ロワ団長に目をつけられたなら最後、意外と出世するのは事実らしいぞ」
「やッ、やめてよ! そういうの! オルク兄さんが言ったらほんとうにそうなっちゃうじゃないか!」
「出世は早くからしておいて損はない。せっかく十月騎士団に入団したんだ。母さんを安心させてやれ」
「ひ……酷いよ、母さんを盾にするなんて!」
ハシュとオルク。
兄弟にとって共通の大切な存在。
七年前の大海戦で父を失ったあと、女手ひとつで育ててくれた――母。
親孝行を引き合いに出されたハシュは無論、そのとおりだと思うが、この出世の糸口だけは絶対に嫌だった。涙目になりかけ、実兄には伝わる苛立ちや思考のぐちゃぐちゃを隠すように、そのまま頭を抱えて机の上に顔を伏してしまう。
昔からきっぱりとした物言いの実兄との会話は嫌いではないのだが、オルクの言葉には奇妙に現実味に向かうものが含まれているので、明後日には確実に四月騎士団団長と縁を切る方向で動こうとするハシュにとって、それが切れずにつながったままだと言われてしまえば堪らない。
一方で、まだまだ感情表現が子どもだなと思えるハシュにオルクは苦笑して、そのまま視線を動かしてハシュの腕の下にある用紙に目をやる。
そして、はて、と思った。
十月騎士団の伝達係である伝書鳩は通常、手もとに用紙を――あるいは書類――……それがどのようなかたちであれ、各騎士団の庁舎から受け渡される書類をこんなにも簡単に人目に晒すことはない。
いま見える用紙がそういった業務としての書類なのか、それともハシュが個人的に見ることを可能とする内容なのかは判然つかない。では……と、オルクは斜め上に解釈を変えてみる。
――もしかすると、どこかの娘さんからもらった恋手紙だろうか?
――それをお守りのように大切に持ち歩き、つど読み返しているとか?
そうだとしたら、これはたいした青春だ。
もし、それが実在するのであれば容認するわけにはいかないが、ハシュも年ごろなのだし、新人文官として生活をはじめたのだ。そういうお相手と出会ったとしても……と、オルクは邪推を膨らませるが、実弟の性格にかぎってそれはないと邪推を掃う。
では、この用紙は何なのだろう?
単純に興味が湧くと、オルクは机に顔を伏すハシュの腕の下から用紙をかるく引っ張り出して、「ふむ」とつぶやきながら見やる。
そして――。
記されている不可解な一連性に首をかしげた。
「クレイドル……?」
筆記されているのは、その人物名だけ。
あとは附属として所属先の騎士団名やそこでの所属部署が十数人分、簡単に記されている。
「奇妙な人探しって……これのことか?」
クレイドル――。
けっして珍しくはない名前だが、かの四月騎士団団長が所属騎士団の異なる新人文官の伝書鳩に何事かあって人探しを依頼するのは確かに奇妙だ。
伝書鳩はこき使われやすい性質をしているが、本来、それを自在にあつかえるのは伝書鳩が所属する十月騎士団だけ。他騎士団に自在の権限はないのだが……。
「え……ッ、あ、そ、それはッ」
腕の下から用紙を引き抜かれた感覚にハシュはおどろいて、がばり、と顔を上げる。
実兄だから見られたところで困りはしないが、だからといって自分を窮地に追い込んでいるそれを見せてもいいのかとハシュは迷い、手を伸ばす。
「オルク兄さんッ、それはちょっと、そんなに見ないで――」
「もう遅い」
「――てッ」
用紙を引っぱり戻そうとしたが、ぺし、と手のひらを叩かれてしまい、ハシュは頬を膨らませてしまう。
その間、オルクはハシュには目もくれず、ただじっと用紙を見やり、それだけで何かを読み解こうとしていた。集中する目の奥には何が見えているのだろう?
幾人かに覚えはあるのか。手入れの行き届いた指先の爪でトントンと名前を叩き、わずかに考え込む。
ハシュとはちがい、すでに青年であるオルクの目もとは集中すると怜悧な鋭さが容貌を際立たせる。オルクが持つ右目もとのほくろでさえ、そうと見えるから不思議だ。
ただ……。
オルクが一点集中しはじめてしまうと、少々厄介な面がある。集中力が高まるぶん、好奇心からからくりをこじ開けようとして、幾分目の前にある物事にしつこく絡もうとするのだ。
そういうところがいつまで経っても子どもなんだから、とハシュは思うが、それを七歳年上の実兄に向けて口にしたらどうなるのか――実弟ゆえにそれもよく知っている。
だが、いまはこの集中力が思わぬ展望となり、ハシュの道筋を変えるのだった。
オルクはもう一度「ふむ」とつぶやいて、やや大げさに腕を組む。
「ハシュ、よければ事情を聞かせろよ。――可能か?」
「え……?」
「これは何も知らない時点の俺の直感だが、お前、こいつにしばらく振り回されるぞ」
「……」
ハシュはまだ何も言っていないのに、オルクが核心めいたことを口にする。
厳密にいえばすでに振り回されているが、なぜわかるのだろうか?
ハシュは不思議そうにまばたいてしまう。
「オルク兄さん、わかるの?」
「それはお前の説明の出来次第だ。――お兄さまに一度で要領よくお話することができたら、その礼に指し示すものを視てやろう」
「それって……」
ハシュが尋ねると、オルクが文官軍装の上着のポケットとスラックスのポケットからあるものを取り出す。
「いまは簡易的なものしかないから、詳しく視ることはできないけど……まぁ、大丈夫だろう」
そう言って取り出したものを机の上に置く。
それは何十枚とある、大人の手のひらサイズのカードだった。
一見でわかりやすい長方形の、背面……いや、裏面というべきか。そこには統一された模様。オルクが簡単に何枚かをめくると、その反対面には多種多様の絵柄が描かれており、その下には何かを意味する言葉、あるいは数字のようなものが記されている。
カードはすでに使い込まれている感じがあって角には古びた印象もあるが、カードを一度整え、オルクが両手でよく混ぜるように切っていくと、何だか神秘的な気配を醸し出していく気がする。
「これって……タリアルのカードだよね」
カードはただ奇麗な絵柄でまとめられた鑑賞用が用途ではない。
じつはこのカードには使い道があって、カードには一枚ずつ定められた意味があり、問いに対して答える、そんな不思議な役割がある。
カードは一枚だけでも意味どおりに示唆するが、複数枚を用いるとさらに答えや考え方に導きをもたらすと言われている。
ハシュはその一枚を見てもほとんど理解することもできないが、何に対して用いられるカードなのかをよく知っている。
――向かい、知る。
その意味を持つ、タリアルのカード。
ハシュの問いにうなずくと、オルクは切り終えたカードを三束に分ける。
その束を机の上に特徴的に置くと、ちょうど中央にカード一枚分が置ける空間のある三角形のような配置になった。
オルクは片手で頂点のカードを上に向けて払うように「シュッ」と素早く一直線にスライドさせて、今度は左右に置いたカードの束を左右それぞれの手でおなじく伸ばすように一直線にスライドさせていく。
オルクは片手で頂点のカードを上に向けて払うように「シュッ」と素早く一直線にスライドさせて、今度は左右に置いたカードの束を左右それぞれの手でおなじく伸ばすように一直線にスライドさせていく。
相変わらず、見惚れる手つきだな……。
ハシュはまばたきも忘れて実兄のカードに対する手さばきを見やる。
「オルク兄さんはタリアルのカード、いつも持ち歩いているの?」
「まぁな。これが俺のもうひとつの職務でもあるし」
「そうだよね、――兄さんは占術師だもんね」
美しく整った手や指先、そして手入れも施されている爪。
オルクは手もとを見るだけでも多くの女性たちが恍惚としてため息を漏らすだろうが、その指のひとつをよく見ると、ハシュの実兄はすでに婚姻を誓い合った相手がいる証として指輪を嵌めている。
飾りのないシンプルなものだったが、威力は抜群で、それが目につけば女性たちもちがった意味で落胆のため息を漏らすだろう。
ハシュはその指輪を見ながら、
「ねぇ、オルク兄さん。アリナさん……義姉さんとユゥエは元気?」
何気なくも唐突に問うが、オルクにはそれで充分だった。
「幸い、ふたりとも元気だ。ユゥエは言葉らしい言葉ではないけどよくしゃべるようになってきたし、アリナは前に馬をかっ飛ばしているお前を見たと言っていたな」
「――へ?」
「何やらあわてているようすだったけど、職務の最中でがんばっているのだろうと思って声をかけずにいたらしい。文官の軍装がずいぶんと似合う騎士になってきたわ、と喜んでいたぞ」
「そッ、そそ、それって、どこでッ?」
「さぁ?」
ハシュはあわてて問うが、オルクは詳しくは聞いていないようすだった。
――ま、まさか義姉さんに見られていたなんてッ!
ハシュはいつだって職務に負われて、伝書鳩として皇都地域に点在する各騎士団を駆けまわっているが、そのようすを口だけで家族に「仕事はがんばっているよ」と伝えるのと、実際、自分の奮闘を秘かに家族に目撃されているのとではいささか感情も異なる。
馬をかっ飛ばしてって……。
つまり、騎馬を走らせているところを目撃されたということは、だいたいが思考をパニックにしながら全力疾走しているときだ。
そんなあわてんぼうの自分を、よりにもよって義姉に見られていたなんて……ッ。
――は、恥ずかしい~~~ッ!
何も悪ふざけの現場を目撃されたわけではないのだから、べつに恥ずかしがる必要もないのだろうが、「一生懸命」「がんばっている」「文官」としての自分を見られるのは気恥ずかしくて堪らない!
「ああ~~~ッ」
顔どころか耳の端から首の付け根まで。いや、身体中どこもかしこも真っ赤に肌が染まるような体温を感じて、ハシュは耐えきれず両手で顔を覆ってしまう。
そんなハシュを見ながらオルクが小さく笑い、
「もう三ヵ月経ったんだ。いまの生活にも慣れてきただろう? なら、さっさとアリナとユゥエに顔を見せてやれ。とくにユゥエにはこまめに顔を見せないと覚えてもらえず、おにいちゃま、と呼んでもらうどころか、人見知りされて泣かれるぞ」
「う……ッ」
ユゥエとは。一歳のころを過ぎたハシュにとっては可愛い姪っ子で、ハシュは何と、十七歳にして立派な叔父にもあたるのだ。
顔を見て泣かれる――。
それは嫌だなと思い、ハシュは言葉を詰まらせた。
そして、オルクが改めて問うてきた。
「――で? 何があった?」




